第一章 第三節 優しき連合艦隊旗艦
開戦から数週間後、日本軍の『大東亜共栄圏』をスローガンにした進撃は止まる事を知らなかった。
日本海軍は連日のように海を駆け回り、各所で勝ち続けている。
そんな状態だが、戦艦『大和』は依然呉の軍港に停泊したままだった。
この二週間、世界は色々な事があったが、翔輝にも大きな動きがあった――翔輝は訓練期間を終え、正式に『大和』に配属された。役職は航海士だ。
・・・艦で迷子になるような奴が航海士によくなれたものだと、自分でも驚いている。
そして、大和ともかなり親しい関係になった。
そんなある日、翔輝は甲板で呉に停泊している艦艇を眺めていた。その時の彼の表情はとても嬉しそうだった。
「あぁ、やっぱ『大和』もいいけど、他の戦艦もかっこいいな」
うっとりと連合艦隊の戦艦達を眺めていると、
「少尉」
なんとなく不機嫌な声に階級を呼ばれて翔輝は振り返る。そこには、声と同様に不機嫌そうな顔をした大和が立っていた。
「なんだ大和か。一体どうしたんだ? そんな怖い顔して」
楽観的に言う翔輝に、大和はピクリと眉を動かす。
「どうしたじゃありませんよ。何ですか、仕事もしないで戦艦見物三昧。それでも帝国海軍の軍人ですか?」
大和はやはり不機嫌そうに言う。その声には少し怒りが感じられた。
困惑するのは翔輝の方だった。こんな不機嫌そうな大和は初めてだったからだ。
「いや、でも一応まだ仕事らしい仕事をもらってないし」
「自分で見つけてください」
大和は凛とした声で言う。
翔輝は確信した。大和は明らかに何か怒っていた。
「なぁ、お前何か怒ってない?」
翔輝が心配そうに聞くと、
「別に怒ってません。それより、仕事がないなら私の主砲でも磨いたらどうですか?」
「んな無茶な」
「無茶ではありません」
凛とした声で言われると反論ができなくなる。
情けない。自分よりも頭一つ分くらい小さい女の子に何も言い返せないなんて・・・まぁ、相手は世界最大最強の戦艦だが。
「さぁ、さっさと来てください」
大和は翔輝の腕を掴み、グイグイと引っ張る。
「お、おい。ちょっと待てって・・・ッ!」
翔輝の言葉に対し、大和は凛とした声で、
「嫌です」
即答した。
もうお手上げだ。もう僕なんて自由にこき使って。翔輝が自暴自棄になった。その時、
「いい加減許してあげたら?」
どこからか声が聞こえた。女性の声だ。しかもかなり若い。
その声に大和はピタリと止まった。不機嫌そうな顔で振り向き、一隻の戦艦を見詰める。
「長門さんには関係ないですよ」
そう言った。
え? 長門? 長門って戦艦『長門』の事か? 連合艦隊旗艦の?
戦艦『長門』とは長門型戦艦の一番艦の事である。日本国民に最も愛された戦艦が長門型戦艦であり、自慢の四一cm砲を四基八門を搭載した二一五・八mの巨艦は、大和型戦艦ができるまでは名実共に世界最強の戦艦であった。
そんな『長門』の艦魂とは一体どんな人物なのだろうか。
困惑していると、二人の目の前に光が集まり、それはやがて人の形を形成する。次の瞬間、目の前には大和と同じ士官用の海軍服を着た女性が立っていた。いや、大人びた顔をしているが少女だった。
「日本連合艦隊の象徴が聞いて呆れるわよ?」
温和な表情で少女は言った。その雰囲気はすごく優しかった。
「な、長門さん」
「えええぇぇぇッ!」
大和は少女を長門と呼んだ。という事は、彼女は連合艦隊で一番偉い艦魂という事だ。
「うん? どうしたの?」
長門は「んー?」と翔輝の顔を覗き込む。翔輝は驚いて一歩下がった。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない」
軍帽を脱ぐと、スラリと伸びた長髪が風に靡いてそよそよと揺れた。
長門はにっこりと翔輝に微笑むと、そのまま大和を見詰める。大和はそんな長門を見てうつむいてしまった。
「まったくあなたって子は」
うりうりと大和の髪を掻き回す。自分がやると本気で怒られるのに、翔輝はちょっとうらやましく思った。
「その性格、少しは治しなさい」
長門は優しく微笑んだ。そんな彼女に対し、大和はうつむいたままだった。
翔輝は長門に向かって敬礼した。
「お初にお目にかかります。長谷川翔輝少尉です」
一応連合艦隊旗艦という事もあり、翔輝は上官に対しての態度で接する事にした。そんな翔輝に長門はくすりと笑った。
「そんなにかしこまらなくてもいいでしょ?」
なんか、イメージとだいぶ違うような気が、連合艦隊旗艦というからにはすごく威厳があり、規則に厳しく、最強の軍人かと思ったが、実際はかなりのお姉さんキャラである。「んー?」という感じで見詰めるその仕草はどこか幼さを残すが、大人の女性という雰囲気が印象的だった。見た目は自分より少し年上位の少女だったが。
「予想が裏切られちゃいました?」
「うわッ!?」
考え込んでいた翔輝の目の前に大和の顔が現れた。翔輝はビビって一歩下がった。その反応に不機嫌になる大和。
「何ですか。そんなに驚かれなくてもいいじゃないですか・・・」
その声はやはり不機嫌だった。しかしどこか寂しそうでもあった。
「ご、ごめん」
翔輝が素直に謝ると、
「べ、別に謝らなくてもいいじゃないですか」
と、翔輝から顔を逸らした。そんな様子を長門はニヤニヤと見ていた。
「んー? 何か妙に仲がいいのね」
「・・・ッ!?」
「そうですか?」
柔和な笑みを浮かべる翔輝の横で、大和はうつむいたまま微動だしなかった。その時の彼女の頬は、薄い桜色に染まっていた。
そんな大和を見て、長門はむふふと口元に手を当てて微笑んだ。
「うーん、大和はこの人が大のお気に入りなのよね?」
そう言い、長門は翔輝を見た。首を傾げる翔輝に、長門はそっと微笑む。
「この子ね、この前の艦魂会議でね、あ、でも会議って言っても自分の艦の艦長を自慢したりとかっていう雑談よ」
艦魂達はいつの間にそんな事をしていたのだろうか、
「その時この子、『私は艦長もいいですけど、今すっごくお気に入りの士官がいるんです』って嬉しそうに言ってたのよ」
「そうなんですか、で、それは一体どなたで?」
「何言ってんのよ。あなたの事よ」
「ぼ、僕ですか!?」
長門の言葉に翔輝は素直に驚く
「そうよ、あなた以外に考えられないでしょ? ね、大和?」
二人が大和を見ると、大和はこれでもかと言わんばかりに顔を真っ赤にしていた。
「あの、大和?」
翔輝が声をかけると、大和は一目散に走り去ってしまった。神業である。
「あーあ、行っちゃった。もっと自分に正直になればいいのに」
長門は苦笑いをする。
「あの、何が何だか・・・」
翔輝は困惑するだけだった。
長門は軍帽を被り直してくるっと反転し、優しい瞳で翔輝を見詰める。
「あなたなら、大和を任せられるかも」
そう言った。
「え? 何がですか?」
翔輝はさら困惑する。そんな翔輝を見て、長門はその横についた。
風が吹き、長門の長い髪が翔輝の鼻をかする。
「あの子はね、すごい寂しがり屋なのよ」
「寂しがり屋・・・、ですか?」
長門の言葉に翔輝は彼女を見る。長門は『大和』の艦橋を見詰めている。その表情はどこか悲しげだった。
「あの子は我が日本連合艦隊の希望として生まれた。でも・・・、彼女が守るべき我が国の国民は、彼女の事を知らない」
当時、戦艦『大和』は完成して就役した後も、その名と存在は軍の中には知れ渡ったが、国民はその存在を知らず、知る者はごく一部だけだった。戦艦『大和』の名が世に知れ渡ったのは戦後の事であった(当時は戦艦といえば長門型戦艦であった)。
「私はみんなに歓迎されて生まれた。人間で言う誕生日だった就役式では多くの国民に祝福されたわ。でもあの子は、その就役式もすごく寂しいものだったの。あの子は希望をたくさん持って生まれたけど、愛情は全く受けなかったのよ」
長門は寂しそうに言う。
潮風が流れ、甲板の兵達が黙々と機銃や高角砲の整備を行っている。
しばらく二人は黙っていたが、兵の一人が階段から転倒したと同時に長門の口が開いた。
「あの子はまだ、自分の守るものを知らないのよ」
長門はそっと翔輝を見た。透き通った漆黒の瞳が翔輝を見詰める。
「だから、それをあなたが教えてあげて」
長門は優しく微笑みかけた。
「ぼ、僕がですか!?」
「そうよ。お願いね」
そう言い、長門は去ろうとする。
「ちょッ! ちょっと待ってください!」
去ろうとする長門を翔輝が止める。長門は「んー?」と振り返る。
「何で僕なんですか!?」
「えー、だって君って大和と仲がいいじゃない」
「だからって・・・ッ!」
「んー? 長谷川君は大和の事が嫌い?」
「いえ、そういう訳では・・・っ!」
「じゃあいいじゃない」
長門は罪のない微笑みを向ける。その笑顔には邪心が無い。まさに純真無垢だった。
「言ったでしょ? あなたはあの子のお気に入りだって」
長門は微笑んだまま光に包まれ、消えてしまった。
消える直前、長門は「あの子はすっごいやきもち焼きだから、あんまり他の艦をジロジロ見ちゃだめよ」と言って消えた。
甲板に取り残された翔輝はしばらく海を眺めていたが、静かに艦内に入って行った。
そしてふと気づく。
長門が、大和以外と初めて話した艦魂だという事に・・・
まだまだ寒い呉軍港。甲板に流れる風はまだ冷たい。しかし、その風はほんの少し春の匂いがする。
もうすぐ日本には春が来る。
だが、日本という国の春はしばらく訪れない。
甲板では転倒した兵が友人の肩を借りて医務室に向かって行った。
長門と別れ、翔輝は艦内のある自室に入った。
「やっぱり・・・」
翔輝は自分のベッドを見る。そこには、明らかに布団が盛り上がったベッドがあった。かくれんぼなら幼稚園児でも見つけられるレベルの低さだ。
「勝手に入らないでよね」
「いいじゃないですか。ここは私の艦ですよ」
大和は布団に潜ったまま言う。確かにそうだが、
「だからってさ・・・」
「静かにしてください。少尉のバカ」
いつになく元気のない声で大和は言う。
翔輝はもう何も言わず、部屋の隅の椅子に座り、隣の机の上に置いてある写真立てを見詰める。そこには、優しく微笑んでいる少女の姿があった。今ベッドで泣いている誰かに似ている少女は、今年の春に病気で死んだ四歳年下の妹――翔香。その横の写真立てには若い頃の父と母の写真がある。母は三年前に亡くなり、陸軍軍人だった父は満州事変の時に戦死している。つまり、翔輝にはもう、家族はいないのだ。
両親が亡くなってから、翔輝は翔香と二人で生きてきた。しかし、今年の春に体を壊し、病院に入院したが、原因不明の病気で亡くなったのだ。
そんな妹の翔香の事を思い出していると、
「妹さん、でしたよね?」
その声にベッドを見ると、大和が布団の合間からこちらを見ていた。
「あぁ、そうだよ」
翔輝は素直に答える。
「私にそっくりですよね」
「そうなんだよね。だからほっとけなかったのかな?」
「・・・私が妹さんに似ているから、優しくしてくれたんですか?」
翔輝は椅子から落ちた。
「だから、そうじゃないって何度も言ってるだろ」
初めて彼女をここに呼んだ時も彼女に翔香の話をしたらそう聞かれたのだ。それからすねるたびにこのベッドに侵入して、翔輝が励ますたびに何度も訊かれる。もういい加減にしてほしいものだ。
「だって、それ以外に少尉が私に優しく接してくれる理由がないじゃないですか」
「人を心配するのに理由がいる? 普通」
「・・・ない、ですけど」
「そういう事。何度も同じ事を言わせないでよね」
翔輝はそう言って微笑んだ。
翔輝の笑顔を見て、大和は顔を赤くしてまた布団の中に潜ってしまった。
「さてと、お前がここにいるってわかったし、もう一回甲板に戻るか」
ピクッと大和が反応する。
翔輝は立ち上がり、ドアを開けて出て行った。
数分後、大和がその後を追った。
甲板に向かおうと歩いていた時、
「長谷川少尉」
突如『大和』艦長――高柳儀八大佐と出会った。
「艦長」
翔輝は敬礼した。高柳もそれに応えて静かに答礼する。
「長谷川少尉。今用事はないか?」
「はっ、何もありません」
「そうか、良かった」 高柳はそう呟き、懐から一つの封筒を取り出した。
「これを『陸奥』の艦長、小暮軍治大佐に渡してきてくれないか?」
「『陸奥』ですか?」
「あぁ、副長に任せようとしたんだが、彼がいなくなってしまってな」
「はぁ」
「もう内火艇の用意はしてあるから、よろしく頼むよ」
「はい」
そう言って、高柳は去った。 残された翔輝は高柳から預かった手紙を懐に入れた。
「うーん。じゃあ行くか」
翔輝は甲板に行くのをやめ、後部の内火艇乗り場に向かった。
「どうされたのですか?」
内火艇乗り場に着いた翔輝に兵が声をかけた。
「いや、艦長から『陸奥』の小暮艦長への手紙を預かって」
「おや? それは副長の役目では?」
「なんかいなくなっちゃったみたいです」
「そうなんですか、ではお乗りください。すぐに船を出します」
「ありがとう」
翔輝は内火艇に乗り、兵は準備に入った。
数分後、内火艇はクレーンに吊られて海面へと運ばれ、ゆっくり海面に着水。クレーンをはずし、内火艇はエンジンをかけて動き出した。
翔輝を乗せた内火艇は五○〇メートルほど離れた戦艦『陸奥』に向かった。
「あれ? どこ行っちゃったんでしょうか」
甲板に出た大和は翔輝の姿を探していた。
いつの間にか空は晴れ、輝く太陽が『大和』が纏う純白のドレスをキラキラと輝かせる。
甲板では兵達が愚痴を言いながら雪かきをしていた。
「少尉。一体どこに行ったんですか?」
大和は寂しそうにつぶやいた。その時、
「あ、あれは・・・ッ」
大和は『大和』から離れて行く一隻の内火艇に気づいた。そして、それに乗っているのは・・・
「しょ、少尉・・・ッ!?」
大和は走り、内火艇を追いかける。
「少尉ーッ! どこに行くんですかあああぁぁぁッ!」
大和は艦尾まで走ったが、内火艇は離れて行く。
「少尉ッ! 少尉いいいぃぃぃッ! ほぺッ!」
大和は段差につまずき、見事にすっ転んだ。
「うぅ・・・」
打ち付けた鼻をこすりながら立ち上がると、もう内火艇は遠くまで行っていた。その先には、戦艦『陸奥』が、
「どうして『陸奥』に・・・少尉、どうして・・・」
どんどん離れて行く内火艇を見詰め、大和は何もできなかった。 |