第六章 第二節 武蔵の小さな笑顔
その夜、予定通り武蔵の歓迎会は開かれた。
場所はいつものとおり『大和』の第三会議室。部屋の中央の長テーブルには白いシーツが敷かれ、その上には多くの料理や酒が並んでいた。もちろん全て大和が出したものだ。
そして、部屋の中には大勢の艦魂が集まっていた。皆期待の新生である武蔵の誕生を祝福しに来た・・・のだが、
「えっと・・・」
困ったような笑みを浮かべる長門が見詰める先には、いきなり初日で絶交関係に陥った世界最強の戦艦姉妹がいた。
完全に敵視して睨みつける姉・大和に対するのは、そんな恐ろしい視線を受けているのに眉ひとつ動かさずに無視して無表情を貫く妹・武蔵。
せっかくの祝いの席なのにそんな主賓と主賓の姉による気まずい雰囲気に、誰も口を開けずに助けを求めるような視線で頼れる元連合艦隊旗艦である長門を見詰める。が、そんな長門も何がなんだかわからず困る。
「い、一体何がどうなってるのかしら・・・?」
「わ、わかんないよぉ」
陸奥もこの意味不明な状況におろおろとする。そんな彼女の隣でも伊勢が「ほんま、どうしたんやろ大和はんと武蔵はんは」と心底心配そうに絶交状態にある大和と武蔵を見詰める。
「ほんと、どうしたのかしら?」
「でもこのままじゃまずいよねぇ、金剛がいるからあまりこの状態は放置できないよ?」
日向の言葉に、皆うなずく。もちろん長門もこのままにしておくつもりはない。せっかくの楽しい武蔵の歓迎会を氷のように冷たく鉛のように重たい雰囲気と金剛の暴走による赤い景色にする訳にはいかない。
長門は懇願するような目で見詰める艦魂達に満面の笑みで微笑んだ。
「大丈夫。もう手は打ったから」
その言葉に皆が「おぉ・・・」と感心の声を上げた。その時、
「連れてきましたッ!」
その声に全員が見ると、そこには荒い息で部屋に入って来た雪風が立っていた。そんな彼女を見て長門が勝利を確信したような笑みを浮かべる。
「一体どうしたの・・・?」
雪風の後ろから目を擦りながら現れたのは、上着を脱いでワイシャツとズボンだけというラフな格好をした翔輝だった。
「長谷川君ッ! 待ってたのよッ――って、あれ?」
嬉しそうに翔輝に駆け寄った長門。だが、すぐに彼の状態に気づいた。
「も、もしかして寝てた?」
長門の問いに、翔輝は目を擦ると苦笑い。
「ええ、まあ。疲れてぐっすりと寝てた所を飛び込んで来た雪風に叩き起こされたという具合でして・・・」
「べ、別に叩き起こした訳じゃないですか。わ、私は普通に起こしただけですよ」
雪風は頬を赤らめて怒る。そんな雪風に翔輝は苦笑いする。
「『少尉ッ! 長谷川少尉ッ! 大変なんですッ! 起きてください! 起きてくださいってばッ!』と耳元で騒がれた上に布団を剥がれ、ベッドから引きずり落としたのに叩き起こした訳じゃないんだ」
その痛恨の言葉に雪風は言葉に詰まる。
「わ、私は別に叩いたりという暴力は――」
「ベッドから引きずり落とすのは普通暴力って言わないか?」
「あうぅ・・・」
翔輝のクリティカルな一撃に雪風はついに沈黙した。
そんな二人のやり取りを見て長門は苦笑いするが、すぐに今の状況を思い出して慌てる。
「ちょっと長谷川君ッ! あなたに緊急のお願いが――」
「わかってます。大和と武蔵がケンカをしているんでしょ? ここに来るまでに雪風が説明してくれました」
「なら話は早いわ。あの二人をなんとかして。このままじゃ金剛が何するかわからないから」
長門の言葉に翔輝は目を擦りながら微笑んだ。
「わかりました」
翔輝は長門から離れると、大和と武蔵に近づく。
「二人とも」
その声に振り向いた大和は驚く。
「しょ、少尉? どうしたんですか?」
武蔵も視線を翔輝に向ける。
二人に見詰められ、翔輝は、本当の本当に優しい笑みを浮かべる。
「とりあえず、二人とも殴らせて♪」
「「・・・え?」」
ゴチンッ! ガゴンッ!
「いったあああああぁぁぁぁぁいッ!」
「・・・ッ!」
翔輝は一瞬で二人の頭に拳を入れた。そのあまりの一撃に大和と武蔵はそれぞれの悲鳴を上げて身体を丸めてしまう。
突然の事に長門達は一歩も動く事もできず呆然と立ち尽くす。
痛みがある程度引いた所で大和がバッと顔をもたげる。その瞳は理不尽な暴力に対する怒りと痛みで出た涙で濡れていた。
「いきなり何するんですかッ!」
怒鳴る大和だが翔輝の顔を見て絶句した。翔輝は今にも崩れそうな笑みを浮かべて自分を睨んでいた。
「なあ、大和。お前なら僕の最近の予定を知ってたよな?」
「え・・・?」
「僕、ここ最近仕事が忙しくてあんまり寝てないんだけど」
「あ・・・」
大和はその言葉に顔を真っ青にさせる。そんな大和の肩を翔輝は掴む。その力はいつになく強い。
「今日は久しぶりに早く終わったからぐっすり寝てたんだ。それを何? お前達姉妹のケンカ仲裁の為に雪風に叩き起こされてここに来たんだ」
雪風が今にも泣きそうな真っ青にした顔で姉の胸に逃げ込んだ。
翔輝はもうほとんど崩れた笑みを浮かべる。その表情の奥には怒りの炎が燃えていた。
「正直言って、今ものすごくイライラしてるんだ」
「ご、ごめんなさいぃッ!」
大和は珍しく激昂寸前の翔輝に恐怖して泣きながら土下座した。
「ごめんなさいッ! 本当にごめんなさいッ! ほら武蔵もッ!」
ゴンッ!
「・・・ッ!」
「あ、ごめん」
大和は慌てたせいで武蔵の頭を勢い良く力強く下げさせた為に、武蔵は思いっ切り顔面を地面に激突させた。
あまりの激しい激突に、謝っていた大和も怒っていた翔輝も慌てる。
「だ、大丈夫?」
武蔵は地面に着けていた顔を上げる。その鼻からは赤い鼻血が流れていた。
「・・・平気」
鼻血を垂らしながら言われても説得力のかけらもない。
「まったく、大和も手加減しろよな」
ため息をついて翔輝はポケットからハンカチを取り出すとおもむろに武蔵の鼻に当てる。
「・・・へぶ」
「まったく、世話焼けんだから」
苦笑いしながら翔輝は武蔵の鼻血を拭き取る。そんな彼に鼻を拭いてもらっている武蔵はじっと彼を見詰めていた。
「はい。後は自分でもできるよね?」
そう言って翔輝はハンカチを彼女に渡す。
武蔵は翔輝からハンカチを受け取ると、それをそっと鼻に当てる。
「・・・ありがとう」
武蔵は頬をほんのりと赤らめて小さくそう言った。その小さなお礼の言葉に翔輝は「どういたしまして」と優しく微笑む。
「・・・これ、洗って返すから」
「別にいいよ。血って洗っても落ちないから、終わったら捨てて」
「・・・ごめんなさい」
「気にするなって」
翔輝はそう微笑むと、こっちを見詰める大和の視線に気づいた。
「大和?」
「ご、ごめんなさい・・・」
何度も頭を下げて謝る大和に、翔輝もため息すると優しく微笑む。
「もういいよ。僕こそ殴ったりしてごめんね」
「あ、はい・・・」
翔輝は大和の頭を優しく撫でる。その光景を武蔵はじっと見詰める。
大和から離れた翔輝はこっちを見詰めている長門に近づくと苦笑い。
「まあ、なんか仲裁とまではいかなかったけど、気まずい空気は壊せましたよね?」
「ええ、まあ。ありがとうね」
長門が微笑むと、翔輝も優しく微笑んだ。が、すぐに「ふわぁ・・・」とあくびをすると目を擦る。
「とりあえず、僕の役目は終わったみたいですので、僕は戻ります」
「ごめんね。ゆっくりと休んでね」
長門の言葉に微笑み、翔輝は部屋を後にしようとする。が、突如そんな彼の服の裾を誰かがちょこんと掴んだ。不思議そうに振り返ると、裾を握っていたのは――武蔵だった。
「武蔵? どうしたの?」
翔輝が問うと、武蔵はじっと翔輝を見詰める。
「・・・ダメ」
「え?」
「・・・あなたは、ここにいて」
その言葉に、翔輝は驚く。まさか彼女の方からそんな事を言われるとは思ってもみなかったのだ。
一方、そんな武蔵のわがままに姉である大和がキレた。
「ちょっと武蔵! 少尉はお疲れなのよ!? これ以上私達の事情を押し付けないでよッ!」
大和の怒号に皆うなずく。特に陸奥と伊勢がそれを許さなかった。
「大和ちゃんの言うとおりよ。少尉は連日の激務で疲れてるんだから、わがまま言わないで」
「そうやで。あんたのわがままで長谷川はんに無理させちゃあかんよ」
二人の援護に大和の攻撃も苛烈になる。
「武蔵ッ! その手を離しなさいッ!」
四面楚歌となった武蔵だが、そんな姉達の集中砲火にもビクともせず、翔輝をじっと見詰め続ける。
自分をじっと見詰める武蔵の瞳には、先程にはなかった意思が感じられた。
「・・・お願い。ここにいて」
武蔵の純粋な瞳に、翔輝は困ったように頭を掻く。すると、そんな翔輝を助けようと大和達が総攻撃をかけてくる。
「武蔵ちゃんッ! いい加減にしなさいッ!」
「武蔵はん。わがままはあかんよ」
「武蔵ッ! これは連合艦隊旗艦である私からの命令よッ! いますぐに少尉から離れなさいッ!」
姉妹の間に権力を持ち出すとは、さすがの翔輝も呆れてしまう。
一方、最終手段を投じられた武蔵は、翔輝をじっと見詰めるとうつむき、そっと手を離した。それほど強力な権力なのだろう、連合艦隊旗艦の命令は。
肩を落として悲しそうに回れ右する武蔵の背中を見詰め、翔輝はため息する。
「わかった。ここにいるよ」
その返事に、皆驚いた。もちろん武蔵も振り返って驚いたような顔をする。先程までの無表情とは違って、そこにはちゃんとした感情が込められていた。
「・・・ほ、本当?」
「うん。せっかくのお誘いだし」
「・・・あ、ありがとう」
ほんのりと顔を赤らめながら礼を言う武蔵に、翔輝は優しく微笑む。
「ちょ、ちょっと待ってくださいッ!」
そんな二人の間で勝手に進む話に、大和が慌てて止めに入る。
「い、いいんですか少尉ッ!?」
「うん? まあ、起きちゃったからね。そんなに眠くもないし。それに、武蔵のお願いを断る訳にもいかないよ」
そう言って微笑む翔輝に、大和はため息する。
「まったく、少尉は優し過ぎるんですよ」
「そっかな? 僕はそんなに優しくないと思うけど」
「そんな事ありませんよ。少尉はとてもお優しい方です」
そう言ってまるで自分の事のように喜ぶ大和に翔輝は「ありがとう」と笑顔を送る。そんな二人を見詰める武蔵。
「でも本当によろしいんですか? お疲れなんでしょう?」
陸奥の問いに、翔輝は「大丈夫大丈夫」とひらひらと手を返す。
「みんなといると楽しいし。それに、今日からは武蔵もいるしね」
そう言って武蔵に微笑むと、武蔵はそっと視線を外した。そんな武蔵を見て長門は「あらあら」と言って微笑んだ。
「そんなら長谷川はんも座ってくだはれ」
伊勢の言葉に翔輝はうなずくといつものように部屋の隅の方に向かう。
「そないな所におらんでこっちにおいでぇな」
「あ、いいよ。僕はここでいいから」
伊勢の言葉に笑顔を送り、翔輝は静かにそこへ腰掛けた。すると、その隣に大和が座り、反対側には武蔵が座った。
「ちょっと二人とも。何でこんな所に来るのさ」
「別にいいじゃないですか」
「・・・あなたがここにいるから」
それぞれの返答に翔輝は困ったように頬を掻く。
「だって武蔵はこの歓迎会の主賓でしょ? 大和はその姉なんだから二人とも前に行かないと」
「私はここがいいんです。どうせこの会の主賓は武蔵なんですから。だからこそ武蔵は前に行くべきです」
大和の棘のある言い方にも武蔵は無表情を貫く。
「・・・やってと言った訳じゃない。それに、私はここがいいの」
そう言って武蔵はその場を動かない。どうやら完全にここに腰を据えるつもりらしい。
「ちょっと長谷川君」
「はい?」
長門は翔輝の前で両手を当ててお願いのポーズをする。
「悪いけど、大和と武蔵の事任してもいいかしら?」
「僕がですか?」
「ええ、なんたってあなたは大和の保護者だもの」
「いつから僕は大和の保護者になったんですか?」
「まあ、細かい事は気にしないで。そこでそんな長谷川君には新たに武蔵の保護者というのも加えてほしいのよ」
「む、武蔵のですか?」
自信なさげな顔をする翔輝に、長門は「大丈夫よ」と背中を押す。
「なんかあなた、彼女に気に入られてるみたいだし」
「え?」
そっと横目で武蔵を見るが、彼女は楽しそうに会話をしている艦魂達をぼーっと見詰めている。その表情からは何の感情もうかがえない。
「そ、そうですか?」
「そうよ。ほら」
長門の指差す先を見ると、武蔵の小さな白い手がしっかりと自分の服の裾を握っていた。
「こんな事されてるんだから信頼されている証よ」
「う、うーん・・・」
「そう深く考えないの。じゃあ、よろしくね」
長門は満面の笑みを浮かべてみんなの所に戻って行った。そんな彼女の背中を見詰め、翔輝は小さくため息した。
「どうしたんですか?」
大和が心配そうな表情で翔輝を見詰める。そんな大和に翔輝は優しく微笑んだ。
「何でもないよ」
「そ、そうですか? でも今一体長門さんと何を話していたんですか?」
「たいした事じゃないよ。気にしないで」
「は、はぁ・・・」
いまいち納得のいかないような顔をする大和だが、長門の掛け声にその顔も吹き飛んだ。
「ほんじゃ、一応みんな揃ったって事で、改めて武蔵の歓迎会を始めるわよッ!」
『おおおぉぉぉッ!』
「・・・結局、みんなただ騒ぎたいだけじゃないのか?」
「ま、まあ、そうかもしれませんね」
翔輝の言葉に、大和は苦笑いした。
こうして、武蔵の歓迎会は開いたのだった。
しかし、歓迎会とはきっと名目だったのだろう。武蔵が主賓だというのに宴会は勝手に進行していた。その理由の中には武蔵に話しかけづらいという悲しい現実もあるのだが。
一方、そんな武蔵はというと翔輝の横にちょこんと座ってラムネを飲んだり料理を食べたりしていた。先程から彼女は一言も発していない。
そんな武蔵の横では大和が翔輝に盛んに話しかけていた。二人とも楽しそうに会話している。この中に陸奥達が入って来ないのは長門の手回しがあるからだろう。
大和は思う存分翔輝と話せるので心底嬉しそうである。そんな彼女に話しかけられる翔輝も楽しそうに彼女と会話していたが、ふと武蔵の存在に気づく。
「あ、武蔵。ちょっといい?」
「・・・え?」
翔輝はそっと手を伸ばす。その手は武蔵の口元に向かい、そっと何かをつまんだ。それは一粒のごはん粒であった。それを見て翔輝は優しく微笑む。
「まったく、少しは気をつけて食べなよね」
そう言うと、翔輝はそれをためらう事もせずに自分の口に入れた。その衝撃的な光景に武蔵はもちろん事の成り行きを見ていた大和、遠くから盗み見ていた長門や陸奥達も驚いた。
「・・・あ、ありがとう」
武蔵はそう言うと頬を赤らめて顔を伏せてしまった。そんな武蔵を見て翔輝は不思議そうに首を傾げる。
「しょ、少尉ッ!」
その震えた声に振り返ると、
「はいッ!?」
そこには口元に大量のごはん粒を完全武装した大和が真っ赤にした顔で自分を見詰めていた。
「や、大和? 何なのその無法地帯は?」
切羽詰った顔で自分を見詰める大和に翔輝はちょっと引く。
「わ、私もお願いしますッ!」
「な、何が?」
「私にも武蔵にした事をしてほしいんです!」
「え? 僕何かした?」
その返答に、大和と二人の会話を聞いていた長門達は一斉にズッこけた。
「じ、自覚がないのね。さすが長谷川君ね」
感心半分呆れ半分の苦笑いする長門の言葉に、陸奥達もうなずいた。みんな知っているのだ。翔輝がどうしようもなく鈍感で少し天然な所がある事を。
一方、完全に先を見失った大和はすさまじくがっかりして口のまわりを拭き取る。自分から説明するほど大和はまだその領域には達していないのだ。
そんな皆の反応に本当に心の底から不思議そうな顔をする翔輝。
「一体みんなどうしたんだろ?」
「・・・ねえ」
その声に振り向くと、武蔵がこっちをじっと見詰めていた。
「武蔵? どうしたの?」
「・・・ラムネ、いる?」
そう言って武蔵はラムネを差し出して来た。
「あ、ありがとう」
翔輝は笑顔でそれを受け取る。そんな彼の笑顔を見て、武蔵は口元でほんの小さな笑みを浮かべた。
「あ、今笑った?」
「・・・私だって、笑う事もある」
「そうだよね」
「・・・私が笑うと、変?」
「ううん。そんな事ないよ。武蔵の笑顔はすっごくかわいいよ」
笑顔で言う翔輝の言葉に、武蔵は頬を真っ赤に染めてうつむく。
「・・・ねえ」
「何?」
顔を上げた武蔵は、真剣な顔で翔輝を見詰めた。その瞳の奥にある強い意思に翔輝は驚く。
「・・・あなたの事、翔輝って呼んでいい?」
「え?」
一体何を言われるのだろうと構えていた翔輝は意外な問いに拍子抜けする。だが、武蔵はそんな翔輝をじっと見詰めている。心なしか、その瞳はキラキラと煌いていた。
「・・・ダメ?」
不安げに訊いてくる武蔵に、翔輝は優しく微笑んだ。
「別にいいよ」
「・・・本当?」
「うん」
翔輝の嬉しい返事に、武蔵はほんの小さな笑みを浮かべた。それは彼女の出せる精一杯の笑顔だった。
「・・・ありがとう――翔輝」
「そんな礼を言われるような事じゃないよ」
「・・・ううん。翔輝のおかげで、私は笑えた。だから、お礼を言うの」
「そ、そう? なんかよくわかんないけど、嬉しいな」
「・・・翔輝」
武蔵は小さな笑みを浮かべると、そっと翔輝に抱きついた。
「お、おい武蔵」
「・・・翔輝」
武蔵はすっかり翔輝の胸の中に納まってしまっている。その中で嬉しそうに笑みを浮かべる。そんな彼女は自分の巣で落ち着いている子猫のようだった。
「・・・翔輝、好き」
「あ、ありがとう」
二人とも互いの顔を見合って照れたように笑みを浮かべた。
そんな幸せな雰囲気が流れる二人。まるで昔からの仲のいい兄妹のような。
だが、そんな幸せムードを許すほどここにいる連中は優しくはなかった。
「ちょ、ちょっと武蔵ッ!」
慌てた様子で二人の間に入って来たのは大和。その後ろにはいつの間にか陸奥と伊勢、さらには霧島と雪風がいた。
大和は翔輝の腕の中で心地良さそうに目を細めている武蔵を恐ろしい形相で睨みつける。
「武蔵ッ! あなた一体何してるのよッ!?」
「そ、そうよッ! あなただけそんなうらやましい事をするなんてずるいわよッ!」
「陸奥。どさくさに紛れて何言っとるん?」
「ひ、卑怯ですぅ・・・武蔵さん、いつから長谷川少尉の事を・・・?」
「と、とりあえずこの関が原のように緊迫した雰囲気を打開する為に離れてくださいッ!」
それぞれの必死な言葉の集中砲火を浴びても、武蔵の鉄の心はビクともしない。無表情で自分を睨みつける姉達を見詰める。
「・・・何?」
「何じゃないわよッ! とにかく離れなさいよッ!」
大和の必死な怒鳴り声にも武蔵は気にした様子もなく翔輝に抱きつく。
「だから抱きつかないでよッ!」
「・・・私の勝手」
「そんなの許されないんだからッ!」
「・・・これは私と翔輝の事。翔輝が嫌って言えばやめる」
「少尉ッ!」
突如自分に話が振られた事に翔輝は思いっ切り驚く。
「ぼ、僕?」
「少尉から言ってくださいッ! こんな事されるのは迷惑だってッ!」
大和の必死な言葉に翔輝はちょっと怖くなる。
「い、いや、別に僕はこれでも構わないけど」
「少尉ッ!」
「・・・ほら」
武蔵は小さく笑みを浮かべた。だがそれは先程翔輝に見せた優しいものではなく、大和達にとっては憎たらしい勝ち誇った笑みだった。
「キーッ! 悔しいッ!」
地団駄を踏む大和を無視し、武蔵は翔輝にさらに抱きつく。
「・・・翔輝、ありがとう」
「っていうか武蔵ッ! あんた少尉の事を呼び捨てにして失礼でしょッ!」
「・・・これは翔輝が許可してくれた。誰にも文句は言わせない」
「少尉ぃッ!」
「だから何で僕なのさッ!?」
「少尉がしっかりしないからこうなるんですッ!」
「意味わかんないよぉッ!」
言い合う二人に入り込む余地のない陸奥達。そしてそんな翔輝に抱きついて離れない武蔵。なんとも奇妙な光景である。
だが、いつまでも姉妹ゲンカで許されるものではない。何しろその中心にいるのは翔輝である。その火花は辺り一面に撒き散らしてしまう。
「いくら少尉が許したからって、私を差し置いてそんな事ッ! 先任制度っていう日本の伝統を知らないのッ!?」
「そうやで。あんたはまだ野球部で言う所の球拾い。先輩を無視してそういう事はちょっとあかんと思うえ?」
陸奥と伊勢が果敢に攻めてくる。すると、
「あのさ、陸奥と大和はなんとなくわかるけど、どうしてまた伊勢と霧島、さらには雪風までいるの?」
翔輝の問いに、一瞬の沈黙が流れる。だが、その沈黙はすぐに独特の関西弁によって打ち砕かれた。
「うちな、長谷川はんの事がすごく気になるねん」
「はい?」
戸惑う翔輝に対し、伊勢はうっとりとした顔でそんな彼を見詰める。
「うち、男の人に優しくしてもらうの初めてやったんや。せやからうち、初めて優しく接してくれた長谷川はんに身も心も捧げよう思うて」
伊勢の超絶爆弾発言に、部屋の空気が一瞬で凍りついた。長門などは飲んでいたラムネを見事に逆噴射させた。
「さ、捧げるって・・・」
「一体何を・・・?」
「それは愚問よ。身も心もって事は・・・」
「・・・よねえ」
駆逐艦達がなぜか顔を真っ赤にさせてこそこそと話している。その中には鼻血大流血の者も何人かいた。
一方、長門はこぼしたラムネを拭き取ると慌てた様子で伊勢に飛びつく。
「ちょ、ちょっと伊勢! この壊滅的な状況をどうするつもりよッ!?」
「せやから」
伊勢は満面の笑みを翔輝に向けると、一瞬の隙を突いて翔輝に飛びついた。しかも驚く武蔵をどかしてからの行動だったので、一瞬で伊勢は翔輝を独占した。
「ちょッ! 伊勢ッ!?」
いきなり同い年くらいの女の子に抱きつかれた翔輝は慌てるが、そんな彼の腕の中では伊勢がとても心地良さそうに微笑んでいた。
「ああ、長谷川はんの胸はたくましゅうな」
「ちょっと伊勢ッ! へ、変な所触んないでよぉッ! く、くすぐったい!」
必死に伊勢を離そうとするが、伊勢は翔輝にぴったりと抱きついて離れようとしない。それどころか頬擦りまでしてものすごく嬉しそうな笑みを浮かべている。
だが、こんな伊勢の横暴をいつまでも許しているほど、ここに集まっている少女達は甘くはなかった。
「ちょ、ちょっと伊勢ッ!? 何してるのよッ!?」
まず最初に怒鳴ったのは伊勢の親友である陸奥だった。顔を真っ赤にして怒鳴っているが、その赤みはきっと怒りのせいではないだろう。
怒鳴る親友に向かって、伊勢は翔輝の胸から顔を上げ、真剣な顔で対峙する。
「陸奥」
「な、何よ」
「うち、本気やから」
その言葉に、陸奥はドキリとする。
「ほ、本気って、何が?」
伊勢は、自分を見詰める陸奥、そして大和達に、宣戦布告した。
「うち、本気で長谷川はんが好きやから」
その瞬間、不気味な沈黙が舞い降りた。
誰もが口を開く事をためらい、誰も言葉を発しない。
さっきまで明るい会話や怒声が飛び交っていた部屋は、その一瞬で音という概念が消滅したかのように、何の音もない。
このまま誰も口を開かないのだろうかという不安が誰の胸にも過ぎった頃、この沈黙に一番槍したのは、
「わ、私だって本気よ」
顔を赤らめながら小さな声で言うのは陸奥。真剣な瞳で自ら宣戦布告した伊勢を見詰める。
「私だって本気で少尉の事が・・・好きなの」
その言葉に、再び部屋に沈黙が舞い降りた。
見詰め合う二人の少女の瞳には、どちらも決意の炎――恋の炎が燃え上がっていた。
そして、互いの瞳を見つめ合い、互いの想いを感じ合ったのか、ほぼ同時に口元を吊り上げて笑った。その笑みはいつもの優しい笑みではなく、好敵手を見つけた事への喜びの笑み。
「ちょ、ちょっと待ってくださいッ!」
そこへ慌てて飛び込んだのは大和だった。なんか自分を置いて勝手に話が危険な領域に達しようとしていたからだ。
振り返った二人に、大和は顔を真っ赤にさせて自分も宣言する。
「わ、私だって本当の本当に少尉の事が大好きなんですッ! 誰にも少尉は渡しませんッ!」
自分の中にある本当の気持ちを素直に口にした。
見詰め合う三人。
すると、伊勢が優しい笑みを浮かべた。
「ほんなら、誰が最初に長谷川はんと一緒になれるか、勝負やねぇ」
「そうね。でも、勝つのはこの私よ」
「わ、私だって負けませんからッ!」
お互いを見詰めて笑い合う三人。話の内容が複雑な関係でなければ、とても仲のいい友達にしか見えない。
翔輝を懸けて宣戦布告し合った三人は、互いを最高の好敵手と認めたのか、ガッチリと握手をし合った。その勇ましいまでの恋心に、まわりからは絶え間ない拍手喝采が起きた。
こうして、翔輝を懸けて戦う恋の三銃士は・・・
「ま、待ってくださいッ!」
その突然の声に振り返った皆は、その意外な人物に驚いた。
「き、霧島さん・・・?」
そこにいたのは、いつも静かであまり目立たない存在である日本艦魂の古参に入る少女――霧島だった。
霧島は顔を真っ赤にして三人を見詰める。その顔からはいつになく彼女の必死さが伝わってきた。
「き、霧島・・・?」
驚く比叡の横で、霧島は身体中に力を入れて必死な瞳で三人を見詰める。
「わ、私も・・・がんばりますぅッ!」
その言葉に、三人は驚くが、すぐにフッと口元に笑みを浮かべた。
「霧島さん。お互いがんばりましょう」
陸奥の伸ばした手に霧島は驚いたが、すぐにうなずき、その手を握る。その上に、伊勢、そして大和が手を合わせ、四人の恋姫達は互いをライバルと認めた。その瞬間、まわりからは勇ましき四人の勇姿に感動して拍手喝采が起きた。
いつになく勇ましい四人の少女達を見詰め、長門は苦笑いした。
「まったく、何やってるのよ」
「ほんと、若いっていいわね」
そう言ったのは扶桑。その表情はとても嬉しそうだ。
「扶桑も大変ね。伊勢があんな事になっちゃって」
そう言うと、扶桑少し寂しそうに笑った。
「伊勢ちゃんも女の子なのよね。いつかこういう時が来るって思ってたけど、やっぱり寂しいわね」
「扶桑・・・」
しかしすぐに、扶桑は嬉しそうに微笑んだ。
「でも、こういう時こそ、喜ぶものよね」
「そうよ。私だって陸奥を応援したいもの」
そう言って、二人の姉は嬉しそうに微笑み合った。
一方、すっかり話の中心にいるはずなのに、そんな自覚のない翔輝は、見詰め合う四人を見詰めて困ったように頬を掻いた。
「あー、なんかよくわかんないけど・・・つまりみんな僕の事が好きだって事?」
その瞬間、辺りに衝撃が走った。
さすがの翔輝もこれだけの言葉を並べられれば四人の気持ちもわかってしまう。ついに始まる泥沼の関係に皆は戦慄を覚えた。が、
「そんなのわかってるのに、僕だってみんな大好きだよ」
そう言って、翔輝は屈託のない笑みを浮かべた。
そして、皆は一斉にズッこけた。
「あははは、ほんと、長谷川君らしいわ」
そう言って長門は苦笑いした。
「もうッ! 少尉はどうしてそんなに乙女心がわかんないんですかッ!?」
呆れ怒る大和の肩を、陸奥がそっと叩いた。
「少尉があそこまで鈍感だからこそ、私達がこうして微笑み合えるのよ。だって、少尉にみんなの気持ちがわかっちゃったら、それこそ泥沼よ」
「ほんまやなぁ。まぁ、難しやろけど、結果オーライってね」
「そ、そうですね・・・」
そう言って、四人は再び笑い合った。
一方、完全に話の外に出されてしまった武蔵は、微笑み合う四人の隙を突いて再び翔輝の胸に潜り込んだ。
「ちょっと武蔵?」
翔輝の戸惑った声にいち早く気づいた大和は慌てて武蔵の肩を掴む。
「ちょっと武蔵何やってるのよッ!」
「・・・翔輝に抱きついてる」
「そんなの見ればわかるわよッ! っていうか、何でそんな事するのよッ!」
「・・・決まってる。私は翔輝が好きだから。ただ、それだけ」
「なぁッ!?」
驚く大和。もちろん驚くのは大和だけじゃない。陸奥や伊勢、霧島なども驚く。同時に長門は苦笑いした。
「あはは、嬉しいな。僕も武蔵が大好きだよ」
そう屈託のない笑みを浮かべて、翔輝は武蔵に微笑んだ。その笑顔に、武蔵はぽっと顔を赤らめてうつむく。同時に、大和達からはため息が漏れた。
「ある意味、長谷川少尉にはこのままでいてほしいですね」
雪風の言葉に、全員がうんうんとうなずいた。だが、すぐに翔輝の腕の中で子猫のように甘えている武蔵の存在を思い出す。
「だから武蔵は離れなさいッ!」
大和の怒った声にも武蔵は動じない。そんな冷静過ぎるムカつく妹に大和のイライラは募るばかり。そんな大和の代わりのように陸奥が武蔵に言い放つ。
「私達四人は互いを恋敵と認めたわ。武蔵ちゃんも少尉を狙っているなら、それ相応の事をしてもらおうじゃない」
陸奥は彼女の口から彼女の想いを聞き出したいと思ったのだ。このままではただの疑心暗鬼。ここはズバッと言ってもらった方が後の為だ。
陸奥の言葉に皆もうなずく。大和も「そうよッ! あなただけ何もなしだなんてズルイわよッ!」とまるで子供のように(子供だが)加勢する。
そんな大和達に迫られた武蔵はうつむいた。
「お、おい。あんまり武蔵をいじめるなよ」
翔輝は場の雰囲気を正そうと口を挟むが、かなり怖い目で睨まれる。そのせいで言葉が詰まる。だが、翔輝だって一応男である。いつまでも女の勢いに押されているものではない。
「お前らいい加減に――」
「・・・わかった」
『え?』
「・・・証明してあげる」
そう言って、武蔵はおもむろに両手で翔輝の顔を掴んだ。
びっくりして、翔輝は一瞬動きが止まった。だが、事はその一瞬で決まってしまった。
目の前に、武蔵の顔があった。いつもの無表情ではなく、ほんのりと頬を赤らめ、口元には小さな笑みを浮かべた、普通の女の子の顔。
唇が近づく。
そっと、触れた。
『ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!』
翌日の艦魂四大新聞にはこんな見出しが踊っていた。
『大和連合艦隊旗艦、戒厳令発令! 武蔵新連合艦隊艦魂参謀長の永久追放を宣言!』
『長官の発言が本当なら、指揮系統の混乱は避けられず! 急進派と保守派の全面激突の恐れ!』
『士気急落! 陸奥連合艦隊艦魂参謀、伊勢第二戦隊司令官、霧島第三戦隊参謀も長官を支持!』
『長官、血迷ったか!』
血迷っているどころか、正気の正気で言っているのが困ったところだ。 |