第四章 第八節 空の戦姫達の最期
一番最初に力尽きたのは、最も被害が深刻だった――『加賀』だった。
紅蓮の炎が燃え盛る破壊され尽くされた甲板の上に、血まみれでぐったりと倒れていた加賀の意識は、だんだんと遠のいていた。
薄れゆく意識の中、加賀は悔しそうに唇を噛んだ。
「・・・こんな・・・所で・・・私は・・・負ける訳には・・・いかないのに・・・ッ! 死んでいった・・・みんなの仇は・・・まだ討ててないのに・・・ッ!」
加賀は戦死した搭乗員達を思い出し、悔しくて甲板を殴った。だが、その一撃も、もはやとても弱々しいものだった。
みんな日本の為に全力で戦い、そして死んで逝ったすばらしき戦士達。自分はそんな彼らが好きだし、誇りに思っている。彼らの死を無駄にしたくないし、彼らの仇を討ちたい。今までも、これからも・・・
だが、大きく傾斜し、荒れ狂う猛火に包まれる自分の艦体は、もうそれすらも自分にはできない事を示していた。
今も内部では爆発が起き、火は消えるどころか艦全体を飲み込もうまでに燃え盛っている。
すでに総員退去は出されたが、火と瓦礫で逃げ出せない者、自ら艦と運命を共にしようとする者、様々な命が艦内に取り残されていた。
そして、もはや痛みも感じられぬほど弱り切った加賀は、仲間達の事を思い出していた。
かわいい、自分にとって最高の幼なじみ赤城。
少しまじめ過ぎるのがたまに傷だが、とても優しい蒼龍。
まだまだ子供っぽいが、いざとなったら頼れる戦士飛龍。
プライドが高く、少しかわいげがないが、戦闘になったら最も頼れる翔鶴。
最年少者だが、がんばりたいという気持ちは一番強い瑞鶴。
自分を入れた全六空母は、真珠湾以来怒涛の連戦連勝を続けてきた。だがそれももう終わり。この最高の仲間達とも、これでお別れだ。
寂しくて、嫌で、涙が止まらない。
「・・・みんな・・・ごめんね・・・ッ」
泣きながら、加賀はみんなに謝った。
もうみんなと笑う事も、話す事も、助け合う事もできない。
悔しくて、寂しくて、涙が止まらない。
だが、いつまでも泣いている訳にはいかない。
せめて、最期だけは、みんなと笑顔で別れたい。
その時、『加賀』は今まで以上の爆発を起こし、天高く爆炎を上げた。
炎上する甲板の上で、加賀は静かに目をつむった。
「・・・みんな、元気でね・・・私・・・みんなと出会えて・・・とっても・・・幸せだったよ・・・」
加賀は自分の中に残る最後の力をふり絞って――笑った。それは、彼女の生涯で一番優しい笑顔だった・・・
その瞬間、二度の大爆発と共に、空母『加賀』は蒼い海深くに沈んだ。
だった。
――空母『加賀』、戦艦として建造されるが、条約制限の為に航空母艦に変更されて完成した日本海軍最大の排水量を誇る重武装空母であった。皮肉にも、空母に建造された事によって内地で錨を下ろし続ける戦艦に代わって最も活躍した一隻となった。最初は三段甲板を持つが撤去され、大艦巨砲主義の影響で空母には不要の大砲をも備え付けた『加賀』は、常に日本海軍の先頭に立って戦い続けた。そして、『加賀』はその激動の生涯を追え、ミッドウェー沖の海の底に、轟音と共に爆沈した――
『加賀』が沈没して三〇分後、ついに『蒼龍』にも総員退去の令が下った。総員退去が発令されたという事は、その艦はもう助からないという事を意味していた。
空を暁色に染める夕日の光は、海までを暁色に染める。だが、『蒼龍』は真っ赤に染まっていた。
敵急降下爆撃機の爆撃で受けた爆弾の爆発で起きた火災は、他の空母と同じく格納庫にあったありとあらゆる爆発物に引火、誘爆して大火災を引き起こした。
爆弾と内部から起きた爆発によって、艦載機を舞い上げていた美しい甲板は粉々に壊れ、荒れ狂う炎が艦のいたる所から噴き出し、『蒼龍』は炎に包まれていた。
そして、そんな燃える甲板の上にぽつりとある艦橋の上にある防空指揮所で、血だらけで蒼龍がぐったりと倒れていた。
自分から降りる兵達を見詰め、蒼龍は悲しげに瞳を揺らした。
「・・・みんな・・・元気でね・・・」
見知った人達の背中に心の中で敬礼をし、蒼龍は再び暁の空を見上げる。
もうすぐ『蒼龍』は沈む。自分の艦体の事は自分がよくわかる。
もちろん、まだ死にたくはない。でも、もう自分の命は短い。
心残りはたくさんあるが、強いて言えば妹の安否だ。
蒼龍は暁の空へ必死に祈った。
「どうか・・・妹だけは・・・お助けください・・・お願いします」
涙を流しながら、必死になって妹の安全を祈る。だが、この時すでに『飛龍』も敵急降下爆撃機の攻撃を受けて炎上していたのだが、指揮系統が沈黙した『蒼龍』にはそんな情報は入っていなかった。
「お願いします・・・私は、どうなっても構いませんから・・・ッ! 妹だけは・・・ッ!」
涙を流しながら必死に祈る蒼龍。
妹の命だけは、どうしても助けてほしい。
蒼龍の願いはそれだけだった。
――そして、もうひとつの心残りは・・・
「刹那・・・」
それは今はどこにいるかわからない刹那の安否だった。
三空母が被弾してしばらくした頃、上空直掩の零戦は帰るべき母艦を失い、仕方なく水面に不時着した。その後近くの艦艇に救助されただろうが、今はどこにいるか全然わからない。
「・・・大丈夫・・・彼なら・・・きっとどこかで無事にいるはず・・・」
真珠湾以前からずっと傍にいてくれた彼なら、そう簡単に死ぬはずがない。そう信じていた。
だが、蒼龍はそんな彼の顔を思い出し、涙が溢れた。
すでに沈没した『加賀』と自分が死ぬ事によって、機動部隊は壊滅するだろう。そうなれば、日本の平和への道筋はほとんど閉ざされてしまう。
日本の平和がなくなるというのは、彼の民間機のパイロットになるという夢も、途絶えてしまう。
自分の死によって、彼の大切な夢を奪ってしまう。それだけは嫌だった。
正直言って、彼の夢には賛同できない。だがそれは、彼が自分から離れてしまうのが嫌だったからだ。でも、今となってはもうそれは関係ない。自分はもうすぐ死んでしまうから。もう一緒にいられないなら、彼の夢を応援してあげたい。
なんて身勝手なのだろう。自分でも呆れてしまう。
自分のわがままで、彼にひどい事を言い、自ら彼とケンカ別れをしてしまった。
そして、いざ自分が死に直面すると、今度は彼を応援する。本当にわがままな女だ。
彼に会いたい。でも、もう彼に会う事はできない。
・・・でも、それでいいのかもしれない。
自分のせいで、彼の夢は途絶えてしまったのだから。彼と会っても、何を言ったらいいかわからないし、彼を傷つけてしまう。それなら、もう会わないで、このまま・・・静かに死を迎えるのも、いいかもしれない。
「刹那・・・ごめんなさい・・・」
もう会えない彼に、そっと謝った。
ゆっくりと、蒼龍の瞳が閉じ――
「蒼龍ッ!」
その声に閉じかけた瞳は再び開く。
今ここにいるはずがない彼の声に動揺しながらも、ゆっくりと声のした方向を見ると、そこには頭に包帯を巻いた刹那が肩を上下に激しく動かしていた。火の中を走り回ったのか、服はすす焦げ、無惨な姿になっている。
「刹那・・・ッ!? どうして・・・ッ!?」
「蒼龍ッ!」
刹那はフラフラと蒼龍に駆け寄るとひざまずき、彼女を抱き上げる。
「蒼龍ッ! しっかりしろッ!」
「ど、どうして・・・刹那がここにいるの・・・?」
「悪いな。俺が連れて来たんだ」
その声に顔を向けると、そこには壁にもたれ掛かって腕を組んでいる榛名がいた。
「榛名さんが・・・?」
「ああ。俺の近くに零戦が着水してな。搭乗員を救助したらこいつだったって訳だ。俺はこいつと面識はないが、いきなり現れて炎上している『蒼龍』に転送してくれって懇願した訳だ。あんな危険な所に無闇に人を連れて行くもんじゃないし、めんどくさかった。だが、こいつは必死に俺に頼み込んでな。だったら俺に勝ってからにしろって言ったんだが・・・」
そう言うと、榛名は軍帽を深く被った。一瞬見えた彼女の唇の端からは、血がたらりと流れていた。
「ボロクソにやられても起き上がって殴りかかって来て、一発とはいえこの俺に当てた褒美に連れて来たって訳だ」
榛名の言葉に蒼龍は心の中で大喜びしたが、すぐにキッと刹那を睨み付ける。
「あ、あなた・・・榛名さんに・・・なんて無礼をしたのよ・・・ッ!」
「だ、だって、お前の所に行きたくて必死だったから・・・すまん」
「私じゃなくて榛名さんに――」
「俺は構わねぇ。俺はテメェみたいな根性のある奴は好きだからな」
そう言って榛名は小さく笑うと、二人を邪魔しちゃいけないとそっと艦橋の中に消えた。
残された二人だが、蒼龍はしばし彼を呆然と見詰めると、少し怒ったような顔で睨みつける。
「何で・・・戻って来たのよ・・・私はもうすぐ沈む・・・あなたがここに来る理由は・・・どこにもないじゃない・・・」
そう言うと、刹那はフッと小さく笑みを浮かべた。
「――そりゃもちろん、お前と一緒にいようと思ってな」
「どういう事?」
刹那は蒼龍の身体をギュッと抱き締めると、彼女の耳元でそっとささやいた。
「・・・もちろん、艦と運命を共にする為にさ」
「・・・なッ!?」
驚く蒼龍に、刹那は優しく微笑む。
「お前一人であの世には行かせない。僕も一緒に行くよ」
「ば、バカッ! 何・・・言ってるのよ・・・ッ! あなたには・・・これからも日本海軍の・・・最前線で戦い続ける・・・責務がある・・・ッ! それに・・・夢だって・・・あるじゃない・・・ッ!」
そう叫ぶと、刹那は小さく首を振った。
「もう、僕は戦いたくないし・・・夢は、お前に反対されたから、やめたよ」
「バカ言わないで・・・ッ! 何で私に反対されたぐらいで・・・夢を諦めるのよ・・・ッ!」
「意味わかんないぞ。お前は一体僕の夢を応援してるの? 反対してるの?」
その問いに、蒼龍は口ごもる。
もう、一緒にいられないなら、彼の夢には賛成だ。人は夢を持つからこそ強く生きられる。だからこそ、これからは夢を掴んでほしい。
「・・・さ、賛成よ」
その小さな返事に、刹那は首を傾げる。
「あれ? お前は反対してたんじゃ・・・」
「それは・・・私が・・・これからも・・・生きている事を・・・前提にして・・・言っただけ・・・これからも・・・一緒に海を翔けたかったから・・・でも・・・私はもうダメだから・・・だったら・・・あなたには・・・夢を叶えてほしい・・・」
「蒼龍・・・」
蒼龍は刹那の襟をグイッと掴むと、必死な瞳で彼に迫る。その瞳はうるみ、揺らめく炎に照らされてオレンジ色に輝いていた。
「だからお願い・・・生きて刹那・・・ッ! 夢を叶える為に・・・ッ! 私の祖国を・・・守って・・・ッ!」
「蒼龍・・・でも・・・僕は・・・」
渋る刹那に、蒼龍は必死に叫ぶ。
「お願いッ! 私の大切な妹を守ってッ!」
その言葉に、刹那は顔を曇らせる。
激戦の末に『飛龍』が炎上した事は、すでに彼の耳にも届いていた。だが、燃ゆる彼女は知らないのだ。
「お願い・・・ッ!」
涙を流しながら必死に叫ぶ蒼龍に、刹那は動揺する。すると、そんな肩を誰かが叩いた。振り返ると、榛名が真剣な瞳で自分を見詰めていた。
「それくらいにしておいてやれ。泣きながら必死に頼む女の願いを、テメェは踏みにじるってのか?」
「そ、それは・・・」
「せめて、蒼龍に安心してあの世に逝けるだけの事をしてやらねぇのか」
榛名の不機嫌そうな言葉に、刹那は沈黙した。そんな彼の頬を、蒼龍はそっと撫でる。
「私はもう・・・長く・・・ない・・・だか・・・ら・・・早・・・く・・・」
「蒼龍・・・」
もう言葉を言うのも辛くなり始めた蒼龍を見て刹那は悲しげにうつむくと、静かにうなずいた。
「わかった。必ず、みんな守ってやる。だから、安心しろ」
その言葉に、蒼龍は最後の力を振り絞って、最高の笑みを浮かべた。
「・・・ありが・・・とう・・・刹那・・・」
そして、笑みを浮かべたまま、蒼龍の瞳はゆっくりと閉じられ、二度と開く事はなかった。
「蒼龍・・・ッ!」
涙する刹那。その時、まるで艦の魂である蒼龍の死を待っていたかのように、『蒼龍』はゆっくりと沈没し始めた。
傾きが一層激しくなる『蒼龍』の上で、涙する刹那の肩を、榛名がそっと叩いた。
「おい、さっさと行くぞ。蒼龍の願いを、無駄にするんじゃねぇ」
「・・・わかってるさ」
光ながら消えていく蒼龍の身体をそっと床に戻すと、刹那は榛名に連れられて光の中に消えた。
その直後、空母『蒼龍』はゆっくりと深い海の底に沈んでいった・・・
――空母『蒼龍』、日本空母の原型とも言うべき様々な能力をバランス良く備えたその空母は、中型空母のひとつの完成形であった。日本空母一の速度を誇り、安定した性能と運用の良さから常にその身を前線に置き続けた若き戦姫は、壮絶な戦死を遂げ、深い海の底へと消えていった――
『蒼龍』が沈没してから四時間後、真珠湾以来幾多の戦いで機動部隊を率いていた第一航空艦隊旗艦・空母『赤城』も、その命尽きようとしていた。
既に総員退去が出され、兵達は海へ逃げ込んで周囲の駆逐艦や巡洋艦などに救助されていた。
一方、南雲以下司令部はそれ以前にすでに旗艦を軽巡洋艦『長良』に変更し、そちらに移乗していた。
燃える『赤城』の艦橋で、南雲は自らの失態で機動部隊を壊滅させてしまった事に責任を感じ、艦と運命を共にしようとしていた。だが、草鹿や多くの部下達に仇を討ってほしいという必死の説得に、『赤城』を去った。その時の彼の表情は今でも忘れられない。
青木も部下達の必死の説得で退艦した。そして、艦橋に残った者はロープを使って自分の身体を羅針盤などに縛りつけていた。艦と運命を共にする為に・・・
そして、満身創痍の赤城は、伊達に抱かれて防空指揮所にいた。
燃える甲板の火に照らされ、辺りは夜だというのに明るかった。
「ほら、星がキレイだぞ」
空にはキラキラと輝く星空が煌いていた。
「はい・・・」
赤城の返事は、とても小さいものであった。
赤城はその・・・何だ。いわゆるお姫様抱っこをされていた。そのせいか蒼白な顔ながら頬だけはほんのりと赤らめている。
先程から軍歌の中の鎮魂歌《海行かば》が遠くの駆逐艦から流れていた。
被弾した三隻の空母の中で、『赤城』は一番被害が軽く、機関に問題がなくしばらくは自力で走行が可能だったが、格納庫の爆発物に引火した無数の爆発によって、ついに機関が破壊され、航行不能となった。
すでに『加賀』『蒼龍』は沈没したが、『赤城』だけは沈む気配はなかった。このまま海に浮かぶ廃墟のような状態が続く訳にはいかなかった。
鎮火不可能。自力走行不能。曳航不可能。沈没する気配もなし。そんな死に掛けた艦に残された選択は――自沈か処分だけだった。
もし『赤城』を残したまま退去すれば、敵は海に浮かぶ『赤城』に調査に入るだろう。しかも『赤城』は米海軍が最も恐れていた日本機動部隊の旗艦。その中にある資料はのどから手が出るほどほしいものであった。
敵に重要な情報を渡す訳にはいかない。
山本長官直々の命令で、機動部隊旗艦・空母『赤城』は、味方駆逐艦の雷撃処分を受けて沈む事が決定された。
赤城はその決定に驚きもせず、静かにうなずいた。
「仕方がない。自分の失態で仲間を殺してしまった上、敵に情報を与えるなんて、そんな事進でも嫌」
そう言って、赤城は死を覚悟した。
そんな彼女の決意に、伊達も共に艦に残る事を選んだ。もちろん赤城は大反対したが、伊達は絶対に退艦しようとはしなかった。
赤城の三〇分にも及んだ必死の説得も無駄に終わり、そして時間来てしまった。もう退艦している暇はない。
伊達は胸の中で死に掛けている赤城をそっと抱き締めた。ぐったりとした彼女の弱々しい身体に一瞬顔がゆがむが、すぐに優しい笑みを彼女に向ける。
「なぁ、赤城。あの世に行ったら、結婚してくれないか?」
「・・・え?」
それは突然のプロポーズだった。
彼の顔を見上げると、彼は真剣な眼差しで自分を見詰めていた。
赤城はうつむくと、しばし沈黙した。どう返答すればいいか模索しているのだろう。
そして、答えが決まったのか、赤城はそっと顔を上げて、静かに笑みを浮かべた。
「喜んで・・・」
赤城の返事に伊達は嬉しそうに微笑んだ。
ここに、一つのカップルが誕生した。流れ星が流れ、それは二人の幸せを祝っているかのようだった。
二人はお互いに唇を近づけ、そっと口づけした。
その瞬間、演奏していた駆逐艦から魚雷が発射された。その時、微かに少女の悲鳴が聞こえた。それは味方駆逐艦の悲鳴だった・・・
迫る魚雷を見詰め、赤城はそっと彼に問うた。
「・・・伊達少佐」
「うん?」
「・・・私なんかで・・・本当に良かったの・・・ですか・・・?」
「何だよ突然」
「いえ・・・でも・・・私みたいな女の子らしい・・・家庭的な一面もない・・・私なんかで・・・本当に良かったのだろうかと・・・」
「その辺は大丈夫。僕は家事得意だから」
「そ、そういう事ではなくて・・・」
「言っとくけど、そんなの気にしないよ。好きになっちゃったんだから仕方ないでしょ?」
「・・・伊達少佐」
嬉しそうに微笑む赤城に、伊達は再びそっと口づけをする。
そんな悲運のカップルを、星達はキラキラと照らし続けた。
そして、味方駆逐艦が放った魚雷が命中し、『赤城』は巨大な水柱を上げて、沈没した。
――あぁ、結婚式には他の艦魂も呼ぶか?――
――それはやめてくださいッ!――
――ははは、冗談だ――
――結婚式は静かな森でするんです・・・――
――わかったわかった。約束だ――
――約束です・・・――
――空母『赤城』、巡洋戦艦として建造された本艦は、軍縮条約の影響を受けて空母に急遽変更される事になった。三段空母として竣工するも航空機の目覚しい進歩に時代遅れとなり全通甲板に変更。さらには大艦巨砲主義時代の空母という事もあり空母には不要な重巡洋艦規模の大砲も装備していた。そんな紆余曲折の末に完成した本艦は山本五十六連合艦隊司令長官が大佐時代に艦長を務めた事もあった。第一航空艦隊こと日本機動部隊旗艦として太平洋戦争の火蓋を切り、以後も連戦連勝。日本機動部隊無敵神話を築き続けたが、運に見放された本海戦で壮烈な最期を遂げ、味方駆逐艦の雷撃処分を受け、静かに艦尾から海底に没した――
「空母三隻、沈没・・・」
伝令兵の報告に、山本は疲れたように椅子に座った。
「『飛龍』も、炎上中だそうです」
「せめて、『飛龍』は残ってもらいたいですね」
宇垣は静かに言った。その表情は悲痛にゆがんでいた。
艦橋には不気味な沈黙が漂っていた。そんな艦橋に翔輝と大和はいなかった。二人は今は翔輝の自室にいた。大和が赤城達の死で立てなくなるほど脱力してしまったからだ。
「うぅ・・・ッ」
小さな声を出しながら大粒の涙を流して泣き崩れている大和を、翔輝は何も言わずただ抱き締めているだけだった。
翔輝の胸の中で、大和はすすり泣くだけだった。
そんな大和を見詰め、翔輝は辛い現実を言葉にする。
「大和・・・わかってほしい。これが戦争なんだ」
「わかってます! わかってますけど・・・ッ! 大切な人が死ぬのは嫌なんです・・・ッ!」
大和は翔輝の軍服を掴んで泣くしかできなかった。
今まで彼女はずっと戦争ながらいつも平和な内地にしかいなかった。しかも今まで奇跡的に彼女の親しかった友人の中に死者はいなかった。だが、今こうして目の前に仲間の死が現実なものとなって現れると、それを受け入れきれないのだ。
わかっている。彼女の気持ちは痛いほどわかる。だが、このままでは大和がダメになってしまう。
戦争という死と隣り合わせな時代の中、こうした事はこれから何度も起きるだろう。そのたびに耐えられなければ、この時代は生きられない。だから・・・
「大和。いい加減にしろ」
「え?」
大和はまぬけな顔で翔輝を見る。いきなり意味のわからない事を言われて呆然としているのだ。
翔輝はそんな大和を離して立ち上がる。
「いつまでも泣いてるんじゃない」
「・・・いいじゃないですか・・・いいじゃないですかッ!」
翔輝の冷たい態度に、大和は激怒した。
泣きながらひどい事を言った翔輝に詰め寄る。
「仲間が死んだんですよ! 悲しくないんですかッ!? 泣くくらい許してくださいよッ! 私は一応は女の子なんですよッ!」
「そうやって甘えるな! お前は全日本海軍艦魂達のリーダーなんだぞ!」
「だから何だって言うんですか!? 泣いて何が悪いんですかッ!?」
「お前が崩れれば艦隊全体が崩れるんだ! しっかりしろ!」
翔輝の強い物言いに、大和は顔を真っ赤にして激昂する。
「・・・少尉は人間だから艦魂が死んでも関係ないって言うんですかッ!?」
「そうは言ってないよッ!」
「言ってますよ! 最低ですッ! 少尉も仲が良かったじゃないですかッ! なのに何も感じないんですか!? 死んだって言うのに、大切な人な人が死んだ悲しみがわからないんですかッ!?」
その瞬間、空気が凍りついた。
大和はすぐに自分が決しては踏んではいけない最強の地雷を踏んでしまった事に気づき、翔香の写真を一瞥する。
翔輝はうつむくと、ゆっくりと口を開く。
「知ってるよ? 嫌ってほど知ってるし、わかる」
翔輝は顔を上げる。その表情は悲しそうだったが、ふっと笑った。
「でもね、今ここで悲しんでも彼女達は喜ばない、だろ?」
「少尉・・・」
翔輝は経験者なのだ。だから、こんなにも説得力がある。
翔輝は苦笑いする。
「でもね、僕も悲しかったよ? だから、別に泣くのは構わない。でも、今ここでは堪えて。今は作戦実行中なんだから」
「・・・はい」大和は素直にうなずく。
「じゃあ、艦橋に戻ろう。長官も心配してる」
二人は艦橋に戻った。
主力部隊は全速力で機動部隊救援に翔ける。
翌六日午前二時、孤軍奮闘で戦った空母『飛龍』にも、雷撃処分が命令された。
昨日のうちに総員退去が命じられ、艦橋には参謀長達の必死の説得にも応じず山口司令官、加来艦長が残り、『飛龍』と運命を共にしようとしていた。
参謀長達が涙を流しながら艦橋を去る時、山口は共に残る事になった加来に「一緒に月でも眺めるか」と言って二人して艦橋に戻った。それが二人の最後の姿であった。
そんな艦橋の上にある防空指揮所にはぐったりと剣に腕の中で倒れる飛龍がいた。真っ赤に染まった軍服はそのすさまじい出血量を物語っていた。
飛龍は憔悴し切っていた。もう痛みは感じず、疲労だけしか感じられなかった。
そんな彼女を抱き止める剣は何も言わず、ただ抱き締めるだけだった。
剣の腕の中で最期の時を迎えようとしている飛龍。
結局、敵空母一隻しか道連れにできなかったが、彼女は満足だった。
昨日、赤城も加賀も姉も死に、生き残っているのは自分だけとなってしまった。その自分ももうすぐ味方駆逐艦の雷撃処分で死ぬ。
遠くで味方駆逐艦が《海行かば》を演奏している。それはとても心地よい子守唄のようだった。
意識が飛びそうなのを必死に耐え、自分を抱き締める剣を見詰める。
「剣・・・」
「何?」
「・・・約束の時間・・・さあ・・・退艦して・・・」
剣は飛龍とある約束をしていた。
それは、沈没の直前に他の艦へ移乗する事。彼は必死にそれを断ったが、飛龍は断固としてそれを譲らなかった。
「・・・あなたに・・・翔鶴や・・・瑞鶴を守ってほしいの・・・」
その途切れ途切れの必死な言葉に、剣はようやく納得してくれた。
だが・・・
「悪いけど、やっぱりそれはできない。お前を一人じゃ逝かせない」
剣は約束を破り、彼女と死ぬ事を選んだ。そんな彼の言葉に、飛龍は怒る事はなかった。むしろ、その答えは予想していたのか小さな笑みを浮かべる。
「やっぱり・・・剣は・・・退艦する気はないのね・・・」
「わかってたの?」
「・・・当たり前でしょ・・・? 何年の付き合いだと・・・思ってるの・・・?」
その言葉に、剣は苦笑した。
「バレてたなら話は早い。僕は絶対に降りないからな」
剣はそう言って飛龍を強く抱き締める。そんな彼の腕の中、飛龍は嬉しそうに微笑むが、すぐに悲しげな笑みになる。
「あなたの気持ちは・・・痛いほどわかる・・・でも・・・やっぱりダメ・・・あなたを一緒に死なせられない・・・」
その言葉の後、剣の身体がまばゆく輝きだした。
その輝きに気づいた剣は続いて彼女の想いにも気がついた。
「まさかお前・・・ッ! 僕を他の艦に転送するつもりかッ!? やめろッ!」
必死に自分を抱き締める剣の耳元で、飛龍は小さく「ごめんね」とつぶやく。
――次の瞬間、剣は光に包まれて消えた。
彼のいなくなった寂しい防空指揮所の上で、飛龍はぐったりと横たわる。
「疲れた・・・眠い・・・」
飛龍はもう焦点の合ってない瞳で空を見る。
空はきれいな星空だった。
天空に広大な星の海が広がり、夜なのにとても明るかった。満月のせいもあるが、星の輝きが一番明るい。いや、一番明るいのは、自らの艦体を燃やして赤く輝いている炎だ。明るく、暖かく、そして心地良い。艦体が燃えているのに、痛みは感じず心地良い。死の直前はこんなものなのだろうか?
「もう、眠い・・・普通・・・なら・・・もう寝てる・・・時間だし・・・」
本当に眠かった。出血多量で意識が飛び掛けていると言ってはイメージぶち壊しだが、それが理由だとしても眠かった。
下ではまだ山口達が起きている声が聞こえる。まぁ、もうすぐ死ぬっていうのにのん気に寝れる訳ないが。
そして、ついにその時がが来た・・・
駆逐艦から魚雷が発射された。
白い軌跡を残して接近して来る魚雷はなぜか遅い。まるで時間がゆっくり流れているかのように・・・
走馬灯のように記憶が駆け巡る。
楽しかった事、悲しかった事、怖かった事、姉や仲間達の事。そして、剣の事。
「姉さん・・・もうすぐそっちに逝くからね・・・」
飛龍は西の空を見詰める。その先には主力部隊が、大和達がいる。
「大和・・・長門さん・・・長谷川少尉・・・」
飛龍はそっと微笑み・・・
「後は、任せたよ・・・」
その瞬間、全てが真っ白になった。その先には赤城、加賀、そして姉の姿があった。
飛龍は姉達の元へ駆け出した。
――空母『飛龍』、義姉艦『蒼龍』と共に日本空母の原型となった最高の中型空母。本艦を応用して後に日本海軍は中型空母の大量増産に力を入れる事になった。真珠湾以来幾多の戦場を戦い抜き、常に戦いの最前線で激戦を繰り広げた。そして最後の戦いも孤軍奮闘で戦い、この海戦の英雄艦として、日本機動部隊無敵神話に終止符を打ち終え、己が責務を果たし、海の底に静かに消えて逝った――
「報告します・・・空母『飛龍』、山口司令官、加来艦長と共に、沈没しました・・・」
伝令兵の報告に、山本は静かにうなずいた。
「そうか・・・『飛龍』も沈んだか・・・」
宇垣も沈黙している。
目をつむり、唇を噛む翔輝の隣にいる大和は必死に涙を堪えていた。
「飛龍さん・・・さようなら・・・」
「大和・・・」
翔輝はそっと大和を抱き締めた。
翔輝の腕の中で必死に涙を堪える大和。そんな彼女に、翔輝は何も声をかけられなかった。
一方、目をつむっていた山本はゆっくりと目を見開くと、隣にいた宇垣を見る。
「宇垣君。各班に通報。敵機動部隊を夜戦で撃破する」
その言葉に、宇垣は小さく首を降る。
「長官。それは難しいです。主力部隊の速度より、敵空母の方が速いですから。まずこの大和の速力は三〇ノットに満たないので無理です。『金剛』『比叡』を中心に巡洋艦、駆逐艦で高速部隊を編成するのも手ですが、混乱している今の状況ではその編成に時間が掛かりすぎてしまいます。ですので、夜戦は不可能に近いかと」
「しかし・・・ッ!」
食い下がる山本を、宇垣はじっと見詰める。その瞳は別の目的に輝いていた。
「長官。ここは機動部隊の生存者を救出する方が先です。失った空母は戻りませんが、優秀な搭乗員達さえいれば、基地航空隊に配属するも、残った五航戦(第五航空戦隊)の搭乗員にする事もできます」
宇垣の言葉に、山本は沈黙する。
航空機主義の山本に対し、その参謀長である宇垣は大艦巨砲主義者である。その彼が航空機の有用性を認め、その搭乗員達を救おうと言っているのだ。
「お願いします。長官のお考えであった短期決戦早期和平は、これ以降不可能になるでしょう。これからは意地と気合の長期戦です。航空機の必要性はより増すでしょう。その時、機動部隊の搭乗員がいれば、アメリカとも正面から戦えます。飛行機ならある程度は生産できるでしょうが、搭乗員の育成はそれに間に合いません。例えまともに戦える時間が少なくても、それだけで十分敵の侵攻を遅らせる事はできます。沈んでいった四隻の空母達の為にも、せめて搭乗員だけは一人でも多く確保しましょう。海に投げ出されている彼らを、どうかお救いください」
宇垣は山本をじっと見詰め、軍帽を取り、自ら頭を下げた。そんな彼を、山本や参謀達、そして翔輝と大和も見詰めた。
「もし、承諾いただけないというなら、夜戦をしても構いません。ですが、その際は旗艦を『長門』に変更し、『大和』は自分にお貸しください。私が直々に『大和』を指揮し、アメリカ本土にでも何でも殴り込みをかけます」
必死に訴える宇垣。
山本はしばらく沈黙していたが、宇垣の強い決意にやがて静かにうなずいた。
大和はそれに驚いたが、それが最善の策だった。
涙する大和を、翔輝はそっと抱き締めた。
主力部隊は足の速い駆逐艦を全速力で空母のいない機動部隊に向け、海に投げ出された生存者を救出。救出作業を終えると、駆逐艦は主力部隊に合流した。
駆逐艦が戻って来たところで、主力部隊は撤退を決定した。
「全艦、反転一八〇度・・・全艦戦闘区域を離脱。内地に帰還する」
山本の命令で、艦隊は反転を始めた。その時、
「聞けッ! 日本海軍全艦魂達よッ!」
すさまじい大声が艦隊に響いた。しかし、山本も宇垣も反応がない。という事は・・・
「これは、長門さんの声?」
「防空指揮所に行こう!」
二人は急いで防空指揮所に上がった。
見張り兵が敬礼したが、翔輝は無視した。
壁を掴み、急いで後方を走っている『長門』を見る。すると、『長門』の防空指揮所に身長の高い女性が立っていた。さらに、他の三〇〇隻の艦の防空指揮所にも次々に女性や少女が出て来た。それは全て艦魂だ。
長門は防空指揮所の天辺に立つ。その姿は勇ましいの一言だった。
「皆も知ってる通り、機動部隊の空母赤城、加賀、蒼龍、飛龍は戦死した! 作戦は失敗し、仲間を四人も失い。我が海軍は開戦以来、いや、日本海軍史上最悪の大敗北をした! 敵の被害は空母一隻大破だ! 今、伊‐一六八(潜水艦)がとどめを刺しに行っている! しかし、この戦果は全て最後まで諦めなかった飛龍の最大の手柄だ! 飛龍はよくやった! もちろん、赤城、加賀、蒼龍もがんばった! だから、みんな忘れるな! 我が海軍を栄光まで導き、そして散っていった四人を、わかったなッ!」
『おおおぉぉぉッ!』
泣きが混じった女性特有の高い声が響き、艦隊は全艦反転を終えた。
長門はすごい。さすがは長年連合艦隊旗艦をやっていた事はある。いつもは笑顔で軍人には向いていないような人なのに、いざとなればこんなにも勇ましく、多くの艦魂達をまとめられる。それに比べて自分は、情けない・・・
大和はそう思い、恥じらいもなく大声で泣いた。
もう、作戦は終わったのだから・・・もう、泣いてもいいのだ。
翔輝の腕の中、大和は始めて味わった敗北と仲間の死に、いつまでも泣き続けた。そんな彼女を抱き締め、翔輝は悔しそうに唇を噛んだ。
艦隊は、一路内地柱島を目指した。
途中、艦隊は敵潜水艦の雷撃を受けるが、命中はせず、『大和』は副砲で応戦したが、効果は確認できなかった。
ミッドウェー海戦はこうして終わった。
正式空母を四隻と全艦載機と多くの搭乗員を失い、作戦は大失敗だった。
世界最強と謳われた日本機動部隊はここに壊滅し、その後、日本は二度と同等の力を持つ機動部隊を編成する事はできなかった。
日米の兵力バランスは完全に狂い、山本の考えていた《短期決戦・早期和平》というこの戦争の絶対必須事項を失った。これ以降、日本は敗北の一途を辿り始め、長く苦しい戦いの中、多くの将兵や飛行機と艦艇、そして艦魂達が、太平洋の海に散っていく事になった・・・ |