第四章 第七節 飛龍 怒りの猛反撃
生き残った唯一の空母『飛龍』は急遽攻撃隊を編成した。
甲板には寄せ集めの攻撃隊が用意され、搭乗員達が艦橋の前に整列する。
山口と飛龍はその前に立った。
「今より、『飛龍』の全機をもって敵空母を攻撃する。しっかりやってくれ。頼むぞ!」
山口はそう言い、搭乗員一人一人と握手した。「しっかりやってくれ」「頼むぞ」「がんばってくれ」と言いながら。
全員と握手をすると、山口は激励を言った。
「みんなッ! ひとつ体当たりするつもりでやってくれ! 大丈夫! 俺も後から逝くぞ!」
山口の言葉に、搭乗員だけでなく空母の兵達の士気も大いに上がった。
『了解!』
搭乗員達は敬礼し、飛行機に乗り込んでいった。
出撃命令が下り、攻撃隊は次々に発艦していく。
空母兵達は軍帽や作業帽をこれでもかと振って見送った。
「頼むぞぉぉぉッ!」「頼むぞ!『赤城』『加賀』『蒼龍』の仇を討ってくれぇぇぇッ!」「必ず敵空母をッ!」という声を聞きながら、攻撃隊は紺碧の空へ舞う。それは妖精のように可憐で、龍のように勇ましかった。
零戦六機、九九艦爆十八機というあまりにも小規模な第一次攻撃隊は、怒り狂った竜のように天へと舞い上がり、一路仲間の仇の敵機動部隊目指して突撃した。
攻撃隊が見えなくなり、山口と飛龍は艦橋に戻った。艦橋では参謀達が炎上している三空母を見詰めて唇を噛んでいた。その時、
『山本連合艦隊司令長官より無電! 山本連合艦隊司令長官より無電!』
伝声管を伝わって通信兵が報告したのは山本長官からの激励無電だった。
『『飛龍』ノ健闘ヲ祈ル。『飛龍』ノ健闘ヲ祈ル』!』
その激励文に、艦橋の中の士気は一気に上昇した。
山口は遠い迂遠方の主力部隊に向かって静かに敬礼する。
「山本連合艦隊司令長官へ無電!」
山口は通信参謀に叫んだ。
「『『飛龍』ハ健在ナリ。『飛龍』ハ健在ナリ。全機ヲ以ッテ敵艦隊撃滅ニ向カウ。全将兵意気盛ン』!」
「敵機来襲!」
アメリカ機動部隊は突如日本軍の攻撃隊に襲われた。
今までとは数が圧倒的に少ないが、流星のように舞い降りて来る日の丸を見て、ヨークタウンは恐怖を感じた。
たった二十数機の攻撃隊なのに、その迫力は数百機の攻撃隊にも引けを取らない。
獅子の咆哮に似た急降下音が響き、敵機が突っ込んで来る。
「回避しろおおおぉぉぉッ!」
フレッチャーは叫び、『ヨークタウン』は緊急回避する。
すさまじい対空砲火と敵戦闘機の嵐の中、敵機は必死に迫って来る。仲間の仇を討とうと、その命を懸けて・・・
「ふざけるないでッ! 仲間の仇なら、あなた達もレキシントンさんを殺したじゃないッ!」
ヨークタウンはそう叫ぶと、拳が白くなるほど強く握った。
すさまじい爆音が轟き、艦のまわりに無数の水柱が上がる。さながらそれは水の壁のように艦を飲み込もうと舞い上がる。
『ヨークタウン』は荒れ狂う海を翔ける。しかし、敵機も果敢に攻めて来る。爆弾が雨のように降り注ぎ爆発していく。
ヨークタウンは悲鳴を上げる。
「もっと速度を上げろッ!」
「ダメですっ! 今の本艦ではこれがやっとですッ!」
フレッチャーは唇を噛む。
『敵機急降下!』
敵爆撃機が垂直に急降下して来た。
「取舵いっぱぁぁぁいッ!」
「アイアイ、サーッ! 取舵いっぱぁぁぁいっ!」
『ヨークタウン』艦長が急いで伝声管に叫ぶ。だが、敵機はすでに爆弾を投下した後だった。
「総員衝撃に備えええええぇぇぇぇぇッ!」
艦長の絶叫が響いた。
「ヨークッ!」
「司令ッ!」
フレッチャーはヨークタウンの身体を抱き寄せた。その瞬間、
ドガアアアアアァァァァァンッ!
「うわあああああぁぁぁぁぁッ!」
甲板に爆弾が命中して瓦礫と化した破片が吹き飛ぶと同時に、ヨークタウンの背中からも真っ赤な血が噴き出す。
「ひっ・・・ひぐぅ・・・ッ」
「ヨーク、しっかりしろッ!」
自分の腕の中で血まみれでぐったりとするヨークタウンを抱き上げ、フレッチャーは何度も彼女の名前を叫ぶ。
「し・・・司令・・・あああぁぁぁッ!」
さらに爆弾が二発命中し、『ヨークタウン』は大爆発を起こした。
火炎に包まれた甲板の不気味な明かりに照らされるヨークタウンは自らの血で真っ赤に染まり、もはやその身体には力は残されていなかった。
「ヨークッ!」
フレッチャーの声でなんとか意識を保つ。
彼の腕の温かさに、ヨークタウンは恐怖の中に一筋の光を見た気がした。
「司令・・・」
「大丈夫だ! 傷は浅いッ!」
「ほ、本当ですか・・・?」
「ああッ! だからしっかりしろッ!」
「大丈夫です・・・私はまだ・・・負ける訳にはいかないんです・・・だから・・・」
「ああ、わかった。わかったから、もうしゃべるな」
ヨークタウンは悔しそうに唇を噛むフレッチャーを見て静かに微笑み、瞳を閉じた。
しばらくし、敵機は去った。
わずか二十数機で空母一隻を戦闘不能にした敵機を、皆悔しげに睨みつけた。
「姉貴ッ!」
「姉さんッ!」
敵機が去るとエンタープライズとホーネットが急いで現れた。そして、フレッチャーの腕の中でぐったりしている姉を見て、その顔を真っ青にさせる。
「姉貴ッ!」
「静かに、今は眠ってるだけだ」
フレッチャーの言葉に、エンタープライズは口を閉じる。
「姉さん・・・」
ホーネットは血まみれになった姉の顔をハンカチでそっと拭く。
「司令・・・姉さんは?」
「大丈夫だ。被害は甚大だが航行に問題はない。火災も鎮火できる規模のものだから、沈没の危険性はない。だから、きっとヨークも大丈夫さ」
「良かった・・・」
泣きながら安堵するホーネットの頭を、フレッチャーはそっと撫でる。
「姉さん・・・きっと助かるよね・・・?」
「助かる。いや、助けてみせる」
「司令・・・」
フレッチャーはホーネットに血をきれいに拭き取ってもらったヨークタウンの金色の髪を、そっと整える。
「クソッ! ジャップどもッ!」
バンッ! と壁をぶっ叩き、悔しげに顔を恐ろしくゆがめるエンタープライズ。その瞳は怒りに染まり口からは唇を噛み過ぎて血が流れる。
「許さねぇ・・・ッ! 絶対に許さねぇッ! クソジャップどもぉッ!」
悔しそうに何度も何度も壁を蹴りつけるエンタープライズをフレッチャーは無言で見詰める。
「エンター、ホーネット。後は、頼むぞ」
「おうッ! 絶対に姉貴の仇を取ってやるッ!」
「うんッ!」
フレッチャーの言葉に、エンタープライズとホーネットはうなずく。そんな二人の反応に安堵したフレッチャーは、被っていた帽子をそっとヨークタウンに被らせた。
帰って来た攻撃隊を見て、飛龍は愕然とした。
――出撃した半分も帰って来なかったのだ。
「飛龍・・・」
肩を震わせる飛龍を、剣はそっと抱き締めた。そんな彼の腕の中で、飛龍は震える。
「そ、そんな・・・こんなに・・・」
「機数が少なければ。狙われる確率は上がる。仕方ない事なんだよ」
「でもッ!」
「――これが、戦争なんだ」
その言葉に飛龍はドキリとする。
そう、これは戦争。犠牲が出るのは仕方のない事。
「でも、だからって――ッ!?」
そこで飛龍はある事を思い出し愕然とする。
「剣・・・あなた・・・」
剣は、次の第二次攻撃隊で出撃する予定だった。
飛龍は、頭が真っ白になった。
そして気がついたら、
「だ、ダメッ! 行っちゃダメッ!」
飛龍は剣に抱きついていた・・・
「ダメッ! 行ったら・・・行ったら剣が死んじゃうッ!」
泣きながら必死になって自分に抱きつく飛龍に、剣は驚く。
「な、何言ってるんだ。そんな事できないよ」
「ダメッ! 私、剣に死んでほしくないッ!」
抱きついて離れずに泣き叫ぶ飛龍に、剣は一喝する。
「飛龍ッ!」
その大声に飛龍はビクリと身体を震わす。
怯えた目で見詰める飛龍に、剣は優しく微笑む。
「大丈夫。僕は死なないよ」
「剣・・・」
剣はそっと胸に掛けてある御守りを飛龍に見せる。それを見て、飛龍に顔からわずかに不安が消えた。
「大丈夫。僕は死なないよ。それに、この御守りが僕を守ってくれるよ」
「剣・・・」
「だから、安心して」
剣の言葉に、飛龍は静かにうなずくと、小さな笑みを浮かべた。
「そうだよね、剣が死ぬ訳ないもんね」
「ああ、だから、安心して」
「うんッ!」
飛龍は嬉しそうな笑みを浮かべ、今度は喜びの意味を込めて剣に抱き付いた。
蒼い海に浮かぶただ一隻の空母『飛龍』。その甲板には新たな攻撃隊――第二次攻撃隊が用意されていた。
甲板に並べられた艦載機に搭乗員達は次々に乗り込む。
その中には、剣の姿もあった。
「剣ッ!」
零戦に駆け寄る剣を、飛龍が止めた。
剣が振り返ると、飛龍は真剣な眼差しで自分を見ていた。
「飛龍・・・」
「必ず、姉さん達の仇を討って」
飛龍の強い言葉に、剣はうなずく。すると、今度は先程とは打って変わって悲しげな瞳で剣を見詰める。
「でも、無理はしないで・・・生きて、帰って来て」
泣きそうな飛龍の言葉に、剣は「わかった」とうなずく。その首には飛龍からもらった御守りが掛けられていた。
「さあ、危ないから」
剣の言葉に、飛龍はうなずくと、甲板から離れた。
彼女の背中が消えると同時に、剣は零戦に乗り込む。その時、
「おいッ! 隊長機の燃料タンクの修理は終わってるのか!?」
「まだできていません!」
「何だとッ!?」
怒鳴り声の方を向くと、九七艦攻の前で搭乗員が整備兵を睨みつけていた。それは隊長機であった。すると、
「構わん。敵は近い。片タンクだけで十分だ」
そう言って現れたのは攻撃隊の隊長である友永だった。
友永は涙目になっている二人に優しげな笑みを浮かべ、傷ついた愛機に乗り込んだ。
剣はそんな隊長を見て、静かに唇を噛むと、エンジンを起動させる。
高速でプロペラが回り、辺りに轟音が響く。
仲間の仇を討つ為、飛龍航空隊はその全戦力を敵空母に向けようとしていた。
マストに出撃旗が揚がり、艦載機は次々に轟音を立てて甲板を滑走して天空に飛び立つ。
荒鷲達は蒼穹の空にその翼を羽ばたかせていく。
飛龍は軍帽を振って攻撃隊を見送る。この攻撃隊に想いを乗せて。
「姉さん達の仇を討ってぇぇぇッ!」
そして、徐々に消えて行く攻撃隊の中にいる少年に向かって叫ぶ。
「必ず、生きて帰って来てぇッ!」
攻撃隊は空の蒼に溶けていき、やがて見えなくなった・・・
零戦六機、九七艦攻十機の第二次攻撃隊は無事敵機動部隊に到着した。
襲って来る敵機を剣達零戦隊が次々に撃墜していく。その下を、すさまじい対空砲火の壁を抜けて艦攻隊が突撃していくのが見えた。
「頼むぞッ!」
剣は艦攻隊に敬礼すると、再び襲ってくる敵機を撃ち落とした。
『左三〇度雷撃機ッ』
その報告にフレッチャーは唇を噛んだ。
「司令・・・」
腕の中で先程目を覚ましたばかりのヨークタウンが小さな声を発する。
「取舵いっぱぁぁぁいッ!」
迫る魚雷を、『ヨークタウン』はなんとか回避する。だが、敵機の壮絶な攻撃の前で、傷ついた『ヨークタウン』はいい獲物になっていた。
次々に敵機が魚雷を投下していく。
「面舵いっぱぁぁぁいッ!」
『ヨークタウン』はなんとか敵の攻撃を開始する。
「これなら、なんとか・・・」
フレッチャーは安堵の息を漏らす。その時、
『敵機! スプルーアンス部隊に向かうっ!』
見張り兵の言葉に、ヨークタウンは真っ青になる。
「いけないっ! 妹達が・・・ッ! 司令ッ!」
傷ついたヨークタウンの枯れた声での必死な叫びを聞いて、フレッチャーは絶句する。
「し、しかし・・・ッ!」
「お願い・・・しますッ! 妹達を・・・ッ!」
フレッチャーは苦しげに唇を噛むと、決断した。
「取舵いっぱぁぁぁいッ! スプルーアンス部隊と敵機の間に向かえッ! 本艦を盾にして二隻の空母を守るんだッ!」
「司令!? 本気ですか!?」
艦長が驚愕する。
「本気だ。傷ついた本艦を囮にするんだッ!」
「あ、アイアイ、サーッ! 取舵いっぱぁぁぁいッ! 両舷前進全速!」
『ヨークタウン』は最大速度で海面を蹴る。
すぐに間に回り込み、必死で弾幕を張る。すると敵機は攻撃目標を変えて『ヨークタウン』に襲いかかって来た。
『左舷より魚雷接近ッ!』
迫る魚雷を『ヨークタウン』は右へ左へと回避する。
一本、また一本と回避する『ヨークタウン』だが、ついに限界が来た。
うまく回避した魚雷と魚雷の間にもう一本の魚雷が突っ込んできた。
ドガアアアァァァンッ!
「があああぁぁぁッ!」
艦体が激しく揺れ、艦橋よりも高い水柱が上がり、もうもうと煙が舞い上がる。
「ヨークッ!」
ヨークタウンは口から大量の血を吐いた。
フレッチャーの白い軍服は、彼女の真っ赤な血に染まった。
「ヨークッ! しっかりしろッ!」
「し・・・司令・・・」
小さなか細い声で返事するヨークタウンは、もう限界に達そうとしていたその時、
『敵雷撃機左舷より接近ッ!』
その報告に、フレッチャーは絶望した。
左舷から迫る敵機に来るな来るなと心から祈る。だが、現実とは残酷なものだった。
『敵機魚雷投下ッ!』
フレッチャーは覚悟を決めてヨークタウンの小さな身体を抱き締めた。次の瞬間、
ドガアアアアアァァァァァンッ! ドゴオオオォォォンッ!
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁッ!」
「ヨークッ!」
ヨークタウンの身体が仰け反り、真っ赤に染まる。
敵機は魚雷を放った後甲板に激突してきた。甲板は敵機の突撃で炎上し、魚雷の影響で艦は左に傾く。
ヨークタウンの包帯が解け、赤い鮮血が飛び出た。
一瞬にしてヨークタウンはその場に崩れ、フランクの腕の中で倒れた。
もはや息も絶え絶えのヨークタウンの真っ赤に染まった身体を、フレッチャーはそっと抱き締める。
「お前、本当にこれで良かったのか・・・ッ?」
フレッチャーは悲痛な声を上げる。そんな彼に、ヨークタウンは静かに微笑む。
「はい。妹達が無事なら・・・これでいいんです・・・」
フレッチャーはヨークタウンの小さな身体を抱き締めた。
ヨークタウンは焦点を失った瞳でフレッチャーを見詰める。
「少将。妹達に反撃を、頼んでください・・・ッ!」
「あぁ、わかった! お前の仇を討たせてやる!」
フレッチャーの言葉にヨークタウンは小さく微笑む。
「I love you・・・」
そう言って、ヨークタウンはフレッチャーの頬にキスをし、瞳を閉じた。
「剣ッ!」
戻って来た第二次攻撃隊の中に剣の姿を見つけ、飛龍は涙を流しながら喜んだ。
「剣ッ!」
「うわッ!」
突然抱きつかれた剣はびっくりする。だが、そんな事今の飛龍には関係なかった。
「良かった・・・ッ! 良かったッ!」
飛龍は本当に嬉しそうに喜ぶ。そんな飛龍を、剣もそっと抱き締める。
「ははは、なんとか助かったよ」
「もうッ! 笑い事じゃないよぉッ!」
顔を膨らませて怒る飛龍に「ごめんごめん」と謝る。
再会を喜ぶ飛龍だったが、帰って来た攻撃隊を見て顔を曇らせる。
「でも、攻撃隊・・・ずいぶん減っちゃったね・・・」
そう言って見た先には、機数の半分以下にまで減らした攻撃隊。
「ああ、隊長も、敵空母に体当たりしちゃったしね」
その言葉に飛龍は絶句する。
「た、隊長って・・・ッ!? まさか友永大尉がッ!?」
「うん・・・魚雷を放った後、そのまま敵の甲板へ」
「そ、そんな・・・ッ!」
飛龍は顔を真っ青にする。
いつも攻撃隊の先頭に立って飛んでいた隊長が・・・もういない。
愕然とする飛龍の頭を剣はそっと撫でる。
「隊長の決死の攻撃のおかげで、敵空母一隻は沈没確実だ。ただし、もう二隻は無傷だけどね」
「・・・だったら、もう一度攻撃します」
飛龍は力強い言葉でそう言った。そんな飛龍に、剣は優しく微笑む。
「その時は、僕も協力するよ」
「ありがとう」
飛龍は剣に微笑むと、遠くの海で燃えている三隻の空母を見詰め、一瞬だけ悲しい目をしたが、すぐに力強い目になり、そっと敬礼した。
孤軍奮闘で戦い続けた飛龍に、つかの間の幸せが訪れた。
「えへへ・・・」
ついつい顔が嬉しさのあまりにやけてしまう。
そんな飛龍の膝の上では、気持ち良さそうに眠る剣がいた。
連戦の影響で残存機数がほんのわずかとなってしまい、とてもじゃないが強襲攻撃ができなくなってしまい、薄暮攻撃に戦法を転換した。その為、時間に余裕ができたので今搭乗員達はこうして兵員室で仮眠をとっていた。
そして今、飛龍の膝の上に頭をのせ、剣は眠っていた。正確には普通に並べた椅子の上で寝ていた剣をそっと頭を起こして座り、膝の上にのせたという違法なのだが。
自分の膝の上で気持ち良さそうに眠っている剣を見て、飛龍は嬉しそうに微笑む。
「はあ・・・幸せ・・・」
ほんのりと顔を赤らめて喜ぶ飛龍。
こんな平和な時間がずっと続けばいいなと思っていると、それはあっけなく終わった。
「ふわ・・・? って、うおッ!?」
目を覚ました剣は最初こそは寝ぼけていて状況を理解していなかったが、すぐに目が覚めて自分の置かれている状況に慌てて飛び起きた。
「あん・・・」
「な、何してんのッ!?」
起きてしまった剣を悲しげに見詰める飛龍に対し、何がなんだかわからない剣は慌てる。
「な、何で? 僕は普通に寝てたのに・・・何で飛龍に膝枕されたの?」
「そ、それは・・・」
視線を逸らす飛龍に、剣はようやく理解してため息した。
「お前・・・寝起きビックリをするな」
「べ、別にビックリさせるつもりじゃなかったの。ただ、何もないで寝たら首が痛いかなぁって思ったから膝枕しただけじゃない」
少し起こったようにして言う飛龍に、剣は不思議そうに首を傾げる。
「あのな、怒るのは僕であってお前じゃないぞ」
飛龍は「知らない」と言ってそっぽを向く。
剣は訳がわからないと言った具合に首を傾げると、起き上がる。
「え? もう起きるの?」
「うん。もう十分寝たし」
「で、でもまだ一時間ぐらいしか・・・」
「それで十分。本格的に寝ちゃうと起きた時に逆に疲れちゃうから」
「そ、そうですか」
剣は飛龍がなぜか少し残念そうな顔をするのがわからなかった。
ふと、まわりを見ると、共に戦ってきた仲間達が皆仮眠をとっていた。その数も、この戦いでかなり減っていた。
剣自身、仲の良かった仲間が数人ミッドウェーの空に散ってしまった。
真珠湾以来連戦連勝を誇ってきた日本機動部隊も、今ではその見る影もない。
「なあ、飛龍。他の空母の様子はどうだ?」
悲しげに問う剣の言葉に、飛龍はしばしの沈黙の後、自身も泣きそうなのを必死に堪え、辛い想いをしながら口を開く。
「距離が離れすぎているので・・・会いに行けないので実際に見た訳じゃありませんが、報告によると、三隻の空母全てが爆弾命中による火災で格納庫にあった爆弾や魚雷、航空機などに誘爆して、艦内は火の海。とても鎮火できるようなものではないそうです」
「・・・そう」
「『加賀』は、初弾で艦橋が吹き飛び指揮系統が壊滅。戦死した艦長に代わって飛行長が消火作業を指揮していたそうですが・・・すでに、総員退去が発令され・・・今は、沈没を待つのみだそうです」
苦しそうに言う飛龍の震える肩を、剣はそっと抱く。
「『赤城』『蒼龍』はいまだ炎上中・・・復旧の見込みは・・・まだ立っていないそうです」
「飛龍・・・」
「私だけ・・・生き残って・・・ッ!」
飛龍は悔しそうに服の裾を握る。その拳は強く握られたせいで真っ白に染まり、瞳からはボロボロと涙が零れ落ちる。
剣はそんな少女の震える肩を、そっと抱き寄せた。
こんな小さな身体に、彼女はたくさんの責務を背負っている。
少女でありながら兵器の魂であるがゆえに戦う事から避ける事ができない。なのに、いざ戦いになれば彼女はただの傍観者でしかない。
決して、主人公に離れない。
敵が迫ろうと、彼女には自分の身体である艦体を動かす事はできない。機銃一門でも、動かす事はできない。
姉や仲間の仇を討ちたくても、自分では何もできない。
その苦しみは計り知れない。
どうして彼女がそんな重すぎる宿命を背負わなければならないのか。
だって、彼女は普通の女の子だ。
笑ったり、怒ったり、悲しんだり、泣いたり、迷ったりする。普通の女の子と何も変わらない。
なのに、ただ人間じゃない。艦魂という兵器の魂だからという理由で、こんなにも心が真っ直ぐな女の子に、こんな苦しみを与えるなんて。
自分には、彼女を助ける事はできない。
彼女の傍にいて、彼女と同じ時を過ごして、同じ話をして、笑った。
なのに、自分は何もできない。
自分にできるのは、彼女救う事ではなく、彼女の折れてしまいそうな身体を支えてやり、そっと押してやる事だけだった。
決して、彼女は救えない。
でも、救えなくても、応援する事はできる。
それだけで、彼女の励みになるかはわからない。でも、何もしないよりは絶対にマシだ。
「飛龍」
剣は泣きじゃくる少女を、そっと抱き締めた。
温かい。
こんなに温かなぬくもりを彼女は持っている。
――それで、十分じゃないか。
「僕は・・・僕は君の――」
飛龍はそっと、顔を上げた。
真っ直ぐな瞳で、少年の顔を見上げる。
「――味方だから」
胸の奥に、何か温かいものが流れ込んだ。
それはとても心地良く、優しく、温かい。
「例え、世界中の全てが君の敵だとしても、僕は君の味方だから。安心して、前に進んで」
そうだ。
自分にはまだ――
「僕は、いつも一緒にいるから」
――まだ、彼がいる。
彼がいれば、どんな敵でも怖くはない。
自分は無敵になれる。
飛龍は袖で涙を拭き取ると、今自分が出せる精一杯の笑顔を向け、彼に抱きついた。
「剣ッ! 私、剣と一緒なら、どこまでもがんばるッ! 剣と一緒なら、戦えるッ!」
「そっか・・・良かった」
彼の温かい笑みに、彼の優しい腕の中で、飛龍は満面の笑みを浮かべた。
窓から差し込む光は、いつの間にか夕焼けに変わっていた。
温かく、柔らかなその光は、二人の少年少女を、静かに照らし続けた。
飛龍航空隊はすさまじい執念とも言える二度の果敢な攻撃を行い、半数以上艦載機を犠牲にしながら空母『ヨークタウン』に致命傷を与えた。
その後、『ヨークタウン』は日本軍潜水艦『伊‐一六八』の雷撃で、沈没した・・・
そして、敵空母に止めを刺そうと残存艦載機全機(十四機)で第三次攻撃隊を編成している時、悲劇は起きた。
「敵機! 太陽を背にして急降下!」
見張り兵の言葉に、『飛龍』全乗組員が悲鳴を上げた。
「取舵いっぱぁぁぁいッ!」
加来の絶叫が防空指揮所に弾ける。
機銃や高角砲が火を噴き、荒くれる嵐のように弾幕を張る。
無数の爆弾が海面に炸裂し、巨大な水柱を上げる。至近弾が炸裂し、飛龍の体にかすり傷ができる。
「つぅ・・・ッ!」
「飛龍ッ!」
防空指揮所の上にいた飛龍は痛みに小さな悲鳴を上げる。その横には、第三次攻撃隊として出撃を待っていた剣がいた。
剣は飛龍の身体を抱き寄せると、迫る敵機を悔しそうに睨みつけた。
「面舵いっぱぁぁぁいッ!」
魚雷群を避ける為に『飛龍』は急速回頭する。
無数の爆弾や魚雷を次々に回避する『飛龍』。敵の荒鷲は味方空母『ヨークタウン』の仇と突っ込んでくる。艦隊の対空砲火で炎上する敵機。だが、敵機はしぶとく機銃を『飛龍』に撃ち込んで来る。機銃兵達が悲鳴を上げ、必死に機銃を乱射して敵機を完全に撃ち落した。
「取舵いっぱぁぁぁいッ!」
加来がずぶ濡れになった格好で枯れかけた声を上げる。
敵機の爆弾が海面に炸裂し、海水を巻き上げ、それは無数の水滴となって艦体を撃ち付ける。その一瞬の隙に一機の敵爆撃機が突っ込んで来た。敵爆撃機は翼を翻して垂直一直線に急降下して来た。すさまじい急降下音が響き、見張り兵が悲鳴を上げる。
「面舵いっぱぁぁぁいッ!」
『飛龍』は急いで回避するが間に合わない。
「飛龍ッ!」
敵機から爆弾が投下された瞬間、剣は飛龍の身体を抱き寄せた。
――次の瞬間。
ドガアアアアアァァァァァンッ!
敵機の放った爆弾が『飛龍』後部甲板に命中、大爆発を起こした。同時に飛龍の腰が裂け、血飛沫が上がる。
「あああああぁぁぁぁぁッ!」
「飛龍ッ!」
腕の中で真っ赤に染まり、ぐったりとする飛龍を、剣は抱きとめる。
「おいッ! 飛龍ッ! しっかりしろッ!」
「剣・・・ッ!」
必死に自分の名前を呼ぶ剣に、飛龍は小さく笑みを浮かべる。
「大丈夫・・・私は・・・剣と一緒なら・・・大丈夫だから・・・」
唇を噛み、必死に痛みを堪える。身体からは真っ赤な血が流れ出る。
その間にも敵機の猛攻撃が続いている。これらを全て回避しなければならない。
迫る敵機に『飛龍』はさらに回避を続ける。だが、『飛龍』の幸運もついに尽きた。
「敵機五機直上! 急降下!」
轟音を立てて流星のように突っ込んで来る敵機に、剣が悲鳴を上げる。
「あと、あと一歩なのに・・・ッ!」
剣の腕の中で、飛龍は急降下して来る敵機を睨み、泣き声を上げた。
――剣が、自分を強く抱き締めるのを感じた。
次の瞬間、全てが真っ白になり、真っ赤に染まった。
「があああああぁぁぁぁぁッ!」
「飛龍ッ!」
飛龍はすさまじい悲鳴を上げ、自らの血で真っ赤に染まった。
爆風で剣は吹き飛ばされて壁に叩きつけられる。そんな彼の腕から離れた飛龍の力なき身体は冷たい鉄の床に投げ出された。
三発の爆弾を受けて『飛龍』は炎上し、飛龍も自らの血で真っ赤に染まった床の上で吐血を吐いた。
「飛龍・・・ッ!」
剣は痛み身体をなんとか立たせ、鉄の床にぐったりと倒れている飛龍に近寄る。
膝を着き、もはや動けない身体になった飛龍の身体を、そっと抱き寄せる。
べっとりとした彼女の血が、自らも赤く染めた。
「剣・・・」
その小さくか細い声に、剣は涙を流し、絶叫した。 |