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おねえさん大家の人情派日記 ~こんなアパート、いかがでしょう?~ 作者:みづき
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第7章 A棟104号室 伊佐治太作さん(8)

 それから数日後の午前中、私は一人で再び警察に来ていた。留置管理課の受付で眼鏡と本、憲二郎から渡された見積書を差し入れる旨を伝え、必要書類を書く。併せて、面会用の書類も書き込んだ。
 差し入れの手続きが終わるのを待っていると、小窓の左隣にあるドアから、警察官が現れた。手には、私が差し入れた本を持っている。
「これなんですが、差し入れはできません」
 警察官に差し出されて驚く。
「何でですか?」
 すると、彼はパラパラと本のページをめくって見せた。
「ほら、こうやって書き込みがされていますよね?」
 漢字の隣に、鉛筆でふり仮名がふられている。
「書き込みって……これって、ふり仮名ですよね?」
「ええ。多分そうだと思うのですが、書き込みがある本は差し入れ禁止になっているんですよ。決まり事なので、お持ち帰りください」
 警察官にきっぱり言われ、仕方なく受け取る。その後、書類を訂正するよう指示があり、言われるままに書き直した。
「それでは、面会室へどうぞ」
 うながされるまま、この間と同じドアを開けて中に入る。椅子に座って待っていると、少しして伊佐治が現れた。目には早速先ほど差し入れた眼鏡をかけ、手には見積書を持っている。前回と同じく、後ろに控える警察官によってタイマーがセットされ、面会が始まった。
「大家さん。何度も申し訳ありませんね」
 伊佐治が語り掛けてくる。前回会った時よりも更にやつれた感じがして、少し心配になった。
「こちらこそ、ごめんなさい。なんか、本に書き込みがあると、差し入れができないみたいで」
 片手に本を持って見せる。
「ああ、そう言えば……。すっかり忘れていましたよ」
 伊佐治が頭をかく。
「これ、私がお預かりしておきますね。出てこられたら、またお渡ししますので」
「そうですか。ありがとうございます」
 伊佐治は小さく頭を下げると、手にしていた紙片を持ちあげた。
「この見積書、ありがとうございました。こんなに安くていいんですか?」
 正直、憲二郎からこの見積書を見せられた時には、私も驚いた。家具等の片づけは植原不動産の社員たちがやってくれるそうで、請求額は無し。引っ越しゴミも、市の方で片づけてもらえるよう手続きしてくれたため、格安の料金になっていた。憲二郎という男にも、意外といいところがあるようだ。ただ、だからと言って、これまでの悪行がチャラになるわけでない。
「ええ。憲二…えっと、植原さんの方がそれでとおっしゃるんですから、いいんだと思いますよ。伊佐治さん、タバコも吸われないですものね。綺麗に使っていただいて、助かります」
「そうですか。それはよかった」
 ほめられることに慣れていないのだろう。伊佐治が照れくさそうに首筋に手を遣る。
「それで、お支払いの方は問題ないですか?」
 刑務所の中で使う日用品などは、受刑者が私費で購入するらしい。少しでも多く手元に残る方がよいだろう。
「もちろんです。すぐに手続きをとりますので。あの管理会社さんにも、よろしくお伝えくださいね」
 伊佐治が答えると、しばし沈黙が流れる。
「じゃあ、これで」
「あ、ちょっと待ってください」
 話を終えようとした伊佐治を止める。
「実は、角田さんと山崎さんと仁科さんから、ご伝言があるんです」
 私の言葉に、伊佐治の表情が強張った。
「出て来られたら、またマージャンやりましょうって。それから、お体にはくれぐれも気を付けてって。そうおっしゃってましたよ」
 伊佐治がほっと息を吐くのがわかった。
「それから……」
 言おうかどうしようか迷っていたが、意を決して続ける。
「角田さん、伊佐治さんに前科があるってこと、ずっとご存知だったみたいです」
「えっ、本当ですか?」
 伊佐治が台に手をついて身を乗り出した。
「ええ。本当です。それに、伊佐治さんが酔っぱらっていたなんて信じられない、よほどの理由があったんだろう、ともおっしゃってましたよ」
「そうですか」
 伊佐治が再び、椅子に深く腰掛ける。彼はしばらく目を閉じていたが、やがてゆっくり目を開けた。
「お嬢さんとこのアパートに住ませてもらえて、本当によかった。人生の最後に、いい思いをさせてもらいました。お嬢さん、本当にありがとう。あの世に行ったら、大家さん…お嬢さんの親父さんにも、よくお礼を伝えておかないといけませんね」
「あの世に行ったらなんて、縁起でもないことを。マージャン仲間さんたちも待っておられるんですから、元気に戻ってきてくださいよ。その時に空室があったら、またうちに住んでくださればいいですから」
 憲二郎がいたら、またヤイヤイ言われるところだ。一人で来てよかった。
「本当にありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか。皆さんにもよろしくお伝えください」
 伊佐治は、何度も何度も頭を下げた。
「もう、やめてくださいよ、伊佐治さん。とにかく、健康には注意してくださいね」
 時間はまだ余っていたが、これ以上話すこともなさそうだ。その空気を察したのか、伊佐治がゆっくり立ち上がる。それに合わせて、後ろに座っていた警察官も立ち上がった。
 面会室を出ようとした時、彼は何か思いついたように振り返った。
「お嬢さん、『銀二貫』を勧めてくださったの、角田さんなんですよ。その本を読んで、人の温情についてつくづく考えさせられました。その本、角田さんに渡してもらえませんか。もし受け取っていただければの話ですけど」
「わかりました。必ず」
 私は立ち上がってうなずいた。伊佐治は、その無骨な顔に穏やかな笑みを浮かべると、ドアの向こうへと消えて行った。そして、それが、私が見た伊佐治の最後の姿となった。
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