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おねえさん大家の人情派日記 ~こんなアパート、いかがでしょう?~ 作者:みづき
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第5章 A棟201号室 星本実莉さん(11)

「それなら、まったく伝染しなかったんだろうな。岩内の絵は、目も当てられないくらいひどかったから……。俺、小学校の3年と4年でも同じクラスだったんだけど」
 なぜか幸一までもが、憲二郎に加担し始める。
「図工の時間にさ、動物園にいる動物で一番好きなものを選んで描くことになったんだよ。そういう時って、普通はライオンとかパンダとか選ぶもんだろ? なのに、岩内だけ、なぜか豚の絵を描いてるんだよ。で、先生が『岩内さんは、どうして豚を選んだの?』って聞いたらさ、岩内、何て答えたと思う?」
 幸一に話を振られた憲二郎は、「さあ」と言いながら、既に半笑いを浮かべている。
「悲しそうな顔して『豚じゃありません、コアラです』だってさ」
 男3人が、大声を上げて笑い転げる。私の隣では、志穂未が申し訳なさそうに笑いをこらえていた。
 あの時の先生のあっけにとられた顔は、きっと一生忘れないだろう。それにしても、無駄に記憶力のよい同級生たちだ。苦い思い出を消せる消しゴムがあったら、ローンを組んででも買ってきてやる。
「俺、小学校の時のことなんてほとんど覚えてないんだけどさ。あれは衝撃的過ぎて、いまだに忘れられないよ。――ああ、こんなに笑ったの、何年ぶりだろう」
 幸一が目元をぬぐいながら言った。こんなことで笑顔を取り戻してもらえるなら大いに結構な話だと、自分で自分を慰める。
「で、これから先、どうされるおつもりですか? ご実家に戻られるんですか?」
 山下が、鼻をすすりながら幸一に尋ねる。
「いや、実は、そのことで岩内にお願いが……。こんだけ笑っといて、今更申し訳ないんだけど」
 幸一はそう言うと、真面目な表情になって私の方を見た。
「このアパートに住ませてくれないか。家族用の方に、志穂未と2人で」
「え? うちに?」
 驚いて聞き返す。
「ああ。志穂未が、どうしてもここに住み続けたいって言うんだよ。でも、今志穂未が住んでるところじゃ、2人で住むには手狭だし。もし家族用の方が空いてるんだったら、お願いしたいんだけど」
「お前も物好きだな。まあ、屋根も外壁もきれいになるし、今よりは大分マシになるだろうけど」
 憲二郎は、相変わらず大家に対する遠慮がない。
「で、いつから住むつもりだよ」
「そうだな。借金の方のめどがついたら、越してきたいと思ってる」
 幸一はそう言うと、志穂未の方を見た。
「志穂未には、これまで寂しい思いをさせちゃったからな」
「私なら大丈夫。だって、幸一さんがこんなに大変な立場になってしまったのは、全部私のせいなんだから」
 志穂未は小さくほほ笑むと、指先を見つめてつぶやく。
「あの時、私がきちんと断っておけば……」
「そのことは、もういいんだよ」
 幸一が遮ったが、志穂未は首を横に振って、私たちの方を見た。
「美人局みたいなことを言われてますけど、本当は違うんです」
 志穂未は何かを吹っ切ったかのように、話し始めた。
「あの日、プロデューサーから、タレントさんとスタッフさん何人かでホームパーティーを開くから、キミもおいでって言われたんです。それで、指示された時間に行ってみたら、誰も来てなくて……。私、やばいと思って帰ろうとしました。そしたら、芸能界で仕事ができなくなってもいいのかって言われて。でも、私、どうしても言いなりになれなくて、プロデューサーを押しのけて逃げ出したんです」
「志穂未から、プロデューサーの所に行ってくるっていうメールをもらって、嫌な予感がしたんだ。それで、訪ねてみたら、マンションのロビーでこいつとばったり会って……」
「それじゃあ、脅されたのは志穂未さんの方じゃないか。なんで反論しなかったんだよ」
 憲二郎が幸一に言う。
「したさ。でも、マスコミは取り上げてくれなかった。こんなちっぽけな事務所の肩を持って、大物プロデューサーのご機嫌を損ねたら大変だからな。ま、要するに、俺の力が足りなかったってことだよ」
 幸一が自嘲気味に笑った。
「いえ、すべては野添が悪いんです。あいつが、写真を売るようなことをしたから……」
 山下が唇をかむ。
 重苦しい空気を破ったのは、志穂未の声だった。
「でもね、私、このアパートに住めて、本当によかったと思ってるんですよ」
 驚いて志穂未の顔を見ると、彼女はにっこりほほ笑んだ。
「あの頃、私、誰も信じられなくなっていたんです。だって、あることないこと書き立てられて、友達だと思ってた人たちにもひどいこと言われて……。その上、一人で何も知らない場所に取り残されて、もうどうしたらいいかわからなくなっちゃって。――ある日、河原をぼうっと散歩してたら、絵を描いている大家さんに会ったんです。それでお話をするようになって。お仕事も世話していただいて」
 懐かしそうな目で天井を見上げながら、志穂未は話を続ける。
「お休みの日には、サンドイッチを作って、河原で一緒に食べたりして。本当に楽しかった。そしたら、ある日、私の似顔絵を描いてくださったんです」
 志穂未はそう言うと、ひざに置いていたバッグから、B5版くらいの大きさの白い手帳を取り出した。挟んであったハガキ大のカードを抜き取り、私に見せる。そこには、水彩画で描かれた志穂未の笑顔があった。
「人物画を描くのは3人目だっておっしゃってました。奥さんとお嬢さんと、そして私だって」
 母と私が描かれたキャンバスを思いうかべながら、私はうなずいた。志穂未は続ける。
「私、父親がいないので、本当のお父さんのような気がしちゃって。だから、亡くなられたって聞いた時には、本当に一人ぼっちになっちゃったって、ただただ悲しくて……」
 父のことを慕ってくれる人がここにもいた。そう思うと、嬉しさがこみ上げる。
「父もきっと、あなたのことを娘のように感じていたんだと思います。それなら、私にとっても、あなたは妹ですね。幸一君も戻ってきたんだし、もう一人ぼっちじゃないから」
「ありがとうございます」
 志穂未の目に涙が浮かぶ。
「まあ、姉妹にしては、姉さんの方がブサイク過ぎてツライとこだけどな」
 憲二郎の余計な一言で、せっかくの感動のシーンがぶち壊しだ。目を三角にしてヤツを見ると、いつものごとくヘラヘラと笑っていた。
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