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おねえさん大家の人情派日記 ~こんなアパート、いかがでしょう?~ 作者:みづき
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第5章 A棟201号室 星本実莉さん(7)

「先日、201号室を訪ねた時、彼女、僕を見て驚いたような顔をしたんです。僕は兄とよく似ていますし、苗字も吉田ですし、それでびっくりしたのかも」
 たしかに「吉田さん?」と聞き返していた覚えがある。
「それで、山下さんは、どうしてここに志穂未さんが住まれていることがわかったんですか?」
 私が尋ねると、彼はこちらに視線を移した。
「本当に偶然だったんです。半年くらい前、砂橋駅の近くで仕事をしてましてね。そしたら、目の前を彼女が通ったんです。変装していましたし、周りの人は誰も気づいていませんでしたけど、僕にはすぐわかりました。――探偵の勘とでも言うしかないんですけど」
 そして、自嘲気味にほほ笑むと続けた。
「野添のせいで大変なことになってから、姿を消してしまったでしょう? ずっと気になっていたもので……。気が付いたら、僕は彼女の後をつけていました。そして、ここで一人暮らしをしていることを突き止めたんです」
 山下は立ち上がり、窓ごしにアパートの方を見つめた。
「こんな偶然に彼女に出会えるなんて、僕は神様が償いの機会を与えてくれたんだと思いました。何ができるかわからないけど、近くにいてそっと見守ろうって。そしたら、おあつらえ向きに、空き事務所が敷地内にあることがわかりました」
「だから、こんな家賃が安いことくらいしか取り柄のないボロボロの事務所にこだわってたんですね。ようやく納得できましたよ」
 憲二郎がうなずく。せめて大家が目の前にいる時くらい、言葉を選んでくれても罰は当たらないと思うのだが。
「それで、兄が訪ねてくるようなことは……」
 直人の言葉に山下はため息をつくと、席に戻った。
「ありませんね。もちろん、24時間見張っているわけではありませんし、彼女の職場の方に来ていることも考えられますけどね」
「職場って、彼女、勤めてるんですか?」
 職業欄は空欄になっていたはずだ。憲二郎が尋ねると、山下はうなずいた。
「ええ。ここから自転車で5分ほどのところですよ。たしか、砂橋コットンだったかな。布地を扱っている会社だと思います」
「砂橋コットン? それ、うちの実家の子会社です」
 社長は、父の腹心の部下で大親友でもあった仲畑吾一なかはたごいちが務めている。私が父の跡を継いで大家をしていることを知り、一度訪ねてきてくれたことがあった。
「そうか。じゃあ、お前の親父さんの口利きで勤め始めたのかもしれないな。普通、偽名で仕事をするのって難しいだろうし」
「そうよね」
 私がうなずくと、再び山下が話し始めた。
「それから、たまに彼女を訪れてくる男性もいるんですが、幸一さんではないと思います。玄関先だけで、部屋の中に入ることもありませんし。気になって後をつけたら、ハウス高木という不動産屋に入っていきました」
「ハウス高木?」
 憲二郎が首を傾げる。
「東城駅の前にある店だな。なんでハウス高木の人間が、彼女を尋ねてくるんだ?」
「東城駅って、ここから4つ先の駅よね? 何の関係があるのかしら」
 不思議に思ってつぶやくと、山下が口を挟んだ。
「志穂未さんは東北の生まれですからねえ。昔からの知り合いって可能性は低そうですね」
「実は、兄の通っていた高校が、東城駅から歩いてすぐの所にあるんです。そのことと、何か関係があるかもしれませんね」
 直人が腕を組む。
「高校の近く……あっ、そうか」
 憲二郎が私の方を見た。
「なあ、岩内。星本さんの契約書、持ってきてくれないか? 店に帰ればコピーがあるんだけど、お前んとこにある原本を見た方が早いだろ?」
「いいけど、どうして?」
「契約書を見れば、どこが仲介したかわかるだろ? もしかしたら、それがハウス高木なんじゃないかと思ってな。幸一の高校の近くにその店があったとしたら、印象に残っててそこを選んだって可能性もある。実際、そういうことで店を選ぶ客もいるんだぜ」
「でも、通り道にあったってだけでは、信頼できるお店かどうかわからないですよね。いくら変装していても、見破られる可能性もある。今回は特に噂が立つと困るわけですから、絶対に口が固いお店を選ばないと」
 山下の言葉に、沈黙が流れる。
「とりあえず、契約書を取ってくるわ」
 私は立ち上がると、小走りに探偵事務所を出た。階段を半分ほど上がったところで、背後からバイクが停まる音が聞こえてくる。立ち止まって振り返ると、郵便局の配達員の姿が見えた。彼は、A棟の階段を駆け上がり、201号室の前で止まった。
 私は息をひそめて、その様子をそっと伺った。のぞき見しているようで気が咎めたが、星本が志穂未だと知ってしまった今、どうしても気になってしまう。
 配達員がインターホンを押すと、中から黒縁メガネの女性が現れた。手渡されたのは、現金書留のようだ。ハンコを押す様子が見える。
「仕送りか何かかしら」
 志穂未の生まれは東北だと言っていた。実家からこっそり送ってもらっているのかもしれない。
 201のドアが閉まるのを確認し、私は再び階段を上がり始めた。
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