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おねえさん大家の人情派日記 ~こんなアパート、いかがでしょう?~ 作者:みづき
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第4章 B棟101号室 高田育代さん(11)

 それは、山下から録音機を仕掛けるという話を聞いた翌日のことだった。只野の住むアパートに近い喫茶店。仕事帰りなら会えるということだったので、こちらから出向いたのだ。
 只野は、不安そうな顔で店内に入ってきた。手招きして向かいの席を勧める。
「岩内さん、ご無沙汰してます。会社の人に聞かれたら困る話って、何ですか?」
 彼女はそう言うと、バッグを隣の椅子に置いて腰かけた。注文したコーヒーが届くのを待って、早速、本題に入る。
「椎野課長とは、どういう関係なの?」
 コーヒーにミルクを入れようとしていた只野の手が止まった。
「あなたがね、課長と2人で歩いているのを見たっていう人がいるのよ、池野端を」
 すると、彼女は黙ったままミルクをコーヒーに垂らし、空になった容器をテーブルに置いてこちらを見た。
「そうですか。気を付けるようにしてたんですけど、見られてたんですね」
 只野は、コーヒーを一口飲んで続けた。
「でも、岩内さんには関係のないことですよね? もう退職されてるわけですし」
 私もコーヒーをすすると、彼女の顔を見た。
「実は、私の幼馴染が課長の奥さんと知り合いでね。私が以前、椎野課長の部下だったって知って、相談されたのよ。課長が今、奥さんのことをどう思っているか、探る方法はないかってね」
 本当の事情を話すわけにはいかないので、それらしい設定を伝えてみる。
「それで、『愛人』の私から情報を得ようってわけですか」
 只野は、暗い顔をして黙り込んだ。気まずい沈黙が続く。
「実は、私も知りたいんです。奥さんとの関係がどうなっているのか、私のことをどう思っているのか。でも、聞き出す勇気がなくて」
 ようやく只野が口を開いた。
「勇気?」
 よく意味がわからず聞き返す。
「だって、『奥さんのことは愛してるけど、お前のことは何とも思ってない』なんて言われたら、ショックじゃないですか」
「何とも思ってないって……。付き合う時に、何か、その、想いとかお互いに伝えたりするものなんじゃないの?」
 混乱して尋ねる私に向かい、只野は自嘲気味に笑った。
「私たち、打算で始まった関係ですから」
「打算?」
「誰にも言わないでもらえます?」
 只野はそう言うと、真面目な表情になり続けた。
「1年くらい前かな。私、会社のお金を横領したんです。で、そのことが課長にバレちゃって。ヤミ金から借りたお金が膨らんで、どうしようもなかったもんだから」
 横領? ヤミ金? 予想だにしない告白に言葉を失くす。
「男に貢いじゃったんですよね。で、ヤミ金にも手を出して。お金が無くなった途端、男も逃げちゃうし、もうさんざん。――私のこと、バカだと思われますよね?」
 かつて同棲していた男にひどい目にあった私が、彼女をバカにできるわけがない。
「思わないわ。私も男に銀行通帳と印鑑を持ち逃げされたことがあるから。気づいた時には、10年以上かかってせっせと貯めたお金、ほとんど無くなってた」
「本当ですか? 岩内さん、いつもクールだし、そういう間違いはしないと思ってました」
 私がクール? ただ言い返せない気弱な性格ってだけの話だと思うんだけど……。
 私の困惑をよそに、只野はホッとしたようにほほ笑んで続けた。
「会社にヤミ金から督促が入るようになったんです。それで、課長に問い詰められて、仕方なく事情を話して……。そしたら、横領が会社にばれないように処理してくれて、借金問題を片付けるために弁護士さんも紹介してくれて。やっと泥沼からはい出ることができたんです」
「あの椎野課長が?」
 信じられない思いで確認する。
「ええ。その代わり、さんざん食事に誘われて。断るわけにいかないじゃないですか。横領のこと、会社にばらされたら大変だし」
「それで、そういう関係に?」
 奥さんとの結婚のきっかけも、借金の肩代わりだったはずだ。お金絡みでしか女性と付き合うことができないのだろうか。言いしれない憤りを感じる。
「そうです。でも、そのうちに、私の方が課長を好きになっちゃって」
「え?」
 思いがけない展開だ。手にしたカップを落としそうになる。
「何だか、課長って、弱くて哀しい人なんじゃないかなって思うようになって」
「弱くて哀しい人?」
 聞き返す私にほほ笑むと、彼女は背筋を伸ばしてこちらの方を見た。
「奥さん、別れたいと思っていらっしゃるんですよね? 私も別れてほしいと思ってます。協力してってお話なら、私、協力しますよ、何でも」
 只野の目は真剣だった。私はコーヒーカップをソーサーに戻すと、彼女の目をまっすぐ見つめ返した。
「今度、課長の自宅に行くことがあったら、そこで奥さんとお子さんのこと、どう思ってるのか聞いてほしいの。別れたら親権をどうするのかとか。それと、奥さんの居場所がわかってるのかってことも」
「――『課長の自宅』で聞いたらいいんですね? わかりました」

 私の意図するところを、只野は理解したのだろう。山下があの「出来過ぎた」録音データを入手したのは、その数日後のことだった。
 只野から届いたはがきに視線を戻す。そこには、自分はやはり課長のことが好きだということ、離婚のほとぼりが冷めたら結婚したいと思っていることなどが綴られていた。そして、「岩内さんから、背中を押していただいた気がします。どうもありがとうございました。お元気で」という言葉で閉められていた。
 にぎやかな声が聞こえて、顔を上げる。レースのカーテン越しに、子供たちが遊んでいる姿が見えた。中には大樹の笑顔もある。その時、スマホが鳴り出した。
「今日はよく電話のかかる日だわ」
 モニターには憲二郎の名前が出ている。
「もしもし」
「おう、俺だ。さっき音山さんから連絡があってな。高田さん、無事に離婚が成立したらしい」
「私も高田さんから聞いたわ。よかったわね」
「ああ。ほんとにな」
 憲二郎は、せきばらいをして続けた。
「音山さんによると、高田さん、これから仕事を探すつもりらしいぞ。収入によっては、生活保護が切られるかもしれないそうだ。家賃の減額をお願いするかもってさ」
 いつまでも、生活保護に頼るわけにはいかないだろう。自立のお手伝いができれば、それはそれでよいことだ。
「もちろん、その時には相談してって伝えて」
「そう言うと思って、いつでも相談してくれって答えといてやったぞ」
 憲二郎がぶっきらぼうに言う。
「あら、私のこと、大分わかってきたんじゃない?」
 おどけた調子でそう言うと、鼻息ともため息ともわからない音がして、電話が切れた。
 気づくと子供たちの輪が解けていた。それぞれ帰宅の途についたようだ。大樹が駐輪場の横を抜けて、B棟に走っていく姿が見えた。
「ただいまー!」
 という元気な声が、アパート中に響く。
「これでよかったんだよね」
 口に出すと、もやもやした思いが吹っ切れた気がした。
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