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おねえさん大家の人情派日記 ~こんなアパート、いかがでしょう?~ 作者:みづき
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序章 メゾン・ド・アマン (2)

 十二指腸潰瘍で通院中の総合病院に行き、耳鼻科をすすめられて受診した。どうやら、私はメニエールにかかってしまったらしい。
 私から仕事の内容を聞いた医師は「ちょっと休まないと無理だね」とあっさり言ってくれる。
「実は、私、先月、十二指腸潰瘍で1週間ほど休んでまして、今月に入ってようやく復帰したところなんです。これ以上休むわけには……」
「でも、電話で話を聞かなくちゃいけないんでしょう? 低い音がほとんど聞こえていない状況なのに、仕事は難しいんじゃないの? めまいもしばらくは止まらないと思うよ」
 低い音が聞こえていない……。道理で、あの男性からの苦情が聞こえにくかったわけだ。聞き返すと激高するクレーマーもいる。しばらく休むしかなさそうだ。椎野課長から何を言われるか、考えるだけで憂鬱になる。
 大きくため息を吐いた私の顔を見て、医師が気の毒そうに言う。
「十二指腸潰瘍にメニエールか。ストレスが相当たまってるんじゃないのかな。ストレス源を取り除かないと、他の病気も出てくるかもしれないよ」
 ストレス源である課長を辞めさせることは、もちろん無理だ。となると、私が仕事を辞めるしかないだろう。でも、私には生活がある。働かなくちゃ食べて行かれないのだ。八方ふさがり。
 私は、再びため息を吐いた。

「今度は10日間も休むのか? メニエール? 次から次へと、なんでそう病気になるんだよ。正社員の君がそんなに休んだら、契約社員の子たちに示しがつかないだろう」
 椎野課長が、医師の診断書を見ながら、イライラとこちらを見る。
「もういっそのこと、仕事辞めたら? 35歳って年も年なんだし、婚活でもして、面倒見てくれる男をつかまえろよ」
「申し訳ありません」
 襲い来るめまいや吐き気と闘いながら、私は頭を下げた。課長の声は、男性の割には甲高い。こういう声こそ聞こえないでほしいところだが、ばっちり聞こえてしまうのが悲しい限りだ。
 できることなら、私だって寿退社したい。実際、同棲していた男もいたことはいた。私より3歳年下の自称実業家。しかし、10カ月前、私の預金通帳と印鑑と共に、どこかに消えてしまった。1年近く付き合っていて、そんなことをする男だとは全く思わなかった。私の利用している銀行では、代理人届がなければ、一日に100万円までしか引き出せないことになっている。その日のうちに気づけばよかったのだが、彼は、私が3泊4日で温泉旅行に行っている間に姿を消したのだ。気づいて銀行に紛失届を出した時には、一日100万円ずつ、きっかり400万円が引き出された後だった。残高は約50万円。十数年間、頑張って働いて貯めたお金が、一瞬にして消えて無くなった。銀行に盗難補償を求めたが、その銀行では同居人による引き出しは補償の対象外とされており、1円も戻ってこなかった。一応、警察にも被害届は出した。しかし、同情はしてくれたものの、とても本気で捜査しているとは思えないまま、今に至っている。
 私は社員のデスクに出向き、八重子に紙袋を渡した。中には女の子達に人気のあるお菓子が入っている。昨日、病院帰りに店舗に立ち寄って購入したものだ。
「これ、みんなで分けて食べて。迷惑かけちゃってごめんなさい」
 八重子をはじめ、他の社員にも頭を下げる。顔をあげた途端、またひどいめまいに襲われ、思わずデスクをつかんだ。
「いいから、ゆっくり休んで。課長の言うことなんか気にしなくていいから」
 私の背中に手をまわしながら、八重子が小声で言う。
「ありがと」
 私も小声で返した。
「おい、只野ただの君、人事部に病気休暇の書類出しといてくれ。あーあ、全く、病弱な社員がいると迷惑だよなあ」
 事務担当の契約社員に伝える課長の声が、背後から聞こえる。10日後にはまたここに戻ってこなくちゃいけないのか。憂鬱な気持ちに拍車がかかった。
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