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おねえさん大家の人情派日記 ~こんなアパート、いかがでしょう?~ 作者:みづき
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第1章 A棟103号室 角田昭光さん(8)

「そういやあ、大家さん、ここが唯一の居場所だって言ってたな。隠居はつらいとか何とか。色々あるんだろうと思って、詳しい事情は聞かなかったけどさ」
 ふと、気の強そうな兄嫁の顔が頭をよぎる。長兄一家と同居する家に、父の居場所はなかったのだろうか。何だか胸が痛む。すると、角田は言いにくそうに言葉をつなげた。
「その……きちんと看取ってもらえたのかい? 大家さんは」
「ええ。家族みんなで看取りました。父のことを気にかけていただいて、ありがとうございます」
 涙をこらえながら、頭を下げる。すると、角田は照れくさそうに笑った。
「いや、それならよかった。余計なこと聞いちまってごめんよ」
 そして、まじまじと私の顔を見つめてきた。
「お嬢さん、大家さんと雰囲気がよく似てるねえ。大家さん、息子達はどうしようもないけど、娘は自分に似て優しいんだって、いつも自慢してたから。うん、何となく、わかる気がするなあ」
 父が? 私は義理の娘なのに、そんなことを? 思いがけない言葉に声を失う。角田はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、話を続けた。
「俺はお嬢さんの子供の頃の顔しか知らなかったけど、娘さんだってすぐにわかったよ。あんまり変わってなかったからね」
「私の子供の頃の顔、ですか? 父は写真か何か持っていたんですか?」
 驚いて聞き返す。すると、角田は首を横に振った。
「油絵だよ。お嬢さんとお嬢さんのお袋さんが描かれた、結構大きい絵だったなあ。大家さん、ベッドの横に飾って、時々眺めてるって言ってたよ。今日あったこととか、色々話しかけながら寝るのがいいんだってさ」
 ベッドの横に飾って、眺めながら寝る?
 思い当たることがあり、思わず立ち上がる。
「ちょっと失礼します」
 私は鍵束をつかむと、アトリエを出て外階段を駆け上がった。鍵を開けるのも、もどかしい。ようやくドアを開け、中に飛び込む。ブレーカーを上げて電気をつけると、私は和室に行って押入れを開けた。下の段には、白い布をかけられた四角いものが置かれている。私は手を伸ばして、それを引きずり出した。陰にいたゴキブリが、慌てたようにどこかに身を隠す。
 蜘蛛の巣がついた白い布をはがして、中を見た。油絵の描かれたキャンバス。そこには、子供の頃の私と、その私を膝の上に乗せ、愛しそうにそっと頬を寄せる母の姿があった。
「お父さん……」
 その絵を見た途端、子供の頃の記憶がよみがえる。母が父と再婚してすぐの頃、父からモデルになってくれと頼まれた。椅子に座った母の膝の上に私が腰かけ、父がその様子を描いていく。母に思い切り甘えながら、そして、そんな私を見つめる父の温かいまなざしを感じながら、いつまでもこの時間が続くといいなと、子供心に思った。この絵はまさしく、その時の私達3人の、幸せな空間を描いたものだった。
 私は押入れからイーゼルを取り出すと、それを組み立ててカーペットの上に置いた。足の先が、カーペットにできた3点のくぼみにピタリとはまる。そこにキャンバスを立てかける。ベッドに座ってその絵を見ると、なぜだか涙があふれ出てきた。
 父はどんな想いでこの絵を眺めていたんだろう。一人ぼっちで、絵の中の私達に何を語りかけて、一体どんな気持ちで……。
 父は、家を出た私のことをずっと気にかけてくれていたんだろう。でも、会いたいとは一度も言ってこなかった。私の方からも、会いたいと伝えたことはなかった。こんなことなら、もっと一緒にいてあげればよかった。悔む気持ちが、次から次へとわきあがる。
 その時、再び駒田弁護士の言葉が脳裏によみがえった。――「あのアトリエとアパートを、あなたに引き継いでいただいて、本当によかったと思っています」。
 則之から調査を命ぜられてこの場所に来た駒田弁護士は、おそらくこの絵を見たのだろう。そして、父にとって、この場所が持つ意味を知った。だから、私にここを継がせたかった……。絵を売らずに残してくれたのも、処分するものがなかったと則之に報告し、この土地と家を私に譲るように仕向けたのも、きっと彼だ。
「わかったわ、お父さん」
 私の心は決まった。
 父が大切な時を過ごしたこの場所を引き継ごう。父がここに残した想いを守り抜こう。私は大家として、この場所で角田をはじめとする店子さん達と共に生きて行こう。
「それでいいんだよね?」
 話しかける私に、絵の中の母が優しくほほ笑んだ。
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