第一話 遇
霧のように細かい雨が音も無く降り続けている。
外に出ようと思ったのは気まぐれだったのか。それとも何か見えない力が働いたのか。
当の本人さえもわからない。
金髪碧眼、背が高く、見目麗しい青年が町の外れを歩いている。他に見える人影はない。彼は雨に濡れてまとわりつく服を気にする様子もなく、一身に雨を受けている。雨宿りをする様子もみられない。
向かった先は町外れに流れる川。上流も雨が降っているのだろう。水がいつもより濁り、水嵩も少しばかり多いようだ。
青年は堤防に登り川を眺めていた。
突然、す、と目が細められる。心なしか表情が引き締まったように見える。
彼が見据える先、残り少ない水際には焔のような赤が見えた。
近付けば人がうつ伏せに倒れているのだとわかった。
それも、子供である。
膝上にまで迫る水に、かろうじて上体で引っ掛かって流されるのをまぬがれている。
焔のような赤は、この子供の髪の色であった。
また、右肩から左の脇にかけて大きく傷がある。衣服の切れ方と傷の形から、刃物で切られたものだと見てとれる。命に別状はないが、それなりに深い傷だということも。そこからはまだ血が流れだしていた。
とりあえず青年は、脈を調べようと子供の首にそっと手を伸ばした。
パシン、と渇いた音が耳に届く。青年の手が子供の首に届く前に、子供がその手を叩いたのだ。
青年は、軽く眉をひそめて叩かれた右手を体の後ろに引っ込めた。
ゆっくりと起き上がる子供。
背中の大きな傷だけでなく、小さな傷が無数にある。その傷を気にした様子もなく濡れて張り付く髪を片手でかきあげると、青とも緑ともつかぬ瞳が青年を睨みつけていた。
「お前、一般人じゃないだろ」
耳に馴染む、高くも低くもないアルト。
対して青年は飄々とした態度。
「油断しているときにこんなものを使って叩かれれば、一般人ではなくてもひとたまりもないだろうよ。しかし、さすがに毒は塗っていなかったようだな」
言いながら、先ほど体の後ろにやった右手を子供に差し出して掌に乗っていたものをぽろりと落とした。
子供は傷がないその手に目をみはった。
完全に不意をついたはずであった。小さな武器での攻撃。
武器の名は、ビードルという。画鋲のような形状で、刺すと針状の部分が相手の体に残る。通常は毒を塗って使うものだ。
青年はビードルを避けつつ針を抜き、かつ攻撃を受けた。そうすることで子供がビードルでの攻撃も有効であったと錯覚したのだ。
どれだけの実力者だろう。
青年の手から落ちた針状のものは、石に当たり小さな音をたてた。
「…それにしても物騒だな。面倒なことに、この町の平和を守るポリスとしては事情を聞かなければいけない。ああ、折角抜け出してきたところだったんだが、仕方ないな」
心底残念そうに言うと、青年は一回大きく溜め息をついた。その次の瞬間には飄々とした態度は消えうせ、ポリスらしい真剣な空気を纏う。
子供は、青年がポリスであると一応信じてみるようだ。警戒を少しだけといた。
「名前は?」
青年が質問する。
「水月。……あんたは?」
子供、水月は青年を探るように見つめた。青年も水月を見つめ、やがて諦めたように言った。
「……佚滋だ。聞いたことくらいはあるだろう?」
水月は声こそ出さなかったが、口の動きだけで
「マジかよ」
と言い、半歩下がった。
途端に片足は川に浸り、水の流れに押され、ふらつく。さらに、長いこと血を流したため、立ちくらみがおこっているようだ。そろそろ体も限界だろう。
「とりあえず、本部に行こうか? 私が責任を持って歓迎しよう」
佚滋が言い終わるのと同時に、水月は一度意識を手放した。
「先輩っ!雨だっていうのにまた傘もささずにどこいって……」
傘を持った青年は佚滋を見つけると駆け寄ってきた。
恨み言を続けようとしたが、佚滋が背中に傷がある子供を担いでいるのに気が付き言葉を留めた。
「ポリス権限を使って、さっそく誘拐ですか」
諦めたように言う青年。
「冗談はやめておけよ、雨月」
「こっちの台詞ですよ。全く。あなたが仕事をサボってくれたおかげで大変だったんですから。このツケは今度払ってもらいますからね」
雨月と呼ばれた青年は、悪気なさそうな佚滋を改めて見て、大きく溜め息をついた。
「……ほんとにもう、厄介事に手を突っ込むの好きなんですから」
「不可抗力だ」
話しながら向かった先は、ポリス本部の医務室。
水月をベッドにおろす。白いシーツが汚れてしまうのが少々もったいなく感じるが。
「先輩はシャワー浴びて着替えてきてください。子どもの傷の消毒はしておきます」
「いや、先にこいつを起こしてから行こう。下手したら怪我しかねないからな」
「どういう意味だ?それは」
気を失っていたはずの水月が目を覚ましていた。
「あまりに強烈な出会いだったからな。」
にやり、と意味ありげに笑う佚滋。
ビードルでの攻撃を意味していることは言わずとも伝わる。
「あれは拾い物だ。一個しか持ってなかった。ってか、あんたは俺が起きてるのに気付いてたんだろ?わざわざ起こすふりをする必要は、ないだろ」
断定するように言う。
佚滋は雨月をチラ見してから、言った。
「本当に厄介事の類なのか、確認しておきたくてな。因みに私の勘は違うといっている」
「厄介事? 例えば?」
視線が集まった場所は、佚滋、ではなくて雨月。
「なっ……なんですかぁ!?」
傍観していたところで、名前も知らない子供から話を振られるとは思っていなかったらしい。ついつい子供に敬語で問う雨月。
「や、だって医務室に来る前に厄介事発言してただろ? 俺、人の気配には結構敏感だから起きちゃったんだよね。だから、会話は最初っから聞こえてた。OKデスか? 雨月サン」
にやりと笑う水月から佚滋と似たモノを見出して、雨月は頭をかかえた。
「あ、ちなみに俺水月。あんたにとっては厄介事かも知らんけど、組織に追われてるわけじゃあないから、ポリスの責任問題にはならねーって!ってことでよろしく」
「水月、お前元気だな」
半ばあきれたように、佚滋が呟いた。視線をベッドに座る水月に移す。水月がちょうど、雨月のほうを向いていたため、佚滋の視界に背中の傷が入ってきた。その傷に、彼は違和感を感じた。
「おい……傷が、だいぶ塞がってないか?」
はじめに見たときは肩から脇にかけての多少深めの傷であったはずだ。対して現在みえるのは、背中を斜めに走る浅めの傷。いくら一部の細胞分裂を意識的に促進できるような器用な人間だったとしても、このスピードはありえない。
水月はなんでもないかのように言う。
「もともと俺の一族は自然治癒力が高いし、さっき強制的に意識飛んだとき、体が持ちうる全部の力を使って治癒に専念してたんだよ。だから消毒はいらない。……これで治らなかったってことは、そうとう深い傷だったんだな」
やっぱり雨を降らせておいて正解だったかな、と意味のわからないことを呟いている。
「雨を、ふらせる……?」
雨月と佚滋が同時に言う。が、少しニュアンスが違うようだ。雨月は怪訝そうな表情、佚滋は何かに思い当たる節があるようだ。
そんな二人を知ってか知らずか、水月が言う。
「俺って使えるから、ポリスで保護しててくんねえ? 俺の一族の大半は中立だ。仕事……出来ると思うぞ?」
「私の権限で、良いと言えば良いんだが……その前に一族とやらを詳しく聞きたいな。体も冷えてきたし、とりあえずは着替えよう。服は貸すぞ」
「りょーかい」
ポリスの頭である佚滋がみせる表情に、雨月は絶対の信頼を寄せている。……他の何かを企んでいるときの表情には、警戒するけれど。
今回も、先輩(佚滋)は何か裏を知っているようだ。とりあえずは『一族』の話を聞いてみよう。
雨月はそう思いつつ、先に医務室から出ていった二人を追った。 |