うんこに関するいくつかの考察
(前書きの注意)
今回の考察にはお下品な言葉が何度か使われています。お下品な言葉が苦手な方は、今回の考察を読むのはお控えください。読んで不快感を感じられたり、このエッセイを読んでいるところを学校、会社、近所の方々に見られて変なあだ名を付けられたとしても、僕は責任を負えません。
『うんこ』。皆さんは『うんこ』をご存知でしょうか。
そうです。あの『うんこ』です。もし、『うんこ』で分からない方は『うんち』の事だと思って頂けたら結構です。
多分知らない人はいないんじゃないんですかね。多分僕が思うに、『うんこ』の知名度は『おしっこ』に匹敵するぐらいだと思いますけどね。いやぁ『うんこ』の知名度、僕も見習いたいものです。
ところで、『うんこ』と聞いて、皆さんはどういったフォルムを想像したのでしょうか。やはり、あの『ぐるぐる』を想像したのではないでしょうか。
そうですよね。『うんこ』といえば、やっぱり『ぐるぐる』ですよね。『ビール』といえば『枝豆』、『お歳暮』といえば『ハム』、『真浦塚』といえば『真也』というように、『うんこ』といえば『ぐるぐる』ですよね。あの『ぐるぐる』を見て、あれをうんこだと答えずに、『あれは人間の混沌と無情を表しているのだ。』とか言ってしまう、斜に構えた芸術家気取りがいたとしたら、僕はそんな方とは友達になれません。『ぐるぐる』は『うんこ』以外の何物でもなく、正真正銘『うんこ』なのです。
でも皆さん、ここである疑問にぶち当たりはしないでしょうか。
何故人はあの『ぐるぐる』を見て、あれを『うんこ』だと即答できるのか、と。
また真浦塚真也が意味の分からない事を書き出したと思うかもしれません。いや、そんなに真浦塚真也の書いていることを気にしたことがないと思うかもしれません。いや、そもそも真浦塚真也に全く興味がないと思うかもしれません。ですが皆さん、よく考えてみてください。
何故人はあの『ぐるぐる』から『うんこ』を想像出来るのでしょうか。昔から『ぐるぐる』=『うんこ』なのだと言われてしまえばそれまでなのですが、だとしたら何故昔から『ぐるぐる』=『うんこ』なのでしょうか。
だって考えてみてください。皆さんは今まで生きてきて、あのような『ぐるぐる』の『うんこ』を見たこと・したことがあるでしょうか。いや、ないはずです。僕もないです。もし見た・したことがあるという方がいたとしても、それは意図的に作りあげたもので、いわば『ナチュラルボーンぐるぐるうんこ』ではないはずです。
そうなのです。ほとんどの人は現実社会で『ぐるぐる』の『うんこ』を見たことはないのです。それなのに、『ぐるぐる』=『うんこ』なのです。これは謎です。これはミステリーです、いやこれぞミステリーです。 そこで、僕はこのミステリーを解決すべく、ベッドの上で三日三晩考え続けました。こんなに『うんこ』に真摯に向き合ったのは人生で初めてでした。まぁ、人生で初めてで、尚且つ人生で最後でしょうけど。
そして、ついに僕はある答えを導き出したのです。いやぁ、導き出した瞬間のあの気持ち良さといったら。強いて例えをだすとしたら、長年の便秘が解消したあの瞬間のようなものでしょうか。その革新的答えはこれです。
昔の人は、実際に『ぐるぐるうんこ』を排泄していた。
いやぁ単純、単純にして明快、略して単純明快。
そうです。昔の人は『ぐるぐる』を日常的に排泄していたのです。だからあの『ぐるぐる』を見たら、自然と『うんこ』を連想できるのです。
だってそうでしょう。人は見たこと、経験したことがあるからこそ、想像できるのです。天狗だって、河童だって、ツチノコだって、キスの味がレモンなことだって、はたまた会いたくて会いたくて震えることだって、実際に見たこと、経験がある人がいるからこそ、あんなに明確に想像できるのです。つまり、あの立派な『ぐるぐる』のフォルムだって、世界中で大勢の方が経験したことがあるからこそこんなに世界全体に知れ渡っているのです。じゃなきゃ、『うんこ』の形が『ぐるぐる』なんておかしいですよ。だって普通なら『ぐるぐる』じゃなくて『エクレアの出来損ない』のはずですから。
それでは、ここからは『昔の人はどうやってうんこをぐるぐるで排泄できたのか』を考えていきたいと思います。
『ぐるぐる』の『うんこ』を形成するためには、量、質、保存状態という三点が重要になってくると考えられます。まず量に関してですが、仮に『ぐるぐる』の状態を3周、つまり『3ぐるぐる』だとします。そうした場合、その『3ぐるぐる』の『うんこ』を形成するためにはどれくらいの量が必要か。少なくとも3、4日分の『うんこ』が必要ではないでしょうか。ということは、『ぐるぐる』の『うんこ』を排泄するということは、3、4日分の『うんこ』を腸にとどめておく必要があるということです。なんという苦痛でしょう。そこまでして『ぐるぐる』を形成しようとするなんて。『便意』という人間が持っている本能を無視しての自己啓発的な苦行、まったくご先祖の皆様には頭が下がります。もしかしたら、『ぐるぐる』の『うんこ』を排泄するというのは、拷問の一つだったのかもしれませんね。『マグネティウス様。どうか、どうか排泄をお許しください。』、『ええぃ、ならぬ。これは貴様への処罰なのじゃ。まだ二日目ではないか。あと二日我慢するのじゃ。もし我慢できずに排泄などしようものなら、貴様の妻エレーヌを打ち首にいたすぞ。』みたいに。ひいぃ、怖すぎます。まぁ、現実的に考えれば排泄しなかったのではなく排泄できなかった、つまり極度の便秘症だったと考える方が妥当かもしれません。なんにせよ、昔の人が体内に3、4日分の『うんこ』を溜めていた、これだけは間違いありません。
次に質ですが、これも重要です。『ぐるぐる』の『うんこ』を作るためには、ただ量があればいいってものではないのです。曲線を描くための適度な柔軟性、『3ぐるぐる』を維持できる耐久性等、いろいろな厳しい条件をクリアしてはじめて形成されるものなのです。しかもその『うんこ』は古いもので4日以上前のもの、つまりかなりの高質でなければいけません。それを昔の人はやってのけているのです。いやはや、もうご先祖さまには頭が下がりっぱなしです。もうご先祖様には足を向けて寝れませんよ。
そして最後になりますが、保存状態、これも意外と重要です。『ぐるぐる』の『うんこ』をしたところで、それを皆が認識しないことには『ぐるぐる』=『うんこ』の図式は考えられません。『俺、うんこするといつもぐるぐるなんだよね。』、『えっ、意外。俺もなんだ。』、『えっ、私もそうなの。』のようなあるある話で盛り上がったことは到底考えられませんし、やはり誰かがした『ぐるぐる』の『うんこ』を他人がばっちりと見る必要があるのです。ただだからといって、『見て見て、今日のわたしのうんこ、ぐるぐるよ。』、『どれどれ。』、ガチャッ、『おお、本当にぐるぐるだ。』といったトイレでの変態行動も考えられません。やはり、ここはトイレで用を足すこととがなかった時代、つまり『野グソ』時代に発見されたという説が有効でしょう。
それでは、ここで今までの考察で導き出された仮説を一つにまとめてみましょう。まとめると以下のようになります。
世界中の多くの人々が『うんこ』のことを『ぐるぐる』と連想するのは、まだトイレがない時代の人々が実際に『ぐるぐる』の『うんこ』を排泄しており、そのフォルムのイメージが現在まで続いているからである。尚、その時代の人の『うんこ』の排泄の期間は不規則であったと考えられる。しかしながら、その『うんこ』はかなり高質なものであり、例え排泄期間が不規則であったとしても、その排泄者の健康状態はかなり良好であったと推測される。
なんということでしょうか。これだけ科学が発展し、健康に関する知識も日々改革されている現代よりも、『野グソ』をしているような大昔の人のほうが、健康であったなんて。我々、現代人も今一度生活を見直さなくてはいけない局面に立たされているのではないでしょうか。
今回は、これにて僕の考察は終了させていただきます。皆さんも、今一度自分の出したものに対して向き合ってみてはいかがでしょうか。ご静聴感謝します。
(後書きの注意)
今回の考察はあくまで真浦塚真也個人の考察であり、科学的、歴史的、理屈的根拠はまったくございません。学校、職場、井戸端会議等で議題にあげないようお願いいたします。また、食事中の方がいらっしゃいましたら、申し訳ございません。ただ、食事中に携帯電話、パソコンを見るのは行儀が悪いですよ。食事中はどうか食事に真摯に向かい合ってください。いずれ排泄する大事な要素なのですから。
御覧頂きありがとうございます。
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