一歩手前の衣類婚姻反
何度も振り返り頭を下げながら去っていく少女に対し、睦美は上げた右手を左右に揺らして軽い苦笑いを浮かべた。
やがて睦美の視界から少女がいなくなると、彼女はゆっくりと笑みを消し深くため息をつく。
同時に、どこで間違ってしまったのだろうか、と心の内で独り言ちた。
彼女は齢17にして柔道黒帯、それも初段ではなく二段の持ち主である。
その確かな実力でもって強引なナンパ行為から大人しげな少女を助け出したことは良いのだが、そんな善行を終えた睦美が抱いたのは、ただ空しいという感情のみであった。
ちなみに男は小内刈りからの体落としで一発だった。
そもそも彼女が柔道を始めたのは、僅か5歳の頃……3つ年上の優しくも頼りなげな幼馴染を護りたいがためだったのだが、ここにきて睦美はその事実を軽く後悔し始めていた。
道路を挟んで向かいの一軒家に住む幼馴染は、異形種精霊目衣形亜科ローブ属のアルブ族に分類される男性であり、端的に説明するならば、丈の長い外套に霊魂が宿ったかのような人外の生物である。
姿かたちは違えども、共働きで不在がちな両親に代わり可愛がってくれた彼を、睦美は心から好いていた。
幼い時分は確かに親愛の情であったものが、やがて身体の成長と共に恋愛感情へと変わっていく。
はっきりとそれを意識したのは、彼女が中学2年の半ば頃のことだった。
しばらくは己の感情に戸惑い、立ち位置に迷い、悶々とした毎日を送っていた彼女だったが、その内に受験期を迎え、恋に悩む余裕がなくなったことで、むしろ昔通りの自然体で彼に接することができるようになっていた。
そして、女子柔道の盛んな地元の高校に無事入学を果たし、厳しくも充実した学校生活にも慣れてきたところで、それまで持て余していた恋情と向かい合うことにした睦美。
現状、幼馴染のままで不満があるわけではないが、できれば、彼と恋仲になりたいと、であればそうなる努力をしようと考える。
けれど、そこから連鎖的に、とある逃れようのない事実に気付き、彼女は愕然とした。
うそっ……私の女子力……低すぎ……?
と。
あまり深く考えず、ひたすら強さを追い求めて長年奮励していたが、改めて本来の目的を思い出せば、衣形の男ひとりを守るための強さとしては、もう充分すぎるほどだろうと睦美は今時分になって理解したのだ。
だから、両親や幼馴染や友人やその他多くの人々に何故と問われ引き止められながらも、彼女は無言のままあっさりと部活を辞めた。
とはいえ、現在の強さを鈍らせるつもりもないので、週3日の道場通いは続けつつ、今度は彼を恋人にするための努力を重ねていくのだと思考を切り替える。
が、すぐに彼女は厚い厚い壁にぶち当たってしまった。
あまりに疎かにしすぎて、すでにどう努力すれば女性としての魅力を上げることができるのか、どう行動すれば異性としてのアプローチとなるのか、全く分からない脳筋メスゴリラの身の上となってしまっていたのだ。
ファッション雑誌を購入してみるも、そのセンスが理解できず、かといって、自らが写真に載っているような女性達をそのまま真似たところで似合うとも思えなかった。
そもそも、用語がまず理解できていない時点で、彼女にはまだ早い教本だったのだ。
シュシュレベルですら知識の海にインプットされていないのだといえば、どれだけ彼女が性別女として末期であるか分かるというものだろう。
人間の使う便利な道具を猿の前に転がしたところで、正確な使い方など把握できるわけもない。
睦美は絶望した。
部活を辞めたことで時間のできた彼女は、どこかに都合良く女子力は落ちていないものか、と現実に在り得ない妄想を脳内で繰り広げながら、街中をフラフラさまよい歩くようになる。
それはただでさえ唐突に部活を辞めた事実に合わせて、更に家族や幼馴染一家の不安を煽るような行為であったが、家にいても焦燥感で落ち着かない睦美が徘徊を止めることはなかった。
ただ、少女に絡む強引ナンパ男を撃退した今日という日に限っては、もはや興が削がれたとばかりに、彼女は常よりも早い帰路につく。
涙目で助けを求めてきた庇護欲を掻き立てる顔、怯えて儚く震える声、ちょっとした仕草の柔らかさに、可愛らしい服装、助けた彼女との女子力の違いをまざまざと見せ付けられたような気がして、睦美の心は酷く落ち込んでいた。
そうして、本日何度目かになる深いため息と共に帰宅を果たせば、リビングに見慣れた濃紺のローブが浮遊していた。
「え……なんで、ロブ兄ちゃんが……」
「おかえり、ムッちゃん。今日は早かったんだね」
驚いて固まる睦美に、昔から変わらない穏やかな声で幼馴染ロブが言う。
ちなみに、両親はいない。
2人きりである。
彼女の両親は忙しく、いつも家に帰ってくるのは世間的に夜中といわれる時間帯だ。
夜に独りきりでいる娘の面倒を見てもらう関係で、向かいの幼馴染一家には合鍵が渡されているので、彼が彼女の家にこうして上がりこんでいること自体は不思議でも何でもないのだが……。
それでも、睦美も誰もいない家に予告もなく、というのは滅多にあることではないので、彼女は分かりやすく動揺した。
「勝手に上がり込んでてゴメンね。
ムッちゃんの夕御飯を作りに来てたんだ」
「……夕御飯、私の?」
その言葉の証明のように両袖に下げていた買い物袋を持ち上げながら、衣形のロブはフードを小さく傾げる。
「部活辞めてから、ムッちゃんは全然うちに御飯を食べに来なくなったし、ムッちゃんママも娘がコンビニのお弁当ばっかり食べているみたいって言って、心配してたよ」
納得できる話ではあった。
夜に独りの睦美は、それまでずっと彼ら一家のご相伴にあずかっていた。
女子力のカケラもない今の自分の姿をあまり幼馴染に見せたくないという一方的な理由で遊びにすら行かなくなったが、柔道段持ちといえど一応仮にも年頃の女子がまともな食事ひとつしていないとあれば、彼女の親たちとしては気がかりにもなるだろう。
「あ……その……ロブくんママたちに心配させちゃったのは悪いけど……でも……」
「もちろん、僕だって心配してるからね。
だから、一緒に夕飯を食べて、それから1度きちんと話ができればなって思ったんだ。
大人たちには言いづらいこともあるだろうし」
「う……」
彼女とて乙女である。
好いた相手からのこうした心配りに、嬉しくないとはけして言わない。
ただ、避けていた本人と2人きりなどという状況は、睦美としては遠慮したい流れだった。
うっかり発情して我を失って横四方固めでもキめてしまったらどうするのだと、恋する乙女は心の内で冷や汗を流す。
ただでさえ、ずっと会うのを控えていたのだから、抑圧された感情が爆発し暴走しないとも限らない。
今、こうして対峙しているだけで前面と背面の布がくっつくほどペチャンコに抱きしめたい衝動に駆られているというのに、いったい何の拷問だ、と睦美は視線をさまよわせながら思った。
格闘技を学ぶ上で鍛えられ覚醒した年頃メスゴリラの本能は強い。
「まぁ、ムッちゃんが嫌なら、話についてはどうだっていいんだ。
ただ、母さんたちを安心させると思って、御飯だけでも食べてくれると嬉しいんだけど……」
言われて、思わず口を閉じる睦美。
そんな風に親たちを引き合いに出され、なお断るだけの心の強さを、未だ年若い彼女は持ち合わせていなかった。
かくして、ドキっ☆無自覚だらけの単身禁欲大会~ポロリもないアルよ~が開催される運びとなったのである。
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「……ご馳走様でした。あの、美味しかった、です」
「いえいえ、お粗末様でした」
少し空気の重い沈黙の夕飯タイムが終われば、熱すぎない温度のお茶が提供される。
本人は母と違い簡単なものしか作れないからなどと恐縮する様子を見せていたが、睦美の大雑把な舌には充分に美味しく感じられた。
ずいぶんと慣れた手つ……袖つきだったので、彼が普段から家事を手伝うなどしているのだろうということに彼女は初めて気が付く。
そして、柔道にかまけていることを言い訳に、当たり前のように上げ膳据え膳の立場を享受していた自分が恥ずかしくなった。
男の幼馴染相手に、睦美は女子力で完全に劣っていた。
こうして目の前に差し出された簡単なお茶の入れ方すら、彼女は知らないのだ。
台所で食器を洗う幼馴染の後ろ姿を見ながら、睦美は自身のあまりの不甲斐なさに泣き出しそうになる。
彼女の中には、ヒラヒラ揺れるセクシーな彼の裾にむしゃぶりつきたいと興奮する心もあったが、そちらは意識的に無視しているようだった。
ロブの厚めの布地は濡らせば重さで動きが鈍るし、乾くまでに時間がかかってしまうので、現在、彼は普段完全にローブ内に収まっている仮に霊体と呼ばれるソレの一部だけを薄っすらと実体化させている。
いつもは空っぽの袖から、半透明の黄色がかった人のそれに近い形の腕が伸びていた。
何らかの力を消耗するらしいので、彼らの実体化の現場はめったに見られるものではないのだが、今の睦美には、珍しいことだと浮かれる気持ちより、余計な迷惑をかけているなという憂鬱な気持ちの方が勝っている。
彼女が噂に聞いたことには、彼ら衣形は例え霊体の全身を実体化させたところで、人間と違い至極画一的なマネキン人形のような姿にしかなれないらしい。
そもそも一時的にもそういった姿を取れるようになったのは、長い時の中で人種と深く関っていく内に、いつしか2種間で子孫が残せるように……端的に言えば、生殖行為が可能なように進化していったからなのだという。
幼馴染で満足しておくべきなのだろうか、とそんな考えが睦美の脳内をよぎった。
可能性は薄いが仮に万が一もし例えば恋が実ったとして、己という存在は彼の負担にしかならないのではないかという想像が膨らむ。
気付いてしまったからにはこのまま怠惰でい続けるつもりもないが、学校での家庭科の成績を考えるに、今後ロブ以上の家事能力が身につくとは彼女には到底思えなかった。
皿洗いを終えてリビングに戻って来た彼は、ただならぬ睦美の様子にギョッと動きを止めたあと、慌てた様子で裾をはためかせながら彼女の元へと駆け……飛び寄っていく。
睦美は泣いていた。
声を出さず、ただ静かに涙をこぼしていた。
試合に負けた時や何か悔しい出来事があった時、彼女はいつもうおんうおんと男泣きしていたから、ロブは大層仰天した。
名前を呼びながら袖口で背を擦れば、瞬間、睦美は勢いよく彼のローブの内側へと潜り込んでしまう。
「ちょっちょっちょっ待っ! さすがに中はダメだよ、ムッちゃん!
前に教えたでしょう!?」
「うーーーっ」
犬のように唸る睦美。
考えての行動ではなく、本能が身体を動かした結果だった。
幼馴染の内側に閉じこもった直後、自分のやってしまったことに対して羞恥を感じる睦美だったが、それゆえにすぐに出て行くという選択肢が取れずにいる。
何とか己の前部分を開こうとするロブだが、内側からガッツリ握り込まれた布は微塵も動く気配がない。
早々に力では敵わないと悟った彼は、それもまた難しいとは知りつつも口頭での説得に切り替えた。
「ダメだってば、ムッちゃんっ!
人種の君には分からない感覚だろうけど、衣形の中に入るっていうのは例えばひとつのベッドで寝るみたいなもので、子どもの頃ならまだしも今のムッちゃんがやっていいことじゃ……」
「いいじゃん! どうせ私みたいな柔道ゴリラ、誰も女として見てなんてくれないんだから!」
言葉を遮りヤケクソのように返ってきた叫びに、ロブは己の思考がスッと醒めるのを感じた。
「…………誰かに何か言われたの?」
「言われてない!」
彼から見た睦美は、純粋で素直で他者を妬むよりも自らを高めることを選び、強きを挫き弱きを助くことを知る太陽のような少女だ。
もし、そんな彼女をこんな風に痛ましく泣かせるような心ない言葉を浴びせるような人間がいるなら、到底許せることではないと勝手にも憤ったが、ロブが描いた想像は即座に本人によって否定されてしまう。
誰に言われたわけでもなく傷ついているのだとしたら、自分で自分のことをそのように考えたのだろうと予測をつけて、そんな結論に到ったであろうキッカケを考える。
「じゃあ、女として見て欲しい誰かが出来た?」
「そっ……んな……こと……っ!」
問えば、彼の中で睦美が分かりやすく身を震わせた。
彼女は昔から嘘が下手だった。
「……だったら、ムッちゃん。尚更こんなことしてちゃあダメだよ」
先ほどまでと違い、ひたすら優しさを滲ませたトーンで睦美に語りかけるロブ。
己の知らぬ間に穢れを知らぬ少女は異性に恋をするような立派な女性になっていたらしいと、ロブは郷愁にも似た寂しさを覚えて沈黙する。
しばらくすると、赤く目を腫らしながら申し訳なさそうな顔をした睦美が、彼の中からゆっくりと姿を現した。
「ごめんなさい」
俯き加減にポツリと呟かれた謝罪の言葉に、ロブはそっと頭を撫でてやることで答えを返す。
されるがまま幼馴染の袖布の感触を堪能していた睦美は、やがて未だ潤みを含んだ瞳で衣形のフード部分を見上げ、物憂げな表情で問いかけた。
「……ねぇ、ロブ兄ちゃん。
幼馴染としての贔屓目を抜きにして、私、女として、どう思う?」
よくよく知り尽くしているはずの少女の、初めて見る大人びた女の顔に、ロブの動悸が意図せず跳ねる。
跳ねて、恋した男を想い嘆く妹同然の少女を相手に、自分は今何を思ったのだ、と彼は即座に己を叱責した。
彼女の予想と違いなぜか黙り込んでしまったロブへ、焦れた睦美が再び口を開く。
「ねぇ。本気で、嘘なしで、答えて、お願い。
私とロブ兄ちゃんが幼馴染じゃなくて、どこか、街中とかで初めて出会ったとして、その時、私を異性としてどんな風に評価する?」
「街中で、初めて……」
「うん」
呟いて、また黙り込んでしまった彼を、今度はきちんと考えてくれているようだと察して、急かすことをせずに待つ睦美。
変化は劇的だった。
突然ローブ全体の内側から激しく風が吹き荒れたかと思うと、次の瞬間には全身の実体化を果たした幼馴染が呆然とした様子で座り込んでいた。
「えっ……ロブに……」
「うわああああああああああああああッ!?」
「ひゃっ!?」
「ちちち違う違う違うゴメン違うんだゴメン僕はそんなけしてそんなつもりじゃ君のことをそんな目で見てきたワケじゃ!!」
年上の幼馴染がここまで激しく取り乱す姿を始めて目の当たりにした睦美は、彼につられてパニックになりかける寸前でふととある事実に気が付き頬を染めた。
彼ら衣形の民が全身を実体化させる時、それは主に生殖行為を行うためであり……とどのつまり、彼の現状は人種でいうところの……。
「ボッk……」
「それ以上言っちゃダメェエエエエエエッ!
ぁああぁぁあああ最低だ! 僕は最低だぁああああ!
うわぁぁああぁあぁあああぁあああ!」
スケルトンイエローの両腕で頭を抱えてうずくまるロブ。
彼はこれまで妹同然に可愛がっていた睦美に発情してしまったことに酷く罪悪感を抱いているようだった。
それとは逆に自分にもチャンスがあるのだと理解した彼女は、勝手にニヤけそうになる顔面を軽く叩いてから、ロブの隣に膝をついて慰めるように背を撫でる。
「ね、ねぇ、ロブ兄ちゃん、そんなに落ち込まなくても……」
「うわあぁあああああ!」
「私、ビックリしたけど、嬉しかったし……」
「うわあぁあああああああ!」
「だから、その、ロブ兄ちゃんさえ良かったら……」
「うわあぁあああああああああぁ!」
「聞いて!!」
「ギァアアアアいたたた痛い痛い痛い痛いギブギブギブぁああぁぁあ!」
パニックから醒めない幼馴染に軽くイラっとした睦美は、相手が実体化しているのを良いことに柔道関節技の腕挫腋固を繰り出した。
通常の布状態では有り得ない激痛に、彼はたまらず絶叫する。
すぐに技を解けば、ロブは痛む腕を擦りながら短く息を吐き出していた。
「ロブ兄ちゃん、聞いて」
「は……ハイ……」
落ち着いた頃には実体化も解け、すっかりいつものローブ姿に戻っていた幼馴染は、なぜか少し震えているようだった。
「さっきも言ったんだけど……私、嬉しかったから……」
「えっ?」
柔道で鍛えられたゴリ本能に従って今が攻め時であると判断した睦美は、逃げに転じたくなる臆病な自分を抑えつけ一気に勝負に出る。
「私が……私のこと……女として見て欲しいのは……ロブ兄ちゃんだけだから……だから、さっき、の、嬉しかった……」
「ムッちゃん……?」
未だに思考が上手く動きだしていないのか、ロブは困惑ぎみに睦美の名を呟いた。
対して、彼女はたったひとつの、取り間違えようのない真実を紡ぐ。
「好き」
真っ直ぐにロブを見つめながらそう告げれば、暗いフードの奥で息を飲む音が彼女の耳に届いた。
このまま一本勝ちまで怒涛の連続攻撃をしかけようと、睦美は更に口を開く。
「妹としか思われてないって知ってたし、私はこんな男勝りだし、今までずっと言えなかったけど、でも、少しでも女として見てもらえる可能性があるなら、チャンスがあるなら、私、諦めたくない……」
「ムッちゃ……」
「好き……ロブ兄ちゃんのこと、男の人として、ずっと好きだった。
ロブ兄ちゃんの彼女に……お嫁さんになりたい……」
切なげに囁きながら、頬に一筋の涙を滑らせれば、ロブはおそらく拭うために上げた右袖を途中で制止して迷うように揺らめかせた。
その仕草に、睦美の攻め続ける決意が音を立てて萎んでいく。
自分が彼にとんでもない迷惑をかけているのではないかという想像に捕らわれて、すでに彼女の心は及び腰になっていた。
「ムッちゃん……僕は……血は繋がってなくてもずっと君のことを家族だと思ってて……大事にしたいって……それで……」
「いいよ、ロブ兄ちゃん……気なんか使わないで。
私、困らせたいわけじゃない。
ロブ兄ちゃんが望むなら、ずっと妹だっていいから、すぐには難しくても、きっと本当の妹になるから、だから、思った通りのこと、そのまま言って……」
ロブのソレがどう聞いても断り文句の前言だと受け取った睦美は、彼の語りを遮り、そう告げる。
俯いて強く瞼を閉じ、緊張に震える拳を握り込めば、彼女の頭上から焦ったような声が降ってきた。
「違う……僕は……愚かにもそう思い込んで、君のことを身勝手にも妹だと思い込んで、本当の睦美の姿をもうずっと前から見てあげられていなかったんだ……そのことに今日、今更になって気付いた……僕は馬鹿だ、大馬鹿だ……ゴメンよ、睦美……僕は……」
「……ロブ兄ちゃん?」
「兄じゃない。僕は君の兄なんかじゃない、睦美」
言葉が早いか行動が早いか、そんな否定のセリフと共に、睦美の体は濃紺の衣に包まれていた。
ロブがロブの意思でもって、再び彼女を己の身の内に囲い込んだのだ。
突然のことに理解が追いつかない睦美の体へ、半透明の黄色の腕が巻きついてくる。
「まだ思い込みのカが全部消えてしまったワケじゃないけど、近い未来に、僕たちはきっともう1度家族になろう。
その時は伴侶として、僕の隣にいてくれないか……睦美」
水が滲みていくようにジワジワと彼の意図を理解して、彼女は怒涛のように湧き上がる感情の波に逆らわず、ひたすら涙を溢れさせた。
「……嬉……しい…………嬉しいっ、ロブっ……ロビリオ、愛してる……ッ」
「睦美」
内側から布地を両手で掴み寄せる睦美へ、ロビリオが痺れるような甘さで囁きかける。
程なくして彼らは恋人と称される関係に収まり、数年後、つつがなく婚姻を結んで、死が2人を別つまで、いつまでもいつまでも幸せに暮らしたのだという……。
グスッグスッ……ビィーーッム!
「って、ちょっとムッちゃん人の体で鼻水かまないでえええ!?」
めでたし、めでたし。
その後のSS↓
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