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ツキノセ 作者:
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新しい風 - 3

車を降りた私に片手を軽く振って別れを告げると、静城さんは車を発進させ、夜の闇へと消えて行った。近くまでで良いと言ったのだが、結局家の前まで送ってもらってしまった。また三十分近く掛けて来た道を戻る静城さんのことを考えると、少し申し訳なくなる。それでも、帰りのバスの時間を調べたり、バス停まで歩かなくて済むというのは正直ありがたかった。
 家の玄関へ向かって歩く。先程静城さんの車の時計は、午後七時半を示していた。いつもは学校が終わってすぐ帰宅しているので、今日のように暗くなってから制服で家の玄関を通るのは新鮮な感覚だ。私はいつものように玄関フードを開け、鞄から取り出した鍵で玄関を開けて家に入った。
「ただいまー」
 まだ両親は仕事中の筈なので、控えめに帰宅の挨拶をする。玄関にあるシューズボックスの上にちょこんと鎮座しているフクロウの置物が、いつものように私を出迎えてくれた。私は脱いだ靴を揃えてから、廊下を歩いて居間に続く扉を開けた。
「あら、おかえり。すーちゃん」
「お母さん、お店終わってたの?」
「ううん、お父さんが先にご飯作っておいてって言ってたから」
 厨房に目をやると、今まさに晩ごはんの準備中だったようだ。何かを炒めているのか、香ばしい匂いも漂ってくる。
 料理をしているのは、私の母である阿實 小夜子(さよこ)。見慣れたエプロン姿で、長くて綺麗な茶色の髪を後ろで纏めている。いつものお母さんの料理スタイルだ。
「手伝おっか?」
「大丈夫。すーちゃん初めてのバイトで疲れてるでしょ? 着替えたらゆっくりしてて」
 お母さんもお仕事終わって疲れてるでしょ、と心の中で突っ込むが、確かに経験のないことばかりで疲労感はあったので、お母さんの言葉に甘えることにする。お母さんに着替えてくる旨を伝えて、私は手を洗ってから二階の自分の部屋へ向かった。家に着くまでは気付かなかったが、知らない大人の人とたくさん話をしたことで思っていたより疲れていたらしい。二階への階段を上っている最中に欠伸が出た。それが引き金になったのか、一気に空腹が押し寄せてくる。私は部屋に戻るといつもより早く着替えを済ませ、もうすぐ美味しい晩ごはんが出てくるであろう居間に向かった。
「すず、帰ってたのか。おかえり」
「あ、お父さん。ただいま」
階段を下りると、私の父、阿實 柳一(りゅういち)が廊下にいた。白いワイシャツに仕事用のエプロンを着用したままなのを見ると、丁度仕事を終えてきたのだろう。
「お仕事お疲れ様」
「うん、すずもお疲れ様。バイトの話、ご飯食べながらゆっくり聞かせてもらおうかな」
「えー、なんか恥ずかしいなあ」
 お父さんと一緒に居間に入る。テーブルにはもう美味しそうな料理が人数分並べられている。
「二人ともグッドタイミング!」
 台所にいたお母さんも料理を終えてエプロンを畳んでいた。私とお父さんがテーブルを囲んで座ると、お母さんも最後の汁物を運び終わり、クッションに腰を下ろした。私の正面がお父さんで、左隣がお母さんだ。皆が定位置についたところで、私はいただきますを言って晩ごはんに手を付ける。
 デミグラスソースが掛かったふわふわのオムライス。その隣には輪切りされたウインナーの入ったナポリタンがちょこんと盛り付けてある。付け合わせはお豆腐と小松菜のお浸し。そして今日の汁物は中華スープだ。どれも私が幼い頃から食べている、お母さんの定番料理である。
「はふぅ、卵ふわっふわだー」
「今日は特別ふわふわに出来てるんじゃないか?」
「今日はすーちゃんの初出勤だったから、いつもより気合い入れちゃいました!」
 お母さんが手を合わせてにっこりと微笑んだ。
「お母さん大袈裟だよー」
「嬉しいくせにー」
「えへへー、まあね」
 にへら、と笑い合う。初めての場所で緊張していた所為か、ご飯の美味しさと家族と話している安心感で頬が緩み切ってしまう。
「ていうかお父さん食べるの早っ」
「空腹と料理の美味さで箸が止まらなくてね……」
「今日は忙しかったものね。お父さんもいっぱい食べて」
「無論」
 お父さんは無駄にシリアスな声で返事をしてオムライスをせっせと食べ進めていく。仕事終わりのお父さんはこうやって変なテンションのことが多い。このノリになることによって、仕事とプライベートを切り替えるスイッチが作動しているのかもしれない。もっと凄いときは、まるでバトル漫画の解説役みたいに晩ごはんの美味しさを一品一品解説していくときもあるのだが、今日はそこまでには至っていないようだ。逆に疲れが取れないのではと思うこともあるが、本人は楽しんでいる(表情はシリアスだが)ようなのでそこを追求するつもりはなかった。お母さんも温かい目で見守っていることだし。
 父と母は喫茶店を経営している。こっちの家とお店は廊下で繋がっていて、朝は私が家を出るのが八時なので、それに合わせて開店しているようだ。夜は二十時まで営業していて、大体十九時半頃に母が先に上がり、晩ごはんの支度をする。私が中学生になった際、学校が終わった後にお店の手伝いをすることを提案してみたが、「すずは学生としての生活を楽しむのが役目だ」と父に言われたので、お店のことは両親に任せている。ならば晩ごはんの支度だけでもと思い、たまに家族全員分の晩ごはんを私が用意するようになった。母に「自分の負担にならない程度で良いからね」と言われたが、料理を覚えることは私も楽しいので、負担だと思ったことはない。休日に一度、友達とうちの店を利用したことがある。そのときに手際良くお客さんへの料理を作り、爽やかな接客をする両親の姿を見て憧れた。その両親に一歩でも近付けるのではないかと思い、晩ごはんの手伝いを申し出たという部分もある。今回月之世家のメイドに応募したのも、そういう気持ちがあったからだ。もちろん、単純にメイド服を着て仕事をしてみたいという気持ちもあったが。

「そうそう、すーちゃん。メイドさんのお仕事、どうだった?」
「おお、そうだった。お父さんもそれ気になってたんだよ」
 空腹が満たされ、少し落ち着いてきたお父さんの様子を見て、お母さんが私に訊いていた。お父さんも興味津々に私を見詰めてくる。

「なんだか、それだとただのお友達みたいねぇ」
「そうそう、だからこれでお金貰っちゃっていいのかなーって感じ」
 今日のことを話すと、お母さんが案の定そんなことを言った。静城さんはそれも立派な従者の務めだと言っていたが、普通は私やお母さんのような反応になるだろう。自分がおかしい反応をしていたわけではないことを知って、少し安心した。
「でも娘さんと会話するだけで給料が出るなんてうはうはじゃないか」
 我が父はこんなことを仰っているけれども。
「お父さんって胡散臭い儲け話にほいほい騙されそうだよね」
「えっ、何で!?」
 いやこっちが何でだよ、という突っ込みは面倒臭いからしないでおいた。「僕ってそんなに馬鹿っぽく見えるのか……」とか呟いているけど。
「でも、月之世ってすごいお金持ちの家なんでしょう? それなら信用できるんじゃないかしら」
「いやいや小夜、お金持ちほど怪しいことに手を染めてたりするんだよ。月之世って元々は製薬会社か何かだったよね? もしかしたら人体実験なんかしてたりして――」
「はいはいお父さんはすぐ漫画に影響されるのやめようね」
 というか、さっきまで金儲けうはうはとか言ってたのはどこの誰だ。きっとそっちの方が素で、今の発言は前に読んだ漫画か何かの話を思い出しただけなんだろう。前にサバイバル系の漫画を読んでたときは、いつ町がゾンビだらけになっても良いように体を鍛えるとか言ってたし。
「すずが厳しい……お母さんがこういうノリのときは乗っかってるのに」
「だってお父さん本気で思ってそうでいらっとするんだもん。無駄にテンション高いし」
「まさかの追い打ち!?」
 ガーン、という文字がお父さんの背後に見えた気がした。
「それで、すーちゃんはどうだった? 楽しかった?」
「うん、いきなりのことで色々戸惑ったけど、皆良い人そうだったし……それにね、綴さんが、何か……寂しそうな顔してたのが気になって」
「きっと、妹さんが側にいないのと関係があるのかもしれないわね」
 私が最初に見た、あの表情。そして、妹さんの話題になったときに見せた顔。どちらも同じ寂しさの色を持っていた。私と話している間は穏やかな顔をしていた分、余計にあの表情が気になってしまう。
「それなんだけどさ」
「ん?」
 お父さんが私に向き直る。
「もしかしたらその家の人たちは、すずにその娘を元気付けて欲しいと思ってるんじゃないかな」
「私に?」
「うん、だって妹さんが不在なんでしょ? 年の離れた使用人達じゃ妹さんの代わりにはなれないだろうし。だから藤林に求人を貼ったんじゃないか?」
「……」
 お父さんは、たまにはっとすることを言う。私が考えもしなかったことを、こうやってあっさりと口に出したりする。
「そう、なのかな」
 もしそうなら、門で私を見てすぐに家に入れてくれたことも、面接無しで綴さんの部屋に連れて行かれたことも、家事はしなくて良いと言われたことも、全て納得がいく。歳の近そうな私なら、綴さんの心の溝を埋められると思ったのかもしれない。
「でもそれなら、わざわざバイトって形で募集するより、綴さんを学校に通わせた方が早いんじゃない?」
 綴さんとお話したとき、彼女は学校に通ったことがないと言っていた。専属の家庭教師を雇って、その人から勉強を教わっているらしい。
「いや、きっとその家庭教師は絶対な方針なんだろう。わざわざ雇っているということは、きっと普通の学校よりもハイレベルな勉強をしている筈だし、今更低レベルな学校へは通わせられないんだと思う」
 なるほど。受験が必要な中学校などは進んだ勉強をしていると思ったが、それよりも更に上、或いは投資家の専門的な知識も身に付けているのかもしれない。
「と言っても、こんなのは僕のいつもの妄想でしかないけどね」
「あら、お父さんったら自覚はあったのね」
「小夜、君まで……」
 お父さんはまたいつもの情けない雰囲気に戻った。二人とも笑っているが、私は少しお父さんの言うことが気になっていた。だって、もしお父さんの言ったことが当たっていたとしたら、私って実は重要な役目を負ってしまっているのではないだろうか。超お金持ちのお嬢様の妹の代わりだなんて。
「すーちゃん」
「えっ?」
 お母さんはいつの間にかお父さんをからかうのを止め、黙って考え事に囚われていた私に優しく呼び掛けてきた。
「そんなに気負わないでね。きっとその綴さんって子も、難しい顔でお話したいとは思ってないはずだから」
「あ……」
 言われて、自分が固い表情をしていたことに気付く。お母さんは私が難しいことをあれこれ考えていたことを察していたようだ。こういうときのお母さんは鋭い。考えすぎてすぐに周りが見えなくなる私を、さっと助けてくれる。
「うん、そうだね。ありがとお母さん」
「よし、いつものすーちゃんの顔ね」
 私が肩の力を抜いて笑うと、お母さんも柔らかく微笑んだ。そうだ。そもそもまだ初日だし、私は何も知らない。そんな状態であれこれ思い悩んでいても、きっと良い結果は得られない。それなら、肩の力を抜いて綴さんの話し相手をすることにしよう。
「あれ、もしかしてお父さん余計なこと言っちゃったか……?」
「ううん、お父さんの意見も参考になったよ」
「そ、そっか。良かった。また怒られたらどうしようかと」
 お父さんは胸を撫で下ろした。いつも本気で怒ってるわけじゃないのに、大袈裟だなあ。
 私が何かを悩んでいたりするときは、大体いつもこんな感じだ。お父さんが私の考え付かないことを口にして、お母さんが私の心を軽くしてくれる。勉強のことでも、人付き合いのことでも、二人が私をフォローしてくれたから、私は健やかな中学生をやっていられるのだと思う。二人はそれを「親なら当たり前のこと」だと言うけれど、最近のニュースなんかを見ていると、私は恵まれているんだなと思うことがたくさんある。またお母さんに「気負っちゃだめ」と言われそうだけど、そんな二人の娘として私は立派な人間になりたいと日頃から思っている。
「ふぅ、ご馳走様。美味しかったよ」
「ごちそうさまー」
「はい、お粗末さまでした」
 その後はテレビを点けながら世間話をしたりして、夕食の時間を過ごした。私とお父さんは食器を下げて、お母さんはそれを洗う。その後はお風呂を沸かして、三人とも入った後はそれぞれ自分の行動に移る。
 二十三時ごろ、私が歯磨きを済ませ、お母さんにおやすみを言って二階の自室に戻るとき、飲み物をもって一階の自分の部屋に戻るお父さんと一緒になった。
「これからゲーム?」
「ああ、今ミステリーものやってるんだけど、主人公の親の会社がどうも怪しくてさ」
 だからさっき月之世の家がどうのってところに食い付いたのか、と私は納得した。
「今日は夜更かしだな」
「明日のお仕事大丈夫なの?」
「そこは支障をきたさない程度にね」
 私が悪戯っぽく訊いた質問に、親指を立ててドヤ顔で返してきた。何故そこで勝ち誇るのか。
「えい」
「ぐぇ」
 いらっとしたので両ほっぺを摘んで引っ張った。「やへへふええ(やめてくれえ)」という情けない声を聞いて満足したので、指を離してあげる。
「じゃあゲーム頑張ってね、おやすみ」
「うん、おやすみ」
 頬をさすりながら挨拶を返すお父さんを見届けて、私は階段を上って自室に戻った。明日も学校があるので、時間割を確認して鞄に教科書を入れる。
 明日の準備が終わった後は、私も眠たくなるまで趣味の時間だ。スマホで好きなイラストレーターさんの新しい絵が上がってないかチェックしたり、今週のアニメを観たり、最近人気のファッションを確認したり。そうこうしている内に緩やかな眠気が襲ってきて、部屋の電気を消した後ベッドに潜り込む。
 こうして、私の新しい一日は終わろうとしている。睡魔に身を委ね、沈んでいく意識の中で思い浮かぶのは、今日初めてあった人たちのことだった。これからあの人たちとは、毎日顔を合わせることになるのだろう。うまく馴染めるだろうか、綴さんと仲良くなれるだろうか。色々と思うことはあるけれど、お母さんの言う通り、考えすぎてもきっと良い結果は付いてこない。私は私らしく振る舞おう。何かを始める前に不安に駆られるのは私の悪い癖だ。上手くいかなかったら、またそのとき考えよう。微睡みの中、ぼんやりと行き先を見据えた私の意識は途絶えていき、やがて、ゆっくりと一日に終わりを告げた。
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