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ツキノセ 作者:
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新しい風 - 2


「――ふぅ」
 扉を閉じて息を吐いた。今自分が立っている長い廊下を目にして、私は自分が今どこにいるのかを思い出す。先程までは彼女との会話についつい夢中になっていて忘れていた。自分は今、名高い投資家の家にいるのだ。そのことを再認識した私は、愚かにも自分の言動や振る舞いを思い返して―― 一人で焦っていた。
 綴さんは誰だっけ。この家の当主様の娘だ。超お嬢様だ。何人もの使用人を付き従えていて、私なんかとは比べ物にならない程高位にいる人間だ。大丈夫か。馴れ馴れしかったんじゃないか。「綴様って可愛らしいところもあるんですね♪」なんて身分を弁えていなかったんじゃないか阿實鈴花――!
 私は部屋の前で頭を抱えた。どうしよう。法律のことなんて何も分からないけど、『セレブ冒涜罪』みたいな感じで私は裁かれてしまうのではないだろうか。まだ中一なのに犯罪歴が付くなんて嫌だ。もうこっそり逃げ出した方が良いのでは――そう思ってエントランスを目指して歩き出し、一階へ続く階段に着いたときだった。
「お疲れ様、阿實さん」
「ひぃぃごめんなさいお嬢様に可愛いなんて言ってません許してくださいセレブ冒涜罪は嫌ですー!」
 後ろから声が聞こえて咄嗟に蹲り命乞いをしてしまった。
「えっ何!? 大丈夫!?」
「……え?」
 続けて聞こえた心配そうな声に、私はゆっくりと顔を上げた。長くて綺麗な黒髪をポニーテールにしたメイドのお姉さんが、エキセントリックな謝罪を繰り出した私を心配そうに見つめている。
「何か意味不明な単語を口走っていたけど、綴様と何かあったの?」
 そう問われてから二秒程度フリーズした後、私はようやく状況を理解した。このお姉さんはきっと、お嬢様の部屋からなかなか出てこなかった新人メイドの様子を見に来たのだろう。すると頭を抱えた私が訳の分からないことを口走ってしまった為に困惑しているのだ。私はお姉さんを安心させる為、綴さんとは何もトラブルなど起きなかったことを簡潔に説明しようとした。
「あ、いえ、いっぱいおしゃべりしました……楽しかったです」
 ――全然駄目だった。今時の小学生でももう少し知的な表現をする気がする。こんな返答では頭の弱い子に思われてしまういそうだ。咄嗟の状況で様々な単語を駆使して状況を説明できる力が欲しい。
「……そう、なら良かったわ。源次の目に狂いは無かったってことね」
 だが、お姉さんの反応は私の予想に反して穏やかだった。「は? おしゃべりしましたじゃないのよこの駄メイド!」くらいの罵倒は覚悟していたのだが。それはともかく、私の返答に満足そうな顔をしたお姉さんを見て、私も落ち着きを取り戻しつつあったので、改めて状況を説明し直した。
「す、すみません変な言い方して。綴様とお話をさせて頂きまして……それで、あまり自分に付き合わせるのも、と綴様が仰られたので、今お部屋を出てきたところです」
「成程。綴様らしいわね」
私が自分の身の上話を終える頃には、もう午後六時近くなっていたので、綴さんが気を利かせて退出するよう言ってくれたのだ。そもそも何時まで何をすれば良いのかさえ理解していなかった私は、取り敢えずは綴さんの言うがままに部屋を出た。
「えっと、私この部屋の前に連れて来られたとき、何をすれば良いのかとか、全然わかんなくて……もしかして、私がどう行動するかを見て採用するかどうか決めてた……とかなんですか?」
 もしそうなら、綴さんとの雑談に華を咲かせていただけの私は不採用なのではないだろうか。目の前のメイドのお姉さんは温厚な顔をしているが、だとすれば尚更疑問だ。ただ雑談をするだけのメイドが必要とされているとは思えない。
「んー、間違ってはいないけど、源次が門を通したって時点でほぼ合格みたいなものだからね。取り敢えず不採用ってことはないわ」
「あの、その源次さんというのは」
「ああ、あの仏頂面の年寄り執事よ。須藤源次。阿實さんをここまで案内した奴」
 ああ、あの人が源次さんっていうんだ。なんというか、見た目に合っている名前だなと思った。
「須藤さんは、どうして私を採用してくれたんでしょうか」
 さっきからずっと疑問に思っていることを訊いてみる。するとお姉さんは顎に手を当て、うーんと唸ってから――
「悪い子に見えなかったからじゃない?」
 ――あっけらかんとそう答えた。
「え?」
 どういうことだろう。確かに私は非行に走ったり、誰かに意地悪したりとかそういうことはしないけど、メイドに求められるものってそういうこととは違う気がする。もっと、手際が良いとか、気が利くとか。
「あ、そういえば言ってなかったわね。阿實さんにやってもらう仕事は、綴様と一緒にいること。家事や掃除は一切しなくて良いわ」
 違わなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください。それってわざわざ私を雇う必要あるんですか?」
「あるわよ。綴様と同じくらいの年齢の子っていうのが大事なんだから」
「で、でもそれってメイドって言えるんですか……?」
「あら、主を退屈させないように話し相手を務めるのも、立派な使用人の仕事よ?」
 お姉さんは少しだけ悪戯っぽく笑う。何だか飄々としていて掴みどころの無い人だ。見た目は十代後半か二十代前半くらいに見えるのに、それより更に一回りも二回りも上の年齢の人と話している気分になる。
「それに、今の綴様にはその『話し相手がいる』っていう状態が大事なの。詳しいことは話せないけどね」
「……それって、今はいないっていう妹さんと関係があったり?」
 言うか言うまいか迷ったが、この人なら怒らないだろうなという直感から、私は頭に浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「あら、鋭いじゃない。やっぱり貴女を雇って正解だったかも」
 お姉さんは少しだけ目を丸くしてそう言った。怒るどころか感心されてしまい、私は少し困惑する。
「まぁ、そのことについてはまたいつかね。取り敢えずは自己紹介しておきましょうか。私は静城しずき 結子ゆいこ。一応ここのメイド長よ」
「あっ、えっと、阿實鈴花です! これからよろしくお願いします、静城さ――って、メイド長?」
「と言ってもただのまとめ役よ。変に畏まらなくて良いわ。宜しくね、鈴花ちゃん」
 静城さんはそう言って微笑んだ。まさか、メイド長だったなんて。掴みどころの無い人だし、どう見ても最年長の須藤さんを呼び捨てにしてるし、急に私ちゃん付けで呼ばれるし……。一体この人はどういう人なんだろう。実はこう見えて須藤さんより年上だったりして。
「あ、何か失礼なこと考えてるでしょ」
「えっ!? あ、いや――」
「ふふっ、冗談よ」
 心を読まれたかと思った。本当に何物なんだろう、この人。
「さて、冗談はこのくらいにして、鈴花ちゃんのこれからについて話しましょうか。鈴花ちゃんはどこの学校に通っているの?」
「藤林中です」
「藤林か……じゃあ結構遠いわね。ここへ来るときはいつも今日くらいの時間になりそう?」
「あ、はい。学校が終わるのが三時二十分で、それからバスに乗って来るので、大体四時過ぎになると思います」
「成程ね。お家の門限はある?」
「いえ、そういうのは無いです」
「門限なし、と」
 静城さんはさらさらとメモ帳に何かを書いていく。どことなく面接みたいで少し緊張する。
静城さんはメモしていた手を止めると、ペン尻を顎に当て、自分が描いたメモを一通り眺めてから視線を私へと戻した。
「それなら、出勤時間、退勤時間は鈴花ちゃんに任せるわ。まぁ、友達の家に遊びに来る気分で気楽にやって頂戴。帰りは私が車で送っていくから。あ、それと土日は休みね」
 ノリ軽っ。
「えっ、いやあの、そんな大雑把で良いんですか? あと、送ってもらうのも申し訳ないですよ」
「って言われてもねえ。アルバイトの子なんて今までいなかったし、きっちり時間を守ってやって欲しいことも無いのよ。帰りはほら、バスの時間とか気にするの面倒でしょう。あと、この辺り夜になると真っ暗になるし」
「で、でも」
「良いから良いから。年上の好意には甘えておくものよ」
 禄に反論する機会も与えられず言い包められてしまった。いや、家まで送ってもらえるのはありがたいんだけど、アルバイトなのにこんな待遇を受けてしまって良いのだろうか。と思いつつも、静城さんの有無を言わさない雰囲気に飲まれてしまって、これ以上は何も言えなかった。
「うーん……それじゃあ、お言葉に甘えます」
「そうそう、素直で宜しい」
 ぺこりと頭を下げた私に、静城さんは腰に手を当てて満足そうに頷いた。何だか友達の家のお母さんと接している気分だ。
「じゃあ早速送って行くわ。もう帰るんでしょう?」
「あっはい。ありがとうございます」
 こっちよ、と階段を降りる静城さんの後を付いて行く。途中、すれ違った何人かのメイドさんに「お疲れ様」と声を掛けられ、少し照れくさい気持ちになった。

「――あ」
 エントランスに下りた後、私は更衣室で制服に着替えた。更衣室を出た際、エントランスの遠くの方に須藤さんの姿を見つける。向こうもこちらに気付いたようで、歩みを止めてこちらに向き直った。私が一礼すると、須藤さんも頭を下げてくれた。相手は中学生なのに、きっと律儀な人なんだろう。
「ぷっ――」
 更衣室の外で待っていた静城さんが吹き出した。
「えっ、私何か変でしたか?」
「ううん、源次の反応が面白くて」
 静城さんは口に手を当ててくっくと笑っている。何だろう、そんなにおかしかっただろうか。確かにあれくらいの年齢の人で、私みたいな中学生に礼で挨拶をしてくれる人はそうそういない。だが、こちらとしては紳士な対応だなと、むしろ良い印象を受ける。
「ああごめんごめん。ちょっと昔のこと思い出しちゃってね。行きましょう」
 静城さんは笑いながらそう言うと、再び歩き出した。やっぱりよく分からない人だ。だが、この掴みどころのない雰囲気に、私は妙な安心感を覚え始めていた。これが大人の女性の成せる技なのだろうか。
 エントランスから外へ出ると、そのまま館から少し離れた車庫に案内された。そこには月之世家が所有している車が何台もあり、静城さんはその中の黒い乗用車の鍵を開け、「乗って」と私に促した。私は頭を軽く下げ、助手席へと乗り込んだ。ふかふかの座席に、ゆったりと余裕のある車内。一体いくら払えばこういう車を買えるのだろう。きっと私では到底届かないような金額の話なんだろうな――静城さんが車のエンジンを掛けると、ブゥンと低い唸り声をあげて車が動き出した。
「途中で眠たくなったら寝て良いからね」
「あ、大丈夫です。ありがとうございます」
 そして、ゆっくりと発進し、そのまま車庫を出る。門にはいつの間にか他のメイドさんがいて、静城さんがわざわざ車から下りなくても良いように門の開閉を担ってくれた。門を通り過ぎると、点々と立っている街頭が頼りなく照らす道を走っていく。外はもう真っ暗だ。私は車内で揺られながら、今日のことを思い返していた。背が高くてがっしりとした執事さん。いきなり出会った年の近いお嬢様。年齢不詳の飄々としたメイド長。せっせと自分の仕事をこなす何人かのメイドさん。今日だけで新しい出会いがたくさんあった。中学に上がって新しいクラスメイトたちに出会ったときとはまた感覚が違う、新鮮な出会い。
 その中で、何故か私の中に印象深く残っているのは、あの部屋の扉を開けた瞬間に見た、月之世綴という少女の、あの寂しそうな表情だった――。
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