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ツキノセ 作者:
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39/43

偽り - 2

ご閲覧ありがとうございます。
6/9追記
何箇所か違和感のあった部分の修正・加筆をしました。

 人は皆、怒り、憎しみ、妬み、悲しみといった己の黒い感情に向き合いながら、或いはそれから目を背けながら生きている。
 生きることに長けたものはその感情を上手く制御し、生きることが困難なものはその感情に押し潰される。
 大人しかったあの子が、優しかったあの人がこんなことをするなんて――よく聞く話だ。彼らは、彼らが持つ黒い感情を処理できなかったのだ。
 それはきっと、孤独だったから。
 人間とは支え合う生き物だ。一人では生きていけない。

 ――それは間違いだ。彼らにも家族がいたはずだ。それなのにあんな事件を起こすなんて、彼らが未熟だったんだ。今まで甘えて生きてきたからだ。

 いいや、そうではない。家族と過ごす、恋人と過ごす。そんなことは関係ない。一人とは、独りだ。人間とは精神的な支えになる存在がなければ独りなのだ。
 逆に家族と共に過ごしていたことが原因だったということも有り得る。
 妥協と逃避を許さない父。世間体だけを好む母。自分の方が立派だと見下してくる兄弟。
 周りがそんな人間ばかりでは、小さな悩みや不安すら解決されず、いずれは大きくどす黒い感情がその者を支配するだろう。
 真面目そうな人だったのにどうして――簡単な理由だ。要は、周りがその人間から逃げ場という逃げ場全てを奪い、追い詰め、その結果本人は「攻撃」という手段を取るしかなかったのだ。
 だが、その攻撃すら選択できなかった者たちは――
 ――自らの手で、その命を終わらせてしまう。

 そして、世の中にはその黒い感情を利用して人を動かすような悪人も存在する。


 若葉園に来てから数ヶ月が経つが、特別な出来事は何もない。
 それもそのはず。ここは日本で、なおかつ都会からも離れている。抗争や略奪とは無縁な世界だ。生まれ育った場所も、あの研究所も、嘘や欺瞞に満ちていた。それから見れば、ここは私たちにとっての理想郷と呼んでも過言ではない。
 理己に友達ができないのが唯一の難点だったが、本人がそれを望んでいないのなら無理に作らせることもない。"可愛い子には旅をさせよ"などという言葉は、平和で脳が退化した奴らの戯言だ。
 他人を利用することはあっても、信用はしてはならない。私はこの先も一人で理己を守りながら生きていく。
「理世くん、明日、研修を終えた里親候補の方がいらっしゃるんだけど、話してみる気はあるかな」
 ある日、園長がそんな話をしてきた。どのみち精神操作で私たちに害のないようにするのだが、余計な手間を増やしたくないので私は適当に断った。
「そうか……うん、無理はしない方が良いね。分かったよ」
 養護施設側としては、子供たちがどこかの家庭に引き取られ、人並みの幸せを得ることが望ましいと考えているのかもしれない。
 だが、私たちの事情を知っている彼は、無理に大人と接しろとは言わない。彼は本当に子供のことを大切に思っている。研究所での出来事がなければ、私は彼を心から信頼していただろう。
 私は誰かの養子になる気はない。ある程度の年齢になった後は、ここを出て適当なバイトでも見つけて、アパートかマンションで理己と二人で暮らすつもりだ。いや、なんなら人の悪そうな奴の精神を操って家を明け渡させるのも良い。とにかく、もう誰かの支配下に置かれるつもりはない。
 そう思っていた矢先に、あの男は現れた。

「こんにちは、理世君」
「あ?」
 いつものように理己と部屋で過ごしていると、園長と一緒にやけに身なりの整った男が入ってきた。
「理世くん、理己さん、こちらね、若葉園の援助をしてくださる月之世聡さん。子供たちの様子が見たいとのことだから、ちょっとお話良いかな」
 園長は少し申し訳なさそうな顔で私にそう提案した。なるほど、道理でお上品な格好をしているわけだ。
「はぁ、まぁ」
「吉井さん、すみませんがこの子たちと私だけにして頂いても」
「え、あー、それは」
 月之世は、どういうわけか園長に退室を促した。私たちの事情を知っている園長は、当然見知らぬ大人と私たちだけを取り残すことを渋った。その反応を見て、この人が金に目が眩む大人でないと分かって少しだけ、ほんの少しだけ胸に何かが湧き上がる。
「良いよ園長先生。援助してくれるって言うんだから、きっと良い人なんだろ」
 だから助け舟を出した。私には精神操作という強みがある。いざとなればこの男の精神をちょいと弄って私たちに何もできないようにしてやるだけだ。
 理己が不安そうにしているのが少し可哀想だが。
「ええっと、では、私は一先ず」
「大丈夫だよ理己。おにぃがついてるから」
 月之世に聞こえないよう、小声で理己に声を掛けた。それでも知らない大人がいることが不安なのか、私の後ろに隠れてぎゅっと私の服の裾を握り締めている。
「では、改めて。初めまして五和理世君。私は月之世聡。早速だが君たちが持っている特殊な力を借りたい」
「は?」
 理己の方に気を回していて、月之世が何と言ったのかはっきり聞いていなかった。
「第一研究所で散々モルモット扱いを受けて他人など信用できなくなっているだろうが、そこを何とかお願いしたい」
 ……いや、聞き間違いだと思いたかっただけだ。
「何の話してんだ」
「私もとある目的の為に、所謂超能力の研究をしている。その一環であの研究所のことも調べていたが、先日そこの職員が全員死亡したうえ、それが脱走した被験者の暴走によるものだという情報を入手した」
 会話が成立しない。この男はもう、私たちがその被験者であるという前提を覆す気はないようだ。そんな強引な手が通じるものか。
「おっさん電波か? それとも中二病か? 今の中高生が全員そういうの好きだと思ったら大間違いだぞ」
「ふむ、冷静だな。妹のことが絡まなければ精神的動揺はないということか?」
「帰れよ」
 これ以上は無駄だと判断した私は、月之世の記憶からあの研究所関連の情報を消し飛ばした。これでこいつが私たちの前にいる理由もなくなる。
 施設援助の話はなくなるかもしれないが、それで都合が悪くなるようなら園長の記憶も弄れば良い。もう面倒事はたくさんだ。
「おーい、どしたおっさん」
 月之世は目を見開いたまま黙っている。記憶を消された人間の大体はこうだ。記憶が抜け落ちることで脳に何かしらの負担が掛かっているのかもしれない。だが、それも数秒程度で、少し経てば今まで通りの振る舞いに戻る。
 私の声に反応した月之世は、辺りを少し見渡すと、何やらスーツのポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「……、ああ、ふむ。なるほど。これは記憶の消去ではなく、能力の干渉を受けた記憶が潜在意識の底に沈められるようなものか。であれば、切っ掛けとなるものさえあればその記憶を取り出すことは容易というわけだな」
 月之世は取り出した紙切れを見ながら、何やら妙なことを呟いている。おかしい。何故この男は、今自分の記憶が消去されたことを認識できているんだ。
「少し危険な賭けだったが、これで君の能力の程度は把握できた」
 月之世がその紙切れをこちらに向けてくる。私は戸惑いながらもその内容に目を通した。

 超能力者育成実験を行っていた第一研究所が壊滅。
 脱走した被験者によるものと推測。
 被験者は現在若葉園という養護施設にいる。
 私はこれからその被験者と接触する。
 被験者は既に超能力が発現している可能性が高い。
 研究所の職員が死亡直前に精神崩壊を起こしていたことを踏まえると、被験者の能力は対象の精神に干渉するものであると考えられる。
 よって、念の為にこれまでの経緯をここに記す。

「君がもっと短絡的思考の人間なら、記憶の改竄だけでは済まなかったかもしれない。君の賢明さに賭けたのが幸いした」
 それは私に記憶を操作されたときの為に備えたメモだった。月之世は私に能力を使われることを想定していたようだ。
「くだらねー。ならその前まで遡って記憶を書き換えてやる。それも対策済みなら、あんたの言う通り記憶の改竄だけじゃ済まなくなるけどな」
「それができないことは君が一番よく知っているはずだ。いや、気付かないようにしていたのかな」
「何のこったよ」
 室温は下がっていないはずなのに、体が冷えている感覚に陥る。この男の言葉は、自分が目を背けているものを体に突き刺してくるようで、気分が悪い。
「仮に君が私の精神に干渉し、そうだな、例えば幻覚を見せられて廃人になったとしよう。すると以前から私を知っている人間は当然何かの事件性を疑う。となると君はその人間の記憶も改竄しなければその身が危うくなる。あとはその繰り返しだ。人脈の広い人間の記憶を書き換えるほど、その影響は広範囲に及ぶ。加えて君の能力は何かの拍子で解除される可能性もある」
 月之世は子供を諭す教師のように、滑らかな口調で説明を続ける。
「ということは、いずれ私のように君のもとまで辿り着く人間が現れるかもしれない。その人間を遠ざけたとしても、繰り返された記憶の改竄によって生じた綻びは更に大きくなる。そしていずれ、例の研究をしている連中に居場所が割れ、君は再び――」
「もう良い。分かった」
それ以上は聞きたくない。本当に嫌な男だ。あの研究所のことをどういう繋がりで知ったのか分からないが、もうあそこのことは思い出したくないというのに。
 それに、さっきから理己がどんどん怯えた表情になっている。これ以上理己に不安な思いはさせたくない。
「話だけは聞いてやる。……理己、ちょっとこの人と話をしてくる。寂しいかもしれないけど待っててな」
「ん」
 自分の代わりというわけではないが、部屋を出て行く前に、片隅にあった犬のぬいぐるみを理己に渡した。理己が寝るときによく抱いているものだ。
「んー」
 理己はぬいぐるみをぎゅ、と抱き締め、早く戻ってきてねと言いたげな顔で私を見上げる。私は理己の頭を撫でてから、月之世に部屋を出るように促した。
「妹思いだ。娘に似ている」
「そうかい」
 月之世にそう言われたが、まったく褒められている気はしなかった。

「ここは?」
「空き部屋。子供が一人きりになりたいときによく使われる」
「成程」
 六畳程度の大きさの部屋に、学校で使われるような机と椅子のセットが三つ。東側に窓があり、そのすぐ側にある椅子に私は腰を下ろした。今は昼過ぎなので、窓から太陽の姿は見えず、少しだけ薄暗い。
 私は月之世に手でどこかに座れと促すと、奴は私から一番離れた、壁際の椅子に腰を下ろした。といっても、六畳程度の部屋なのでそれ程の距離でもない。
「警戒心が強いのは良いことだが、そこまで相手を凝視していると警戒していることが丸わかりだ。心を悟られないような振る舞いも身につけたほうが良い」
 言われて、自分が月之世の一挙一動を気にしていることに気付く。
「ご忠告どうも」
 先程までの会話で分かったが、こいつはわざと人の神経を逆撫でして、会話の主導権を握るのが上手い。今のような発言にいちいち突っ掛かっていては相手の思うつぼだろう。私はあからさまに溜息を吐いてその言葉を流した。
「ふむ、余計なお世話だと言われることを覚悟していたが」
「いいから早く本題に入れよ。妹待ってんだから」
「先程も言ったが、私も超能力についての研究している。だがそれは、君がいた研究所の連中のように何かを成す為のものではない」
 何かを成す――奴らは死に際に世の中を良くする為などとほざいていたが、恐らくそんな生易しい目的ではないだろう。別に知りたいとも思わない。
「私のはただの好奇心だ」
「は?」
「私は投資家として生きているが、もう金を積むことで実現できることは全てやった。だが超能力者の開発とは金でどうにかなるものではない。だからこそ成し遂げたいと思った。要は、超能力者を生み出すことこそがゴールというわけだ」
 月之世は終始真顔でそう語った。
 なんと、くだらない理由だろうか。こいつは私が貧民街の出身だということを知って尚こんなことを言っているのか。金でできることは全てやった? なんという私への当てつけだろう。
「そうかゴールできると良いながんばれがんばれ」
「話は本題にすら入っていないぞ。この程度聞き流せなくては先が思いやられるな」
 わざとらしく棒読みで返した私に、月之世は鼻で笑うようにそう言った。
「……あー、俺が突っかかるところ探りやがったなこのペテン師」
 今さっきこいつの発言をいちいち気にしたら駄目だと理解したばかりだというのに、やられた。
「話を戻そう。超能力者を開発するといっても、そもそも人間にそのような人智を超えたことが可能なのかという所だが」
「そりゃできるんじゃねーの。現に俺がそうなんだから」
「それは人間の力によるものではない」
 月之世の言葉で、あの忌々しい記憶が蘇る。
 妖しく煌めく物体、ルナキューブの欠片。あれの所為で、何人もの子供たちが人道を踏み外した。そうだ、あれに触れさせたのは職員の奴らだが、そもそもこの超能力はあの物体から植え付けられたものだ。
「あんた、何をするつもりだ」
「超能力が発現する瞬間、人間の精神と脳には極大な負荷が掛かっていることがあの研究所の資料から分かった。ということは、彼らが超能力者になった際の体の状態を、こちらで再現させれば良い」
 そうだ、結果それに耐えられなかったウニルは命を落とし、適合した私と理己はこうして生き長らえている。
「待て。俺はこの能力が発現したとき、何の痛みも感じなかったぞ」
「それは、そのとき君が既に超能力者になっていたからだ」
「意味が分かんねぇ」
 月之世は薄く笑うと、椅子から立ち、手を後ろで組んでゆっくりと歩き出した。
「資料を読む限り、被験者の脳に掛かる膨大な負荷は、被験者が超能力者として覚醒するか否かの選定の後に襲ってくるものらしい。つまり、超能力者として覚醒できなかったものはその負荷によって命を落とし、覚醒した者はその負荷に耐えられるというわけだ」
「覚醒した……後」
「そうだ。だがそれでは一つ問題が生じる。私がやろうとしている実験は、被験者の脳に相応の負荷を掛けて超能力者に仕立て上げるというものだ。ふむ、これでは――」
「順番が逆だ」
 思わず答えてしまった私は、すぐに月之世から目線を外した。奴のペースの乗せられているようで気に食わない。
「その通り。だが、私はこう考える。超能力とは、被験者がこれから自分に掛かるであろう負荷に耐えるべく生み出した"抗体"なのではないかと」
「負荷に耐える抗体?」
 "抗体"、よく病気の予防接種なんかで聞く単語だ。確か、極度に感染力を弱めたウイルスを人間の体に注入することで、そのウイルスの抗体を作り出し、免疫力を高めるというものだ。それが、あのルナキューブとどういう関係になるというのか。
「要はその予防接種と似たようなものだ。恐らく被験者の脳には、これから膨大な負荷が掛かるという情報が予め送られていたのだろう。これが所謂薄められたウイルスだな。すると、被験者はそれに備える為の……そうだな、"超能力ウイルス"と仮称しよう。被験者はこの超能力ウイルスに耐えるべく抗体を作り出す。この抗体が超能力だ」
 昔、少しの間だけ学校に通っていたときのことを思い出す。そのときの私は見るからにみすぼらしい子供で、授業で当てられることもなく、その授業の内容もまったく理解できなかったが。
「それにしても」
 月之世は部屋の入口付近で歩みを止め、私の方に振り返る。
「君の育った環境を考えると、こういった話を理解するのは難しいと思ったが、その顔を見るにそうでもないようだ」
 こいつの言葉にはどうにも「真っ直ぐさ」が欠けていて、まったく褒められている気がしない。
「はいはいどーも。褒めてくれてるとこ悪いけどもうその話はいいわ。結局のところあれは超能力者になれる人間を選別する為の実験だったってことだろ。で、あんたはその実験をどうやって再現すんの」
 うんざり顔でそう返した私を見て、月之世は薄く笑い、一呼吸置いてから言葉を続けた。
「君の力を使って、だ」
「あー?」
 きっとこいつの中ではもう理論が出来上がっているのだろうが、毎回毎回突拍子もない方に話がとんでいくので、付いていくのが難しい。
「その能力、精神に干渉するということは、つまり人間の脳に干渉すると言っても過言ではないだろう」
「あー、まぁ。それは分かる。で?」
「ならば、あの研究所で行われた実験を、そのまま君が能力で再現すれば良い。被験者の脳に予め警告を送り、その後被験者の精神が壊れる程の負荷を掛ける。現に君は、研究所の職員らをそのようにして殺したのではないか?」
 体の中が、急激にどす黒い感情で満たされていく。分かっている。これも恐らくこいつにとっては想定内の反応だということは。だが、私の過去をそこまで知って尚、そのような提案をするということは、私の逆鱗に触れるということだ。
「殺すぞ、お前」
 月之世は尚も、笑う。
「憎悪を向ける対象を間違っているぞ。君が憎んでいるのは、権力を振りかざして立場の低い者たちを思うままに虐げる大人だ。私はその者たちに復讐する機会を与えようとしているというのに」
「憎い奴らは全員殺した」
「目を背けるな」
 低く鋭い、けれど静かな声が、憎悪に飲まれる私の心を冷やした。
 月之世は微笑むのを止め、今までとは別人のような険しい表情で私を見る。
「君らのような行き場のない子供たちがあのような仕打ちを受けるに至った原因を作ったのが、まさかあそこの職員らだけだと思ってはいまいな。君が育った貧民街を仕切る暴力団、君の母親を薬漬けにした売人、果ては君のように恵まれない子供たちを見て見ぬ振りをする政治家。あらゆる人間の悪意が重なり君はこうして苛まれている。温かい家庭で健やかに育っていれば、君は世界の闇とは無縁なままでいられたのだ」
 月之世は容赦なく残酷な事実を突き付けてくる。望んでも手に入らなかったもの。それさえ手にしていればこんな思いをしなくて済んだと。
 そんなことを言われても、どうしようもない。そんな別の世界の話をされても困る。だって、子供は親を選べない。生まれてくる場所を選ぶことはできない。
「……だからどうした。それを恨んで何になる。あんたの研究に付き合ってその憂さ晴らしをしろってか」
「復讐をさせてやると言っただろう。集めるんだ。君の憎悪をその身で受ける相手を」
「どうやって」
「無論君の能力でだ。人物の情報は私が与える」
「ちょっと待て。あんたさっき一人の人間をどうこうしたら周りに影響を及ぼすって言ってただろ」
 まさかその周りの人間も全て集めてこいと言うつもりか? 冗談じゃない。それはもう無差別攻撃、テロと同じだ。私はそんな無意味なことをするつもりはない。
「それは君一人の場合だ。もし君が私に協力するなら、そのときは私が全力を持って君のサポートをしよう。何しろ君の居場所が割れるということは私の研究も暴かれるということだ。それは防がねばなるまい」
「具体的には」
 私はいつの間にか前傾姿勢になり、月之世の次の言葉を待っていた。
「例えば君が憎むべき政治家を連れてきたとしよう。当然その政治家にも無数の敵がいる。ならばそれらの人間を買収すれば良い。そして、その政治家を慕っていた人間には私が買収した連中こそが元凶だと誤認させる。あとは勝手に潰し合うだろう。この程度は金さえあればどうとでもなる。これが暴力団相手となると更に容易だ。対立争いさえ起こしてしまえば、いつの間にか原因を作ったはずの私は部外者になっている」
 涼しい顔で、月之世は淡々と恐ろしいことを語った。今この男の脳内で、何人の人間が金に踊らされているのだろう。
 背筋が凍るようだった。それと同時に、ああ、この男が敵でなくて良かったと安堵してしまう。
 この男はきっと、私以上に他人を信用していない。
「……俺の精神操作で、本当に超能力者が生まれたらどうする」
「その場で君が殺せば良い。言っただろう。私のゴールは超能力者を生み出すことだと」
 何でもないことのように、さらりと、この男は"殺す"という言葉を口にする。
 それで気が付いた。こいつは他人を信用していないどころか、恐らく自分以外の人間をモルモットか何かにしか思っていないのだ。目線が違いすぎる。
 私の両親、研究所の職員、ここに来るまでに出会った各国の暴力団、どいつも反吐が出るほどの悪人だったが、言うなれば奴らも誰かの駒だった。しかし、この男は、まさしくその駒を操っている「支配者」と呼ばれる人間だ。
「さぁ、語るべきことは語った。改めて訊こう。五和理世。君は私に協力する気はあるか」
 私は言葉を失う。これ程の力を持つ相手に、協力を迫られている。
 断ればきっと、私は消されるだろう。ここまで月之世聡という男を知ってしまった以上、このまま私を解放するのは危険すぎる。そうなれば理己を守れない。それは駄目だ。完全に断るタイミングを逃した。
 協力しても、いつ使い捨てにされるか分からない。この男の持つ情報量は私の想像を超えている。私がいなくとも、代わりとなる協力者はいくらでもいるかもしれない。
 駄目だ、どちらにせよ駄目だ。私の安全を確保するには、この男と対等にならなくてはならない。それは不可能だ。私には地位も権力も金もない。この男と対等な位置に並ぶには、最低でも使い切れない程の富が必要だ。
 息が詰まりそうになる。気を抜くと体が震え出しそうだ。私は必死に冷静さを失わないようにし、月之世の目を正面から見据える。
 私は――
「……断る」
 月之世の目が、少しだけ細くなる。
「その代わり、契約ならしても良い」
 静かだった空き部屋が、更に静寂に包まれる。数秒後、月之世は低く落ち着いた声で私に問うた。
「どういう意味かな」
 月之世は品定めをするような目つきで私を見る。返答を誤れば、その時点で自分の命がなくなってしまうのではないかとさえ思う。
「俺はぶっ殺したい相手をあんたのもとまで連れて行く。あんたはそれを買ってくれ。買うと言っても金じゃない。俺と理己の生活を保証する為に、あんたの側で面倒を見て欲しい」
「雇ってくれということか。だがそれでは、結局協力と変わりないのではないか?」
「そうかもな。けどそれで良い。要はあんたの提案をそのまま受け入れるってのが気に食わなかったんだ。あんた、胡散臭すぎて信用ならないからな。はいそうですかと言うことを聞いてたらいつ捨てられるか分かったもんじゃない」
 そう、これが私の出した結論だ。
 逃げることはできない。従っても使い捨てられるかもしれない。ならば、例え対等でなくとも、対等であるかのように振る舞ってやろう。それが今の私にできる、精一杯の抵抗だった。
それで、私の返答を聞いた月之世はというと――
「……く、はは、ははははっ」
 先程までの冷静さが嘘のように、その場で笑い声をあげていた。それも心底楽しそうな顔で。
「そうか、成程な。そうきたか。いや、想像以上だ。確かに"お前"が私の提案を素直に受けていたら、私はお前を捨て駒にしたかもしれん」
 やはりか。というか、それを今この場で打ち明けるこの男の気が知れない。これから契約相手となる人間に、何故そんなことが言えるのか。
「……頭おかしいなあんた」
「いや、済まない。だが、そうなると実験体となる人間の情報はどうする。無償で提供しろとは言うまい」
「それはこっちで何とかする。さっきも言ったがあんたの情報は信用ならないからな」
「くく、そうか、お前も私並に他人を信用していないな。良いだろう。五和理世。お前との契約を締結する」
 月之世は私の側まで寄ってくると、右手を差し出して握手を求めてきた。
 私は椅子から立ち上がり、あからさまに嫌な顔でその手を握り返した。
「一応握手はしてやる。けど後日契約書を持ってきてもらうぞ月之世さん。口約束はごめんだからな」
「了解した」
 その返事を聞いて、私は安堵の息が漏れそうになり、すんでのところで耐えた。この男の前で気を抜いてはいけない。
 月之世は握手を終えると、「では後日」と言って、満足そうに微笑みながら空き部屋を後にした。
 その直後、廊下から園長と月之世の話し声が聞こえてきた。会話の内容までは分からないが、園長の声の様子から相当私を心配していたことが分かる。
「ふぅー」
 私はその場で腰を下ろし、やっと体の力を抜くことができた。時計を見ると、部屋に入ってからそれ程時間が経っていないようだった。感覚では二、三時間は話し込んでいた気分だったが。
 月之世と園長の声が聞こえなくなった。園長が月之世を見送りに言ったのだろう。私はそれを確認してから空き部屋を後にし、理己のもとまで戻った。
「おにぃー」
 部屋に着くなり、理己がとてとてと走りながら抱きついてくる。
「ただいま。ごめんな、心配掛けて」
「んーん」
 抱きつく力がいつもより強い。余程心配を掛けてしまったのだろう。私はそっと理己の頭を撫でる。
「おにぃ」
「ん?」
 理己は抱きついたまま、私の顔を見上げる。
「だいじょーぶ?」
「うん、大丈夫」
「でも、つらそうなかお」
「え……」
 先程までの会話の疲れが顔に出ていたのか、理己にそのことを心配されてしまった。駄目だ。これでは理己に余計な不安を与えてしまう。
「んなことないって。おにぃめっちゃ元気だぞー」
「んんー」
 それを誤魔化すように、私は理己の頭を両手で撫で回した。理己は嬉しそうに目を細める。
 大丈夫。私は理己を守る。何があろうと守る。月之世と契約関係になるのも、理己の安全を確保する為だ。復讐の為なんかじゃない。憎悪に身を任せてしまえば、きっと理己にも危険が及んでしまう。
 私はそれを肝に命じて、後日、月之世が再びここを訪れるのを待つことにした。




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