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ツキノセ 作者:
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偽りの自己

ご閲覧ありがとうございます。
 無機質な廊下に、規則性のない足音が反響する。
 足音の主は理己だ。片手で頭を押さえ、青白い顔をして廊下をふらふらと進んでいる。理己の部屋から目的の部屋までそう長い距離ではないが、上手く歩けない所為で、辿り着くまでに予想以上の時間を要していた。
 やっとの思いで目的の部屋に入った頃には、既に息は切れ、理己は力なくその場に座り込んでしまう。
「歩くのもやっとというところか。深刻だな」
 そこは聡の研究所の実験室だった。特殊な硝子で囲われた部屋の前、様々な装置に囲まれた椅子に聡は座っていた。感情のない瞳で息切れをしている理己を冷たく見下ろしている。
「今度は……何です」
 理己にいつもの軽率な態度は見られない。
「愚鈍なお前でも、屋敷内で自分の存在を他人の認識から外すことだけは忘れなかった。今日まではな」
 源次と白百合がゲストルームで会話をしていた際、聡は理己に盗聴を命じていた。このような命令は一度や二度ではなく、盗聴器を取り付けてある休憩室以外は、いつも理己が屋敷に侵入して会話を盗み聞いていた。
 だが、先程侵入した際、理己は毎回行っていた能力の発動を忘れていたのだ。その所為で源次に気配を察知されてしまった。咄嗟の判断で能力を発動させたが、そのような小さなミスがいずれ大きな綻びを生む、というのが聡の考えである。
「すんません」
「お前を制御できないのは私の責任だ。もう少しお前の限界を浅く見ておくべきだった」
 遠回しに使えない無能だと言われていることは理解していた。反論もできないので、理己から何か発言することはない。
「今日から三日間、お前に休息を与える。能力の発動は禁止。休息の間は毎日八時間以上の睡眠を心掛けろ。以上」
 聡はいつも用件を手短に伝え、それ以上の会話を望まない。理己は自分の目的を達成させる為に必要な道具であり、それ以上でもそれ以下でもないからだ。
 理己もそれに納得していた、自分たちはそういう契約のもとで協力をしている。超能力を聡の為に使い、その報酬として生活の安全を保証してもらう。六年前に兄である理世が死んでからもそれは変わっていない。
 だから、聡はいつも通りに用件だけを伝えた。そして理己は生活の為に命令を聴かなくてはならない。いつも通りのやり取り。そのはずだった。
「ちょっと、待ってくださいよ」
 疲弊した声で理己が言った。その声には少しばかりの怒りが込められているように聞こえる。
「何だ」
 聡はもう理己を見ていない。何かの実験資料も眺めながら、興味がないといった様子で理己に応じる。
「休ませた後は、またあの二人から記憶を奪おうってんですか。今度は何を奪うんですか」
「次の指示はお前が回復した後に伝える。今は体を休めることだけを考えろ」
「……そんで、その次は綴ちゃんからお母さんの存在そのものを忘れさせる、とかですかね。日記だか何だか見つかったんでしょ。都合悪いですもんね、そんな記憶」
 理己の声は僅かに震えている。体の不調によるものか、沸き立つ感情によるものかは聡には分からない。興味がない。
「それ以上の発言を禁止する。今のお前は過度な睡眠不足によって記憶障害、言語障害を起こした人間と酷似している状態だ。正常な判断ができなくなっている。大人しく休め」
「やっぱりそうなんだ。そうやって自分の娘や使用人から何もかも奪って、祈さんを治療する方法だって未だに見つけられてないのに……何だよ、あんた一体何人犠牲にすれば――」
「五和、今のお前はどちらだ」
 いつの間にか理己の前に聡が立っていた。温情など欠片もない視線が理己を射抜く。
「今のお前の発言は五和理世としては有り得ないものばかりだな。ならばお前は誰だ。命欲しさに兄を真似た妹か。そのような無能と協力関係を続けるつもりはないが」
「……理己ならそもそもあんたとしゃべることもできねえよ。知ってんだろ」
「なら懸命な判断をしろ。お前が兄の方ならこの意味が分かるだろう」
 そう言って聡は再び座っていた椅子まで戻っていく。聡は理己の怒りなど意にも介さない。この男が人の感情に左右されるということは有り得ないのだ。
「知るか。壊してやるよ、こんな研究」
 理己は聡が気に食わなかった。聡はいつだって自分を見下し続けてきた。それは仕方がない。いくら理世の人格を複写したからといって、理己は自分が兄よりも劣っていることを理解していた。事実、彼女は聡の助けがなくては生きてはいけないのだから。
 だが、何年もの間、月之世家の人間を監視するようになってから、理己は様々な人間がいることを知った。
 妹の為に実の父親に立ち向かおうとする綴。自分の命も顧みずに綴と廻の助けになろうとした結子。父親以上にあの姉妹を想っている源次。会ったばかりの綴の助けになろうと、聡に反抗的な態度を取った鈴花。そして、こんな自分にも優しい笑顔を向けてくれる廻。
 そんな彼らが、どうしてこんな非道を極めた男の身勝手に振り回されなければならないのか。理己はそれが何より納得できなかった。
 理己は立ち上がり、意識を聡に集中させる。激しい頭痛が襲ってくるが、そんなことを気にしてはいられない。この男の記憶を全て消去し、今まで自分が関わってきた人間の記憶を全て復元する。その頃にはもう自分は廃人になっているかもしれないが、それで月之世家の人々が救われるのなら理己は構わなかった。
「能力の発動は禁止すると言っただろう」
「え――」
 既に記憶を消され始めているであろう聡が、椅子に向かうのを止めてこちらに振り返る。その余裕の表情から精神に一切の干渉を受けていないことが分かる。
「何で……」
 理己はその場にへたり込んでしまった。もう能力を使う気力は残っていない。力なく疑問を口にした理己に、聡はゆっくりと近付いていく。
「今までに何度精神を蝕まれた人間を見てきたと思っている。飼い犬が牙を剥いた際の対抗策など用意しているに決まっているだろう。どこまでも浅はかな小娘だ」
 そう言って聡は腕の注射痕を見せた。
「いつ、そんなもの」
「お前の兄が死ぬ前からだ。奴には奴で別の枷をしていたが念の為にな」
 捨て身の特攻が呆気なく防がれ、理己はどうして良いか分からなくなった。この男は自分たちが裏切ることまで想定内だったのだから。
 呆然とする理己に、聡はさらに言葉を続ける。
「さて、自暴自棄になって自分の記憶を消去、なんて愚行に走られては困る。お前にも専用の枷を付けてやるとしよう」
「かせ……?」
「お前が使い物にならなくなったときは、非常に心苦しいがあの新米の少女を使うことにする。確か阿實鈴花といったか。お前の能力抜きで超能力者に育て上げるのは困難かもしれないが、新種の薬のデータを揃ってきた。それに、廻を独りにするわけにもいかないだろう?」
「な――あの子は関係ないだろ! 廻ちゃんに治癒能力が発現すればそれで済むって言ってたのに!」
「お前が従順なままでいれば何も変わらん。それに――」
 聡はそこで言葉を切り、座ったまま呆然としている理己の頭にそっと手を置いた。
「ひ――」
「お前の兄はこの程度で動揺することはなかったぞ、理己」
 こちらの心を見透かすような恐ろしい目が、理己の精神を支配する。自分は兄の人格を完璧に複写できていなかったただの出来損ないだと言われているようで、理己の心は恐怖と絶望に染まっていく。怖くて震えそうなのに、それすら許されていない気がして、理己は体をぴくりとも動かすことはできなかった。
「祈の治療にはお前が必要だ。これからも良い協力関係でいよう」
 そうだ、この人に逆らってはいけない。あの無敵の兄が従っていたくらいなんだ。最初から自分一人がどうこうできる人間じゃなかったんだ――

 理己の心は完全に屈服した。







 普段なら気にならないであろう廊下を歩く音に気付き、廻は目を覚ました。重い体を何とか起こし、未だはっきりとしない意識のまま廊下に出る。
「りこ……さん?」
「あ……」
 そこには、覇気のない目をした理己がいた。いつも気だるそうな彼女だが、ひと目見ただけでも今の状態は普通ではないと分かった。
「どうしたんですか、こんな夜中に」
「……りこ。おれ、わたしの、なまえ」
 理己の声色がいつもと違う。飄々とした少年のような話し方をする彼女が、まるで気弱で内気な少女のようだ。廻はすぐにただならぬ出来事があったのだと理解した。
「理己さん、ちょっと見させてもらうね」
 廻はそう断って、理己の精神に意識を集中させた。その瞬間、この数時間の出来事が頭の中に流れ込んでくる。
「……そんな」
 その一部始終を見て、廻は胸の前でぎゅっと手を握りしめる。
「わたし、みんなの記憶を消さないと。あの人にとって都合が悪い記憶、全部」
 理己は焦点の定まらない目でそう呟く。彼女の精神はもう聡の手によって支配されてしまっていた。
「っ……理己さん」
 廻は理己を無意識に抱き締めていた。自分とあまり身長の変わらない華奢な少女は、何の抵抗もなく廻の腕の中に収まってしまう。
「めぐりちゃん?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……! 私が何とかするから、全部私が助けるから……!」
 廻は泣いていた。それが何故か分からなくて理己は困惑する。
 廻は強い子だ、と常日頃から理己は思っていた。自分の才能を認められなくても挫けず、大好きな姉と離れることを受け入れ、父親の研究に付き合っている。たくさん辛いことを経験してきた廻だが、涙を見せることは決してなかった。
 そんな彼女が、今は嗚咽混じりに涙を流している。
「めぐりちゃん、どうして謝るの」
「こんな、こんなにたくさん不幸にしてきたのに、まだ……どうして……」
 廻は答えてくれない。ただただ理己を強く抱き締め、悲痛な嗚咽を漏らし続けるのみである。
 あたたかい、と思った。誰かに抱擁をされたのはいつ以来だろう。彼女は今、理己でもあり、理世でもある。二人の人間の記憶が入り混じる中で、正確な思い出を引き出すことは難しい。
 そんな中、ひとつの記憶が理己の頭に浮かび上がってくる。不安なとき、寂しいとき、泣きそうなとき、いつも理己を優しく抱き締めてくれた人物がいた。廻の温もりを通じて、その人物の姿が段々と鮮明になっていく。
「ああ……」
 理己が息を漏らす。その拍子に、今まで自分を構成していた偽りの人格がぼろぼろと剥がれ落ちる感覚を覚えた。自分は何者で、何を経験して今に至るのか。その全てを思い出した理己は、既にこの世にいないであろう者の姿を想起して小さく呟いた。
「……おねぇ」




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