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ツキノセ 作者:
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不完全な日常 - 2

ご閲覧ありがとうございます。
 オルタスは投資家の息子だった。
 彼はいずれ自分がその仕事を受け継ぐことを受け入れていたが、それを退屈な人生だと吐き捨てた。
 それを聞いたるな子は否定も肯定もしなかった。ただ一言「そう」と相槌を打ち、それ以上の言葉を発することはなかった。
 驚くことにこの二人は、数年後に夫婦となる。
 予想外の展開だった。確かに高校を卒業してエンディングとするには展開の足りないゲームだとは思ったが、まさか結婚までしてしまうとは。
 ……そして、この二人を見てきた私はひとつ突拍子もない仮説を立ててしまった。




「お父様は、高校生時代に一度もお母様の成績を超えられなかったのですか」
「ぐむっ!」
 いつもと変わらぬ朝食の風景――と思いきや、父が咳き込んだ。……予想外の反応だ。朝からこんな希少な体験ができるとは。今までこんな人間らしい反応を見せた父など見たことがない。この男の血液は決して赤くないだろうと踏んでいたが、もしかしたら同じ人間なのかもしれない。
「どうしたのかな、急にそんなことを訊いて」
「いえ、何となく」
「まさか祈の日記でもあったのかね」
「似たようなものです」
「何?」
 父が目を丸くする。まったく、昨日からどうしたというのか。胡散臭い笑顔という仮面を付けているのが私の父の特徴だというのに、私の発言にいちいち表情を変えて。実に月之世聡らしからぬ反応である。
 それより今の反応、やはり私の仮説は間違っていなかったか。
 あのゲームは恐らく、母の日記代わりだ。それが何故、月之世家とまったく関係のない鈴花の父である柳一氏が持っていたのかは分からない。インターネットに公開でもしていたのだろうか。
 とにかく、母は自分の体験をゲームという形で記していたのだ。まさかこういう形で生前の母を知ることになろうとは思わなかったが。
 とすると、オルタスは母の夫になるわけだから、そのモデルは……。
「綴、似たようなものとはどういうことだ。まさか本当に日記があったわけではあるまい」
 あの表情豊かですぐに動揺する彼が、どうしてこれになるのか。
「お父様。お顔が怖いです。萎縮してしまいます」
「……すまない。祈の生きていた頃を記録しているものはほとんどないからね。もしそういう類のものが見つかれば私も嬉しい。綴、何か見つけたのかい?」
 声色を柔らかめに変えてきたが、先程の隠しきれない険しさこそが父の本来の感情だ。信用できないので、ここは適当に誤魔化そう。あれの作成者が母と確証を得られたという時点で十分な収穫だ。
「見つけたといえば見つけましたが……その中に、内容は口外厳禁と書いてありました。たとえお父様でもお教えできません。女同士の秘密です」
「む……」
 良し、効いたようだ。ちょっと悪戯っぽく笑ってみたのが良かったのかもしれない。こういう誤魔化し方はるな子を見て覚えた。るな子――もとい母に感謝しなくては。
「祈は――いや、ふむ、そうだな。残念だが諦めよう」
 父はそう言って苦笑した。ようやくいつもの調子に戻ったようだ。もしかしたら「この後どうやって綴の部屋を漁ろうか」なんてことを考えているかもしれない。父が余裕ぶっている間は用心しておこう。
「これからお父様の恥ずかしい過去が暴かれてしまうかもしれませんが、どうかお許しくださいね」
「はは、それは恐ろしいな」
 どうやらもうからかいは通じないようだ。いつもと調子が違う私にもう順応している。それとも本心から自分に恥ずべき過去はないという自身があるのだろうか。
「ご馳走様でした。食後の紅茶は私の部屋へ持ってきてください」
「かしこまりました」
 朝食を終え、席を立つ。今日は父からの視線は感じなかった。




 食堂を出ると、エントランスの方から声が聞こえた。普段は使用人達の雑談を盗み聞きする趣味はないのだが、少し緊迫した雰囲気を感じたので、少しだけ様子を見ることにする。
「はい、何だか、少し前から違和感というか、ここにいると気分が悪くなって……仕事が嫌というわけではないんです。須藤さんも使用人の皆さんも親切なので」
 二階へ続く階段の側で、白百合と源次が話をしていた。やはり彼女は何か悩みを抱えていたのか。
「ゲストルームへ行きましょう。そこで詳しい話を聴かせてください」
「はい、すみません……」
 二人は階段を上り始めてしまった。追いかけたい気持ちは少しあったが、わざわざ別室で話すような悩みを盗み聴くのは、人として正しい行動ではない。私は諦めて自室へ戻ることに――
「……といっても、結局二階に行くから追いかける形になるのよね」
 私は自分に言い訳をするように呟き、少し遅れて二階への階段を上ることにした。
 それにしても、どういう意味だろう。「ここにいると気分が悪くなる」。屋敷内は使用人たちの働きでいつも清潔だし、有害な物質が発生するような土地でもないと思う。そもそもこの屋敷は建物がほとんどない田舎にあるのだから、空気は新鮮だ。
 もしかして、父に生理的嫌悪感を抱いているのではないだろうか。それなら納得だ。あんな何を考えているのか分からない人間が主では、忠誠心も揺らぐというもの。こっちが毒される前に早急に職を変えた方が――
「綴、どうかしたのかい」
「――!」
 心臓が口から出るかと思った。いつの間に来ていたのか、階段の途中で後ろから父が声を掛けてきた。どうしたも何も、貴方の所為で使用人が一人悩んでいるのかもしれないのですよ、という言葉をぐっと飲み込む。
「いえ、何でも――」
「白百合と源次が一緒にいたように見えたが」
 見ていたのか。ということは二人を覗き見ていた私のことも……なんと質の悪い。
「……ええ、何か相談事のようでした」
「そうか、ならば当主として使用人の悩みを解決しに……と行きたいところだが、適任ではないな」
「え?」
「源次相手の方が何かと話しやすいだろう。私が行っても萎縮させてしまう。大人しく部屋に戻るよ」
 そう言って父は階段を上り、源次たちとは別の方向に歩き出す。
 なんだ、そういう気の遣い方はできるのか……それなら普段からそうすれば――
「――お父様」
 私は無意識に父を呼び止めていた。父が振り返り、私を見る。
「お父様にとって、私は……私たち娘や使用人は、どのような存在なのですか」
 私は何を訊いているのだろう。そんなことを訊いてどうするつもりだ。分からない。何と返して欲しいのか、それすら分からないのに。形容しがたい感情が、疑問が、整理できないまま私の中に渦を巻く。
「……そうだね」
 父が私に向き直る。
「綴と廻は私のかけがえのない娘だ。そして、使用人たちも同じく大事な存在だと思っている。彼女らの働きで私の生活は成り立っているからね。共に過ごした月日は関係なく、皆等しく大切な従者だ。できることなら、誰一人欠けることなく、ここで定年を迎えて欲しい」
 ああ、そうか。私は期待してしまったんだ。もしかしたらこの人の笑顔は本心からのもので、月之世聡という人間は善心を持った人格者なのかもしれないと。
 るな子の為にクラスメイトに啖呵を切ったオルタスが、偽りの愛情を向けるはずがないと。
 そんなことはあるはずがないのに。だって、今の父から出た慈愛に溢れた言葉は、”何一つ私の心に響かなかった。"
 何故響かなかったのか、その理由は自分でも分からない。父は私を真っ直ぐに見つめて答えてくれた。だが、その瞳から父としての思いやりや愛情は伝わってこなかったのだ。
「……ありがとうございます。嬉しいです」
 私は笑顔を取り繕い、もう源次と白百合を追いかけていたこともすっかり忘れ、静かな足取りで自室へと歩き始めた。




「足りない、ですか」
「はい、おかしいんです。私ここに来るときは、いつも誰かに会うのを楽しみにしていたはずなんです。……これは本来言うべきことじゃないと思うんですけど、それは旦那様やお嬢様方でも、今いる使用人の皆さんでもなくて。他の誰かが、足りないような気がするんです」
 源次と白百合はゲストルームにいた。いつ頃からこの部屋をゲストルームとして使っていたか源次は覚えていないが、誰も使用していないのにも関わらず清潔で、若干の生活感が残っているこの部屋は、いつの間にか誰もがゲストルームとして認識していた。
 室内の丸いミニテーブルを挟んで、源次と白百合は神妙な面持ちで向かい合っている。
「ここ最近で退職された使用人の方はいらっしゃいませんが、何か勘違いをなさっているということは」
「違います。確かにここなんです。二階の給湯室でその人とよく雑談をしていた……ような気がするんです」
「給湯室、ということはやはり使用人のどなたかですね」
 源次は口元に手を当て、低く唸る。
 白百合はこんな突拍子もない話を真剣に聴いてくれるとは思ってもみず、綴の言葉は正しかったのだと受け止めると同時に、源次に僅かな信頼感が芽生えていた。
「私、正直旦那様やお嬢様方が苦手です。何を考えているのか分からなくて、お嬢様方も……あ、廻様は可愛いなって思ってましたけど、綴様の方は何だか私を警戒しているような気がして。年齢とは不相応に落ち着いてるし、旦那様と同じ雰囲気というか」
 だから、ずっと我慢していた不満を漏らしてしまう。目の前にいる老いた執事は、きっと誰よりもこの家に思い入れがあるはずだ。だが不安に押しつぶされそうな今、白百合は抱えている思いを誰かに打ち明けずにはいられなかった。
「私には、友人と呼べる人間がいませんでした」
 沈黙していた源次が重い口調で言う。突然のことでどう返していいか分からない白百合は目を丸くした。
「幼少期も、成人してからも……育ての親が他界してからも、友と呼べる存在に出会ったことはありませんでした。ですが、使用人になる前から、ずっと誰かが私の側にいたような、そんな気がしているのです」
「え……それ、それって」
「歳の所為だと思い込んでいました。いえ、そう自分言い聞かせていました。ですが」
「は、はい。そうです。そういう感覚です。しかも、そう、その人は須藤さんとも仲が良かったと思います」
 白百合は思わず身を乗り出してしまう。自分が、自分だけがおかしいのか――その考えが間違いなのかもしれないと思えて、手に力が入る。
「とすると、この違和感は私たち以外の方も覚えている可能性があります。一度使用人全員に、――!」
「えっ?」
 突然、源次が立ち上がって部屋の入り口近くまで素早く移動した。白百合を庇うように扉と白百合の間に立ち塞がり、庇われている当の本人は何が起きているか分からず硬直してしまう。
「須藤さ――」
「お静かに。部屋の前に良からぬ気配がします」
 静かな声で諭される。初めて見る上司の緊迫した姿に、白百合はそれ以上何も言うことができなかった。
 源次はゆっくりと扉に近づき、廊下の気配に集中する。確かに何者かがこの部屋の前にいるようだが、源次に勘付かれたことに動揺したのか、数歩後ずさりしたような音が聞こえた。
 罠の可能性もあるが、この好機を逃してはならないという理由のない根拠が源次を突き動かし、源次は扉を一気に開く――

「……す、須藤、さん?」
 ――が、廊下に人の姿はなく、源次が感じていた人の気配は跡形もなく消え去っていた。
「……気の所為、だったようです」
 気配は扉を開く瞬間までは確かにあった。この狐につままれたような感覚は、以前にも経験した覚えがあった。そう、そのときに躊躇した所為で、何か取り返しのつかない結果を招いたような――。
「び、びっくりしたぁ……どうしたんですか一体」
 白百合は大きく息を吐く。白百合には何も感じなかったので、源次が何に警戒しているのかはまったく分からなかった。ただ、普段何事にも動揺しない源次がここまで警戒するということは何かあるのだろうと、自分もなるべく音を立てないように細心の注意を払っていた。
「すみません。今度こそは歳の所為かもしれません」
 源次はそう言いながら、空になった二人分のティーカップを片付ける。
「あ、私が――」
「いえ、余計な心配をお掛けしてしまいましたので。それよりも、私は他の方にも同じような違和感が発生していないかを調べてみます。白百合さんは今まで通り過ごしていてください」
「あ、はい、分かりました」
「それと――」
 洗い終わったティーカップを棚に戻し、源次は一呼吸置く。
「……聡様は、私でもその胸中をお察しすることはできません。恐らくあのお方は、私以上に孤独に、孤高に生きてこられたのだと思います」
 源次は白百合に背を向けているので、どのような表情をしているのかは分からない。白百合は余計な口を挟まずに源次の言葉に耳を傾けていた。
「廻様はとてもお優しい心をお持ちです。廻様の無邪気な笑顔を見る度、私も心が洗われるようでした。誰に対しても分け隔てなく、その優しさを与えてくださいます」
 源次はそこでまた一呼吸置いた。泰然自若とした執事の背中は、いつの間にかとても寂しそうに見える。
「綴様は……とても、とても脆いお方です。綴様はご両親の聡明さを抜きん出て受け継いでおられますが、それに相応しい自分であろうと、休むことなく気を張り続けていらっしゃいます。傍から見ればそれは優秀で凛としたご息女に見えることでしょう。ですが、それを維持しなくてはならないという重圧に綴様が押し潰されてしまうのではないかと、執事という立場を弁えずに、その御身を案じてしまうのです」
「須藤さん……」
 白百合は後悔した。先程の自分の愚痴は流されていたのだと勝手に思っていた。だが、やはり源次の前で言うべきことではなかったのだ。
 彼はそれ程までに、綴と廻のことを想っていたのだから。
「須藤さん、すみません。私、何も分かっていませんでした。お嬢様方のことも、須藤さんのことも。もっと人の内側に、本質に目を向けるべきだったと反省しています」
 白百合は立ち上がり、深く頭を下げる。この人になら愚痴を言っても良い、などと考えるべきではなかった。源次がずっと抱き続けている想いを土足で踏みにじってしまった。この話し合いを通して、源次に対する信頼感が芽生え始めていたからこそ、その後悔は強い。
「……白百合さん、顔を上げてください。私こそ申し訳ありません。白百合さんにそのようなことをさせてしまう為にお話したわけではないのです。ただ、綴様に対する誤解を、少し解かせて頂きたかっただけなのですから」
 白百合に歩み寄った源次は、優しげな口調でそう言って、頭を下げ続けている白百合の肩にそっと手を添えた。そこでようやく頭を上げた白百合の目に映ったのは、怒りなど微塵も感じさせない、穏やかな老人の表情だった。
「確かに、同じ年齢の子供たちから比べれば特殊かもしれません。ですがどうか、敬遠なさらずに接して頂きたい」
 白百合がここへ来たばかりの頃、須藤源次という男は厳格でまったく隙のない人間だと思っていた。だがそれは誤解で、源次はこんなにも思いやりに溢れた信頼できる執事だったのだ。
 長い間見守ってきた綴のことを誤解されても、憤ることはせずに自分の相談に乗ってくれた。そして、そんな自分に綴の内面について語り、もっと気軽に接してやって欲しいとまで言ってくれた。
 白百合は源次への信頼感が強まると同時に、この執事に愛されている綴と廻のことをもっと深く知り、自分も力になりたいと思うようになっていた。
「はい、分かりました。お話してくれてありがとうございます」
 そして、今度は感謝の意を込め、白百合は改めて源次に頭を下げるのだった。

 


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