挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ツキノセ 作者:
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

33/47

喪失 - 4

ご閲覧ありがとうございます。
 少女には何もなかった。親も、友も、名前も、家も。
 周りの皆もそうだと思っていた。でも、皆はとても楽しそうで、少女にはそれがとても怖かった。きっと皆、自分には何もないということを知らないのだ。そう考えることで自分を納得させた。
 少女は本を読むのが好きだった。何もない自分でも、本の中の世界を見ているときはそれを忘れられたからだ。物語の主人公は何でも持っていた。そんな彼らの物語を知ることで、自分も何かを得たような気になるのが好きだった。
 ある日、少女のもとに一人の男がやってきた。男は少女にとても魅力的な提案をしてくれた。世界で誰も成し得なかったことを共にやろうと。
 それはまるで、物語の主人公のようではないか。少女はすぐに男に着いていくことにした。空っぽの自分とようやくお別れできる。少女は生まれて初めて現実に希望を見出した。


 少女が連れて行かれたのはどこかの地下だった。病院のような造りで、そこで男は少女にいろいろな映像を見せた。よく分からないもの、気分が悪くなるもの、楽しくなってくるもの。それと同時に、いろんな音を聴かせられ、怪しげな注射を打たれた。決して気分の良いものではなかったが、これを頑張って耐えれば、きっと自分も本の中の彼らのように輝かしい人生を送ることができる。少女はそれを信じて、痛みや辛さを必死に耐えた。
 それから何日、何ヶ月が経っただろうか。男が最初に見せた優しい態度は既になく、いつしか彼は少女に冷たい反応をするようになった。それがどうしてかは少女には分からなかった。自分ではとても頑張っているつもりだったのだから。


 鬱屈とした日が続いたある日、残酷な出来事が少女を襲った。
 いつものように起床して男のもとへ向かう途中、廊下で少女の大切な人が殺されそうになっていた。刃物を持った男性がその人に襲い掛かっている。少女は無我夢中でその男性に飛びかかろうとしたが、その瞬間いつも聴かされている不快な音が聴こえ、少女はその場でうずまってしまう。はやく助けなければ――体が思うように動かない状態で、少女は必死に大切な人のもとへ向かおうとするが間に合わない。男性が刃物を振りかぶる――その瞬間、少女の意識の中にあった何かが弾けた。
 絶対に殺させない――その想いが通じたかのように、男性の刃物は大切な人の目の前で止まっていた。少女は何が起きたのか理解できなかったが、男性が戸惑っているうちにあの男が現れ、少女の大切な人を助けてくれた。
 後日、少女は不可解な事実を知る。少女が大切な人だと思っていた人物は、まったくの赤の他人だったのだ。少女と一度も会ったことがない人間で、何故あの人間を大切な人だと思ってしまったのか、少女自身にも分からなかった。初めて見た人間に、どうしてそんな感情を抱いたのか。
 加えて少女には、あの日から不思議な力が宿っていた。見えない壁のようなものを作れるようになっていたのだ。一体自分に何が起きたのか、理解できないことばかりだったが、あの日以来、男が初めてあった日のように優しくなった。それが嬉しかったので、少女は難しいことを考えるのは止めた。


 それからいくらかの日数が過ぎ、廻という少女が地下にやってきた。廻は少女の姿を見た途端、今にも泣きそうな悲しい表情して少女を抱き締めた。理由は全く分からなかったが、今までの苦しみを全て受け止めてくれるかのような優しい抱擁に少女は涙した。自分でも何故泣いてしまったのか分からない。あの場所を出てから、本当に分からないことがばかりだった。
 廻はすぐにいなくなった。何でも一週間に二日程度しか滞在しないらしい。少女は生まれて初めて明確な『寂しさ』を感じた。またあの優しい笑顔で自分を見て欲しい。優しい声を掛けて欲しい。次に会うのがとても楽しみだった。
 一週間がとても長い。いつの間にか言葉も上手く話せなくなってしまった。あの不思議な力を使えるようになってから体調が良くない。少し疲れただけで酷い頭痛がするし、男もまた前のように冷たくなっていた。でも、また廻と会えば体調が良くなるかもしれない。そんな根拠のない希望を抱いて、少女は廻を待ち続けた。
 それから何日か経ち、少女は初めて人が死ぬのを見た。体のいろんなところから血を流し、この人はもう二度と動くことはないのだろうと自然に理解してしまう。死とはあっけないものだった。
 その死体を見て、少女は今までの自分の人生を振り返る。世界で誰も成し得なかったこと――違う、こんなことじゃない。自分が見たかったものはこんな光景ではない。少女はやっと、自分が望んでいた道から大きく外れていたことを理解した。そして、今更後戻りはできないということも。
 あの日少女は、本の中に出てくる彼らのように希望に溢れた人生を送れると信じていた。だが、今の自分はぼろぼろで、言葉も上手く話せず、やっていることと言えば注射と睡眠と最低限の食事。空っぽの自分が嫌で飛び出した世界の先で、自分が望んでいたものは何一つ得られなかった。
 その日の夜、久しぶりに廻と会った。一週間前に会ったときと変わらず、廻は少女に優しかった。自分が上手く話せていないことに気付いているだろうに、廻はそれについて言及することはせず、常に少女の体調を気遣っていた。心なしか廻も少し元気がなさそうに見えたが、もう悲しい思いをするのは嫌なので、少女はそれには触れず、ただ廻と一緒の時間を大切にすることにした。
 ああ、できることなら、めぐりさんと、いっしょに――。

 ゆっくりと意識が覚醒する。長い長い夢を見ていたようだ。廻は目を軽く擦って体を起こす。
「……え?」
 昨日ことを思い出す。廻は昨夜、みどりを救う手段を考える為にベッドには行かず、彼女の側にいたはずだった。
 廻はそこで、自分がみどりのベッドに突っ伏していたことに気付いた。どうやらいつの間にか寝てしまっていたらしい。それと同時に、目の前のベッドに誰も寝ていないことに気付き、廻は心臓を握り締められたような気分になる。
「……嘘」
 どうしてみどりがいなくなっているのか。パニックに陥りそうな頭を廻は何とか落ち着かせる。
 時計を確認すると時刻は午前四時を指していた。こんな朝早くから実験を行うことはない。
「トイレ、かな」
 縋るように口にした独り言は、酷く震えていた。
 本当は分かっている。昨夜、聡はみどりを養護施設に連れて行くと言った。それはつまり、使い物にならなくなったみどりを処分するということだ。分かっていたはずなのに、明日ではないだろう、などという甘い判断を下してしまったのだ。
「確かめないと――!」
 廻は勢い良く部屋を出た。まずはすぐ近くのトイレを確認したが、当然みどりはいなかった。僅かでも抱いていた希望はすぐに砕かれる。
 次に向かった先は理己の部屋。早い時間だが、そんなことは気にしていられず、廻は勢い良くドアを開けた。
「うぇえあ!! なっ、なに!?」
 寝ていた理己が、突然の音に驚いてベッドから転げ落ちた。
「ごめんなさい! 理己さん、みどりちゃん知らない!?」
「みど……ああ82番? 知らんよぉずっと寝てたもん」
 理己は嘘を言っていない。確かに彼女が昨日からずっとここで寝ていたことを、廻は"その目で確認した"。
「じゃあやっぱり――ありがとう理己さん!」
 廻はそのまま退室して、今度は聡を探すことにした。誰かに連れ去られたのだとしたら、理己か聡しか有り得ない。
「お願い、無事でいて……!」
 廊下を走る。起きたばかりで足がふらつき、急な運動の為に頭痛も酷いが、そんなことに構っている場合ではない。廻は使い物にならなくなった被験者の行き着く先を知っている。あんなところにみどりが"落とされる"かと思うと、胸が張り裂けそうになった。
 無機質な廊下を駆け、何度目かの角を曲がったところにその扉はあった。いつも被験者が目を覆いたくなるような実験に掛けられているのはこの部屋だ。そして、用済みの被験者が処分されるのもこの部屋である。もしみどりが処分される為に連れ出されたのなら、恐らく聡と共にこの部屋にいる。
「開かない……!」
 扉にはロックが掛かっていた。専用のカードキーが必要なようだが、廻はそんなものを所持していない。
「みどりちゃん! お父様!」
 ならばと、廻は声を張り上げながら扉を叩く。
「お父様! みどりちゃんを殺さないでください! みどりちゃんは私が治します! きっと治せるようになります! だから待ってください!」
 力の限りに叫んだ。この扉は重厚だ。生半可な声の大きさでは遮られてしまうだろう。廻はこれまでに出したことのない大声で聡を呼んだ。
「お父様! お願いです!! 開けてください!! お父――」
 扉を叩いていた手が空を切り、廻はそのまま前のめりによろけてしまう。扉が急に開いたのだ。廻は転ぶ寸前で何とか体勢を立て直した。
 学校の教室ほどの大きさはある部屋の中を見渡す。部屋は奥と手前で丁度半分に仕切られており、奥の部屋は手前からガラス越しに見ることができる。ガラスで覆われた奥の部屋は、被験者を実験に掛ける為の部屋。そして、手前はその様子を観察する為の部屋で、怪しげな機械といくつものモニターが並べられている。
 それらの機械の前に聡はいた。こちらに背を向けている為、表情は分からず、近くには誰もいないようだった。
「あ――」
 みどりがいないことに気付き、廻の心臓が止まりそうになる。まさか、もう既に――そんな考えが頭をよぎり、鼓動が早くなる。
「お父、様……みどりちゃん、は」
 廻は力ない声のまま聡に近付いていく。こんな状況でも、みどりが無事である希望を捨て切れなかった。
「……82番は」
 聡が背を向けたまま言葉を発する。その先に続く言葉を、廻は谷底に落とされるような気分で待っていたが――
「82番は、ここにはいないよ、廻」
 振り返った聡の表情を見て、廻は呆気に取られた。









 今頃彼は、微塵も予想していない展開に絶句していることだろう。

 そう、彼の誤算は、私の顔を忘れていたこと。

 もう彼の思い通りに事は進まない。

 あの姉妹は必ず父親に打ち勝つだろう。

 なんたって、あの子の血を引いているのだから。





今回で前半部分は終了です。
良ければ後半の方もお付き合い下されば幸いです。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ