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ツキノセ 作者:
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喪失 - 3

ご閲覧ありがとうございます。
 無機質な壁、無機質な床。廻が先週に初めてここを訪れたとき、真っ先に感じたものは『空虚』だった。ここは時間が止まっている。最新鋭の機械や技術があっても、それらが未来ある何かを作り出すことはない。過去に失われたもの、人の世から消え去ったものを再現、あるいは復元する為だけに用意された無数の歯車。それらは互いに噛み合っているかも分からないまま、空虚に回り続けている。
「おかえり、なさい」
 必要最低限のものしかない無機質な個室に彼女はいた。力のない笑顔で廻を出迎える。理己と同じように手入れのされていない髪と薄汚れた白い服。何故聡は彼女の身だしなみを気に掛けないのだろうかと廻はやり切れない気持ちになるが、それを表には出さない。
「ただいま、みどりちゃん」
 ここは廻の本来帰るべき場所ではない。それでも、彼女にとってはここが家だ。それ故の『おかえりなさい』なのだろう。その想いを察した廻はそれ以上何も言わなかった。
 廻が『みどりちゃん』と呼んだこの少女に名前はない。本人曰く、気がつけばこの場所にいたとのこと。聡は彼女を『82番』と呼んでいる。それではあんまりだと、廻は彼女の髪色にちなんで『みどりちゃん』と呼ぶことにした。本人も嫌がってはいないので、廻の中ではこれが彼女の名前になっている。
「みどりちゃん、まだあれ出せそう?」
 部屋に二つだけあるベッド。その片方に座っているみどりを気遣うように廻は問い掛ける。
「はい、わたし、に、さわって、みてください」
 廻は言われた通り、彼女の体に触れようとする――が、彼女から数センチ離れた場所でその手は止まった。見えない壁のようなものに阻まれているようだが、手に感触はない。
「うん、まだ大丈夫だね」
 もういいよ、と言って見えない壁を解除させた。
 この見えない壁を作り出すことが、みどりの秘めた超能力である。対象は自分、他人、生物、無機物問わず、その対象の周りに視認できない透明な壁を作り出すことができる。結子の蹴りから聡を守ったのも、彼女が作り出した障壁によるものだ。
 発現したのは半年前。幾度も繰り返された実験の末、彼女の中に生まれたのは何かを守る力だった。破壊を目的とする能力を発現する者が多い中、彼女のような被験者は異例だった。
 それに加え、能力が発現しても数日で廃人化したり衰弱死する者が多い中、半年もこうして正気を保っているのもみどりだけである。
 だが、彼女にも異変は起こり始めていた。
「あの、めぐり、さん」
「ん?」
 みどりは途切れ途切れにしか言葉を発することができなくなっていた。廻が初めて会ったときはもう少し流暢だったのだが、ここ一週間で悪化したようだ。声にもあまり抑揚がなく、声色から感情を読み取ることは難しい。
「あの、めいどの、おねえさん」
「えっと、結子さん?」
「はい、よく、わからない、けど、きっと、わたしのせいで、しんじゃった、ですよね」
「え……」
「ごめん、なさい」
 みどりは小さな体を弱々しく曲げて廻に謝罪した。突然のことに廻は驚いたが、すぐにみどりの体を抱き起こして、柔らかい口調を努めて諭す。
「違うよ、みどりちゃん。みどりちゃんの所為じゃない。だから謝らないで」
「そう、なのですか?」
「うん。それに、結子さんは……結子さんなら、大丈夫」
「でも、ちが、いっぱい、でてました」
「結子さんならあれくらい平気。すぐ元気になるよ」
 廻の優しい声色に、悲痛な表情だったみどりは少しだけ穏やかな顔になった。それを見て安心した廻も、先程より柔らかな表情になる。
「めぐりさん、に、いわれると、あんしん、します、ね。ふしぎ」
 そう言ってみどりは優しく微笑んだ。
 なるほど、姉から見た自分もきっとこうだったのだろう――そんなことを思い、廻はかつての自分とみどりを重ねた。
「さ、今日は出歩いたから疲れちゃったよね。ゆっくり休んで」
 みどりをベッドに寝かせ、その上から毛布を掛ける。大人しく横になったみどりは心配そうに廻へ問い掛けた。
「めぐりさん、は?」
「私は……お父様のところに行かないと」
「……おとうさん」
 みどりには馴染みのない響きだ。自分にも恐らくいたであろう、父親という存在。親からの愛情というものを知らないみどりからすれば、他人とどう違うのかよく分からないのだ。
「うん、じゃあ私、行くね」
「はい、いって、らっしゃい」
 みどりは薄く笑う。その笑顔に心配させまいという想いが混じっていることに廻は気付いていた。きっと自分がみどりの立場なら、同じように振る舞っていただろうから。
 廻は敢えてそこには触れず、言ってきますと一言だけ返してから部屋を出た。

「甲斐甲斐しいお姉ちゃんって感じだ」
 部屋を出ると理己が壁に寄り掛かって待機していた。相変わらず軽い声色と覇気のない顔が一致していない。
「私にはこれくらいしかできないから」
「達観してるねぇ。ほんとに十一歳?」
「……理己さん、ちゃんと寝てますか?」
「んぇ?」
 まったく別の質問で返されたことに面食らい、理己は素っ頓狂な声を上げる。
「目の隈、また濃くなってます。お父様の所為でお昼の間は大変なんですから、ちゃんとお休みしないとです」
 廻の声色は優しい。本心で理己の体調を気遣っていることが分かるが、優しくされることに慣れていない理己はどう返したものかと困惑の表情を浮かべる。
「おーおー、何か世話焼きの妹ができたみたいだ。ま、理己さんは夜行性だかんねー。しんぱいごむよーさ」
 理己は頭の後ろで手を組み、わざとらしくけたけたと笑う。対して廻はくすりとも笑わず、先程と同じ心配そうな表情で理己を見つめたままだ。
「あー……うん、ごめんごめん。寝る。すぐ寝る。コンマで。だからそんな小動物みたいな顔しないでほしーなー」
 仕方なく理己は折れる。月之世の屋敷で立ちくらみを起こした手前、大丈夫だと言い張ることはできなかった。
「うん、それなら安心です。……ところで、何かご用でしたか?」
「ああ、82番ちゃん、どう? まだしゃべれてんの?」
「……コミュニケーションは、取れてます。でも、先週まではその、もうちょっと自然でしたよね」
「そーねー。まぁ無理っくり脳いじくって作った超能力者なんてあんなもんよ。むしろ保ってる方。他の奴らなんてすーぐ発狂したり泡吹いたりだからねぇ。あの子は優秀なんでしょ」
 理己はあまり興味がなさそうに欠伸をした。この様子だと、みどりの体調を確認しに来たのは本人の意思ではなく聡の命令だろう。
「本当に、それだけなんでしょうか」
「うん?」
「あ、いえ、何でもないです。じゃあ私、お父様のところに行きますので」
「あ、そーなの。じゃー理己さんも大人しく寝るとしますかねー」
 理己は踵を返してふらふらと歩き出した。超能力の使い過ぎで疲れているのか、ただだらしなく歩いているのかの判別は、傍から見れば分からない。
 廻はその姿を横目に、理己とは逆の方向へ歩き出そうとする。
「ねー、廻ちゃん」
 理己に背を向けたところで、ふと声を掛けられる。振り返ると、理子が顔だけをこちらに向けていた。
「やっぱさ、ここ数ヶ月で落ち着きすぎだよね、廻ちゃん。何かあったん?」
 理己は半笑いで問う。どのような意図でそんなことを訊いてきたのかは分からない。ふとした疑問か、興味による詮索か、聡の指示か。いずれにせよ、廻の不自然な落ち着きに理己が気付いているということは、当然聡も気付いているだろう。そう判断した廻は、特に取り繕うことはしなかった。
「いろいろありました。お姉ちゃんとも離れて、超能力ってものを知って、結子さんがしんじゃって。本当に、いろいろ」
「……んー?」
 理己は顔をこちらに向けたまま首を傾げた。
「まぁ、そうだよね。うん、いやそれは分かる。訊き方が悪かったね」
 乾いた笑いを上げながら、理己は困ったように頭を掻く。そして短く唸ったあと体全体をこちらに向け、改めて問いを投げ掛けてきた。
「ねぇ廻ちゃん。何でそんなに落ち着いてんの?」
 理己の声が低くなる。先程の乾いた笑顔もない。濁った瞳が、言い逃れはさせないとでも言いたげに廻を捕らえている。その顔は一見無表情に見えるが、どこか怒りさえ放っているようにも見えた。
「綴ちゃんと引き剥がされて、超能力なんてわけわかんないもの知っちゃって、親しかったメイドが死んで、踏んだり蹴ったりだ。わた……自分だったらそんなの耐えられる気がしないね。ましてそれは自分の父親が原因ときた。何それ人生ハードモードすぎない? 理不尽だって怒んないの?」
 声こそは荒らげないものの、理己の声には段々と怒りが含まれているのが分かる。自分の理解を超えた存在を前にしたとき、人間は大抵その動揺を怒りに変換する。廻はそのことを理解していた。
「……理己さん」
 廻の胸が傷んだ。彼女のことを知らない人間が見れば、「この女はさっきまでへらへら笑っていたのに、何を急に怒り出しているんだ?」と困惑するだろう。
 しかし、廻は知っていた。五和理己という人間がどういう人生を送り、どれほどの悲しみを経験してきたのかを。そのうえで自分を偽り、辛い記憶から目を背け、ずっと空虚な笑いを浮かべていることを。
 だから、何と言葉を掛けてやれば良いか分からなかった。
「理己さん、それは……」
「あれ、何でこんなイライラしてんだろ。意味わからん。ごめん廻ちゃん。一番辛いの廻ちゃんなのに。眠くて情緒不安定かもしんない。やっぱ睡眠取んないと人間駄目だわー」
 廻が言い淀んでいる間に我に返ったのか、理己から先程のような怒りは感じなくなっていた。いつものように乾いた笑みを浮かべ、頭をがしがしと掻きむしる。
「まぁ、今のは忘れてくだし。ほいじゃおねーさんはさっさとねぐらに戻りまーす」
「あ――」
 自分から吹っ掛けたのが気まずかったのか、理己は廻が何か言う前にそそくさとその場から離れて行った。廻は何も言わずにその背中を見送る。
「……こんなとき、お姉ちゃんなら何て言ってあげるのかな」
 頭をよぎるのは、いつも自分に頼もしい言葉をくれた姉だった。落ち込んだとき、失敗したとき、寂しいとき、不安なとき、廻の側にはいつだって頼りになる姉がいた。姉がいたから、ここまで生きてこられた。
――大丈夫よ、廻。
「……大丈夫、だよ」
 それは理己に対しての言葉か、ここにはいない姉へ向けた強がりか、或いは自分への慰めか。いつも自分に向けられていた言葉を、廻は口にしてみる。
「大丈夫、大丈夫だよ。きっと、元通りになるから」
 胸元で手を握り締め、同じ言葉を繰り返す。そうして、じわじわと湧き上がる不安を廻は掻き消そうとした。それが気休めでも良い。今自分を侵食しようとしている良くない感情を一時でも追いやることができれば、それで良い。
「ああ、大丈夫だとも。廻が協力してくれれば、この研究はきっと上手くいく」
 廻の不安を上から覆うような、優しさに溢れた――欺瞞に満ちた――声が、廻の背後から聞こえた。
「お父様」
「来るのが遅いから心配になってね。いや、私の配慮不足だった。先週に一度訪れたとは言え、慣れない場所だ。不安にもなる」
「ごめんなさい、もう大丈夫です」
「いいや、無理はしなくて良い。適度の緊張は大事だが、気負いすぎるのは体に毒だ。今後の研究について話す予定だったが、それは明日にしよう。今日はゆっくりお休み」
 聡の温かい――氷のように冷え切った――手が、廻の頭をそっと撫でる。この状態で聡の研究について話をするのは確かに適切な判断ではないと思い、廻はその言葉に従うことにした。
「はい、ありがとうございますお父様。おやすみなさい」
「ああ、お休み。……そうだ、82番だが」
 心臓が脈打つ。聡がみどりの名前を出した瞬間、嫌な予感がした。
「彼女の体調もそろそろ限界だ。適切な治療を施した後、近いうちに養護施設に連れていくことにする。別れの挨拶を済ませておいたほうが良いだろう」
 ああ、やっぱり――廻の嫌な予感は的中した。
 治療も養護施設も全て嘘だと言うことは、聡の表情で分かった。聡は身体活動に支障を来し始めたみどりを処分するつもりだ。これまでもそうだった。使い物にならなくなった被験者の行き着く先は、研究所の地下深く、二度と陽の目を見ることのない闇の底である。みどりも例外ではない。
「……分かりました」
「うん。それじゃあお休み、廻」
「おやすみなさい」
 短く返事をして、聡はその場を去る。
 抗議も反論も必要ない。聡が決めたことは絶対だ。聡が他人の意見に左右される可能性はないに等しい。
 だが、廻はみどりが処分されるのを容認するつもりはなかった。何とかしてみどりが死なずに済む方法を考えなくてはいけない。みどりは親の愛情も知らず、ただ聡の研究の為だけに利用されてきた。そんな彼女が人生に何の楽しみも見出だせぬままこの世を去ることだけはあってはならない。
「みどりちゃん……」
 部屋に戻ってきた廻は、ベッドで小さく寝息を立てているみどりの傍らにいた。
 そっと手に触れる。小さくて弱々しいみどりの手。
 この手は家族を知らない。人の温もりを知らない。それは自分が悩んでもどうしようもないことだ。過去を改変することはできないし、彼女の両親がどこの誰なのかも分からない。それに、世の中は自分が思っている以上に理不尽で溢れていることくらい、廻は分かっている。
 それでも、今自分の目の前にいる少女の不遇を、摘み取られようとしている小さな命を、「仕方ない」と割り切ることはできなかった。
「……私が、守らなきゃ」
 ここには頼りになる使用人も姉もいない。この少女を守ってあげられるのは自分だけだ。
 幼い時分より姉に守られてきた廻。今度は自分が誰かを守るのだ。姉に見せてもらった頼もしさを、次は自分が受け継ぐ番だ。
「みどりちゃん。絶対死なせないからね」
 触れていたみどりの手を、廻は自分の両手で優しく包み込んだ。この尊い命を奪わせるものか――そう自分に言い聞かせるように。




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