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ツキノセ 作者:
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黄昏 - 3

ご閲覧ありがとうございます。
 時刻は午後五時過ぎ。赤く染まった空がどことなく物悲しさを漂わせている。月之世の屋敷から車で十分程の住宅街に、石住井の住まいはあった。彼女から毎年送られてくる年賀状の住所を元に探せば、その場所はすぐに見つかった。
 結子は呼び鈴を押そうとして、ふと違和感を覚え動きを止める。その違和感の原因は表札にあった。
 『石住井』と書かれた表札。これのお陰でここが彼女の住まいであるとすぐに分かったわけだが、何故、結婚した後も姓が変わっていないのか。思えば、届いていた年賀状にも彼女一人の名前しか書かれていなかったうえ、それにも同じ姓が表記されていた。
 この時点で結子は、己の行動が軽率であったことに気付く。撮影日と撮影者が曖昧な写真、捏造された記憶、解決していない問題が多い今は、もう少し慎重に動くべきだった。結子は何か嫌な予感がし、呼び鈴から手を引いて来た道を戻ろうとした。

「おっかしいなー。やっぱおかしいよこの人」

 不意に、自分の後ろから軽薄な声がした。男の声にも聞こえるし、女の声のようにも聞こえる。大人の声だとも思うし、子供の声に聞こえなくもない。ただ一つ共通していたのは、酷く不快感を覚える声だった。
 結子は振り返るのを躊躇う。振り返った瞬間、これまでの歪な日常から、淀みのない非日常へと足を踏み入れてしまうかもしれない、そんな考えが頭をよぎってしまい、声の主を確認する気になれなかった。そんな結子を煽るように、声の主は続ける。
「何でその家が見えた? ちゃんと見えなくしたんだけどなぁ?」
 声は先程より近い。再びその声を聞いても、声の主の姿がまったく想像できない。性別や年齢さえも。
「あ、もしかして静城さんも同類? なら嬉しいなぁ。誰もいなかったからさぁ。ん、待て待て、これ話し掛けて良かったんか? ……おーい、何でさっきからシカトして――」
 結子は振り返らず、右の拳だけを後ろへ大きく振った。何か柔らかい感触と共に、声の主が呻き声を上げる。それを聞いて結子はやっと背後を確認し――驚愕の表情を浮かべた。
「いってぇ……いきなり顔って……バイオレンスにも程があるでしょ静城さん」
 そこにいたのは、中学生くらいの少女だった。もちろん会ったことも見たこともない少女だ。どうやら結子の拳は少女の顔に当たったようだが、真っ黒なパーカーのフードを被っているお陰か拳の衝撃は多少緩和されたようだ。体ごと吹き飛ばすつもりで振りかぶったが、少女はよろめきながら殴られた場所を手でさすっているのみである。
 結子は少女の姿を記憶すると、すぐさま来た道を戻り、乗ってきた車へと乗り込む。
「あ、ちょっと! やべぇどうしよう! これ絶対怒られる奴だ!」
 背後から少女が追ってくるのが見えたが、結子はそのままエンジンを掛けアクセルを踏み抜いた。バックミラーに映る少女の姿がみるみるうちに小さくなり、先の角を曲がる頃には誰が見ても追い付けない距離を取っていた。
 結子はハンドルを片手で握ったまま携帯電話を取り出す。すぐに源次へ連絡を取ろうとしたが、あの少女の発言が引っ掛かり、すんでのところで指を止めた。
 何でその家が見えた? ちゃんと見えなくしたんだけどなぁ? ――少女のあの発言から察するに、石住井の住む家は普通であれば見つけられない状態であったと思われる。それがあの少女によって隠されていたのだとしたら、月之世家の住人に起こっている記憶障害と何か関係があるかもしれない。もし、ここであの少女のことを源次に伝えても、再び記憶が塗り替えられてしまっては意味がない。加えて、結子が源次と共に聡の研究を阻止しようとしていることが発覚すれば、今のように調査は続けられなくなるだろう。
「……どうする」
 結子は車を走らせたまま、懸命に思考を巡らせる。少しでも判断を誤れば、ここで自分達の道は閉ざされてしまうような予感がした。
「取り敢えず、屋敷に戻るのは駄目だ」
 結子は進路を変え、屋敷とは反対の方向に進む。あの少女は恐らく聡の協力者だ。ならば、聡のいる屋敷へ戻るのは危険な行為だと結子は考えた。
「――そうだ」
 結子は再び携帯電話を取り出し、メールの作成画面を開いた。迅速に、されど確実に文字を打っていく。
(行け……!)
 送信ボタンを押して、数秒待つ。通常時よりも何倍も長く感じられる『送信中』という画面が表示された後、メールは無事送信先へと届いた。
 僅かな安堵と共に結子は意識を運転に集中させる――が、前方を確認して、結子は唖然とした。
 反射的に急ブレーキを踏み、車を停止させる。嫌な汗が背中を伝うのが分かる。脳が今の状況を最悪であると警告している。
 結子は車のエンジンを掛けたまま車を下りた。そして、そのままゆっくりと、自分を見詰めている人物へと近付いていく。不自然な程に人気のない住宅街に、結子がコンクリートの上を歩く音だけが聞こえる。
「随分と荒い運転だが、買い出しは終わったのかね」
 その人物は、不気味な程に、いつも通りの口調でそう言った。側には車が一台停まっている。助手席や運転席に人はいない。一人で運転してきたようだ。
「申し訳御座いません、旦那様。近くまで寄ったものですから、つい寄り道を。何なりと処罰をお与えください」
「いや、構わない。業務に支障が出なければ何をするも自由だ。それで、石住井は元気そうだったかな」
 聡は、結子が石住井を訪ねたことを既に知っていた。何故――そんな問いを投げかけていられるような状況ではない。聡がこうしてわざわざ結子の前に現れたということは、"それ相応の目的"があるのだ。安易な発言をするべきではない。
「いえ、それが、呼び鈴を鳴らす直前に不審者に絡まれてしまいまして」
「ああ、彼女は私の研究の協力者だよ。以前話したと思うが、廻と近い脳波を持つ被験者が彼女だ。厄介な放浪癖があってね。たまにこうして迎えに行ってやらないといけない」
 あの少女と遭遇したことも聡は把握済みだった。そして、それを隠そうともしない。
「まぁ、では私、旦那様のお知り合いになんという無礼を……どのようにお詫び申しあげたら良いのか」
「それは不審者と思われるような絡み方をした彼女の責任だ。気にしなくて良い」
 聡は肩をすくめて笑う。自分の余裕を、心のゆとりを見せつけるかのように。
「恐れ入ります。では、私はそろそろ――」
「ああ、一つ訊き忘れていたことがある」
 それが本命であっただろうに、たった今思い出したかのような口ぶりで、聡は結子の発言を遮った。そして、いつもの声の調子のまま聡は続けた。

「静城結子。君は誰だ」

 空気が凍る。足元から自分を逃すまいと無数の鎖が伸びてくるような感覚が結子を襲った。聡の表情は変わらないが、たった今、聡の中で何かが切り替わったのだということを結子は察知する。この問いこそが、聡がわざわざここまで出向いてきた理由なのだ。結子は平静を保ったまま、いつでも体を動かせるよう心の準備をした。
「申し訳ありません。ご質問の意味を伺ってもよろしいでしょうか」
「理解しなくても良い。あれは本来視認できないはずの存在だ。君が静城結子という人間であるならばね。しかし、どうしたことか君は何の迷いもなくあの場所へ辿り着いた。それは通常不可能なことなんだよ。君が静城結子以外の人間でない限りは」
 学校の教員のように、聡は丁寧に優しい口調で説明する。石住井の家は、結子が『静城結子』という人間である限り見つけられないものだと。
 その意味を、結子は瞬時に理解する。聡の今の言葉は、結子の長年の疑問に対する解答でもあった。やはり、源次達の記憶障害は聡の意思によるものだと結子は確信する。
 ならば、その元凶である男に返す答えはない。
「その問いにはお答えしかねます」
「そうか、残念だ」
「私をどうなさるおつもりですか」
「得体の知れない人間を使用人として置くほど寛容ではなくてね」
 そう言って聡は、懐から見慣れないモノを取り出す。それがどんな目的で使われるものかはすぐに分かった。結子のその判断と同時に、乾いた発砲音が辺りに響いた。結子は咄嗟に横へ転がり危険を回避する。
「良い身のこなしだ。だが下手に動くと危険だぞ。これの扱いにはあまり慣れていないんだ」
「ではその物騒なものを仕舞われては。暴発などなさいますと大変危険です」
「はは、流石の冷静さだな。これの相手は初めてではないということかな」
 聡は再び、懐から出した拳銃を結子に向ける――が、それよりも早く、結子は転がった際に手にした小石を聡の右手に向かって投擲した。
「何っ!?」
 銃弾の如く――放たれた小石は聡の手に直撃し、聡は拳銃を後方へ手放してしまう。その一瞬の隙を突き、結子は瞬く間に聡との距離を詰めた。手放した拳銃へ意識を向けていた聡がこちらに気付くよりも早く、結子は勢いよく体を捻り、聡の顎へ渾身の回し蹴りを叩き込む――そのとき、聡の口角が僅かにつり上がった。
「な――」
 結子の蹴りは確かに直撃した。だがそれは、聡の体にではなく、彼の周りにできた見えない壁のようなものに当たり、聡に直接ダメージを与えるには至らなかったのだ。
 一瞬、ほんの一瞬だった。普段ならばすかさず次の行動に移る結子が、このときばかりは不可解な現象に気を取られ、身を引くのが僅かに遅れた。その隙を、今度は聡が鋭く突く。懐に忍ばせた二丁目の拳銃を素早く取り出し、間髪入れずに放った銃弾が結子の右の太腿を貫いた。
 結子はそのまま体勢を崩す。それに追い打ちをかけるように、聡は結子の左足、右肩、左肩を次々と貫いていく。四肢を貫かれた結子は、為す術もないまま地に崩れ落ちた。
 想像を絶する激痛が結子を襲う。しかし、結子はそんなことよりも、聡のある行動に疑問を持っていた。
「善戦したな。だが、所詮力を持たない人間ではその程度だ。石が命中したことで勝てると踏んだのだろうが、あれは君をそう思わせる為に仕込んだ罠だ」
 地に伏せ、自らの血でコンクリートを濡らす結子に語りかけながら、聡がゆっくりと近付いてくる。聡が結子の前で足を止めると同時に、少し遠くでもう一つ足音が聞こえた。
「おい、出て来るなと行っただろう」
「……その、おんなの、ひとは、しぬん、ですか」
 一つ一つの単語を、自分の中で確認しながら話すような口調だった。恐らくは子供だが、言葉を覚え始めた幼児という声ではない。車の後部座席にでも潜んでいたのだろうか。
「ふむ。会話が困難になってきたな。こいつも潮時か」
「ころす、ですか」
「静城結子は殺さん。五和の能力が通じない、今までにいない人間だ。有効に使うとも」
 成程――結子の抱いた疑問は解決した。その疑問とは、自分が未だこうして生かされていること。
 右の太腿を貫かれた時点で、結子の敗北は決まったようなものだった。しかし、聡は結子の心臓や頭を狙うことはなく、確実に行動を制限できる手足を狙ってきた。確実に始末する為に先に手足を封じられたのかとも考えたが、どうやらそうではなかったようだ。
「……思い上がる人ですこと。貴方ごときに、私を使役する力があるとでも」
「使用人の吐く台詞ではないな。加えて、地に這いつくばりながらそのような戯言とは道化にも劣る」
 聡の声に蔑みの色が混ざる。想像通りの本性の発揮ぶりに、結子は思わず失笑した。
「どうした。自暴自棄にでもなったかね」
「いいえ。その呆れるほどに自信過剰な性格が可笑しかったもので。良いですか。使用人だからといって、皆が皆心を捧げているなど有り得ない話。少しずつ、確実に募っていく人間の不信感や怒りをそうやって嘲笑っているようでは、積もり積もった反抗心がいずれ貴方に牙を剥くとき、慢心に身を委ねている貴方に対抗する術はない」
 激痛を堪えながら、結子は聡の目を下から見据える。不敵に笑い、聡の優勢を過信だと否定する。聡はそれを心底蔑むように乾いた笑みを浮かべながら、結子の足目掛けて引き金を引いた。
 乾いた音と共に、結子の表情が苦痛に歪む。それでも、聡から目を離すことはしない。
「慢心もするというものだ。どう言葉を並べたところで、私のさじ加減一つで君達の命などどうとでもなるのだから。まったく欠伸が出る」
 結子の存在を退屈だと言わんばかりに、聡は結子に背を向けて自分の車へと歩いていく。
「おい、静城結子を車まで運べ」
「……わたし、が、ですか」
「そうだ。五和がはぐれている以上、今はお前の仕事だ」
「わかり、ました」
 車のドアを閉める音がした後、控えめで自信のなさそうな足音が近付いてくる。結子は聡が側にいないことを確認すると、なるべく音を立てないように袖に仕込んだナイフをそっと取り出した。
 近付いてくる足音の主が目の端に入った。この子供もフードを被っているが、恐らくは少女だ。これから起こることを目の前の少女に見せることになると思うと、少し申し訳ないと結子は思う。
 そして、少女が自分のもとへと辿り着く前に、結子は手にしたナイフを――自分の首へと突き刺した。
「え、あ――」
 そのままナイフは引き抜かれ、辺りに鮮血が飛び散る。何が起こったのか理解できないフードの少女は、小さく声をあげるだけでその場に立ち尽くす。
「おい! 何をした!」
 聡が慌てて車を飛び出してきた。先程までの余裕を崩し、焦りの表情を浮かべて結子のもとへと駆けつける。
「わ、わかり、ません。この、ひとの、くび、から、いきなり、いっぱい、ちがでて」
「自害だと? 馬鹿な、何故……!」
 首から止め処なく血を流し、虚ろな目で死に絶えている結子を聡は見下ろす。何がどうして、こんな事態を招いてしまったのかをまったく理解できないまま。
「実験体になるのを恐れたとでも言うのか。いや、違う。こいつから恐怖心は微塵も感じなかった。何故だ。何故自害を選択した」
「あの、わたし、なにか、しっぱい、しましたか」
 少女の言葉を無視して、聡は目の前の状況を整理する。だが、予想を遥かに超えた結子の最期に、どうしても頭が追いつかない。
 困惑する聡の耳に、不快な足音が聞こえる。聡はその音で冷静さを取り戻し、状況の整理を後回しにした。
「あーやっと着いた。あれ、ちょ、え、待ってくださいよそれ、そこにいるのって」
「静城結子の説得、拘束は失敗だ。遺体を車に運べ五和。その後ここに飛び散った血痕を周囲の人間の認識から外しておけ。他は何もしなくて良い。安全を確保するまで発言は禁止とする」
「は、はあ。了解っす」
 聡からそう命令されると、五和と呼ばれた少女はわざとらしく口をへの字に結んで行動を開始した。
「お前は車に戻れ。私へのシールドも解除して良い」
「は、はい」
 呆然と立ち尽くしていた少女は、聡の言葉で我に返り、ぎこちない足取りで車へと戻っていく。
 その後、五和が結子を車へと運び終わるまで、聡は一歩もそこを動かなかった。その無表情からは何も読み取れず、ただ、その日の役目を終えかけている太陽が、黄昏に染まる住宅街を儚げに、頼りなく照らし続けるのみであった。




次回の更新日は1月27日の予定です。
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