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ツキノセ 作者:
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家族

ご閲覧ありがとうございます。
無事に更新できました。
 入浴は人が健やかに生きるうえでかかせない行いであると私は思う。身体を清潔に保つことはもちろん、温かいお湯に浸かることで一日の疲労を解消する為にも、入浴という行為は生きるうえで食事、睡眠の次に大切であると言っても過言ではない。
 入浴によって垢を落とすということは、心の垢、即ち煩悩を落とすことと同義と、仏教か何かでも信じられていたと聞いたことがある。偉大なりお風呂。
「ああー」
 顔が熱い。熱いお湯に浸かっているのだから当然だ。しかし、顔の熱はそれ以外の理由によるものだ。
「恥ずかしい……」
「お姉ちゃんそればっかりだねぇ」
「廻は良いのよ? 年齢的にはまだ小学生だし。私は……ああー」
 両手で自分の顔を覆う。お風呂に浸かっていた手よりも顔の方が熱い。偉大であるはずの入浴なる行為は、煩悩は落としても羞恥心は落とせないようだった。
「あれがお母さんの不思議なところでね。大の大人でも甘えたくなってしまう謎の包容力」
「身をもって知ったわ」
「はい、廻ちゃん流すよー」
「はーい」
 羞恥心に苛まれる私の横で、鈴花が廻の頭を洗っている。先程は廻が鈴花の頭を洗っていて、本人曰く洗いっこをしてみたかったとのことである。もう本当の姉妹のようだ。
「なんだかお姉ちゃんがもう一人出来たみたい」
「ふふ、私も妹がいたらこんな感じかなって思ってた」
「鈴花お姉ちゃん」
「はぐっ……い、今のもう一回――」
「鈴花ってお父様に似てるわよね」
「何で!?」
 決して、まったくもって嫉妬ではないが、私を置いてどんどん廻と親睦を深めている鈴花に突っ込みを入れた。断じて、お姉ちゃんの存在意義とかそういうものを危惧したわけではない。本当に。
「それはさておき、やっぱり私だけ浴槽に入らせてもらっているのは申し訳ないんだけど」
「だって綴ちゃん早々に体洗っちゃうんだもん」
「お姉ちゃんも洗ってもらえば良かったのに」
「け、結構です」
 鈴花はメイドとはいえ同い年で友人でもあるのだ。そんな彼女に体を洗ってもらうというのは、なんというか、大いに抵抗がある。それに、数年前から私は家でも一人で体を洗っているのだから、そもそも必要のない行為だ。
「恥ずかしがりやさんだなあ」
「むぐ……」
 廻にそんなことを言われる日が来るとは。数年前までは写真程度で恥ずかしがっていたというのに、今は何の抵抗も見せずに鈴花に体を預けているのだから驚きだ。
「はーい、洗い終わったよ」
 キュッという音と共に、シャワーの流れる音が止まった。
「ありがとうー。えへへ、頭を洗ってもらうのなんて何年ぶりかなぁ」
「え、廻ちゃんも自分で?」
「うん、メイドさんたちは仕事がなくなるって言ってたけど、それくらい一人でやらないとって思って」
「まぁ、それでも必ず一人は浴場の見張りを任されているけどね」
「見張りって……なんか落ち着かなさそう」
「生まれたときからずっとそうだから、特に何も思わないけどね」
「そっかぁ」
 うーん、と唸って鈴花は黙ってしまった。育ってきた環境の違いを憂いているのだろうか。
 そんなやり取りをしているうちに、顔の熱さは治まっていた。その代わり入浴効果で体の芯から温まり、そろそろ逆上のぼせそうになっているのだが。
「そろそろ上がろうかな」
「えー三人で一緒に入らないの?」
「これ以上入っていたら逆上せそうだからね」
「ああそれなら……ちょっとこっち来て」
 そう言って鈴花はシャワーの温度を調節し始める。まさか冷水を浴びせる気ではと一瞬思ったが、無礼をはたらいたと勘違いして勢いよく謝罪をするような彼女がそんなことをするとは思えないので、素直に浴槽を出て鈴花へと近付く。
「手首をお出しくださいな」
「こう?」
 言われるままに両の手首を鈴花に向けると、そこへぬるめのシャワーを掛けられる。
「ちょっと冷たくするよ」
 シャワーを掛けている状態で、鈴花が段々と水温を下げていく。手首がひんやりとして心地よい。
「どう?」
「気持ちいいけど、折角温まったのに冷やしてしまうの?」
「のんのんところがどっこい。こうすることで体内の熱を上手く留まらせて、体が冷えないようにしているのです」
「冷やしてるのに逆に冷えにくくなるの?」
 隣で不思議そうに眺めていた廻が呟く。
「お母さんからの受け売りだけど、手足を冷やすと体が熱を放出しないように閉じ込めようとするらしいよ」
「へぇ……知らなかったわ」
 これくらいかな、と言って鈴花がシャワーを止めた。確かに、手首が冷えたことで少し爽やかな気分になったが、体は温まった状態のままだ。何とも不思議な感覚である。
「これを二回くらい繰り返すことで、体の疲れが取れやすくなるそうな。ということで、三人でお風呂に入りましょうぞ」
「……なるほどね」
 鈴花の嬉しそうな笑顔に観念して、私はもう少しだけ浴槽に浸かることにした。



 「ふぅ」
 ドライヤーで髪を乾かした後、廊下を通ってリビングへ戻る。小夜子さんの姿はなく、柳一氏がテーブルでお茶を飲みながら何やらノートパソコンを操作していた。イヤホンをしているので私が戻ってきたことに気付いていないようだ。悪いと思いつつも、後ろからノートパソコンの画面を覗いてみる。
 これは確か、ドット絵というものだ。柳一氏はドット絵で描かれたゲームをプレイしていた。今はこのようにドット絵を使っているゲームは少なくなっているらしいが、鈴花曰く味があって良いからこういうゲームももっと増えて欲しいとのこと。これはいつ頃発売されたゲームなのだろうか。
「ん? ――おっとぉ!?」
 柳一氏が後ろにいた私に気付いて飛び上がった。父では有り得ない反応なので新鮮だ。
「あ、ごめんなさい。驚かせるつもりはなくて」
「いいいいいや全然そんな良いんだけど風呂上りパジャマ美少女がいきなり後ろにいるもんだからついいやそういうことではなくてだね」
 この父娘は焦るととてつもない早口になる呪いを掛けられているのだろうか。
「お、落ち着いてください」
「あ、ああ落ち着いているとも。お父さんだからね。落ち着くとも」
 柳一氏が胸に手を当て深呼吸をしている。こういう場合は変に声を掛けず相手が落ち着くのを待つべきだと鈴花で学習した。
「綴ちゃんは先に上がってきたのかい?」
「ええ、逆上せてしまいそうでしたので」
「そっかそっか」
 柳一氏が立ち上がり、キッチンの方へと向かった。その間に、柳一氏がやっていたゲームを眺めてみる。
 この画面の中央にいる白髪の女性らしき人物が主人公だろうか。丁度メニューを開いているようで、『るな子』と表示されている。変わった名前だ。この画面だけではどのような趣旨のゲームか分からないので少し触ってみたい気もするが、断りなくそんなことはできない。そう考えていると、柳一氏が戻ってきて私の前にガラスのコップを置いた。
「どうぞ。訊く前に持ってきちゃったけど、麦茶は嫌いじゃなかった?」
「大丈夫です。わざわざすみません」
 どうやら私の為にキッチンへ向かっていたようだ。その厚意をありがたく受け取って、麦茶を頂くことにする。ほど良く冷えていて、お風呂上りには丁度良い。
「このゲーム、気になる?」
「あ、はい。どういうゲームなのかな、と」
「フリーゲームっていって、個人がインターネットで無料で公開してるやつでね。これは数年前に公開されたゲームで、RPGなんだけど特に戦闘はないんだ」
 RPGは、確かロールプレイングゲームのことだ。プレイヤーが自分の分身ともいえる主人公を操作して、ゲーム内のあらゆる出来事を経験していく。
「個人で……ツクラー、でしたか」
「そうそう、これも多分ツクラー作品だね。ちょっと操作してみる?」
「宜しいのですか?」
「多分、誤操作でゲームオーバーとかない作品だからね。それに始めたばっかりだし」
 そう言って柳一氏は、ノートパソコンに繋がれていたコントローラーを拭いてから私に差し出してきた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 私はコントローラーを受け取り、ノートパソコンに向き合う。鈴花の部屋で据え置きのゲーム機にも触れておいて良かった。お陰で操作はなんとなく分かる。
 主人公のるな子を動かして、周りの様子を探ってみる。ベンチと自動販売機があるが、自動販売機の方を調べても特にメッセージは出てこない。ベンチを調べると、『座りますか?』というメッセ―ジが出てきた。取り敢えず座ってみることにする。
「なんか、操作が手慣れてるなあ。脱出ゲームとか向いてるかも」
「え、まだベンチに座っただけですよ」
「ゲームが苦手な人はそこでまず躓くんだよねぇ」
 るな子が座ると、少し間を置いて右側からるな子の方へ誰かが歩いてきた。

『るな子、少し良いか』
 初対面で呼び捨てだなんて失礼な人だ。私は冷たくあしらうことにした。

「るな子、冷めてるなぁ。この男もどうかと思うけど」
「いえ、私もきっとるな子と同じ対応をすると思います」
「お、いいね。主人公にすんなり感情移入できるパターンだ」
 二人であれやこれやと言いながら先を進める。

『わ、悪かった。るな子、さん。君は何故いつも授業に出ないんだ?』
 そんなことを聞いてどうするつもりなのだろうか。適当な返事で誤魔化しておく。
『勉強恐怖症って……何を言っているんだ。それなら君が僕よりも良い点数を取っている説明にならないぞ』

「ははぁ、なるほど」
「何か?」
 隣で柳一氏が意味深な笑みを浮かべた。
「この男は、普段授業をさぼっているるな子が自分よりも成績が良いことが気に喰わないんだな。それで突っかかってきてるんだ」
「ああ、それで威圧的な態度を取っているんですね」
「いやどうだろう。雰囲気的に案外素でこんな感じなのかもしれない」
「そういえば、授業をさぼっている変わり者、という点ではお父様のご友人と共通していますね」
「確かに。意外と創作ではありふれているのかもなぁ」

 私には千里眼がある。その為授業に出なくとも内容は分かるのだ。だがそれを話すわけにもいかないので、これまた適当に誤魔化しておく。
『全部勘? そんな筈ないだろう。ちゃんと理由を……っておい、待て!』
 もう少しからかってやりたいところだが、この辺りで切り上よう。私は黙ってその場を立ち去ることにした。
 この男はオルタス。同じクラスの生徒だが、プライドが高い故に誰に対してもどことなく上から目線で、周りから良く思われていない。

「さらっと超能力設定来たな。というかオルタスって。外国人かこいつ」
 超能力という言葉に反応しそうになるが、阿實家にいる間はそのことについては考えないようにしているので聞き流すことにした。
「このオルタスという男、どことなく父に似ている気がして嫌いです」
 だが、超能力という言葉を流そうとする余り、余計なことを口走ってしまう。
「ははっ、いつの時代も娘は父親に厳しいものなんだなあ」
 しまった、と思ったものの、柳一氏の反応は私の予想に反して軽いものだった。そうだ、考えてみればその程度の反応が普通だろう。私は心の中で胸を撫で下ろす。
「あれかな、月之世家のお父様は結構厳しい感じかな」
「厳しい、というのとは少し違います。ここまで余裕の無い人ではありませんが、遊び心が無くプライドが高そうな部分が似ていて」

『君、さっきから僕の話を真面目に聴いていないな』
『聴いているわよ。聴いたうえで真面目に聴く必要のない話だと判断して立ち去ろうとしたの。ごめんなさい。傷付いちゃった?』
『傷――もういい、話し掛けた僕が馬鹿だった』
『貴方みたいな聡明な人間が馬鹿を名乗るのは失礼だと思わない?』
『馬鹿にしているだろうっ!』


 柳一氏が隣でくっくと笑い声をあげる。
「いやぁ、なかなか個性的な主人公だね」
「皮肉が利いていて良いですね。気分が晴れやかになります」
「オルタスがからかわれてるから?」
「い、いえ……」
 否定はできない。が、認めてしまうと何だか自分が嫌な性格をしているな気がしたので誤魔化してしまった。

『やめだ。今度君に話しかけるときはもう少し精神的余裕があるときにしよう』
『あら残念。今の反応でもう少しだけお話しても良いかな、なんて思っていたんだけど』
『ふん、まともな会話もできない怠慢女子に付き合っている時間はない。授業に出なければな』
『素敵な捨て台詞ね』
『ぐぬ――!』
『うそうそ、それじゃあね』

「ひねくれてんなぁ」
 苦笑する柳一氏の隣で、私もつい笑ってしまう。私もこれだけ口が達者であれば、もう少し父とも渡り合えたのだろうが。
「本来主人公を事件に巻き込んだりする側のキャラクターですよね、るな子は」
 そして、どちらかといえばオルタスのように精神的に未熟な人間が主人公として置かれることが多い筈だ。もっとも、私の読んでいる推理小説などでは、るな子のように少し捻くれた人間が変人探偵として主人公を務める場合もあるのだが。
「そうだなぁ、でもこういう主人公はちょっとやそっとじゃ慌てふためいたりしない分、安心感があるよね」
「そうですね。主人公の成長がないと退屈だ、という人もいらっしゃいますが、これはこれで爽快感があって良いと思います」
「分かる。綴ちゃんとは良いお酒が飲めそうだぞ」
「ふふ、じゃあ、あと七年ほど待っていてくださいますか?」
「……まずい、今の笑顔はまずい、落ち着け柳一」
 何故か頭を抱えだした柳一氏。何かまずいことを言ってしまっただろうか。
 こんな風に一つの作品を共有するという行為は廻以外としたことがなかったので、心が踊ってしまったのだ。
「いやいや、綴ちゃんは一切悪くないんだ。僕が悪いんだ。うん」
「制裁されるべき大人の気配がする!」
「うげぇ!」
 突然、勢いの良い足音が聞こえたかと思えば、そこには柳一氏の後ろから体当たりをお見舞いする鈴花の姿があった。そのまま座ったままよろめく柳一氏の頭を拘束する。
「何か綴ちゃんに無駄知識を与えようとしていたな?」
「ぬ、濡れ衣だ……僕はこの子をちょっとだけ自分の娘にしたくなっただけなんだ……」
「何が『だけ』か。極刑に処す」
 ドスの利いた声で柳一氏を締める鈴花。その目は獲物を絶対に逃すまいとする狩人の如く鋭い。
「お、おかしい。こんなことは、許され、な……」
 私は何を見せられているのか。後からリビングに戻ってきた廻もぽかんとした顔でその様子を見ている。やがて柳一氏がわざとらしい仕草でぐったりとすると、我に返った鈴花がこっちを見て取り繕い始めた。
「あ、いや、ちょっとあの、違うんです。私本当はこんなバイオレンスじゃないんです」
「分かってるわよ。気分が乗ってくるとちょっと変わったやり取りで遊んでしまう親子だってこと。あと敬語に戻ってる」
「冷静な分析ありがとうございます……」
「よ、良かったぁ、お遊びだったんだね」
 廻がほっと胸を撫で下ろす。間もなくして柳一氏がむくりと起き上がり、鈴花と同じような顔をして頬を掻いた。
「え、何この空気……責任取ってよ我が娘」
「ええ、嫌だよ……というかいつもの茶番を冷静に見られるのがこんなに恥ずかしいと思わなかったよ」
 互いに責任の押し付け合いを始めた。同じような仕草と同じような表情で、ああでもないこうでもないと文句を言い合っている。
「ぷっ……くく」
 その様子があまりに可笑しくて、私はついに堪えきれずに笑いだしてしまった。
「あはっ、あははははははっ」
「えっ、なんかめっちゃ笑ってるぅ」
「ほらぁ綴ちゃんが気遣って笑ってくれたんだって!」
 だって、だってだ。こんなにも仲の良い親子がいるだろうか。いや、世間ではこれくらいが普通なのだろうが、片や世間にもロクに触れず父親のことなど何も分かっていない箱入り娘だ。こんな別世界のような光景を見て、これが笑わずにいられようか。
「ごめんなさい。そういうのじゃないの。うちでは絶対に有り得ないやり取りだし、本当に仲が良い親子なんだなと思って。あーおかしい」
「確かに月之世家のご令嬢が父親とこんなんやってたら衝撃だもんなぁ」
「自分でこんなんって言うのか……」
「私知ってるよ、コントっていうんだよね、こういうの」
「間違ってはいないな!」
 そこで何故誇らしげなのか柳一氏。ああ、本当に面白い。自分が生きる世界では到底実現し得ないであろう世界がここにある。多分、これが家族というものなのだろう。
「もー収拾つかなくなってきたよ……お母さんに何とかしてもらうしか――って、そういえばお母さんは?」
「ああ、すずの部屋で布団敷いてるよ。あ、ほら戻ってきた」
 柳一氏の視線を追うと、丁度リビングのドアを開けて入ってくる小夜子さんがそこにいた。
「はーい、もういつでも寝られる状態にしておきました」
「何から何までありがとうございます」
「ありがとうございますー」
 なんもだよー、と笑う小夜子さん。我が家のメイドが如く面倒を見てくれるので何だか申し訳ない。
「よし、良い切っ掛けが出来たからもう行こう。お父さんといると変なノリになって駄目だ」
「えー綴ちゃんが笑ってくれるから良いじゃん」
「そういう問題ではないのだ! さぁ退散退散」
 一人そそくさとリビングを出て行く鈴花。それに賛同するわけではないが、これ以上ご両親に時間を割かせるのも悪いので、私達もそれに続くことにする。
「じゃあ、私達も部屋へ戻ります。今日はいろいろとありがとうございました」
「ご飯とっても美味しかったです。ありがとうございました」
 廻と二人で、改めて今日のお礼を言う。思えば、こんなにも安らかな気持ちで一日を過ごしたのは久しぶりだった。私達に良くしてくれたことも勿論だが、温かな家族の温もりを知れたのも、阿實家の方々のお陰だ。それも含めて、心からの感謝を述べた。
「私達も二人と話せて楽しかったよ。今日はゆっくり休んでね」
 柔らかく微笑む小夜子さんの隣で、柳一氏もうんうんと頷いている。変なことを言わないようにと自分を戒めているのだろうか。
「はい、それではおやすみなさい」
 廻と一緒に就寝前の挨拶を交わして、私達はリビングを出ようとする。その途中、柳一氏が「あ」と声をあげた。
「綴ちゃん、ちょっとお待ちを」
「はい?」
 呼び止められて振り向くと、柳一氏が私に小さなUSBメモリーを差し出してくる。
「今やってたゲーム、セーブして本体ごとこれに入れておいたから、もし良かったら家でもやってみて」
「あ」
 そういえば、ゲームをプレイしている最中だった。鈴花の体当たりで頭から吹き飛んでしまったが、柳一氏がしっかり保存しておいてくれたようだ。
「ありがとうございます」
「うん、じゃあ今度こそおやすみ」
 USBメモリーを受け取って、リビングを後にする。借りた服に仕舞っておくと返すときに忘れてしまいそうなので、鈴花の部屋に戻ったら自分の服に仕舞っておくことにしよう。
「何のゲームしてたの?」
 廻が私が手にしているUSBメモリーを見ながら訊いてきた。
「ドット絵のロールプレイングゲーム。まだ始めたばかりだけど、ちょっと捻くれた主人公で面白いのよ」
「捻くれてる?」
「そう、何と言うか、こう――」
 お父様さえ言い負かせるんじゃないかってくらい――そう言いかけて、口を噤んだ。そんな話を廻にしたってどうにもならない。
「こう?」
「ううん、ごめん、ちょっと良い例えが浮かばなかったの。そのうちプレイした感想、聞かせるわね」
「そっか、楽しみにしてるね」
 自然に誤魔化すことができてほっとする。ふとした瞬間に父に対する後ろ向きな感情が表面に出てきてしまうのは、改善した方が良いだろう。
 今は初めてのお泊り会を堪能するべきだ。就寝にはまだ少し早い。この後はまた三人で他愛の無い話でもして、穏やかな夜を楽しむことにしよう。
 そんなことを考えて階段を登っていると、隣を歩いていた廻がふと足を止めた。私は振り返って廻を気にかける。
「どうかしたの?」
「……ううん、本当に今日は楽しかったなあって。面白いお父さん、優しいお母さん。家では普段とちょっと違う鈴花さん。素敵な喫茶店。家族みんなで晩御飯……楽しそうなお姉ちゃん」
 目を細めて、今日一日を振り返る廻。いつも穏やかな表情をしている廻だが、それとはまた違う、今日の出来事を一つ一つ、大切に噛み締めている表情だった。
「そうね。鈴花が来なかったら、一生経験することは無かったかもしれない」
 そう考えると、本当に今日は尊い一日だったと思える。鈴花に誘ってもらえたお陰で、本来の家族の温かみというものを知ることができたのだから。
「うん。本当にそうだね。本当に……楽しかった」
「どうしたの、そんな一回きりみたいな顔をして。週末は帰って来られるんだから、鈴花にお願いしてまた遊びに来ましょう?」
 そうは言ったが、父のことだ。毎回週末に廻を家に帰らせるとは限らない。それでも、ずっと研究所に閉じ込めておくなんてことはしないだろう。娘想いの父を演じるのならば、定期的に姉妹を再会させる筈だ。
「うん、そうだね。またお泊りできたら良いね、お姉ちゃん」
 廻はそう言ってにっこりと笑った。そうだ、悲観的になり過ぎるのも良くない。根拠は無くとも、二人でまた来ようと言っていればきっと実現する。明るい阿實家の人々を見ていると、不思議とそんな前向きな思考になれた。
「さ、部屋に行きましょう。鈴花が拗ねちゃってるかも」
「えへへ、そうだね」
 廻が明るい表情になったのを確認して、私はまた階段を登り始めた。寝るまで何をしよう。何を話そう――そんなことを考えると、私の心は今までに無く晴れやかになる。この前向きな気持ちを大切にしよう。そう胸に刻み、私は二階へ続く階段を登り切った。

 

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