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ツキノセ 作者:
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暗影 - 4

体を直角に曲げて謝罪の言葉を述べるのは初めてのことだった。そもそも働いたこともない中学生に「申し訳ございません」なんて言葉を使う機会はない。きっとぎこちない謝罪になっていただろう。
 しかし、月之世家の当主様は、そんな私のちっぽけな不安を水で洗い流すかのように言った。
「顔を上げたまえ。月之世家の使用人とはいえ、君はアルバイトだ。そもそも使用人という仕事を気軽に経験してもらうという目的のうえでアルバイトを募集していたのだから、もっと肩の力を抜いて良い」
 そうか。アルバイトの募集の理由は、『そういうこと』になっているんだ。源次さんの策略か、この人が言い出したことなのか。どちらにしても、源次さんはこれを上手く利用したのだろう。
「だが娘と私の問題については、悪いがこちら側の問題だ。そこに関しては君の介入を許すことはできない。それさえ守ってくれれば、私は君の行動や言動を咎めるつもりは一切ない。折角我が家の使用人としての経験を積もうと来てくれたのだからね」

 月之世家当主は、終始笑顔だった。
 私はその笑顔と物腰の柔らかい態度に、僅かな恐怖を覚えた。
 もし私のやったことが、『家にある壺を割ってしまった』程度のものなら、心優しい当主様の寛容な態度に感動して、アルバイトでありながら忠誠を誓ってしまいそうになるなんて展開にもなったかもしれない。
 しかし、私が初めて月之世聡を見たとき、彼の纏う雰囲気は決して心優しい人間のそれではなかった。頭の良い例えなんて思いつかないが、言うなれば、『RPGでラスボスを裏から操っていた人間が、クライマックスでその本性を現した』――そんな例えが出てくるような雰囲気だった。源次さんに渡された紙に書いてあることが、事実であると納得してしまう程に。
 人体実験――創作の中の話でしか聞かなかった言葉。それが今、現実で、しかもごく身近な場所で行われている。それを考える度に、私の背中にぞわりと悪寒が走る。しかも、綴さんの妹であり、自分の娘でもある廻さんをそれに巻き込んでいるなんて。自分の許容を遥かに超えた状況に、私の頭は追いつくことすらできない。
「――鈴花?」
 背後から声を掛けられ、振り返る。そこには先程接していた月之世聡の娘、その長女である月之世綴の姿があった。凛としていて、しかし脆そうにも見える不思議な彼女――その姿は、いつもより一層やつれて見えた。
「綴様」
「今日は休みだったはずよね。どうしたの?」
「えっと……暇、だったので」
 この質問は、数時間ほど前に静城さんにもされた質問だ。そのときも私の答え方はこんな風にぎこちなかった。だって、暇だったにしてももう少し言い方というものがあるだろう。他の言い回しが思い付かないから結局こう答えざるを得ないのだが。ほら、綴さんが反応に困ってる。まったくお馬鹿なメイドで大変申し訳ない。
「ぷっ――」
 綴さんが吹きだした。前にもこんな反応をさせた覚えがある。私のお馬鹿加減が綴さんのツボに入るのだろうか。
「そっか、そうよね。鈴花だものね。私ったら馬鹿みたい」
「えっ、お馬鹿は私なのでは?」
 『綴さんがお馬鹿な私にツボっている』という前提で訳の分からないツッコミを入れてしまった。だが幸いにも、綴さんは何かに納得するように目を閉じて私のツッコミを聞いていなかった。何だか空回りしてしまっているようだが気にしない。
「ねぇ、これから何かお仕事はあるの?」
「あ、いえ、特には」
「あら、こっちにいてもお暇なメイドさんなのね」
「え゛」
 綴さんがくすくすと笑う。言われてみればそうだ。暇だから使用人としての仕事をやりに来たのに、「あ、いえ、特には」ではない。このメイド何しに来たんだという感じだ。まぁ、実際源次さんからは好きなように過ごせと言われてしまったのだが。
「使用人のお仕事を教えてくださいって言えば良かったな……」
「うそうそ、ごめんなさい。鈴花を見たら安心しちゃって、ちょっとからかっちゃった」
「い、意外と意地悪なんですね」
「ふふ、ゲームで連敗したお返し」
 綴さんはおかしそうに笑っているが、声にはあまり覇気がなかった。
 思えばこの人は、会った直後はいつも悲しそうな顔をしている。初めて会った日も、その次の日も、そして今日も。その原因はきっと、私が知る由もない、この家が抱える深い闇にあるのだろう。
 私は初め、妹さんの不在を留学、家の事情、あるいは入院――その程度のものだと考えていた。しかし実際は、私が持つ常識など通用しない、もっとおぞましい理由だった。綴さんはそのことを――自分の妹が実の父親によって人体実験に巻き込まれていることを知っているのだろうか。
「ええー、根に持ってたんですか?」
 訊けない。怖かった。もし綴さんがそのことを知らずにいて、私の発言によって更に表情を曇らせてしまうのが。この家の深い事情に、何の覚悟も持たず足を踏み入れてしまうのが。結果的に、私は綴さんの言葉に合わせることしかできない。
「だって何回負かされたと思ってるの? 初心者相手に大人げないったらないわ」
「いやいや、綴様が懲りずに何回も立ち向かってきたんじゃないですか」
「負けっ放しは性に合わないのよ」
「その結果負けっ放しになっていたような」
「む、口の減らないメイドね」
 綴さんが私の口を塞ごうと手を伸ばしてくる。その手を私が掴んで抵抗する。何とも面白い光景になっていることだろう。
 綴さんは怒ったふりをしているが、表情はさっきより明るくなっていた。源次さんの言うように、私と接することで少しでも心の隙間を埋めることができているのだろうか。
 だとするなら、きっとこの人は孤独なのだ。父親によって妹と引き離され、抗議することも許されず、使用人を味方に付けることもできない。だからこの家の事情を何も知らない、会ったばかりの私と触れ合うことが、心の回復に繋がっている。
 胸が痛かった。私といると、段々明るい雰囲気を取り戻す彼女。私が帰ると、妹が側にいないことを思い出して、次に会う時はまた悲しい表情をしている。だがそれも、私がいなくなれば終わる。再び孤独に戻ってしまう。おこがましい考えかもしれないが、源次さんに知らされた情報から綴さんの現状を想像すると、そういう考えに至ってしまう。
 だが、そうなると、源次さんたちはどうするのだろう。綴さんの代わりに廻さんを助けてくれるのだろうか。あの底知れない当主を欺いて、綴さんの助けになってくれるのだろうか。
「――鈴花?」 
 気付けば、綴さんが不安そうな顔で私を見ていた。いつの間にか綴さんの手を防ぐのも忘れ、ぼーっとしていたようだ。
「あ、え――」
 何か言おうとするも、言葉が出てこない。こういうときに上手く立ち回ることができない自分に少しだけ苛立ちを覚える。
「……ごめんなさい」
「え?」
 私が戸惑っていると、綴さんがぽつりと謝罪の言葉を口にした。状況が掴めず、素っ頓狂な声をあげてしまう。
「さっき、私が大声をあげていたのを聞いていたんでしょう? それについて説明するべきだったわね」
 どうやら私の沈黙を、先程の二人とやり取りの詳細が気になっていたから、という意味に捉えたようだ。
 確かにそれも間違ってはいない。あのとき、扉の向こうで綴さんは声を荒げて何か言っていた。だが、話の相手であるはずの月之世聡の声はまったく聞こえなかったのだ。綴さんが一人で捲し立てるような人間には見えない。どう考えてもあの状況は異様だった。だからこそ、扉の開いた先に立っていた月之世聡の、あの全く感情の読み取れない表情が恐ろしかった。
「綴様」
 何の情報も持っていない私なら、ここで綴さんの話を何の疑問も持たずに聞いていただろう。だが、この家の闇を僅かだが垣間見た今、それは軽率な行動に思えた。
「大丈夫です。ちょっと、ぼーっとしてただけですよ。ほら、私抜けてるから」
 だから、先延ばしにした。正直、今の私にその話を聞く覚悟はない。
 きっと綴さんが話そうとしたのは、月之世家の深い事情にも関わることだ。それはつまり、私を『それほどの情報を話しても良い程度には信頼できる人間』として認識しているということだ。しかし、私はその信頼に応えられる自信がない。
「そ、そう。そうよね、ごめんなさい」
 綴さんは苦笑するが、その表情には再び暗い色が宿る。きっと彼女には、今の私の発言が拒絶に聞こえたのだろう。だがそれは違う。私はこの話を『先延ばし』にするつもりなのだ。拒絶ではない。
 思えば、綴さんは早計なのだ。会って間もない私に、この家の重要な問題を話そうとしている。それがたとえ、話せる相手が私しかいないとしてもだ。当然、この家のことをまだ深く知らない私は、その話を聞くことを躊躇する。
 だから私は、もっと綴さんのこと、月之世家のことを知るべきだと考える。
「ねぇ、綴様。今から私の家に来ませんか?」
「え?」
 綴さんがきょとんとする。拒絶されたと思っていたのだとしたら、予想外の言葉だったからだろう。
「今日は土曜日ですし、綴様も授業とか、多分ないですよね」
「え、えぇ。それは、まぁ」
「私もご覧のとおり暇なメイドなので、もう帰っちゃってもいいと思うんです。だから、一緒に私の家に行きませんか?」
「ちょ、ちょっと待って、話がよく分からないんだけど」
「綴様ともっとゆっくりお話したいんです。それに、うちのお茶の味も知ってほしいなーなんて」
「……」
 綴さんは戸惑った表情のままだが、どうやら私が綴さんを拒絶していたわけではないことは悟ってくれたようだ。表情から暗い影が消えた。
「駄目、ですか?」
「う、ううん。行きたい。ただ、家の敷地を出ることはあまりないから、父に確認をしないと」
 まぁ、それはそうだろう。お金持ちの家は、子供が外出するのに親の許可がいる、というのは大体想像がつく。いや、一般家庭でも家によってはそういう決まりがある家庭もあるだろう。私も外出するときは、許可とまではいかなくとも『どこに行くか』は伝えている。
「許してもらえそうですか?」
「私は大丈夫だと思う。ただ……今ね、妹が帰ってきてるの。その、妹も一緒に連れて行きたいんだけど、それを許してもらえるかどうか――」
「え、ちょ、妹さんが!?」
「あ、ああ。そういえば言っていなかったわね。土日は家にいるのよ」
 いきなりの新事実に思わず声を大きくしてしまったが、それを聞いて私は少し安心した。土日に帰ってこられるなら、今はまだ妹さんの身は安全ということだろう。
「そ、そうなんですね。……でも、どういうことですか。妹さんが許してもらえるかって」
「……それは――」
 綴さんが言いかけた直後、私の後ろで足音が聞こえ、振り返る。
 源次さんだった。規則正しい歩き方でこちらへ近付いてきた彼は、私の近くで足を止めた。
「失礼致します。お二方のお話している内容が聞こえたもので――外出の許可でしたら、私が旦那様に確認して参りますので、どうぞ綴お嬢様のお部屋でお待ちください」
 どこからともなく現れた源次さんは、これまた丁度良いタイミングで大変喜ばしい提案をしてくれた。先程の冷酷な執事を演じていた姿を見たときはぞっとしたが、この姿を見るに、彼が綴さんの助けになりたいという思いは本当なのだろう。
「ありがとう須藤、助かります」
「勿体無きお言葉で御座います。では、お部屋にてしばしお待ちください」
 源次さんは頭を下げると、また規則正しい動きで廊下の奥に消えて行った。ちゃっかり私たちの話を聞いていたり、一体あの人は何者なのだろう。ある意味では、源次さんも底知れない人間かもしれない。そんな人物が陰で味方に付いていてくれるのは、心強いことではあるのだが。
「じゃあ、ちょっとお部屋で待っていましょうか。妹の紹介もしたいし、妹の部屋の方が良いわね」
「あ、はい。お願いします」
 綴さんの妹……どんな人なのだろう。前に綴さんが『鈴花となら気が合うと思う』と言っていたのを思い出した。それは嬉しいことだが――ただ、人体実験に巻き込まれているという事実を知ったうえで、妹さんに対して普通に接することができるだろうか。今はまだ、『私が人体実験のことを知っている』ということは知られたくはない。今はそんなことを抜きにして、この姉妹と接していたいのだ。
 源次さんは上手く交渉してくれているだろうか。妹さんと上手く話せるだろうか。妹さんを助ける手段はあるのだろうか。私はこれからどうなるのだろうか――様々な不安を抱えながら、私は綴さんの後ろに付いて行った。




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