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ツキノセ 作者:
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暗影 - 3

 時刻は午前十一時。 
 使用人の休憩室として使われているこの部屋に、三人の使用人の姿があった。
「はい、鈴花ちゃんは紅茶で良かった?」
「あっ、はい、ありがとうございます」
「はい、源次も」
「ありがとうございます」
 アジアンテイストな突板の壁紙に、ブラウンをベースにしたカーペットが落ち着きのある雰囲気を醸し出している。室内にはソファ、アンティークチェア、ローテーブルが数セット並べられており、側に置かれた間接照明が優しくそれらのリラックススペースを照らしている。
 壁際にはチェス、トランプ、麻雀などの娯楽用品が収納された棚が置かれ、その隣にコーヒーや紅茶を淹れるスペースが設けられている。様々な種類の豆や茶葉が揃えられているが、これらは全て須藤が仕入れているものだ。
 聡の祖父――月之世尊たけるは大の紅茶好きであった。その為、紅茶よりもコーヒーを好む聡が当主となった後も、当時の名残として様々な紅茶が揃えられている。幸いにも紅茶派の使用人達には好評な為、こうして休憩室ではコーヒーと紅茶が共存している。
「あ、あの」
「ん?」
「やっぱり、お休みの日に勝手に来ちゃったのは迷惑でしたよね」
 心なしか一回り小さくなったように思える鈴花がおずおずと切り出した。
 今日は土曜日である。本来ならば鈴花は休みであるが、彼女は今、静城、須藤と共にこの休憩室で茶を啜っている。これは鈴花が休日を忘れていたわけではない。
 学校が休みである土曜日と日曜日、鈴花はいつも、喫茶店を経営している両親の手伝いをしていた。そして、今日もいつも通りに家の手伝いをする予定の鈴花だったが、使用人のアルバイトを始めたということもあり、両親の気遣いで手伝いを断られた。
 特に予定もなく暇を持て余した鈴花は、折角だからと、数日前から世話になっているこの家に出向いたのだった。
「何か、綴様と旦那様の邪魔になっちゃったみたいですし……」
 断りもなくやってきた鈴花を、静城は温かく迎えてくれた。しかし、静城に言われて屋敷の見回りをしている最中に緊迫した綴の声が聞こえ、鈴花は思わず声を掛けた。その結果、重要な話をしていたであろう親子の邪魔をすることになってしまった。
「そんなこと気にしてたの? 大丈夫大丈夫。私達、鈴花ちゃんを責めようなんてこれっぽっちも思ってないから。ねぇ?」
「寧ろ、謝罪すべきは我々の方です」
 鈴花はティーカップを口元まで運んでいた手を止めた。
「え、それってどういう……」
「源次――」
「結子さん、聡様は既に鈴花さんに対し不信感を抱いています。最早彼女を『綴様の精神的健康を維持する使用人』としての枠に留まらせるのは困難でしょう」
「……ごめん、私が悪い」
「えっ、あの、え――?」
 鈴花は二人のやり取りを聞いて困惑した。
 聡の部屋を去った後、須藤は鈴花と静城をこの部屋に集めた。鈴花は聡に対して意見してしまったことを咎められるのだと覚悟していたが、どうやらそのような様子はない。それどころか、二人はこちらを気にして申し訳なさそうな顔をするばかりだ。先程の親子の様子といい、鈴花が状況を汲み取るには困難な状態が続いている。
「ご、ごめんなさい。私頭の回転遅くて。えっと、何の話をしてるんでしょうか」
「ああ、ごめんね。置いてきぼりにしちゃって」
 静城は困ったように笑う。そのぎこちない笑顔は、場の空気を重くしてしまうことを避けようとしているのだろう。相手を不安にさせまいという気遣いを、鈴花は察した。きっと彼女は思いやりに溢れた人なのだろう――そう思うと、話の全貌を理解する前でも、少しだけ緊張が解れた。
「私から説明致しましょう。鈴花さん、綴様に初めてお会いしたときのことを思い出してください」
 年季の入ったコントラバスのように、低く厚みのある、それでいて優しさを含んだ声で須藤は鈴花に語り掛ける。
 月之世綴という少女に鈴花が初めて会った日。ほんの少し前のことなので、その日の記憶を手繰り寄せるのは容易だった。
 状況がまったく掴めていない状態で、勢いに任せて扉を開けたあのとき。そこにいたのは、自分とあまり年も変わらぬように見える少女だった。
「初めて綴様にお会いしたとき、どのような印象を受けましたか」
「……寂しそう、でした。失礼な言い方かもしれないんですけど、大切なものを失くしてしまった子供みたいに」
 彼らの気遣いに応えるように、鈴花はしどろもどろにならぬよう、自分の中で言葉を整理してから話すようにした。そして、なるべく心の内に抱いた感情をそのまま伝えるように心掛けた。きっと彼らの求めている答えは、取り繕った言葉から生まれるものではないだろうから。
「よく見ていますね。鈴花さんの仰る通り、あのときの綴様はとても寂しい思いをしていらっしゃいました。正確には、今も」
「今も……」
 須藤の言葉を受けた鈴花の脳裏に、数日前に交わした母とのやり取りが蘇った。
――きっと、妹さんが側にいないのと関係があるのかもしれないわね。
「……それは、妹さんが原因なんですか」
 須藤はゆっくりと目を伏せた。それが肯定の仕草であることを鈴花は理解する。では、やはり――鈴花の頭に父の言葉がよぎる。
――もしかしたらその家の人たちは、すずにその娘を元気付けて欲しいと思ってるんじゃないかな。

「はい。長年連れ添った妹の廻様と離れてしまったことが、綴様の心に大きな影響を与えました。そして、その心の傷を少しでも癒すことができればと考えた我々の行きついた結論が、アルバイトを募集することでした」
 いや、まさか。確かに父は、使用人では妹の代わりは務まらない為に鈴花を雇ったと推測した。だが、それだけでは納得できない。
「待ってください。確かに綴様と年齢の近い人の方が、綴様にとっても接しやすいっていうのは分かります。でも、私みたいな見知らぬどこぞの小娘より、須藤さんたちの方が綴様の気持ちを分かってあげられるんじゃないですか」
「それはそうなんだけど、でもね……」
 静城が答えようとするが、何かを躊躇うように言い淀んだ。須藤の様子を横目で窺う素振りから、重要となる部分を話すべきか迷っているように見えた。
「鈴花さんの仰る通り、我々使用人はお嬢様方が幼き頃より、身の周りのお世話を務めさせて頂いております。その点においては、私達二人は綴様の良き理解者となれるかもしれません。ですが――」
 須藤は一枚の紙を静城に渡す。それを呼んだ静城は目を見開いて須藤に視線を向けるが、すぐに落ち着きのある表情に戻る。鈴花はその一連のやり取りに少し疑問を持ちつつも、須藤の言葉に耳を傾ける。
 いつの間にかティーカップに手を伸ばす者はいなくなり、室内には無機質な秒針の音だけが響いている。
「我々はお嬢様方の使用人である前に、聡様の従者なのです。旦那様は今、廻様と綴様がそれぞれの生活を送ることを望まれています。であれば、綴様には廻様のいらっしゃらない現状の生活に慣れて頂く必要があります」
「え……」
 とても冷たい声だった。先程まで纏っていた柔らかさは消え、代わりに現れたのは、月之世聡という人間に絶対的な忠誠心を持つ、冷徹な従者の顔。その鋭い眼光に気圧され、鈴花は一瞬言葉に詰まる。
 そのとき、鈴花から見て左手に座る静城が、人差し指を口に当てる素振りをしながら、先程須藤から手渡された紙をそっとテーブルの上に置いた。急に態度を変えた須藤に驚きつつも、鈴花はその紙の内容に目を通す。


この屋敷は盗聴されている可能性がある。
この紙に書かれている内容を口外してはならない。

月之世廻は人体実験に巻き込まれている。
その人体実験は月之世聡の独断である。
人体実験の事実を知っているのは静城結子、須藤源次の二名のみである。
月之世聡に忠誠を誓う使用人は、その実験を阻むことに繋がる行動はできない。
そのような行動を取った使用人は解雇され、この家への侵入を禁じられる。
つまり、月之世綴の精神的健康の維持も、月之世聡の意に反する行動である可能性がある為、『忠誠を誓っていない人間』がその役割を担う必要があった。

静城結子、須藤源次の二名は、月之世聡の研究の阻止を目的として行動している。


「――!」
「その為、貴女のような年の近い使用人を雇い、少しでも現状に慣れて頂くために二人きりの時間を用意しました。実際、僅かではありますが綴様の精神が回復している様子が見受けられます。しかし――」
 目を疑うような内容だったが、静城の真剣な表情を見る限り偽りがあるとは思えなかった。鈴花は紙に書かれている内容をもう一度自分の中で噛み砕き、須藤に向き直る。
「鈴花さん、貴女は先程旦那様に反発するような態度を取りましたね。勿論、それは監督不行き届きである私の責任です。ですが、旦那様に不信感を抱かれている者に『綴様の精神的健康を維持する使用人』としての役割を任せる訳には参りません」
 この冷酷さを思わせる須藤の態度は、演技だ。この紙に書かれている内容を鈴花に話すということは、聡の弊害となることと同義。だが、盗聴の可能性があるこの屋敷においてそのような行動を取れば、解雇される――即ち、綴を助けることが不可能になってしまう。
 その為、須藤は『聡に忠誠を誓う使用人』を演じながら、伝えたい内容を紙に書いて見せてきたということだ。ならば、その芝居に上手く乗らなくてはならない。
「……じゃあ、私はどうすれば良いんですか」
 須藤の言葉に気圧され、不安を抱えながら何とか言葉を絞り出す――そんな態度を心掛けた。芝居などうったこともない為、何かに影響を受けてころころと口調を変える父を参考にするしかないのが懸念ではあったが。
「旦那様にしっかりと謝罪し、信用に足る人物であることを証明して頂きます。そうでなれば、とても綴様にお会いさせる訳には参りません。貴女を責めるつもりはありませんが、旦那様の忠実な従者として、そこを譲ることはできません」
「……分かりました」
「旦那様はお忙しい身ですので、今から旦那様の部屋へ向かって頂きます。くれぐれも粗相のないようお願い致します。ああ、紅茶を飲み終わってからで構いません」
 そう言って須藤は目を伏せ、再び目を開くと、そこには無表情の、しかしとても安心感のある柔らかな目をした執事の姿があった。須藤はゆっくりと席を立ち、未だ緊張で強張る鈴花の本へと歩み寄ると、そっと何かを差し出した。
「……?」
 鈴花が手の平を差し出すと、そこに四つ折りになったメモ帳のようなものが置かれた。なるべく音を立てないよう、渡されたメモ帳を開いてみる。


このようなことに巻き込んでしまい、本当に申し訳御座いません。
本来、鈴花さんと旦那様を会わせるつもりはありませんでした。今回の件は月之世だけの問題であり、鈴花さんにはひっそりと綴様の話相手だけを務めて頂く予定だったのです。
しかし、旦那様が鈴花さんの存在を認知してしまった以上、月之世の事情を伝えておくべきだと判断しました。
我々に協力を強要する意志はありません。鈴花さんがこの件に関わることを望まないのであれば、次の出勤の際に須藤までお伝えください。
僅かですが、これまでの分のお給料をお渡しし、解雇という形を取らせて頂きます。


「……」
 そこには、とても洗練された手書きの文字が綴ってあった。
 紙から視線を戻すと、そこには変わらず柔らかい雰囲気を纏う須藤がいる。その目には優しさが宿り、心から鈴花の身を案じていることが分かる。
 振り向くと、静城も申し訳なさそうな笑顔を浮かべて同じような目をしている。
 鈴花は言葉を失った。自分が思っている以上に複雑な事情が存在していたこと。出会って数日と経たない自分にこれほどの気遣いを向けてくれること。鈴花は月之世家と一切関わりを持たない人間なのだから当然ではあるのだが、様々な事柄が合わさり、鈴花は自分がどうすべきか分からなくなっていた。
 あの日見た、綴の寂しそうな表情。それを少しでも緩和させられたらと思ったのは事実である。だが、これほどまでに歪んだ事情を前にして、鈴花は自分の歩むべき道が分からなくなったのだ。
 今、自分がどのような表情を浮かべているのか。それさえも上手く把握できない鈴花だったが、長い沈黙の果てに、彼女はやっとの思いで口だけを動かした。

――考えさせてください。
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