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ツキノセ 作者:
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暗影 - 2

 耳元で無機質な呼出音が繰り返される。五回目の呼出音が鳴ろうとしたとき、受話器の向こうから軽薄な声が聞こえてきた。
『はいはーい、何で電話掛けてきたか分かりますよ。あんな子いませんでしたもんねー。名前なんつーんですか?』
 世の中には数多くの人間が存在するが、この声の主のような軽薄な口調の人間は、聡の最も嫌悪する人種であった。若い頃はこのような人間に対し嫌悪感を露わにして接したものだが、年単位で付き合いを続けていると慣れていくもので、今では感情に波一つ立たせず会話をすることが可能になった。
阿實鈴花あざねすずかだ」
『阿實鈴花ちゃんねー。オッケーオッケー覚えましたよっと。しっかしこのタイミングで新入りとは運が悪いっすねー』
 聡の計算違いを楽しむように受話器の向こう側の声の主は笑う。この温度差には初めこそ苛立ちを覚えたものの、悪意があっての態度ではないことを理解してからは、単純に思い付いたことをただ口にしているだけなのだと判断して受け流すことにした。
「源次の画策だろう。あの男とてただの木偶の防ではない。あの程度は予想の範囲内だが、問題はお前だ、五和いつわ
『え、自分っすか? まさか新入りが入ることを予想しとかなかったのが悪いとか言わないっすよね?』
 受話器の向こうから聞こえる五和の素っ頓狂な声に聡は呆れた。今自分が話した内容をどう受け取ればそのような結論に至るのか。慣れたとはいえ、自分より遥かに知能の劣る人間との会話では、時に未知なる返答が返ってくる為、多少の疲労感を覚えることを回避することはできない。
「それは想定内だと言っただろう。お前にそこまでの有能さは期待していない。私が言いたいのはお前が綴に見せたものについてだ」
『ええ? 言われた通り須藤さんと柿崎さんにしましたけど』
「問題はその二人の再現率だ。私は会話の内容を観測することはできぬが、綴の発言から推測するに、お前は源次が絶対に口にしないであろう言葉を言わせたと見える」
 聡は先程の綴の反応が気掛かりだった。
 聡が通話相手に出した指示は、『綴が廻のことを諦めるよう誘導せよ』というもの。そのうえで須藤と柿崎が綴を糾弾しているように綴を錯覚させるという手段を取ったが、鈴花の妨害によって失敗した。
 しかし、鈴花の邪魔が入る前に綴は須藤の存在そのものを疑ってしまった。――貴方は本当に須藤なの?――この発言から、聡は須藤の再現が失敗していたのだと判断したのだ。
『……えーと、何だ。どこがまずかったかな。やっぱあれか、お前くっつくガムみたいに邪魔だな!みたいなこと言わせたからかな』
「……」
『あ、やっぱ駄目でしたかね?』
 五和が自分の判断で動くといつも良い結果にならないというのが定石であり、聡は五和に命令を下す際は細部まで指示を出して行動させていた。
 何時何分に何処へ行き、どのルートを通って目的地へ辿り着くか、という程度の指示では足りず、大きな独り言は言うな、近くの壁を思いっきり蹴るな、などと常識を持った人間であれば不要であるはずの指示まで出さなければならない。
 今回も須藤と柿崎に話させる内容は聡が指示していたが、生憎五和には覚えきれない言葉の量だったようだ。
「十中八九源次が言わぬであろう台詞だが、まぁ良い。それは無能を制御し切れていない私の責任だ。次からお前に人物の再現はさせないようにしよう」
『うっわ傷付くわー。紳士的な対応に見えてすごい毒舌だわー』
 聡もできることならこのような人間とは一切関わりを持ちたくはないと思っているが、自らの欲するものを手にする為には、この五和と協力関係にならざるを得ない。想像以上の足枷となっているが、自身の頭脳に絶対的な信頼を置いている聡にとっては、この程度の足枷ならばかつての伴侶であった月之世祈以外にならば引けを取らない自信があった。
「綴の説得についてはまた別の手段を取る。お前は研究所へ最短距離を通って戻れ。そして指示があるまで絶対に外出するな」
『ほいほーい。了解でーす』
 耳障りな別れと共に通話は終了した。溜息などを吐く暇もなく、聡は再び受話器と手に取った。
「静城、源次に私の部屋まで来るよう伝えてくれ」

「お呼びで御座いますか、旦那様」
 電話で呼び出してから数分と立たずに須藤は現れた。威厳と品格を備えた佇まいはもうすぐ七十を迎えるという彼の年齢を感じさせず、整った姿勢で眉一つ動かさずに主人の言葉を待つその様から、彼が聡の忠実な従者であることを表している。
 聡が幼き頃より須藤のこの振る舞いは変わっておらず、顔は老いてきているものの、そのあまりの不変さは、彼にのみ時の流れが適応されていないのではという錯覚さえ与える程だった。
「私が帰宅した際、今日一日はお前が不在だと静城から聞いていたが」
「はい、予定よりも大幅に早く用件が済みました為、先程こちらに戻りました旨を旦那様へお伝えしに参りました。しかし、そこで阿實が旦那様に反駁しているところを目撃致しましたので」 
 ただならぬ様子で対峙する鈴花と聡を見て、先に鈴花を下がらせることを優先したと須藤は説明した。
「なるほど。では、その阿實鈴花という新しい使用人についてだが」
「彼女は旦那様が廻様と研究所へ向かわれた後に、アルバイトとして雇わせて頂きました。旦那様がお戻りになる土曜日にご挨拶へ向かわせるつもりでしたが、土曜日と日曜日は休暇としていましたので、旦那様には月曜日まで屋敷にご滞在下さいますようお願い申し上げるつもりで御座いました」
「では、何故彼女は今日ここに?」
「静城曰く、暇を持て余していたと」
「……」
 鈴花とは一言二言しか言葉のやり取りをしていないが、それだけで聡は、彼女が自分の苦手とする人間の内の一人であることを理解した。
 あのように思ったことをそのまま口にする人種は、理屈や理論を頼りにしている人間が予想もしていない行動を取ったりするものだ。今日の計画も阿實鈴花の気紛れによって妨害されたのだということを考慮すると、やはり注意すべき人物だろうと聡は思案した。
「分かった。もう下がって良い」
「畏まりました」
 入室したときと同じように、長身の執事は規則的な足取りで部屋を出ていった。
 機械と見紛う程の整然たる振る舞い。聡の知る限り、須藤があの無表情を崩したのは一度きりしかない。それは聡が自分の妻を――祈を失った日。そのときばかりは、あの須藤といえど何かを悔やむような険しい表情をしていたことを聡は覚えている。
 尤も、聡自身も祈を失ったことによる衝撃に打ちのめされ、そのようなことに意識を向けている余裕はあまりなかった。
 しかし、そのような状況だったにも関わらず、聡にそのときの記憶が色濃く残っているのは、それだけ須藤から発せられている空気がただならぬものだったからだ。怒り、悲しみ、嘆き、悔やみ――その表情を構成しているのがどのような感情であったかは判別し兼ねるが、今まで見たことのない須藤の佇まいから、聡は僅かに恐怖すら覚えた。
 そのとき聡は確信した。もしあの男が敵に回れば、自分の最大の障害になるだろう――と。
 それ以来、須藤の行動に関しては細心の注意を払った。いざとなれば何かしらの理由をつけて月之世の家から追い出すことは容易だが、それは軽率であると判断した。
 彼のような有能な人物は、自らの目が届くところで管理しておく方が安全である。月之世に忠誠を誓った人間であれば、この家にいる限り聡の意に反する行動を取ることはまずないに等しい。逆にこの家から追い出すということは、その忠誠も白紙に戻るということ。そうなれば、須藤がこれを好機として聡の計画を阻む可能性は否定できない。ならば、やはり自分の手元で管理を続けるより他はないのだ。
「……」
 聡は一つ息を吐いた。そこに混ざる色は疲労ではない。少々の邪魔はあったものの、それらによる計画の狂いは全て修正可能なものだ。聡は椅子から立ち上がり窓の側へ行くと、そこから屋敷の外を見下ろし、自嘲するように呟いた。
「やはり温いな。君以外では」
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