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ツキノセ 作者:
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暗影 - 1

 唖然とする私を見ることもなく、父は言葉を続ける。
「当時の私は自分のことばかりに気を取られ、周りへの気配り――祈に対する思いやりを疎かにしていた。結果祈が命を落とすことになったのが、私の浅はかさが原因だと誹りを受けても言い逃れはできない」
 声色は暗く、重い。
 その様子が心から母を偲んでいるように見え、私は言葉を躊躇してしまう。
 あのときもそうだった。母の死について問われた父が見せた、後悔と悲哀に苛まれるような表情。廻や私に対しては、まるで表情を何種類か用意した仮面を付け替えているように見えた父が、唯一感情の窺える顔をする。
「何年経とうとも、あの日の後悔は私の心からは消えない。どうして気付かなかったのか、何故目を離してしまったのか――と」
 父はゆっくりと立ち上がり、壁側へ少しだけ歩み寄る。その横顔は変わらず暗澹としたままだ。
「だがいくら自分を苛んだところで、あの日を取り戻すことはできない。私は妻を守れなかった。それを娘に非難されるも自業自得だ。私が原因で祈が命を落としたという綴の言葉に、私は返す言葉を持っていない」
「それなら――それならば尚更、今お父様が行っている研究こそ打ち切るべき愚行でしょう。私と廻を引き離すような真似をしてっ……私達への配慮などまるで感じられません」
 思わず語気を荒げてしまい、遅いと思いながらも口を噤み、心を落ち着かせる。だが、父はそんな私の様子を気にした様子もなく、ゆっくりとこちらに向き直り、私の目を正面から見据えて言った。
「これは、祈への償いでもあるんだ」
「……償い? ご自身が原因で死に至らしめた妻の娘を危険に晒すことがですか?」
「まだ納得してもらえないようだが、危険を伴う研究ではないのだ。だが、二人を引き離す形になってしまったことについては本当に申し訳なく思っている。研究が無事完遂されれば、また共に暮らせるようになる。綴は元に戻ることはないと言ったが……欠けてしまった祈の分まで、私は二人に尽すつもりだ」
「……」
 何を馬鹿な。本当にそう思っているのなら、何故廻に最初から優しくしてやらなかったのか。そんな穴だらけの、その場しのぎの言葉で私を止められると思っているのなら、見当違いにも程がある――そう反論しようとしたが、声が出ない。まるで蛇に睨まれた蛙のように、私は体を硬直させていた。
 父は真剣な目で私を見詰めている。いつもの貼り付けた笑顔でも、先程のような暗い表情でもない。あまりに淀みのないその目は、私を見ているようでもっと先の何かを見据えているような、或いはその何かに執着するような目付きで、私は僅かに恐怖すら覚えていた。
 ここで退くわけにはいかない。だというのに、体がこれ以上の対話を拒否している。それでは駄目だ。父が普段取らないような態度を取っている今こそ、自分を有利な状況に持っていく好機なのだ。
 私はゆっくりと深呼吸をし、父の目をしっかりと見詰め返す。欺瞞に満ちたこの男を暴き、虚を衝く為に。大切な妹を得体の知れぬ研究から守る為に――
「廻様を守る為、で御座いますか。真に家族への配慮が欠けていらっしゃるのは果たしてどちらなのでしょうか」
「――っ!?」
 私の視線の先に父はいなかった。代わりに映ったのは、幼い頃より数少ない心の拠り所としていた老齢の執事。感情を表に出さずとも、いつだって私を気遣うあたたかさを感じさせてくれた須藤の声が、とてつもなく冷えた色で私を刺す。
「姉と対等でありたい志した廻さんの想い。そしてそれを尊重して今回の研究に廻さんを誘った月之世さんの想い。君はどちらをも無視して自分の目的を貫き通そうとしている。それで良く月之世さんを責められたものだ」
 須藤の冷たい声色に無意識に後ずさった私の背後から、更に刺々しい声が聞こえた。いつの間にか柿崎先生が背後に立っていた。見たこともないような冷え切った表情で私を見下ろしている。
「な、なに……? 二人とも何を、言って……」
「白を切るおつもりですか。ご自分でもお気付きになっていた筈です。自らが目指す先に廻様の望む結果が存在していないことに」
 論点を逸らすな、と言わんばかりの鋭い眼光が私を捕えている。
「……ええ。でも、父の研究が安全だと信じられない今、廻が望む望まないに関わらず私はあの子を助けたかった。それであの子に失望されることになろうとしても、廻の身に何かが起きるよりは遥かに良い!」
「そのような身勝手な欲求が罷り通るとお思いですか。綴様は廻様の心を無視するばかりか、聡様のお心遣いをも無下にしているのですよ」
「……それは」
 須藤は父の忠実な使用人だ。私を大切にしてくれているとはいえ、最優先すべきは父の意志だ。心では私を思いやりつつも、何れ父の命令で私を阻むときが来るかもしれない――そう思っていた。
 だが、それは行動での話だ。須藤がこんな、私を突き放すような言葉をぶつけてくるなんて思いもしなかった。父に言わされているのではない。彼の言葉には充分な敵意が込められている。
「貴方は……貴方だけは、私の想いを否定しないと、思っていたのに」
「想像よりも愉快な思考をお持ちのようですね。私がそのようなことを綴様に申し上げましたか?」
「な――」
「旦那様の行く手を阻む邪魔な小石だとは常日頃から存じ上げておりましたが、まさか靴の裏にへばり付くガムだったとは――」
「っ……やめて! 須藤の口からそんな言葉は聞きたくない! 貴方は本当に須藤なの!?」
「綴様!? 何かありましたか!? 大丈夫ですか!?」
「っ!!」
 頭の中に自分の名を叫ぶ声が聞こえ、私ははっとした。目の前を見ると、あの嫌悪感を剥き出しにした須藤の姿はなく、背後の柿崎先生も消えていた。代わりに見失っていたはずの父が元の場所で驚愕の表情を浮かべたまま立ち尽くしている。
「鈴、花?」
「……」
 私が声の主の名を呟くと、父は表情を戻し速足で私の背後にある部屋の扉を開けた。そこには血相を変えた鈴花が、先程の父と同じように驚愕の表情を浮かべて廊下に立っていた。
「何故――いや、そうか……」
「えっ、あ、あの、む、むすめさん、じゃなくて綴様の叫び声が聞こえたので、あのっ」
「君は誰だ」
「へっ!? あっ、すみません! 私、阿實鈴花と言います! 数日前からここでメイドとしてアルバイトをすることになりまして!」
 父の背中で隠れているが、その慌てふためいた声で鈴花がどのような様子かは想像がついた。
「そうか。すまないが娘と大事な話をしている。君が気にする必要はないから職務に戻ってくれ」
 そう言って父はやんわりと鈴花を追い払おうとしたが、父の向こうから足音は聞こえなかった。
「……どうした」
「そ、その、綴様の様子が普通ではありませんでしたが」
 ひょこり、と入口と父の隙間から不安そうな鈴花の顔が見えた。目が合ったが、私はまだ先程の不可解な出来事が尾を引き、鈴花に掛ける言葉を考えることができなかった。
 ただ黙って鈴花を見ることしかできない私を見て、鈴花は少し引き締まった表情になり、再び父の姿に隠れて見えなくなった。
「ああ。私達家族にとってとても重要な話だからな。綴に辛い選択を強いる結果にもなり得る。だがそれはこちらの問題だ。君が気に掛けるべき問題ではない。理解したかな」
 鈴花の声は聞こえない。またそそっかしい声をあげるものかと思ったが、部屋の外の空間は沈黙を守っている。依然私から鈴花の姿を確認することはできず、どのような顔で父と対面しているのかは分からない。
 数秒後、僅かな間の沈黙を破ったのは鈴花だった。
「辛い選択をしないといけないなら、それは間違った選択だと思います」
「……何?」
 それは鈴花から発せられたとは思えないほど凛とした声だった。彼女を知ってまだ数日だが、そのときに抱いた鈴花の印象とはまったく異なる。父も彼女の態度の変わりように驚いたのか、その声からいつもの貼り付けた笑顔が崩れたように思えた。
「鈴花さん」
 直後、私の耳に届いたのは聞き慣れた落ち着きのある男の声。規則正しい足音を立てて、父の部屋の前へ向かってくるのが分かる。鈴花の「あっ」という小さな声が聞こえた数秒後、声の主の足音は部屋の入口の側で聞こえなくなった。
「綴様との大事なお時間を妨げてしまい申し訳御座いません。彼女はまだ見習いの身、どうかご容赦下さいますようお願い致します。さ、鈴花さん」
 背の高い須藤の姿は父の背中越しでも確認することができた。父に深くお辞儀をして、鈴花にも頭を下げるよう促す。鈴花はばつの悪そうな顔で謝罪し、父が「下がって良い」と言うと二人は足早に部屋の前を立ち去った。
 二人を見届けた父は無言で扉を閉め、私の方に向き直る。その構図が先程の不可解な現象が起きる直前を思い起こさせ、私は無意識に身構える。だが、父は私の目を見ることもせず黙って私の横を通り過ぎ、窓際で歩みを止めた。
「……この話は後日改めて話し合うことにしよう。折角廻も帰ってきたことだ。今は姉妹の時間を大切にしなさい」
 いつもの口調だが、その声に先程まで感じていた熱意のようなものはなくなっていた。優しい父を演じる声でもなく、反抗する私を宥める余裕のある声でもない。
 昔、月之世を良く思わないとある企業の幹部らしき人間が屋敷に押し入ってきたことがあった。自身が捏造した月之世の悪行を父にぶつけ、様々な要求を押し付けてきたのだ。そのとき、既に父は押し入ってきたその幹部の弱味を握っていて、結局その幹部は逆に父の仕事が円滑に進む為の要求を飲まされたのだが、この出来事はこれだけでは終わらなかった。
 父はその後、幹部を強請ゆすったことで零れ出た様々な情報を駆使して、幹部の属する会社とそれを支持する暴力団の関係を洗い出し、暴力団組長とその組員の逮捕、また支持を受けていた会社の上層部全員を懲戒免職にまで追い込んだ。
 当時、その会社の上層部の悪行を世に曝す算段を父が須藤に話しているのを偶然聞いたことがある。私が九歳のときだっただろうか。父の声色はいつも以上に淡々としていて、私に向けられた言葉ではないと分かっているのに、背中に冷たい刃物を当てられているような感覚になったのを覚えている。
 今覚えた感覚が、まさにそれであった。私と廻を気遣うような発言であるはずなのに、背中を冷たいものが這う感覚があった。得体の知れない恐怖を覚えた私は、父の言葉に応えた後、逃げるようにして父の部屋を出てきてしまった。
 私はあの男から本当に廻を取り返せるのだろうか――考えまいとしていた不安が、堰を切ったように流れ出してくる。とにかく、今は父の側を離れたい――そう思った私は、無意識に父の部屋から離れるようにその場を離れた。それと同時に、私の頭は先程の敵意を剥き出しにした須藤と柿崎先生の姿を思い起こし、毒のようにじわりと私の思考をと蝕んでいた。


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