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ツキノセ 作者:
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変化 - 3

 体が痛い。特に肩と腰が。
 これは私の体が急激に老いたのではなく、昨日パソコンを使っている最中に寝てしまったのが原因である。少し目を休めるつもりがそのまま眠ってしまったようだ。
 痛む腰をさすりながら立ち上がろうとしたが、足元の心地よい温かさに気付いて私は動きを止めた。膝に毛布が掛けられている。
「……?」
誰が掛けてくれたのかを考えようとしたところで、入口の扉にノックの音が響いた。
「綴様。静城で御座います」
 落ち着きのある声が扉の向こうから聞こえてきた。朝食の準備ができたのだろう。大分寝過ごしてしまったようだ。
「どうぞ」
 私は慌てて身なりを整えた。月之世の娘である私が夜更かしが原因で居眠りをしていたなどと知られてしまっては、何を言われるか。
「おはよう御座います、綴様。朝食の準備が整いました」
「おはよう。……後で向かいます」
 私は極めて普段通りの声の調子を心掛けた。流石に洗顔と歯を磨くことくらいはしておきたい。
「かしこまりました。それから、先程旦那様からお呼びが掛かり、須藤は本日不在にしております。何か御座いましたら私にお申し付けください」
「……呼び出しの理由を訊いても良いかしら?」
「はい。お仕事に関してのお話があると」
「そう、分かりました。下がってください」
「失礼致します」
 静城は一礼して部屋を後にした。一応訊いてはみたものの、外出先の父が須藤を呼び出す理由など、大抵は今のように仕事に関することだ。唯我独尊という言葉を具現化したかのような存在の父だが、週に一度は須藤に何かしらの補佐を任せている。
 これから廻の居場所を突きとめようとしている私にとって、須藤の不在は好都合でもあり、心細くもあった。今私が行っていることは、恐らく父の意に反している。ならばいつ須藤が父の命により私を制してもおかしくはないのだ。だが須藤が不在な以上、その心配はない。他の使用人たちは基本的に須藤や静城の指示を受けて動いている。静城はメイド長だが、月之世家の使用人になってまだ二年程度しか経っていない。須藤の不在という状況で、使用人達の統率以上の仕事を任されることはないと思う。
 では何故心細いのかというと、須藤は父の忠実な従者であると同時に、私が最も信頼している使用人でもある。父がこの家における絶対的な支配者で、須藤もそれに逆らえないことは分かっているのだが、何かあった際に真っ先に手を差し伸べてくれたのはいつも須藤だった。今回ばかりは私が父の意に反した行動を取っているので、そんな都合の良い話はないのだろうが、どうしても非常時には須藤が手を貸してくれるのではと思ってしまう。
 どちらにせよ、今回の件に関しては私一人で調べるしかないだろう。父の意に背くことを使用人達に頼むわけにはいかない。
 私は朝食に向かう準備を終え、部屋を出ようとした。そのとき、部屋のカレンダーを見てある違和感を覚えた。
 今日は土曜日だ。
「――!」
――週末には家に戻るから、それまでゆっくりと気持ちの整理をすると良い。
 忘れていた。週末は父と廻が家に帰ってくる。
 別れ際に見た廻の表情と、父に廻を連れて行かれてしまったという事実が大きすぎて、大事な部分が頭から抜け落ちていた。
 鼓動が速くなるのが分かる。廻はどうなっているだろうか。私のことを怒っていないだろうか。痛い思いはしていなかっただろうか――いくつもの疑問が次々と私の思考を埋めていく。最早、研究所の場所を調べるという当面の目的すら霞むほどに。
「……落ち着きなさい、綴」
 私は自分の胸に手を当て、自らの心を制する。冷静にならなくては。以前思い知ったはずだ。冷静さを欠いた結果、廻が自分から離れてしまったことを。
 そもそも、父は『廻と一緒に家に戻る』とは言っていない。父が帰ってきた際、廻の姿がないことに私が動揺すれば、父は必ずそこを突いてくるだろう。「廻は新しい目標に向かって努力しているのに、姉のお前がそんな様子ではいけない。二人はしばらく離れて暮らした方がいいだろう」。そんなことを言って、廻を家に戻さない口実を作るかもしれない。私は少しでも取り乱してしまったことを反省した。
 まずは、父が帰宅した際にどのような会話をすべきかを考える。正直、研究所の場所を調べると言っても、何から手を付けて良いか分からないというのが本音だ。昨日の私の行動に成果はなかった。ならば、父の口から有益な情報を引き出すしかないだろう。
 無論、簡単なことではない。向こうは私のことを知り尽くしている。今私がこのような考えに至っていることも既に予想の内かもしれない。それでも、いずれはあの男を上回らねば廻を連れ戻すことはできない。ならば敗北も覚悟のうえで立ち向かうべきだ。
「……よし」
 深呼吸をして、自分の心を再度落ち着かせる。
 一先ず朝食を摂ってから先のことに備えよう。私はいつもより前向きな気持ちで食堂に向かった。

「たった今、旦那様がお庭の方にご到着なさったそうです」
 朝食を終え、食堂を出た辺りでメイドが父の帰宅を伝えてきた。私は自室に向けていた足をエントランスの玄関へと向きを変え、父を出迎えることにした。
 エントランスには今屋敷にいる使用人、八人全員が待機していた。最近は父の外出自体がなかったので、この光景を見るのは久しぶりだ。私が使用人の列に辿り着いた頃、玄関の扉がゆっくりと開け放たれた。
「お帰りなさいませ、旦那様。廻お嬢様」
 扉に一番近い静城が代表して出迎えの挨拶をすると同時に、他の使用人達も頭を下げる。
 確かに今、静城は廻の名前を呼んだ。私は駆け出したくなる衝動を抑えながら、開かれた扉の方へゆっくりと近付いた。
「私が不在の間のことは源次から聞いている。何事もなかったようで何よりだ。御苦労。皆仕事へ戻ってくれ」
 父の言葉で、集まっていた使用人たちが各々の仕事へ戻っていった。囲まれていた父の姿が見えるようになり、その隣には廻の姿があった。数日会っていないだけなのだが、随分久しぶりにその顔を見る気がする。
「おかえりなさい、お父様」
「ただいま、綴。寂しい思いをしていなかったか」
「心配いりませんわ。話相手ならたくさんいますから」
「そうか。流石お姉さんだな」
 白々しい、と心の中で毒を吐きつつ、父の言葉を受け流す。予め心の準備をしていたおかげで、貼り付けていた笑顔の仮面に綻びは生まれなかった。
「ただいま、お姉ちゃん」
 父の隣にいた廻が、柔らかく微笑みながら私に声を掛けた。その姿は家を出た日のままで、顔がやつれたりもせず、怪我があるようにも見えなかった。
 数日ぶりに聞いたその穏やかな声と表情に、張り詰めていた私の気持ちが解けて涙が溢れそうになったが、今泣いてしまうわけにはいかない。私は溢れそうになった涙を何とか堪えた。
「おかえり廻。元気そうね」
「……うん」
「数日とはいえ、離れて暮らすことなど無かったからな。部屋に戻ってたくさん話をすると良い」
 父は私達の再会を見届けると、少し離れたところで待機していた静城と共にその場を離れた。後で話をしなければならないのは分かっているが、一先ず警戒すべき相手がいなくなったことに私は安堵した。

「何か、すごく久々な感じがするなあ」
 自分の部屋に帰ってきた廻は、部屋の中をぐるりと見渡してそう口にした。私も廻がいないとこの部屋に入ることはないので久しぶりだ。
 廻は「ただいまー」と言いながら、愛おしそうにぬいぐるみたちの頭を撫でていく。当たり前になっていたこの光景を数日ぶりに見て、私は改めて廻が帰ってきたことを実感した。
「きっと皆、寂しがってたと思うわ」
「えへへ、そうかな。そうだよね。帰ってこなかったことなかったもんね」
 廻は自分の身長の半分程ある二頭身のうさぎをぎゅーっと抱き締めた。あの子は廻が小さいときに抱き枕代わりになっていた子だ。今でもたまに抱いて寝ている。
 私は心が温かくなるのを感じた。やはり私は、廻が廻らしくしている光景を見るのが好きだ。父の研究などに付き合わず、このままずっと家にいれば良い。そのような願望を抱いたが、それは私の身勝手な我侭だ。この子は自分の意志で動いているのだから。それでも、その背後にあるのが父の怪しげな研究というのなら、私はこの我侭を自分の胸の内に止めておくことはできない。
 ひとしきりぬいぐるみを愛で終えた廻が、私の方に向き直る。その表情はどこか私を気遣うようで、きっとそれは、あの日の別れ際に私があんな態度を取ってしまったからだろう。
「あのときはごめんね。廻の気持ちを分かってあげられなくて」
 今でも、あのときの廻の表情を思い出すと胸が締め付けられる。私の妹だと胸を張って言えるようになりたいという廻の想い。私はその想いを汲み取ってあげられず、父に言わせられたと決め付けた。
 もう廻にあんな悲しそうな顔はさせたくない。
「ううん、お姉ちゃんが謝ることなんてなんにもないよ。私が頼りないのがいけないんだもん」
 廻は僅かに笑ってそう言った。落ち度があるのは私の方なのに、こういう優しいところは昔からだ。廻が怒っていなかったことを知って、私は少しだけ心が軽くなるのを感じた。
「……お父様の研究のことを訊いても良い?」
 やっとの思いで、訊かなければならないことを切り出した。父のことになると、自分でも知らぬ内に険しい表情になってしまう為、なるべく柔らかい表情を心掛ける。
 廻もこの質問を投げかけられることは分かっていたのだろう。少しだけ目線を下に向けた後、再び私の方を向いて口を開いた。
「うん。お父様と、もう一人研究員の人がいてね。最初は二人にいろんな質問をされたの。今まで生きてきて不思議な出来事はなかったか、とか、決まった場所で気分が悪くなったりしたことはないか、とか」
 廻はここ数日の出来事を思い出しながら、一つ一つを言葉に変えていく。
「もちろん、そういうことはないですって答えたんだけど、そうしたら、次はいろんな写真とか画像を見せられて、嫌な気分になったものはないかって訊かれたの。気持ち悪い画像とかはなくて、どれも不思議な模様の画像とかだったら、それもないですって答えたんだけど……」
「? どうしたの?」
 突然、廻が話すのを止めてしまった。私から目を逸らして俯いている。どうやら思い出せなくなった様子でもないようだ。
「ううん、何でもないの。えっと、それでね……」
 廻は説明を再開しようとするも、どうにも歯切れが悪い。
 そのとき、廻が無意識に左の手首をさすった。特別変わった素振りでもなかったが、直後に廻がはっとしたような表情をしたのを見て、私は嫌な予感がした。
「廻。手首、どうかしたの?」
「えっ、あ、ちょっと転んじゃって……」
「捲って見せてくれる?」
 険しくならないよう、なるべく穏やかな声色を心掛ける。それでも廻は不安な表情になってしまったが、言い逃れできないと察したのか、ゆっくりと袖を捲る。
「……!」
 廻の左手首には、注射用の保護シールが貼ってあった。それも一箇所ではなく、三箇所。
 以前の私ならば、動揺して「一体何をされたの」と詰め寄っていただろう。だが、そんな風に詰め寄っても廻が困惑するだけだ。私は湧き上がる感情を抑え、廻の顔に視線を戻す。
「廻、それは……?」
「……」
 廻は黙って俯いている。これではまるで、子供を叱りつける親のような気分だ。私は何も、廻を責めているのではない。
 何も話さないということは、父が口止めをしているのだろうか。それならば話したくても話せないだろう。
「お姉ちゃんには、話せない?」
「――! ううん、違うの……ごめんなさい。でも、私は大丈夫だから……」
 廻は俯いたままそう言った。その複雑な表情からは、廻の真意を汲み取ることはできない。
「……そう、分かったわ。廻が大丈夫なら良いの。問い詰めるような感じになってごめんね」
 だが、本人が大丈夫と言っている以上、これ以上はきっと余計な詮索なのだろう。廻を家に連れ戻すという目的がある以上、何れは廻に私の身勝手な想いを押し付けることになるかもしれないが、今目の前にいる妹を困らせるようなことはしたくない。
「ううん、私こそごめんなさい。でも、お姉ちゃんを困らせたいとか、そういうのじゃないことだけは……信じて欲しいな」
「勿論よ。そんな風に思ったりしないわ」
 表情から不安の色が消えない廻に近付き、頭を撫でてそう声を掛けた。さらさらの髪から、よく知った香りがする。
「ねぇ、廻。折角家に帰ってきたんだもの。久しぶりに二人で遊びましょう。この子たちも退屈していたと思うから」
 私はこの部屋の住人たちに目を向けながら、廻にそう提案した。数日ぶりに帰ってきた自分の部屋で、暗い表情をしているのは勿体ない。そのとき限りだとしても、ここではいつも通りの二人でいる方がきっと正解だと思う。
「……うん、そうだね。えへへ、何しよっかなあ」
 廻も顔を上げ、にっこりと笑って賛成してくれた。私のよく知る廻の顔だ。
 手首の注射の痕、それについて言い淀んだ廻。気になることはたくさんある。きっとこの後、私は今とは正反対の表情をして父の元へ向かうだろう。
 それでも、今この瞬間だけは、廻と二人きりの時間を大切にしたかった。
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