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赤と白の大陸

王女殿下の不機嫌日

作者:桐央琴巳
 年に一度、王女には、不機嫌日が廻ってくる。

 王女は名を、マルグリットといった。マルグリット王女殿下は一年のほとんどを、王都から遠く離れた北の離宮に閉じこもっている。
 十代の頃、王女は祖国の花であった。いや、祖国だけではない。絵画に描かれ詩に詠われて、その美を広く称えられた大輪の花だ。
 王女の気高さ美しさは、祖国の内政にも、外政にも、存分に役立てられて力を揮った。王女自身もそれを喜びとし、己を磨く努力を弛まず、国と父王のために働くことに誇りを持っていた。
 けれども今では――、王女はどこへ行っても、誰からも、腫れ物に触るような扱いを受ける。お可哀相な王女様と、下々の民草にすら囁かれ、好奇と憐憫の眼差しを向けられる。
 王女の評判を、明から暗へと突き落したのは、数年前に王女を襲ったとある不幸な出来事だった。その出来事ゆえに、王女は婚期を越しかけた今でも、嫁ぐ予定もなく(わび)しく暮らしている。
 王女の身の上を案じながら、王太子である年子の弟は、幼妻のお妃とおしどりの家庭を築いていた。今の人々の関心の的は、もぎたての果実のように瑞々しい王太子妃と、彼女が産んだばかりの小さな姫君で、今さら王宮に戻ってみたところで、落ちぶれた王女に居場所などないのだ。
 その証拠に、母后は、わざわざ王女の不機嫌日に届くよう、小言を連ねた手紙を送りつけてきた。耳に痛いことをあえて述べるのも、親心だとわかってはいるが、添えられていた荷の中身があまりにも切ない代物で、王女はそれを胸に抱えてしくしくと泣いた。
 予期せぬ客人の来訪を告げられたのは、正にその最中のことだった。不機嫌日の王女は輪をかけて不機嫌になり、応接の身支度にわざとらしく時間をかけることにした。


*****


 お茶も出さずに通させておいた客間の窓辺で、王女の招かれざる客人は、夕涼の庭を眺めながら気長に待っていた。
 あまり華美ではない、深緑の上下を品よく着こなした、柔らかな物腰の青年である。代々国の北方を治める、門閥家の跡取りとして育った彼には、剣よりもペンが似合う印象があった。
 王女にとっての青年は、『親友の弟』という糸で繋がった、年の離れた幼なじみである。邪険にしながら面会を断るまでにしなかったのは、結局のところ人恋しさと、その八つ当たりもできなくはない懐かしい(えにし)に、すがりたい甘えがあったからだろう。
「デデューエ」
 名を呼んでやると、青年はおもむろに振り返り、視界に入れた王女の姿に頬を引きつらせた。けれども次の瞬間には、何事もなかったかのように、恭しく王女の御前に畏まった。
「お邪魔しております。マルグリット様」
「ようこそ、とは、言ってあげなくてよ、デデューエ。今日はわたくしの不機嫌日ですもの」
 傲岸に見える角度に顎を上げて、つんつんと王女は言った。青年――デデューエは、下げていた頭をもたげ、動じることなく切り返してくる。
「存じているので、参りました。私では姉の代理は務まりませんか?」
「ま」
 去年までの不機嫌日を、王女は彼の姉に付き合ってもらうのが慣例だった。ところが彼女は昨秋、大恋愛を実らせて他国の貴族に嫁してしまい――。なるほどデデューエは、いなくなった姉の代わりに、不機嫌日の王女を慰めてくれようと、北の離宮に参上してくれたらしい。
「そういうことなら、好きにしておゆきなさいな。今日のわたくしは愛想笑いをしてあげないし、言葉を取り繕うことだってしないわよ。傷つくのも、悲しむのも、あなたの勝手」
「承知しました」
 王女は諾うデデューエに向けて、尊大に右手を差し伸べた。それを儀礼通りに押し頂きながら、デデューエは敬拝の口付けをためらい、目礼をするに止めて王女に尋ねた。
「ところで奇抜なお召し物ですね? いつの間にご出家なさいました?」
 真正面からの質問に、王女は自嘲的に自分の衣服を見せびらかす。
「なかなか似合っているでしょう? これは今日、お母様から頂戴したばかりなのよ。東のフレイア【春女神】尼僧院か西のフィオ【秋女神】尼僧院、どちらでもいいから、選んでそろそろ入りなさいって」
 デデューエを驚かせ、そして躊躇させたのは、王女が纏って現れた黒と白の尼僧衣だった。王女の雪白の肌も濡れ羽色の髪も、その慎ましい衣服と頭巾の中に極限まで隠されている。これこそが先刻までの王女を泣かせていた、母后のお手製だという不機嫌日の贈り物だった。
「何を召されていても、殿下はお綺麗でらっしゃいますよ。それで殿下は……、ご自身の今後をどう処されるおつもりですか?」
「決まっているでしょう。これを着て、東へ行くの。わたくしは未婚ですもの、残りの生涯を母なるフィオではなく、永久(とこしえ)の乙女フレイアに捧げて帰依するのよ。でも」
「でも?」
「わがままだってわかっているけれど、行きたくないというのが本音ね。ねえデデューエ、尼僧院に入らなくても出家はできるわ。わたくしこのまま、住み慣れた北で暮らしたいの。この辺りのどこか静かな場所に、わたくしが隠棲する土地を譲ってもらうことはできなくて?」
 懇請する王女に、デデューエは残念ながらと首を横に振った。
「今の私の権限では、殿下に土地を譲渡することは叶いません。ですが、殿下のお身柄を、北へお残しするために、して差し上げられる提案ならばございます」
「それはどんな妙案なのかしら? 頭のいい子は嫌いでなくてよ」
 王女から寄せられた期待の言葉に、デデューエは微かな落胆と僅かながらの希望を得た。きりと表情を引き締め、きちんと王女に向かい合わせて、今を逃せば二度とはできない一世一代の話を切り出す。
「ならば、ご一考を下される余地はありましょう。マルグリット様、女神の御許へは十年先でも二十年先でも向かえます。その前にどうか、私のところへ、お嫁にいらしては下さいませんか?」
 突然告げられた直截なそれは、紛うことなき求婚の句だった。
 王女の息は止まりかけた。
「お、嫁、さん……?」
「ええ」
「わたくし、が、あなた、の……?」
「はい。そのようにお願い申し上げました」
 確認をする王女に、デデューエは真摯に頷いた。驚きが行き過ぎると、王女の腹の底からふつふつと、暗い怒りが湧き上がってくる。
「いっ……、嫌なデュー! そんな大真面目な顔をして、悪質な冗談でからかうのはやめて頂戴! そもそもあなた、わたくしよりもずっと年下ではないの!」
「戯れ言を申したつもりは毛頭もございません。それに年齢のことなら、私は先日二十歳になりました。もう殿下と同い年です」
 ありえないデデューエの主張に王女は鼻白んだ。自分が荒れるほどに落ち着き払ってゆくような、彼の様子が不愉快だった。
「あなたは、何を、言っているの……! わたくしは今日二十五歳になったのよ! だからお母様はお節介をして、本当に惨めな思いをする前に、尼僧になってしまいなさいと、こんなものを送ってきたの。わたくしが生きている限り、あなたとわたくしの年の差が縮まるわけはないでしょう?」
「世間は確かに、そうみなしているでしょう。ですが、殿下は二十歳のまま、時間を止めておいでのはずです」
 デデューエは静かにそう言って、王女をその場に凍りつかせた。それを知っているのはただ一人、親友だけの、はずであった。


*****


 王家に生まれた姫というのは、国の貴重な財産である。しかし、どれほど貴い珠であっても、大事に大事にしまい込んでいては、宝の持ち腐れというものだ。深く考えるまでもなく、益のある相手に嫁がせるのが、最も有効な活かし方である。
 王女にもかつて、許嫁がいた。相手は隣国の若き王であった。その絵姿に心をときめかせ、国を訪れた実物の彼と恋をして、王女は輿入れの日と定められた二十歳の誕生日を待ちわびていた。
 けれども――、何という運命の非情だろうか、婚礼を目前に控えた十九の終りに、王女は大病を患い、死線をさまよってしまったのだ。
 なんとか一命はとりとめたものの、快復にはもどかしいまでの時間を要した。床上げの目処が立たぬまま、輿入れの日取りを三度順延させてしまったところで、健康に不安のある后を迎えることはできないと、一方的に婚約を破棄されてしまった。
 王女の父王は激憤したが、彼もまた国主の立場である。虚弱な王女との恋よりも、国家の安泰を優先せざるをえなかった、隣国の王の苦渋と事情は計れなくもない。協議の末に、王女の弟王子に隣国の王妹を娶らせることで両国は和解した。傷つけられた王女の、心と尊厳を置き去りにして――。

 以来王女は、北の離宮にこもりがちになった。
 忌まわしい記憶と結びついてしまった、誕生日を祝わせることをやめ、暦を黒く塗り潰したその日は、不機嫌日と呼ぶことにした。
 毎年無聊を慰めに訪れる、親友を前にして、誕生日のなくなった自分は、永遠に二十歳のままで、年をとらなくなったのだとうそぶいた……。


*****


「あなたのお姉様は、そんなことまであなたに話していったのね。何てこと、ひどいわ……!」
 王女は尼僧衣の胸を掴んで、今は異国で最愛の夫と、新婚生活を送っている親友を恨んだ。彼女はおそらく、自分が祖国を離れた後、王女の支えになってやれるのは、この弟しかいないと判断をしたのだろう。その人選は間違っていなかったかもしれないが、こんな子供じみた強がり方を、今本当に二十歳の彼に知られているのだと考えると、顔から火が出るほどに恥ずかしかった。
 口惜しさと羞恥から、ぽろぽろと溢れ出した王女の涙を、デデューエは糊のきいた手巾(ハンカチ)で几帳面に拭ってくれた。そしてそれでも泣きやまない王女の手に、手巾を押し付けて。
「失礼を」
 短く断りを入れたかと思うと、王女の身体を両腕の中にすっぽりと包んだ。
「本当に、失礼だこと……。お放しなさい、デデューエ! 同情なんて真っ平なのよ。あなたまでわたくしを憐れまないで……!」
 拒絶する言葉とはうらはらに、王女はひび割れた心をひたひたと満たしてゆく、デデューエの温もりに救われそうになっていた。それがいかなるものであっても、長い渇きを癒してくれる情は美味で、その胸に両の拳をぶつけることはできても、肘を立てて突っぱねることはできなかった。
「同情で、王女殿下に求婚などできません。ですからこれは、愛情なのだと思います」
「だと思う……? 『思う』、なのね……。デューは本気でわたくしが欲しいの? だったらどうして愛情だと言い切ってくれないの? 意気地なし!!」
 中途半端を許さず、癇癪を起した王女の罵りに、デデューエは苦悩するようなため息をついた。
「申し訳ありません。私の中に、手頃な物差があればよいのですが、殿下にしか抱いたことのない感情ですので、これこそが愛情であるのだと計ることができないのです」
「え……?」
 それは、それこそが――、特別な相手にしか芽生えることのない、真の愛情である証ではないだろうか……? 王女はそれを確かめようと、そろそろと視線を上げた。やるせない熱を湛えた、優しくも切なげな眼差しに見つめられていた。
「……いつから?」
「そうですね、具体的には自分にも……。ただ殿下が、大患に倒れられたと知った時ほど、世を儚んだことはなく、峠を越されたと聞いた時ほど、神に感謝したことはありません。殿下、マルグリット様、マルゴ……、私に世界の精彩を、見せて下さるのはあなただけなのです。生まれてきて下さって、生きていて下さって、ありがとうございます……」
 マルゴ――と、幼い頃の王女の愛称を、昔とは違った声音で呼び、デデューエは王女を抱く腕に力を込めた。それはいつの間にか、手を引いて歩いてやっていた、幼なじみの男の子でいることをやめ、王女を受け止め守れるだけの強さを、備えるようになっていた男の頼もしい腕だった。
「私と一緒に、再び年を重ねては下さいませんか?」
 額を寄せるようにして、デデューエは改めて申し込んできた。その老成した口説き文句に、王女は思わず、口元を緩める。
「……爺臭い求愛だこと」
「殿下に、そう思って頂けるなら本望です」
 言質を与えるかわりに、王女は睫を伏せてデデューエを待った。焦れるような間をもたせてから、震える熱が、ほんのひととき、王女の唇を掠めていった。
「ねえ、デデューエ」
「はい」
「わたくし今日、二十一になることにしたわ。おめでとうを言ってくれる?」
 瞳を開けて王女がねだると、目の縁を淡く染めてデデューエはうろたえた。年若い彼の、青い口付けは誠実さの証拠と王女は思ったが、純情な一面を晒してしまって、どうやらデデューエは背伸びをしていることができなくなったらしい。
「それは……、殿下のご要望を叶えて差し上げたいのは山々なのですが、できれば来年まで待って頂けませんか?」
「どうして?」
「今お祝いをしてしまうと、私はまた殿下に、年を離されてしまうことになってしまいます。そうなれば、一年のうち数日しか殿下と同い年でいられません。ですから――」
 さらに言い募ろうとするデデューエの唇に、王女は指先を当てて封をした。自分と並んでいたがる彼の未熟さと一途さが、くすぐったくて愛おしかった。
「それだけではいけなくて? わたくし今日、あなたに、五年ぶりの誕生日を祝ってもらいたい気分なのよ。そうね……、あなた次第では、来年も、再来年も、その先も、ずっと――」
「殿下!」
 ひらりと身を翻して彼の腕から逃れ、王女はデデューエを長椅子に掛けさせた。そうして自分は立ったままで、頭に被せていた尼僧の頭巾を取る。
「待っていて頂戴、着替えてくるわ。こんな陰気な服、不機嫌日にはぴったりだけれど、誕生日には相応しくないでしょう? わかっていて、デデューエ、わたくしの唇は高くついてよ?」
「はい」
 頭巾の下から現れた王女の髪を、デデューエはほっとしたような眼差しで撫でた。きっちりと固く結われてはいるものの、豊かな長さが保たれている髪は、王女がまだ俗世に足を着けている印だから。
「殿下」
「なあに?」
 客間の出入り口へ一人向かいかけた王女は、呼び止められて振り向いた。デデューエは長椅子から立ち上がり、はにかんだように微笑んで、心からの祝いを告げた。
「お誕生日、おめでとうございます」
「……ありがとう」
 応えて王女もふわりと笑んだ。それは久方ぶりの陽の光に綻んだ、晴れやかな花の笑顔だった。

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