第1章〜悲しみの笛〜(役立たずの刑事・下)
警視庁で、俺一人を相手にした、説明が始まる。
俺の祖父も別室で、同じ内容の説明を受けているのだろう。
俺の祖父は、俺の養父母がいっぺんに死んだことをどう思うのだろうか?
もしも、この轢き逃げ事件をいい気味だと思っているのなら、絶対に許せない。
自分の膝の上、俺は自分の拳を握りしめ、強く、そう思う。
(by 浜口 至)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
2月26日(金曜日)午後5時39分・シエルこと浜口至の場合。
説明の内容は、思った通りのものだった。
今日の朝、杯戸町で殺人事件が発生した。
事件の被疑者(『容疑者』という呼び方は、マスコミ用語だそうだ)は、すぐに判明する。
が、殺人容疑で捕まえようとしたとき、その被疑者は突然、走り出した。
被疑者は制止を振り切り、周りの人々を突き飛ばし……
なんと、その場に居合わせた刑事の車を奪い、駐車場から逃げ出す。
そして交差点を曲がる途中で、横断歩道を歩いていた俺の養父母をはねて、逃げた。
いまだに、その被疑者は見つかっていない。
ちなみに被疑者は、自分自身の免許証を現場に落としている。
しかし、その免許証は偽造されたものだと、あとになって判明した。
免許証に載っていた名前も住所もデタラメで、顔と性別以外の手がかりが全く無い。
……以上が、目暮と名乗った人(階級は警部と言っていた)の、説明。
……長い説明が終わったあと、俺は小さく嘆息した。
膝の上で握りしめた拳はうっすらと汗ばんでいて、そして小さく震えている。
そして……俺の声も、少しだけ震えて、疲労の色を帯びていた。
「制止できなかったんですか?
その殺人者が逃げ出すのを、誰も止められなかったんですか?」
「……」
ただ俺の目の前で目を伏せる、三人の私服刑事。
彼らは何も言わなくて、だから俺の声が大きくなる。
「その殺人犯は、刑事さんの車を奪って、逃げたんでしょう?
奪われた車の持ち主は、どんな刑事さんなんですか?
殺人犯はそのまま逃げ出したんだから、車のキーを抜かずに停車していたんですよね?」
と、そこで目暮さんが言った。
「車の持ち主は……警視庁に勤めている、捜査一課の女性刑事です。
本来はこの事件の担当ではなく、他の事件の捜査の帰りに、殺人事件の応援に呼ばれ、
そして……先ほど説明した事態になりました」
感情が高ぶる。
怒り、悲しみ、全てをぶちまけるように……
俺は、怒鳴った。
「俺は、去年の夏に乃梨子叔母さんたちの養子になって、まだ半年ぐらいしか過ぎていないんですよ!?
俺には、外国で暮らしている親がいるからまだ幸運だった。
……でもひょっとすると、孤児になっていたかも知れないんですよ?」
涙混じりの、自分の声。
「犯罪者を捕まえるのは、警察の仕事でしょう!?
それが出来ないのなら……」
俺が言うのは、相手をなじる、そのための言葉。
押さえつけていた感情が、一気に噴きあがる。
「それが出来ないのなら、単なる役立たずでしかない!
……違いますか?」
目の前に座る三人は、ただずっと、唇をかみしめている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
2月26日(金曜日)午後5時45分・高木渉の場合。
浜口君の声が、部屋中に響く。
……確かに、浜口君の言っていることは、まったくの正論。
犯罪者を逮捕するのは警察の仕事。
それが出来ないのは大きな失態だし、自分たちが役立たずだという……一番の証明だ。
この捜査一課の仕事で、一歩間違えると取り返しのつかない事態になるのは、皆、知っている事実。
そして何より……
その場にいながら何も出来なかった、役立たずの刑事だった僕自身にも。
浜口君が怒って、当然だ……
|