12. 決戦前夜
何事もなかったように毅然と振舞っていた母が、物陰で眼に着物の袂を当てるのを見た。
私は、自分の足元に横たえられた棺に視線を落とす。
そこには、まるで苦しみから解き放たれたかのような顔をして、ただ横たわる少年の姿。
あれは・・・私の、五番目の兄だ。
これで、蜂家に生まれた私の五人の兄は、全て隠密機動の任務中に、命を落としたことになる。
―― 恥ずべきことだ。
そう思った。
貴族の子として名を上げることもなく、ただ死んでいった兄たちが。
傷だらけの腕を、壁に打ちつける。
修行しても、修行しても伸びぬ自分自身が許せず、憎くてたまらなかった。
打ち砕きたかった。下級貴族としての、弱いつまらぬ血筋を。
「砕蜂」。
その時、私は自分の名を捨てた。
―― やはり、下級貴族だからだ。
そう陰口を叩かれ、期待もされず、ただ上に立つものたちを見つめていた。
才能がなくても、たった一人でも、必ずあの場所に行ってやる。
しかし、努力の末に隠密機動総司令官の座を勝ち取った後も、いわれる言葉は変わらなかった。
なにかある度に、こう言う輩がいることを知っている。
―― やはり、下級貴族だからな。先代の夜一様のような訳にはいくわけがない。
「馬鹿な奴等だ・・」
人知れず、砕蜂は呟いていた。
自分を食い殺すような眼で見た、天道の娘を思い出す。
あの娘は、死ぬまで戦うだろう。復讐のために自分を捨て、使命を捨てて。
―― それが出来ないなら、死神も隊長も、こちらから願い下げだ。
そう言い放った日番谷冬獅郎の姿が、続いて頭をよぎった。
確かにあの少年なら、自分の信念を貫くためなら、立場も使命も命も、あっさりと投げ打ちそうだ。
なぜ、それほど簡単に捨てられるのだろう。
自分が死に物狂いで長年修行を続け、やっと射止めた「隊長」という二文字の重みがが、なぜこうも違う。
生まれながら隊長になりうる霊圧に恵まれたあの少年にとって見れば、当然の成り行きだということなのか?
簡単に手に入れたから、執着するほどでもないと、そういうことなのだろうか。
砕蜂は、自室の部屋の戸をあけた。
月の光が差し込み、灯りを入れなくても、調度の輪郭ははっきりと分かる。
棚の上においてある、1人の女の写真に向かって、歩み寄る。
それは、褐色の肌を持ち、黒曜石のように黒く輝く瞳を持つ、1人の女の姿。
砕蜂が唯一憧れ、焦がれた女。
「夜一様・・・」
あなたも。そうだったのか。
愛する男のためには、隠密機動の長たる矜持も、死神たる誇りも、無意味なものなのか。
だから私にも何も告げぬまま、ソウル・ソサエティから失踪したのか?
砕蜂は、その写真から目を逸らす。次の瞬間、
バキン!!
砕蜂の拳が、写真を直撃する。額が音を立てて壊れた。
「感情など死神には必要ない・・・」
そう呟く。
その言葉が誰に当てたものかは、自分でも分からなかった。
月光が、割れたガラスを冷たく光らせ、砕蜂はしばらく視線を落としたままでいた。
「惜しいな。こんな美しい月は、母さんとも一緒に見たかった」
草一本残さず燃え尽きた庭の向こうに、煌々と月が輝いている。
その縁側で、清十郎と揚羽は酒を酌み交わしていた。
揚羽は黙って微笑み、清十郎の杯に酒を注いだ。
「・・・まぁ、自業自得だな。
これまで何百と人を殺してきた。お前が生まれる、ずっと前だがな」
「でも!仲間とか、この街を護るためには仕方なかったんじゃない!」
清十郎は、一生懸命言い返す揚羽の剣幕に、ふぅ、息をついた。
「そうだった時も、そうでない時もあった」
「そうでない時って・・・」
「バカな時もあったってことだ。今は違うにしても、過去は消えない」
揚羽は、父親の顔を見上げた。それはなぜか、清清しく見えた。
「ここにいる奴等には、その意味じゃ皆殺される理由がある。覚悟もある。
でも・・・お前だけは違うんだよ、揚羽」
揚羽は無言で、首を振った。
「本当にバカ娘が・・・」
言葉とは裏腹に、その声は優しい。
「戻って来いといったときに戻らず、こんな時ばかり戻ってくるとはな。
・・・逃げてくれ、と頼んでもムダなのか」
「ムダよ」
即座に揚羽は返した。
「父様までいなくなったら、誰が心からあたしを心配して、怒ってくれるの?あたしを一人にしないで」
清十郎は無言で揚羽を見返す。
娘の顔に浮かんだ不思議な微笑の正体を見抜こうとするように。
「揚羽」
食い入るように、じっと月に見入っている揚羽を見て、清十郎は突然焦燥にかられる。
「揚羽!」
二度目の声に、振り返る。
「『諦めるな』。母さんが言い残した言葉だ。
戦いに参加するなら、この言葉を護ると誓え。決して・・・生きるのを諦めないと」
「ええ」
揚羽は瞳を閉じる。
「諦めたり・・・しないわ。最後まで」
そして、揚羽はスッと立ち上がる。
「もう寝るわ、あたし。父様も疲れてるでしょう、休んでね」
「あぁ・・・おやすみ」
「おやすみ」
遠ざかっていく揚羽の足音を聞きながら、清十郎はふと顔をゆがめた。
おやすみ、か。
次「おやすみ」と言い交わすことは、もう無いような気がした。
揚羽は自室の障子を開けたあと、見慣れた自分の部屋に足を踏み入れず、立ちつくしたままでいた。
視線の先で、壁に立てかけた錫杖が月光に冷たく光っていた。
―― 力で誰かを脅してるのには違いはないでしょ?
遥か昔に感じるが、今日の昼、自分自身が言った言葉が胸に蘇った。
―― 無理やり力で押さえつけたって、いつかは更に強い力に負けてしまうと思うの。
「だから・・・力は嫌い」
声に出して呟いて、昼間とはあまりに違う自分の声音に、我に返る。
死神が本気でかかってきたら、勝ち目がないことなんて皆分かっている。
―― あたしは、分かっていた。
力で誰かを押さえつければ、いつかは自分たちが同じ目に会うことを。
むしろ理解していなかったのは、あたし自身がどういう女かということだ。
力で周囲を押さえつけた罰が下ったとしても、それでもあたしは皆を殺させたくない。
揚羽は部屋に歩み入り、まっすぐに錫杖のもとへと向かう。
錫杖を手にして見下ろすと、それは鋭利な刃物のようにギラリと光を放った。
ヒュン、と錫杖を一振りした揚羽の目には、もう迷いはない。
清十郎は、最後の酒の一口を味わい、ふう、と息をついた。
ふと見上げた月を見て、思わず体の動きが止まる。
月の前に微動だにせず、体をこちらに向けて屋根の上に立つ人影を見つけたからだ。
月光の前でも影にならない髪が、きらきらと銀色に光っていた。
「お前は・・・昼間の」
「日番谷冬獅郎」
「隊長だな」
死覇装の上に羽織った隊長である証・・・隊首羽織を見て、清十郎は呟く。
死神の中でも最も嫌な敵、氷雪系の力の持ち主。
巧妙に霊圧を隠しているのだろう。目に見える位置にいても、霊圧は全く感じなかった。
―― 何をしにでてきた・・・
気配を消しながら、自分の前にだけ姿を現す理由がわからない。そう思ったとき。
「天道清十郎。お前に話がある」
その蒼碧の瞳が、まっすぐに清十郎を見た。
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