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ノブ、ずるいやん 作者:奈備 光
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第 5 章 「権現さんと握り飯」

「なんだか変な話ばっかり」
 道長が西脇を睨んで、次々と繰り出す久米へのおべんちゃらを牽制した。

 ただ、おべんちゃら合戦のおかげで場はくだけたものになっていた。
 普段から物静かな木元までもが顔をほころばせて久米の豪気を持ち上げている。披露する話も、久米に愛想をふりまく気もない生駒や優は聞き役に徹していればよかったが、根っから社交的なことの好きな優は始終にこやかで、料理にぱくついては久米を喜ばせていた。

 優は酒の酌をするわけでもなく、料理を取り分けたりするわけでもないが、隅に座っている人が取りやすいように料理の皿の向きをなにげなく変えるといった気遣いをみせていたし、なによりも人の話を表情豊かに真剣に聞いている態度が、場を盛り上げるのに一役買っていた。
 時折、木元が優にもの言いたげなまなざしを向けている。生駒は少し誇らしかった。

「じゃ、私も言い伝えめいたお話をしましょうか。いえ、実話ね。私がまだ子供だったころ、そうね、昭和三十年ごろ。この村は今より活気があって、子供もたくさんいたわ」
 道長が語り始めた。

「猪背川が大きく蛇行しているところがあるでしょ。ほら、バス停より少し下。府道脇に一坪ほど石の柵で囲ってあるところがあるの。お気づきになったかしら」
 首を縦に振るものはいなかったが、仙吉だけは、ははあ、あの話だなというように口元をほころばせた。

 戦争が終ったころ。
 日本全体が貧しかったが、村の生活はひときわ厳しいものだった。
 山間に散在する小さな田畑で作物を育て、細々とした林業だけが産業である村が裕福であろうはずがなかったが、中でもトキの家はからきし貧乏だった。
 トキはいつも腹をすかせていた。ただ、体が丈夫で、よく働く娘だった。学校には行かず、かといって奉公に出されるわけでもなく、来る日も来る日も親を助けながら重い鍬を背負って畑に出ていた。

 ある夕方、川に仕掛けておいた魚とりの罠を見にいった。三尾のヤマベがかかっていたが、両親と兄の分はあっても自分の分はない。意気消沈して家路を急いでいたときのことである。
 パタッと立ち止まったトキの目は、道端の石の上に釘付けになった。そこには、真竹の皮が敷かれ、まだ温もりのある握り飯が置かれてあったのだ。

 トキは握り飯をじっと見つめた。米の粒が光っている。
 これほど大きな、しかも白い米だけの握り飯はここ数ヶ月も口にしたことがない。

 あたりには葦が生い茂り、トキの体をすっぽりと覆い隠している。やがてトキは握り飯の前にしゃがみこんだ。そしてその魅力的なものに見入った。
 ただ、そのときはまだ誘惑と戦っていたわけではない。していいことと悪いことの区別はついていたし、なにより、人のものを盗んだ後の咎めの厳しさも知っていたからである。取って食ってしまおうとは思っていなかった。
 が、もの欲しさに見つめていたことは間違いない。腰につけた袋のヤマベが臭っていた。

 あ、とトキは小さな声をあげた。

 黒い羽を持ったゴミムシが石をよじ登ってきた。そして一直線に竹皮を目指して進んでいく。
 ゴミムシは反り返った竹皮の下に一旦は姿を消した。しかしすぐに、その縁に細い足を引っ掛け、取りついたかと思うと難なく体を翻し、竹皮の上面に姿を現した。
 握り飯はもう間近だ。ゴミムシの動きが速くなったような気がした。

 次の瞬間、トキは握り飯を手にしていた。
 みすみすこんな虫けらに渡してなるものか。
 握り飯を見つめた。そして、さっと自分の口に持っていった。
 が、握り飯は口には入らなかった。

「痛ッ!」
 突然襲ってきた強烈な痛みに身をよじった。握り飯を掴んだ腕が、何者かの強い力で締め上げられていたのだった。

 トキは見た。
 得体の知れない毛むくじゃらの手が己の腕を掴んでいるのを。
 獣の前足。葦の茂みの中から伸びた腕。
 異様に細長く、茶色い硬い毛に覆われている。
 四本の汚れた鉤爪が不気味な光沢を見せながら、トキの痩せ細った腕に食い込んでいた。

 あまりの苦痛に、トキは幻影を見たように思った。
 都会に出て、立派な仕事についた自分の姿を。

 が、一瞬のうちに幻影は掻き消え、腕から滴り落ちる血の色におののくと同時に、握り飯を取り落とした。
 と、腕はすかさず開放され、獣の手は握り飯を空中で掴むと、葦の茂みの中にザッと引きこめられた。
 トキはようやく我に返って叫び声をあげた。

 その日からトキは村の有名人になった。
 不名誉な出来心が発端ではあったが、「権現さん」を初めて実際に拝んだ人として。

 権現さんとは齢を重ねた狸が変化へんげしたもので、猪背川の葦原に住んでいると村人に古くから信じられていた。月に一度、村人が供え物をしており、その月は采家の番で、珍しく米の握り飯が供えてあったのだった。

「トキが握り飯をくすねようとした道端の石。それがその石柵で囲まれた中にある石なの」
 猪背川に流れ込む小さな谷に設けられた幅十メートルほどの砂防ダムの横。緑色のネットフェンスを張り巡らしたコンクリートの建造物のすぐ隣。妖怪が人の前に姿を現すような霊的雰囲気のかけらもないところだ。

 生駒の疑問を察したからではないだろうが、道長は解説を付け加える。
「4、50年ほど前のことかな、若狭方面に抜ける府道が今の場所に開通したの。川の向こう側、斜面の中腹にね。そのときに橋も新しく架け替えられたわ」
 仙吉が小さく頷いている。
「今の話は、まだ村への本道が川のこちら側の岸辺を通っていた頃のこと。細いグネグネ道でね。ちょっと大雨が降ると沢の水が溢れて冠水してしまった。そうなると村は孤立状態。それで府道が向こう側に通ったときに昔の道は廃道になったの。護岸として改修されたのね」
「ほお」と、久米が相槌を打った。
「あたりの景色は一変。権現さんの石も向こう岸の府道脇に移されたということなのね」

「権現さんは川のこっち側にいるのに、お供え物を載せる石だけ動かしたの?」
 綾がもっともな疑問を口にする。
「そうよねえ」
 道長が朗らかにいう。
「私も変だと思うわ。でも、しかたなかったんでしょうね。改修で葦原もろともなくなってしまったんだから。権現さんは今ごろ、どうしているかなぁ」
 道長が座を見回しながら笑った。
「実は、皆さんも権現さんの姿を目にしているかも、よ」
「へえ!」
 愉快そうな声がいくつかあがる。
「私も?」と、優もチーズを取る手を止めた。
「ええ、あなたもよ」

 ニヤニヤして聞いていた仙吉が、ますます相好を崩している。
「フフ、実はね」
 道長がワインを口に含んで、仙吉と目を合わせた。
「トキの話を元にして、権現さんの石像が作られたのよ。腕しか見なかったのに全体をどう想像したのかなんて言いっこなしよ。でも実際にその姿をトキが見たことで、存在が証明されたわけ」
「ほう!」
「そして、村ではちょっとした権現さんブームが起こったのね。そのお供え物の石の横には権現さんの石像がお祭りされることになった。私が中学生だった時分には、あそこにまだ石像があったわけ」
 道長がまたワインを口にした。
「でも今はない。さて、権現さんはどこに行ったのでしょう!」

 道長はここで話を切って、再び一同の顔を見渡した。
 仙吉が相変わらず笑っていたが、もうひとり、綾がにこりとした。
「はい、綾ちゃん。知ってるのね」
「ううん」
と、綾は首を振ったが、ますます笑顔が大きくなる。
「はい、答えは?」
 道長に促されて、綾は上機嫌で答えた。
「このお屋敷の庭です」
「じゃーん! ご名答!」
「ほほう!」
 久米は万歳するような格好で拍手だ。

「このお屋敷の庭にある石像がそれ。砂防ダムができたときに、勿体ないということでこの屋敷に来てもらったというわけ。はい、これで私の話はおしまい。仙吉さん、間違ってませんでしたよね」
 唐突に呼びかけられて、仙吉が、
「えっ、ええ、もちろん。さすが先生、そのとおりです」と、むせた。
「おっ、仙吉さん、どんどんやってください。いつも本当にお世話になってます。さあ、さ」
 久米が焼酎の瓶を仙吉の前に突き出して、グラスの中身を空けてしまえと促した。
 久米は昨年の猫の首事件以来、村の行事や集まりに可能な限り顔を出すようにしていたし、顔だけでなく労力や金を出すこともいとわなかった。その先導をしてくれるのが仙吉だ。久米にとって仙吉は身の回りの世話をしてくれるというだけでなく、村と繋がるための大切なコネクターなのだ。

 道長が村の言い伝えを話している間、健治はこれといった反応を見せずに黙って聞いていた。
 あの事件からちょうど1年……。
 猫の首をあくことなく眺めていた健治……。
 生駒はふと、佳代子と健治の関係に思いを馳せた。

 昨年の事件は、猫の首だけでは終わらなかったのである。
 地鎮祭翌日の昼過ぎ、悲しいニュースが大阪の生駒のオフィスにもたらされたのだった。
 受話器の向こうから聞こえてくる六島建設の森口の声が緊張していた。

「久米先生が屋敷に戻られているかもしれないと思いまして、今朝も行ってみたんです。すると、手前の府道で人だかりができてまして……」
「はあ」
「聞きましたら、人が流されていると言うんです。先日来の大雨で川が増水してましてね。見ると、女の人が引き上げられようとしているところでした。ひと目見て、もう死んでいるとわかりました」
「村の人ですか?」
「はあ、まあ、お手伝いさんだとかなんとか」
「えっ!」
「私も驚いてしまって。というより、心配になってきましてね。つまり、その、久米先生の行方が。あのう、生駒先生はご存知ありませんか?」
「ちょっと待ってください。あ、いえ。久米さんの居所は知りませんよ。それより、溺れた女の人、なんという人ですか?」
「さあ、ええっと……そうそう、宅見さんとか」

 実際に見たわけではないのに、佳代子が猪背川の淵に浮かんでいる光景が生駒の脳裏をよぎった。
 白いブラウスにピンクのフレアスカートをはいた佳代子が、増水して濁った猪背川の波になぶられながら漂っていく……。

 死因は溺死。
 川の水を大量に飲んでいたらしい。
 村の数キロ下流、瀬の岸に佳代子は打ち上げられていた。いつも身につけていたブラウスにフレアスカートといういでたちで。
 サンダルだけが「生」を求めるかのように、数キロ下った下流に浮かんでいたという。

「困りましたなぁ。道長先生に権現さんの話をされてしまうと。わしの出番がなくなってしまいましたがな」
 仙吉は目尻の笑い皺をいっそう大きくしながら、久米が焼酎をなみなみと注いでくれるのを受けた。

「あら。私がこのお話以外になんの話ができますの?」
 道長は自分の短い話が受けたことでご満悦だ。
「そりゃあ、村の歴史やこの采家の話なんかをしていただけるもんだと」
「村の歴史なんて、堅苦しいお勉強のような話になりますよ。江戸時代の代官の名前なんかを挙げてみてもね」
「それはそれで、まぁ……」
 仙吉は怖気づいたように、とたんにあいまいな口ぶりになる。
「それに、お屋敷の話は健治さんがされましたし。一族の話を皆さんがおられる前で私がするのは、ちょっとね」
「いいじゃないですか。僕も聞きたいな。言い伝えみたいなものとか、ないんですか?」
と、健治も道長を促した。
「言い伝えですか?」
「ええ。ぜひ」

 道長の目が一瞬きらめいたが、やはりやめだと思い直している。
「あまり詳しくは知らないから。というより、言い伝えなんてたいていの場合、本質は簡単なひと言だけでしょ。つまり、この家がいざというときにはちゃんと助けてくれるものがあるとか、その秘密は采一族のものだけが代々ひとりずつ伝え聞くことになっているとか。そんなような話。坂井さんのように、上手に肉付けして話すのは苦手だから」
「とんでもない。さっきの権現さんの話、とっても迫力ありましたよ」と、優が囃す。
「だめだめ。おだてたって」

 生駒もつられて道長の説得に一枚加わった。
「采家を助けてくれるものっていうのは、なんです? 権現さん? それとも不動明王?」
「さすが生駒さん。常識派ですね。おっと、言い間違い。良識派! こういう話をすると、すぐ、金の延べ棒だとか真珠や瑠璃の詰まった行李なんて想像する人がいるのよねぇ」
「なんだ。違うの? 私はてっきり!」
 優が大げさに口を尖らせてみせた。

「小判がざくざく? 残念でした。仏様とか、山の神様って答える人の方が長生きすると思うわよ。三条さんも気をつけなきゃ。それにお金のことばかり考えていると生駒シャチョオに飽きられるわよ」
「ほへぇ? ちょっと待ってよ!」
「ハ! 変なことを!」
 優と生駒の抗議に、「ね!」と、道長が笑った。
「それに祟りがあるかもよ」
「げ!」
「フフ。采家の人しかそれを手に入れることができないって。それも、いざというときだけ。しかも自分の欲のためにしてはいけないの。もし、それが守られなければ……」
「うへー」
「ありがちな話だけどね」
 道長はそこで話を打ち切り、ガーリックトーストを口に入れて、おいしいと久米を褒めた。
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