挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ノブ、ずるいやん 作者:奈備 光
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

26/36

第 25 章 「少女に手を取られて」

「ねえ、道長さん」
「なあに」
「子供のときに見た幻では、大人になって、どうなっていたんです? 大学の先生?」
「どういうこと?」
「権現さんのお供えを食べようとしたトキさんは、その瞬間、自分の将来の幻を見たんでしょ?」
「……」
「道長さんのことじゃない?」
 車に乗り込むなり、優がした質問だ。
「え?」
「は?」
 道長も生駒も、虚を突かれて声が裏返りそうだった。
「そうかなって」
「なんで、そんな話が出てくるんだ?」

 助手席の優が、後部座席の道長を振り向いて、ニッと笑った。
「以前から、ちょっと気になっていたんだけど、道長さんの二の腕に、痣があるでしょ」
 生駒は知らなかったが、道長がそっと、そのあたりに手をやったところを見ると、あるのだろう。
「それってさ、権現さんに掴まれたときにできたものじゃないんですか?」
「すごいわね、あなたって」

 京都から、まっすぐ車を飛ばせばもっと早くに着いたのだろうが、途中で夕食をとりながら意見のすり合わせをしたことで、村に戻ったときにはすっかり夜の帳が下りていた。
 念のためにと、三人分の懐中電灯や水を買ったり、優が歩きやすい靴やリュックサックを買ったりしたこともある。関係者は逃げることはないし、深夜にならなければ行動を起こすことはないだろう。そして警察も久米を監視しているはず……。

 当たって砕けろ作戦である。
 生駒は久米に会おうとしていた。
 ただ、生駒達が村に舞い戻ってきたことを、できれば村人に知られたくはなかった。
「ええい。厄介やな。なんとも都合のいいところに建っているもんや!」
 この時間はまだ久米は屋敷いるはず。しかし、村の中をライトをつけずに走ることはできない。

「普通に乗りつけるしかないんじゃない?」
 道長は平然としている。
「じゃ、どうします? 何の用で来たことにします?」
 葬式のあった夜に、三人も屋敷に遊びに来たと知ったら、村の人はどういう顔をするだろう。
「忘れ物でもしたことにしたら?」
「忘れ物ねぇ。それに道長さんは? 一緒に連れだって、というのもおかしいでしょう?」
「私も忘れ物。原田の駅前で偶然会ったのよ」
「そんな」
「大丈夫。誰も気にとめないわよ」
「そうかなぁ」
「さ、しのごの言ってても、しかたないからね。正々堂々と乗り込みましょう」

 言われなくてもそのつもりだった。
 張りつめた気持ちを紛らわすために愚痴っていただけのことだ。躊躇なくハンドルを切り、村への橋を渡り始めた。

 ここからはまだ村は見えない。橋を渡り終えると道は川沿いに右に折れ、すぐ大きなカーブを描いて左に曲がる。そこが村の入口となる。
 生駒はゆっくりと車を走らせた。

 村に入って一番初めに建っているのは、崖の下に貼り付いているようなみすぼらしいトタン屋根。大葉家。仙吉の家だ。灯がついていて、人の気配がある。集会所にも誰かいるようだ。采家の親戚が泊まっていくのかもしれない。健治の家にも明かりが灯っていた。

 屋敷の門灯はついていた。生駒は、いつも駐車している裏の草むらに車を乗り入れた。空地に面したリビングの窓からも光が漏れている。

 生駒は胸が締めつけられる思いがした。
 今からここで、自分たちがやろうとしていることに不安がないといえば嘘になる。
 関係者を集め、完璧な準備の上で犯人を名指しする、なんて芸当はできそうにもない。それらしい動機を述べたて、状況証拠を突きつけるということが、今できる最大限のことだ。

 もちろん久米には、また村に戻るという連絡を入れていなかった。しかも道長も一緒なのだ。きっと驚くだろう。歓迎の言葉と裏腹に、迷惑そうな表情が眉間の辺りをかすめるかもしれない。それでも、いつものように泊まっていくように勧めるだろう。

 そして、ここへ来て、道長が同行していることが心の重荷になり始めていた。彼女の真意がどこにあるのか、まだ見えなかったのだ。
 今夜、この屋敷で展開されるだろう事柄を想像するだけで、気持ちが重くなってくるのだった。

 道を登ってくる車はない。尾行がついているわけではないのだろう。ただ、屋敷の物陰では刑事が張り込みをしているかもしれない。
 そう思うことで、生駒は弱気を吹っ切り、バタンと大きな音をたててドアを閉めた。

 門はいつものように開いていた。

 久米は自分がいるときは、常に門を開け放している。朝夕と限らず、深夜でも。それは、いつでも誰でも訪ねてきてくださいという村人へのメッセージだと聞いている。

 ナンテンの脇の庭園灯が、新しく敷き詰められた砂利を照らしている。いつのまにか母屋の壁に、大きなブラケット照明が取り付けられていた。そこから発する強く黄色い光が、平石に降り注いでいた。

 玄関の扉は、予想通り大きな音をたてた。この戸も、門と同様、久米は施錠することはない。
「久米さん」
 返事を待つ。
 傍らに天井を跳ね上げるロープがぶら下がっている。空気が流れているのか、わずかに揺れている。
「久米さん」
 再び呼びかけてみた。
 優がロープをいじりながら天井を見上げて、返事を待っている。やはり応えるものはない。

「上がらせてもらいますよ」と、靴を脱いだ。
 道長が離れを見てくるといって出ていこうとした。道長をひとりにさせたくない。優が、私が、と先に飛び出していった。
 母屋の各部屋を覗いて回った。いくつかの部屋には照明がついていたし、そのほとんどが開け放した状態だったので、今にも襖の後ろから、うたた寝をしていた久米が眠たげな目を擦りながら顔を出すような気がした。

 しかしどの部屋にも、浴室やトイレまで覗いてみたが、久米の姿はなかった。
「いない?」
 優が戻ってきた。
「一応、裏の方も見に行ってきたんやけど」
「岩穴は?」
「真っ暗。気持ち悪くて中には入ってない。蔵にも電気はついてないし、納屋も奴隷部屋も真っ暗」
「こんな時間に、そんなところに用があるとは思えないな」
「じゃ、誰かの家へ行ったとか?」

 道長が眉間に皺をよせた。
「可能性があるとすれば、橘さんか仙吉さんのところか。あるいは総代の佐古さんのところか」
 そういう、優の声にも戸惑いがある。
「集会所?」
 生駒は遅すぎたのかもしれないと思い始めた。

 道長が緊張をほぐすように、二の腕を撫で始めている。
 そして、意を決するように、
「行ってみましょう。山へ」と、いった。
「しかし滝への道は知りませんよ」

 あの縄梯子を下りていけば行き着くのかもしれない。
 しかし夜、あれにしがみついて降りていくのは気違い沙汰だ。それに、自分達がそのルートを知っていることを、道長にはまだ伏せておきたかった。

「ここでぼんやり待っていても始まらないわ」
「そうよ、ノブ。行けるところまで行こう」
「わかった。でも、その前に橘さんの家だけは覗いていこう」
 三人は屋敷を出て道を下り始めた。
 久米が今夜も滝に行くことは確信していた。葬儀の後、久米はすることがあるから今夜は屋敷に泊まるといい、そのくせ屋敷に戻るなり、昼寝を始めたのだ。明らかに夜に備えて睡眠をとっていたのだ。

 今夜のうちに一気に財宝を手に入れようとしているのかもしれない。
 焦ってきた。つい急ぎ足になる。なんらかの事件が起きてからでは遅い。久米に翻意を促したい。そして、できればその話し合いを事件解決の糸口にしたい。

「まだ八時なのに」
 優がぽつんといった。
「こんなに早く行くとは思わなかった」
「いよいよかも」
「そうね」
 そんな会話を交わしながら道を下っていくと、前からひとつの影が近づいてくるのが見えた。

「あ、綾ちゃん」
「おじさん!」
 走りよってきた。
「よかった。ねえ、お屋敷におばあさん、来ていなかった?」
「奈津さん? ううん、いなかったよ」
「そう……。おかしいなあ。いつもこの時間は家にいるのに」
「いないの?」
「うん」
「老人ホームへ行ったんとちがう?」
「ううん。今日は千寿おばあさんは、集会所に親戚の人と一緒に泊まってるから」
 集会所にもいなかったという。

 千寿は、実家が目の前にありながら、久米に遠慮したのだ。
 久米は今日、采家の面々とどんなやり取りをしたのだろう。どう説明して、千寿はじめとする采一族の宿泊を断ったのだろう。ふと生駒は久米の慇懃無礼な態度を想像した。

「鶏に餌もやっていないし、夕方ごろからずっといないみたいなんだ」
 いつになく綾は取り乱している。
「お父さんは?」
「久米さんと……」
「もう?」
「急ぎましょう」と、道長がするどい声で促した。

「追いつかなければ。綾ちゃん、お父さんは何時ごろ出ていったの?」
「んーと、一時間くらい前かな」
「そんなに早く!」
 そう言うなり、道長はもう引き返し始めている。

 道長は、なんの道具もなしに、あの井桁に組まれた人止めの柵を乗り越えていこうとしているのだろうか。
 そう思ったとき、綾が大きな声を出した。
「そうか、おばあさんも滝に行ったんだ! 私、行き方、知ってます!」
「えっ」
「たぶん」
「よし、じゃ、行こう」
 生駒は思わず綾の手を取った。
「ちょっと待って」
 道長が向き直った。
「綾ちゃんを連れて行くつもり?」

 手綱を強く引かれた馬のように、生駒はその場にがくんと立ち止まった。

 そうだ。
 久米と橘が滝壷に行き、それを奈津が止めようとして姿を消したのなら、向こうでどんな出来事が待ち受けているか知れたものではない。それがどんなことであれ、綾には聞かせたり見せたくないことに違いない。優も首を横に振っている。

 握った綾の手が暖かい。その柔らかい手に力が入った。
「私、行きます!」
 はっきりとそういった綾の、つり上がった目尻に、強い意思が漲っていた。

「お父さんがなにをしているのか。おばあさんがどうしようとしているのか。私、だいたいわかっています。だから、行きます!」

 生駒は決めた。
 この少女にとって、今するべきことは、家でじっと待っていることではない。
「よし。みんなで一緒に行こう」
 綾が今とるべき行動は、自分の父親や身の回りの人たちの消息を確かめることではないのか。
 ありのままを、自分の目で見て、自分の耳で聞いて。
 たとえ、夜の山の中であっても、真っ暗闇の抜け道を通っていく滝壷であっても。
 彼女にはそこを突き進んでいく精神力がある。大人である自分達の務めは、むしろ、当事者であるそんな彼女を補助することではないか。

 生駒は綾の手をしっかり握り返した。
 道長と優が黙って後ろをついてくる。
「美千代さんはどうしてるかしら」
 屋敷の石段の下まで来て、やっと道長が声を出した。
「今日は親戚の人が泊まっていくのかも」
「家にいるよ。さっき行ってみた」
 綾は奈津の行方を聞きにいったらしい。
「今夜は奈津さんひとりか……」

「じゃ、生駒さん、いよいよ急がないと。綾ちゃんの懐中電灯を持ってくる。待ってて」
と、道長が石段を駆け登っていく。
「雨が降るかもしれない」と、優も続く。
「物入れの中に、合羽がたくさん放り込んであったわね。タオルもあったほうが安心!」
 空には星のひとつも見えない。予報は夜半から下り坂。

「もろくなってる石って、庭の大きな石のことじゃないみたい」
 門の中に道長と優が姿を消すと、綾が話しかけてきた。もう落ち着いた声をしていた。生駒は綾を抱きしめてやりたい衝動に駆られた。
「じゃ、どこの石?」
「さあ。おばあさんは知ってるみたいだったけど」

「こっちです」
 綾は気負うことなく生駒達を案内して、あの日アマガハラノに向かった山道を登っていく。

 なんという強い子だろう。
 改めて生駒は思う。彼女は今、生駒達が殺人事件の解決のために、滝壷まで行こうとしていることを知っている。優の演説はつい昨夜のことなのだ。

 ただ、今こうして案内している綾の気持ちは、奈津の身を案じて、という一心かもしれない。また、自分の父親が財宝探しに明け暮れている現場を、自分の目で見ておきたいとも考えているのかもしれない。いや、もっと言えば、自分の喘息を治すためにというのが口実だったことを、確かめておきたいとさえ思っているのかもしれない。

 深い山の中を、懐中電灯で足元を照らしながら前を行く少女の細い背中に、生駒は声をかけてやりたかった。
 しかし気の利いた言葉は出てきそうにない。昔見た屋根裏の長持のことでも話そうか。場違いかな、などと思い巡らしながら暗闇の中を登っていった。

「ちぇっ、降ってきやがったな。そろそろ梅雨明けかちゅうのに」
 霧のような細かい雨粒が顔にあたっていた。振り返ってみても尾行はなかった。
「本降りにならなければいいのに」
 綾は、一片の迷いもなくどんどん登っていく。
 屋敷にあった百円ショップのビニール合羽は、かろうじて破れずに持ちこたえているが、襟元から入り込んだ水滴が、すでにシャツを濡らし始めていた。

 予備の電池を持ってくるべきだったのではないかと思い始めたとき、ようやく綾が、そろそろこのあたり、と立ち止まった。
 四つの懐中電灯の光が、周囲の様子を窺うように飛び交った。そしてひとつの光が道端の石碑を照らし出した。

 それは、あの日、悪寒がしたところに立っていた石碑だった。
「やっぱり、ここか……」
 縄梯子はこの先にある。
「あそこから降りられるはずなんです」
 しかし綾が懐中電灯で照らし出したのは、まぎれもなくあの祠そのものだった。

 縄梯子を降りていくなどという、とんでもない危険な行為ではなかったが、別の意味で自分の勇気が試されることになるとは思ってもみなかった。
 道長も優も黙り込んでいる。
 雨粒が懐中電灯の黄色い光に照らされ、輝く細い線となって落ちていく。

 四人は見つめ合う。
 雨の中に立ち尽くす白い半透明の合羽を着た姿は、出来損ないの彫像のようで、気持ちを萎えさせるものでしかなかった。

 潜んでいる危険を探しだそうとでもするように、四つの懐中電灯の光が、林の中を、またさまよった。
cont_access.php?citi_cont_id=297005171&s
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ