9月.美術部につき 前
7月から8月をまたいで訪れたロングサマーバケーションも、まるで絶壁から滑り落ちるように過ぎ去り、待っているのが怠惰な毎日。二度寝を許さない朝に、果てしなく眠たい午後、終了のチャイムが待ち遠しい5時限目以降。そんな毎日。帰宅部はそのまま帰るわけだが、部活をやっていれば、当然部活動に一汗流す。絵に描いたような青春。
で、かく言う俺は自分で言うのもなんだが美術部。その理由は月一回の集合以外は自由だからだ。つまり帰宅部と大差ない。
その日、集合日ではなかったがなんの気の迷いか、部室を訪れた。
誰か居るのかと思えば、俺一人。みんな幽霊部員かよ。
「おや? 東吾君、久しぶりだね」
「マル先輩、うっす」
多丸成一。見た目からしてケンカとかダメそうなもやし先輩。中学時代から静物一筋で、人物画や抽象画は苦手。マル先輩いわく、静物を極めた者を一流と呼ぶ、らしい。
「イーゼルとか勝手に使っていいから、静物やらないかい?」
イーゼルとは三脚台の事で、屋外デッサンでキャンパスを固定させたままにしておく必需品。
「いや、すぐ帰りますから。そう言えば、先輩こないだのコンクールどうでした?」
「あぁ、あれ? ダメだったよ。まあいつもの事だけどね」
マル先輩はプロの画家になるのが夢らしく、コンクールには定期的に参加している。出しては落ち、出しては落ち、まるでイジメられてんじゃないかと思うくらい落選続き。それでも描くんだから、見た目に反してタフだよな、この人。
「あれでも入賞出来ないなんて、やっぱ厳しいんスね」
マル先輩の静物一筋は伊達じゃない。部内どころか校内、いや区内一の画力はある。売れるだろ、これ? と言うのもいくつかある。先輩いわく、画が生きてないらしい。泳がない魚に魅力は無いらしい。
なんで魚? とは思ったが、まあ、意味はわかる。
多丸は、円陣を組む6脚のイーゼルから自分の物を選ぶと、画材を取り出し、書きかけの画をイーゼルに掛けた。
「花瓶? 変わった形っスね」
「緒形ヨシヒコの新作、泣き瓶って言う作品だよ」
全体形状はなんて事はない普通の瓶だが、口もとの左右に円を描く取っ手のようなものが伸び、それは本来の取っ手中腹辺りにくっついている。簡単に説明すると、左右に取っ手が2つづつあるような奇妙なデザイン。
前衛的? 奇抜過ぎて正直理解できんな。泣き瓶って名前の由来も不明だ。どこが泣いてるんだ?
「巨匠の作品を描いてれば技が身につくかなぁ、とか思ってかいたんだけど……」
多丸はそのキャンパスを退かすと、真っさらな新しいキャンパスを置いた。
「あれ描かないんですか?」
「なんかねぇ、つまんないんだよね。
やっぱりリンゴかな?」
バッグから恐らく持参したのだろうリンゴを取り出すと、中央のテーブルに適当に置いた。
「リンゴ好きっスね」
マル先輩がリンゴ以外描いているところを見た事ない。コンクール作品の6割近くがリンゴ、2割が青リンゴ。残り2割は妥当に花瓶やら。ホント、リンゴ好きな先輩だよ。アップルとかリンさんとか呼ぶヤツもいるくらいだし。
慣れた手つきで鉛筆を走らせ、あっという間に輪郭と影を描き終え、しばし眺めると、修正、修正、修正、とにかく描いては消しを繰り返す。
「どう?」
どう、と聞かれてもせいぜいリンゴとしか答えようがないんですけど。
「良い画なんじゃないスか?」
「良い画、か。まあそんなところだよね」
そう言うと、その画を全て消し、新たに同じリンゴを描きはじめた。
良い画、じゃ不満なのか。才能がある人間はよーわからん。上手いだけなら腐る程いる、とか言うけど、下手な人間は地球からこぼれ落ちる程いるしな。
「先輩は他の、例えばバナナとかキュウリとか描かないんですか?」
「うーん。リンゴが好きなだけだよ?」
おいおい、本当にリンゴが好きなだけなのかよ。リンゴバカ一代みたいだな。
「リンゴ以上にハマるかも知れないっスよ?」
「そうだね。リンゴばっかだからダメなのかなぁ。高良にも言われたしね」
高良ってのは、1年の高良あずさ。コンクール3位入賞は数知れず、一度だけだが優秀賞を取った事もあるサラブレッド。あずさも静物が得意らしいが、マル先輩程がっついてはない。
「あずさか、アイツって部活来るんですか? 家にアトリエあるって聞きましたけど」
「来るよ? 昨日も来たよ? リンゴ描いてた」
リンゴはあんたが描かせたんだろ。
ちなみにあずさの母親が画家で、アトリエは当然のようにある。8畳くらいあって、なんだよ俺の部屋より広いんじゃね? とか思ったね。話を聞いただけで実際見てはないけど。
「東吾君が前に描いてた、マンガ調のブタの絵。あれ高良が気に入って持って帰っちゃったよ?」
俺が1年の時ふざけて描いた、失敗した福笑いみたいなブタの絵の事か。ピカソが指示されるならあれもありだろ? みたいな奇怪な絵だったけど。まさか持ち帰られていたとは……。
「僕も、ああ言った生きた絵を描ければなぁ……」
あんな絵がコンクールで指示集めたら、日本の絵画のレベルが疑われそうだ。
そんな、9月の放課後……
《続く》 |