3月.俺の日常につき 最終回
しばらくして、あずさと別れ、りんと二人きり。
普段、こうして二人きりになる事はあるし、沈黙なままの事もある。
それは別に重苦しい沈黙ではなく、凪というヤツである。
凪ってのは、波一つ無い穏やかな海を言うわけで、つまり穏やかな場面の意。 しかし、現在の沈黙はなんともはや、息がつまるって言うか息出来ない。窒息しそう。
「あの、りん、」
「東吾」
つぶやくように俺の名前を呼ぶと、りんは俺の背中側から力強く抱き着いて来た。
風すら吹き抜けない程に密着され、立ち止まっていると、りんの声が聞こえる。なんとも小さな声。
振り向き様に、りんの唇を奪う。それは、道端で見せるものではないくらいに熱烈なもの。
りんの苛々の理由は、なんて事はない、不安だったんだろう。
高校生3年。
モラトリアムのラストタイム。このラインの先にあるのは、目眩を覚えるくらいに広大なコンクリート・ジャングル。
りんは大学に進むため、猛勉強中だとか。
気を抜けず、しかし、去り行くモラトリアムに別れを惜しみ、積もる焦燥感。 俺は?
俺はどうだろう。
「東吾……家、来てよ」
招かれたりんの家は、いつも通りの内装。のはずだが、少し落ち着かない。
リビングに置かれたいつものテーブルを挟み、向かい合うように座ると、ため息一つ。
「落ち着いたか?」
「……」
うなずきはすれど、キョロキョロソワソワ。時計を見たり、空のコップに何度も口を付けたり、俺を見ては目を背けたりと忙しい。 挙動不審のりんて珍しいな。なんか小型犬がソワソワしてるみたいで愛らしいかも。
りんの心情は理解してるつもりなので、キレる前に行動に移りますか。
あ、でも、もし違ってたら……いや、違ってたって構うもんですか!
テーブルを回ってりんの隣に座ると、肩を掴んで強引に押した倒した。まではよかったが。
あれ? 涙?
選択ミスか?
このミスは命取りじゃないんですか?
「あの、ごめん……」
「なんで謝るのよ」
「だってお前、泣いてるぞ?」
りんは自分が泣いていた事に気付いていなかったらしく、頬を伝うそれに少し驚いた風だったが、泣き顔を隠すでもなく、微笑んだ。
「東吾、好きだよ」
「俺はその好きの何倍も、りんが好きだ」
「は? ふざけてんの?」
「マジです。大マジです」
ふざけてるようなセリフですが、俺は至って真面目です。真剣です。
りんはくすくす笑ってるけど、これでいい。
理由はどうあれ、泣き顔はどうにも苦手だ。
女泣かせ? 変な称号いりませんから!
「……で、どうしたらいいんでしょうか?」
「女に聞く事じゃないでしょ!」
押し倒しておきながら、なんて情けない事言ってんだろうねぇ? 俺。
まあ、いっか……。
◆
あの後、りんの部屋に場所を移し、まあ、ヨロシクしちゃったわけです。
りんてば、有り得いくらい可愛いかったなぁ。って、そんな事人に話す事じゃないよな。
しばらく寝てしまったようで、目を覚ますと、辺りをキョロキョロ。置き時計は18時を知らせている。 今更気が付いたが、りんがいない。
「あれ? りんさん?」
まだ両親とも帰っていないのか、それとも出掛けているのか、家は静かなもの。ただ、リビングのテレビから声が聞こえる。
当然リビングに向かうと、りんが頬杖をついて、テレビをぼーっと眺めている。
「りん?」
俺の声が聞こえているのかいないのか、石像のように固まったまま。
「りんさーん」
「東吾」
りんは向かいに座るように指さして指示してきたので、とりあえず正座。
これ基本スタイル。
「どうする?」
「へ?」
よくわからない質問に俺がほうけた声を出すと、りんは笑みを浮かべた。
笑顔ではあるが、なぜだろう。背筋が冷たいのは、なぜだろう?
「木之下りん。案外しっくりくるよね」
「えーと、つまり?」
「まあ、急ぐ必要無いよね。大学受かってからでいいかな?」
ドナドナが聞こえる。
◆
「行きますよー」
あれから緩やかに時は流れて……
「ちょっと、待って」
キヨは県内随一の有名校に入学し、なんだか兄弟ながら遠くに行ってしまった気がする。
将来の夢は教師だと。
出刃包丁持って、不良を追い掛けそうで怖いよ。
「なにそれ? 重箱?」
カマ兄はなんと、何をどう間違ったか芸能事務所にスカウトを受け、女優として頑張っている。
え、女優? カマ兄は男だよ? 将来的には、ヨっちゃんの旦那だよ?
「お弁当だけど? 昨日お母さんに教えてもらったの」
ヨっちゃんとタケは大学進学のため、勉強漬け。
たまに外でタケを見掛けるが、向こうの景色が透けて見える。
タケ、頑張ってぇー!
ヨっちゃんは、カマ兄に勉強を教わりながら、カマ兄の部屋にこもって奮闘している。
ちゃんと勉強してんの? なんか18歳未満お断りな事してんじゃないの?
「ちゃんと食えるんですか?」
良太と笹本。アイツら実は別れたらしい。理由は良太が浮気したとか。
そんな事があっても、笹本は相変わらず明るい。
すごいよ、笹本さん!
「大丈夫よ。……多分」
マル先輩は売れない画家をやってる。
明日は我が身だな。
ただ、噂によるとアップル多丸という二つ名があるとか。
あずさ師匠は毎日、ぶっ飛ばしてやりたいくらい元気で生意気だ。
いや、女の子だからぶっ飛ばすとか、ないよね?
「多分じゃ困りますよー。ミートボールにチョコ入れた人の多分は怖いんですけど」
礼子と吉野がどうしてるかは知らないけど、知りたくもないけど、冴は毎日元気ハツラツ? オフコース! みたいに元気だ。
昨日は休みだったため、りんと冴と三人で遊園地に行ったのだが、しかしまあ、冴のタフネスは半端じゃない。
本当に十年後、動けない体になるのか?
今も信じられない。
「もういいから。早く行かないと遅刻するでしょ」
「はいよ」
りんは大学進学のはずだったが突然変更、ヘタレ男の家で学生妻をしている。 高校生で人妻って、背徳的だよなぁ。イイよ。
あ、正式に結婚したわけじゃなくて、あくまで押しかけて来ただけですよ?
「りん、将来苦労するよ?」
俺は画家見習いをやりながら、残り一年のモラトリアムを貪る毎日。
「なんか言った?」
「いんや、空が高いなぁって……」
今日もどうって事ない日常がはじまるわけで。
まあ、つまるところ
俺の日常は、
あ、違った
俺とりんの日常は、
これからも続いてく
それだけの事。
―俺の日常につき―
おしまい
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