第六話 記憶の隠された秘密
第六話 記憶の隠された秘密
美弥とは時々セミナーや研修会で顔を合わせることがあったが、ちゃらっとした薄っぺらな印象は吹き飛んで、優しさに満ちた優雅な女性に変貌していた。特に男性信者には人気が高いそうだ。
記憶に関する二泊三日の研修会が伊豆の温泉保養地で開かれることになり、愛子もちょうど冬休みだったので参加した。講師は中山氏、美弥も参加していた。この研修は霊というものを知るために非常に重要視されていた。記憶は再現性と創造性を併せ持ち、それが霊を見る能力に深く関わっている。君江理論の骨格になっているからだ。
研修所は海岸の崖の上にあり、セミナー室は定員で二十名ほど。今回の参加者は十七名だった。ホワイトボードに向かって、左側一面に窓があり、湾がみえて霞んだ向こうは熱海だそうだ。窓の下は切り立った崖で、小さな砂浜が岩々の狭間にある。子供達が磯で遊んでいるのが見えた。湾の奥なので冬の荒波は届かず、小さな波が繰り返し小さく打ち寄せている。
愛子は海を見ながら、
《広大な海、広大な愛、そして広大な記憶》
君江の日記の一節を思い起こしていた。
《霊、在ると思えばあり、無いと思えば無い》
類まれな霊能者の言葉には思えない不思議なフレーズもあった。それは良治から教わった量子力学のエッセンスがヒントになったと母は書いている。
《人の本体は霊では無い。霊に頼るな》
そうも書かれてある。
「えー、皆さん」
ホワイトボードの前に陣取った中山がセミナーを始めようとしていた。中山が父の右腕と呼ばれ、教団の重鎮であることは誰もが認めていた。愛子の教育係にもなっていた。愛子が石川良治の娘であることは、一般の信者には公開されておらず、愛子はあくまで一信者としてセミナーに参加していた。
「皆さん、すでに皆さんの中には一瞥・幻視・幻聴あるいは霊視と言うものを体験された方も多いと思います。中には慌てたり混乱して心配になられた方もいらっしゃるでしょう。しかし心配には及びません。原理原則があります。あわてる必要もありません。それらは人の思いを基点にして起こる事です。思いとは質量を持たない意思だと言っても良いですね。思いの主なものは家族や愛する人そして友人に関するものですね。ですから思いとは人の感情に絡むとお考え下さい。お金や出世なんかの思いは、また別の世界に属しますよ。これらはサバイバルと言う肉体の要求に強く根付く欲望と言ったほうが良いのです。さてその時を越える感情に絡む想いは二つに分けられます。祖先から血によって受け継がれる縦糸の思い。それから、今、皆さんと同時代に係わる人々の今この時の思い、横糸の思いです。今の横糸が刹那刹那に過去にどんどんなって、織物のように機織られて皆さんを取り巻く見えない織物を作り上げているのです」
「中山先生、思いとは愛とも言い換えられますか?」
「そうです美弥さん、憎しみも愛の変形だし、悲しみは愛の喪失、怒りは愛の裏返し、嫉妬は愛の減少感とも言えますね。だから感情・思いの基になっている材料は愛と言えます。例えでもっと説明しましょう。そう、美弥さんと恋人の感情を例えにして見ましょうか?」
皆からくすくすと笑いが起こった。
「たぶん、わかりやすいと思います」
美弥はすでに過去を昇華しているのだろう。屈託無く答える。
「まずは嫉妬、美弥さんが恋人と愛し合っている。そこに恋敵が現れ、美弥さんの恋人はその恋敵も愛してしまう。だから今まで貰っていた愛情が減ったような気持ちになり、嫉妬を感じると言う具合ですね。だから嫉妬は愛の減少感としましょう」
「愛することを忘れて愛を欲しがるという状態ですね」
「その通り。また悲しみは、愛していた人を失うことが最も大きな悲しみになりますね。だからこれはわかりやすい。愛の喪失感と呼びましょう。憎しみは愛していた人に裏切られると最も強く出て来ます。だから愛の変形と思えばいい。そして怒り、これは愛の裏返しですね。子供が危ないことをするときに怒る母親と思えばいいかな。愛があるからこそ真剣に怒る。愛というベースが合って初めて人の様々な感情が生まれると考えられますね」
中山は分かりにくい話を噛み砕いて話してくれる。皆の中にはうんうんと頷きながら話を聞く者、真剣にノートを取るもの様々だが、雰囲気はピンと張り詰めていた。
「中山先生、霊が質量を持たないということはどういうことですか?」
その緊張を破るように今度は愛子が明るく質問した。
「この三次元世界のものではないということ。つまり、物質ではないということです」
「物質ではないものが目にしっかり見えることは無いでしょう?」
愛子は畳み込むように突っ込んで尋ねた。それは昔から愛子の中にある疑問なのだ。その場の皆に違う緊張が伝わる。
「その通り。目に見えているようでも、それは肉体の目が見ている映像では無いのです。実際には皆さんの脳裏にしまいこまれた記憶を利用した映像と声なのです」
「しかし、中山先生! 私が時折見る霊や幻の映像は実体そのものですよ。目で見て耳で聞こえているのです。ときには触ったりもできますし、匂いや動き、音や雰囲気まで感じる時もあります」
皆が一斉に「おおっ」という驚きをもらした。愛子が霊能力を持っているとは知らなかったのだ。中山はたじろぎもせずに淀みなく答えた。
「脳の記憶を司る機能は『記憶の強い再現性と創造性』を実は持っているのです。君が今までの人生で体験して見聞きしてきたこと、つまり五感の全て。見るもの、聞こえるもの、匂い、味、感触の五つの感覚は脳の中に完全に寸分違わず保管されているのです。ちょうど、容量が無限に近いバイオコンピューターと言えばいいかな。そしてそれは、ある方法を用いると、ビデオを見るように完全に再現できるのです。実はビデオより優れています。ビデオは匂い、味、感触、雰囲気なんかは再現できないからね」
「でも、私の記憶はそんなに鮮明じゃないですよ! おぼろげで断片的です」
中山は微笑んで愛子と皆に視線を送って話しを続ける。
「普通の生活ではそれで良いんです。全ての記憶が完全に再現されたら、それだけで現実の生活と記憶との境目が無くなって混乱してしまう。だから脳は実にうまい方法でそれにブロックを掛けている。それをインデックスと呼びます。君の言う、おぼろげで断片的、色も匂いも感触もない普段の記憶は『目次』みたいなものと言ったら良いだろうか」
「ちょっと信じられません」
愛子はそんな理屈では簡単に納得しないぞという強い意志を示した。
「はい、それを皆さんに実際に体験してもらうために、この研修会があるのです」
「はぁ? 実験なんかできるんですか?」
他の参加者が疑わしそうに騒いだ。
「もちろんです。これから各自に体験してもらいますよ。詳しい理屈は体験してからまた学びましょう。さあて、誰か最初の実験台になろうという勇気のある人が居たら手を上げてください」
愛子が即座に手を上げた。美弥がそれに続いた。
「愛子君が一番早かったね。それじゃ、前に出てきてそこのソファーに楽に腰掛けて」
ホワイトボードの横に一人掛けのソファーがあった。愛子は皆の興味深々な視線を受けながらソファーに沈むように腰掛けた。
中山は額の両端がかなり後退して薄くなった髪、その少し前かがみな頭を、細い首が一生懸命支えているようないつもの姿勢だ。精力的な濃い眉毛に優しげな目じりが印象的で、メガネの奥の瞳は澄んでいる。中年後期の華奢な体は小まめに良く動いて、何かのマニュアルらしき小冊子を抱えていた。
愛子は記憶の再現性と創造性の実験にちょっとわくわくしながら、言われた通りソファーにゆったりと腰掛けた。
「愛子君、君の初恋はいつ頃だね?」
中山は意表をついた質問をしてきた。皆がどっと笑う。
「はぁ? 初恋ですか?」
「そうさ! 君もすでに二十歳だからね。初恋は体験済みだろう」
「ええ、まあ」
「それじゃ、ファーストキッスはどうだい? 経験済みかな?」
幾人かの参加者は爆笑している。
「中山先生! まじめな実験ですよね」
「ははは、もちろんだよ。とても真面目な実験だから、質問には素直に答えてくれよ」
「本当ですね!?」
中山は手に取った小冊子の下の部分を手で隠しながら、
「ほら! このマニュアル通りに質問しているだけだよ」
そこには『記憶再現実験に関する被験者に対する質問の手順』とタイトルがあり、『1)初恋の有無、2)ファーストキッスの有無』、そこまでが読み取れた。
愛子が納得したようにしぶしぶ中山を見つめると、中山は少し微笑んだ。
「わかりました。ファーストキッスは経験済みです」
「そうか。今時の若い人は素直で大胆だねえ! 私の年頃ではとっても恥ずかしくて人前では隠したいことも平気で言えてしまう」
皆がまた爆笑した。愛子は少し腹が立ったが、別に隠し立てするようなことでもないと思っていた。またそこに集まっている皆が、自分達の過去を占いの現場でさらけ出してきたので共通の安心感があった。中山はそう言う雰囲気を充分知った上で冗談を言っているのだ。
「では目をつぶって、そのときの情景を浮かべてくれる? ああ、これからは周りの皆さん、私語は慎んでくださいね」
「えーと、あの思い出は中学二年の春、野球部の部室がある裏庭で……」
「その時の記憶は何色かな?」
「薄いセピア色ですね」
「そう、それで良い。殆どの人の記憶はセピア色あるいは灰色だ。で、その時、ファーストキッスの相手の人といつどこで会ったの?」
「昼休みの時、部室前の渡り廊下です」
「君は何をしていたのかな?」
「私は部室前の渡り廊下で横長の傘立てに腰掛けて、たまたま一人でボーっとしていました。彼は友達と一緒に渡り廊下の端でふざけてじゃれてました」
「どんな風に?」
「何か武道かプロレスの技を掛け合うみたいな……、やり方を友達に見せていた。そしてやがて視線が合って、ああ、和也だって思ったら、胸がどきどきして……」
「彼は君に気がついたの?」
「はい、私の方を向いて、『よう! 愛子!』って言って声を掛けてくれました」
「君はなんていったの?」
「私が『和也!』って言ったら、彼は私に近づいて傘立ての端に座ったんです」
愛子は中山の巧みな誘導で、回りに皆がいることが気にならなくなっていた。
「その時の君の気持ちは、どんな感じ?」
「もうどうしようもなく胸がどきどきしてました。もともと彼は一年上の先輩でしたが大好きな人で、だけど、何気ないように取り繕っていました」
「その人は君になんて言ったの?」
「『愛子! 一人で何しているの?』って聞きました。
私がもじもじしていると、彼がすぐに微笑みを返してくれました。彼の肌が日に焼けて小麦色に光って……」
「そうかね。君は今、彼の肌の色が見えるようになったね!」
「……っ? はい、彼の肌の色が見えて……!」
愛子はセピア色の記憶にどんどん色がついてくることに驚いた。
「それで良い。その人はどんな服を着ている?」
「学生服です。濃紺色の洗い立てでアイロンがピシッと掛かって、でも首下のボタンをわざと外してあって、真っ白いシャツの襟が清潔そうにのぞいています」
「髪型はどんなだね?」
中山の誘導はその時の状況を描写するように、大局から細部へ、情景から心理へと繰り返し愛子の記憶を探り掘り起こしてゆく。愛子はそれが心地よい。和也が記憶の中で鮮やかに蘇ってくる。和也はあの時のままだ。愛子は我を忘れてその記憶に引き込まれて行った。
「真ん中から左右に分けて肩に届かない程度の長髪です。額が広くて優しい感じ。ちょっと彫が深くて大きな二重の目がはっとするくらい綺麗です。髪の毛が乱れるとあご先を少し上げて、顔に掛かった髪を耳の上に掛ける仕草。その時私を優しく微笑んで見ています」
「周りに何があるかね?」
「春の真昼の日差しと渡り廊下の屋根が作る影。目の前には少し痛んだ木造の古い部室と軋んだドア。彼の友人は気を利かせて居なくなったので、周りには私たちの他に誰も居ません」
「何が聞こえる?」
「えぇと、昼休みの校内放送と遠くで騒ぐ学生達のおしゃべりが僅かに聞こえますが、ここは静かです」
愛子はその時の記憶が突如、色彩や音まで鮮やかに蘇ってくることに完全に魅せられた。そればかりではない。その記憶が持つ強い懐かしさと、初恋の人和也に記憶の中でさえ再び胸がどきどきするようなときめきを感じていた。やがて、中山の声がおぼろげに聞こえ始め、愛子の記憶は鮮明さと質量を高め、その時その場に自分が居るように感じて、まさに再体験化が始まろうとしていた。
「愛子、病気で入院してただろう?」
和也は愛子を真直ぐ見つめて、真面目な表情を作った。
「ええ、ちょっと急性腎盂炎で食事療法のために、一ヶ月くらいの入院。お陰で体が鈍っちゃって。当分スポーツも出来ないんだよ」
「お見舞いしようとして、愛子が入院している病院まで行ったんだ。でも今まであんまり話したこと無いから、恥ずかしくてそのまま帰って来ちゃった」
「ふーん、そうだったんだ」
愛子の顔はたぶん嬉しさに溢れていたのだろう。愛子の顔を見て、和也も輝くような笑顔になったからだ。そして、和也は幅の広い傘立ての遠くから少し腰を浮かして大胆に近づいて来た。愛子は控えめに近づいて、和也の隣ぴったりの所に腰を寄せた。
「ははは」
と、和也と愛子は笑って、隙間がない状態をお互い受け入れた。
「ねえ、和也、君が野球やってるとき、私、いつも君を見ているの、知ってる?」
「えっ! 愛子がいつも見てくれていたの?」
「そうよ。君の事は中学に入ったときからずっと。でも、君は気づかなかったかなあ」
「いや、部活の時、いつも愛子がいることは知っていた。でもそれは、他の誰かを見ていると思った……。そうか、実はぼくも君をいつも見ていた」
愛子は一瞬真剣に和也を見つめ、すぐ嬉しさがこみ上げ笑顔を浮かべた。その時、昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴る。周りががやがやしはじめて、旧校舎から新校舎へ駆け足で戻る生徒が渡り廊下の先に見え始めた。
和也は愛子の手を握ると立ち上がり、強引に校舎の反対側に走り始めた。愛子は引っ張られながらも付いて行く。
「和也! どこへ行くの?」
二人とも上履きのまま、渡り廊下を外れて部室の裏へ回り込む。
「もう少し、愛子と話したいんだ。ちょっと三時限目は遅刻しよう!」
「あはは、そうね。私も和也と話したい!」
二人はすばやく人に見られないように部室の裏手に回りこむ。愛子の髪と長いスカートが風に靡いた。長屋のような部室棟の裏には幸い誰もいない。二人は手をつないで走り抜ける。一番端の側面が校舎から最も遠く、普段使われない物置になっていて、そこへ回り込んだ。
病み上がりで急に走ったから、愛子はちょっと息が切れた。手をつないだまま彼を見ると、和也もすこしはあはあしていた。手をつないだままなので、少し照れくさい。
「愛子、ここに座ろうか?」
そう言って、裏口へ上がる石段に二人で腰を下ろす。手はつないだままだった。目の前は小さな庭で花壇があった。その向こうは畑で色々なものが植わっている。花壇に咲く桃色の花々の向こうに小さな淡い緑の芽が吹き出していた。春のやわらかい日差しが注ぎ、穏やかなそよ風が吹いて気持ちが良い。春の微かな甘いような匂いもした。
和也が愛子を好きで、愛子も和也が好きなことがお互い分かった。つないだ手を大事にして、何もしゃべらずにいると、だんだんと照れくささが抜けてゆく。言葉が出てこないが、ただ、嬉しい。二人とも足元のちょっと手前の虚空を見ていたが、不思議なタイミングで同時に見つめ合った。
和也は少し照れて晴れやかな顔。二人は少しずつお互いの顔を近づけた。もっと良く瞳を見たくて。そして、おでことおでこがふっとくっついた。
「ふふ、和也」
愛子がそうつぶやく。和也の微かな香りがする。甘くとろけそうに心も体も揺さぶられ、愛子は微笑み、和也は真顔だった。愛子はゆっくりと瞳を閉じた。和也の唇の柔らかい感触を自分の唇に感じた。そして、和也が愛子に手を回し抱きしめられた。和也の手の中で愛子は、自分がちょっと小さくなったようにも感じた。
「春の風が吹いて来て、日差しがぽかぽかしていて、ずっと抱き合っていました」
「色も、音も、気温も、感触も感じているのだね」
と、中山の声が心に入って来た。
「はい、それはもう、その時に居るかのようにハッキリと鮮明に全てを感じています」
「そうか、それではそろそろ、現実の世界にも戻ってもらおうか! 私が数字を三まで数えて、手のひらをパンと打ったら、その世界から帰ってきて、目を開けるんだよ」
「はい、一,二,三、パン」
愛子が目を開けると、皆の顔が飛び込んできた。愛子は再び中学三年の和也に会って、ファーストキッスを再体験したことに、驚愕して余韻の残る哀愁にまだとろけていた。
それはもう、愛子が知る記憶と呼べるものではなかった。まさしく経験したことをその時その場に立ち戻ってもう一度経験することだった。全ての五感が同じように機能したのだ。愛子はこれまで山の神にあって自然の神秘に打たれたが、またここで人間の神秘にも打ちのめされた。そしてこの経験は何回でも再現できると言う。愛子の心は和也への愛おしさで満ち溢れ、頬は紅潮して、涼やかな笑みがこぼれっぱなし。中山や皆を見るのが恥ずかしいくらいだった。
愛子のはにかんだ表情に皆が反応して拍手が起こり、やっと現実に戻れた具合だった。
「愛子君、どうだったかね? 記憶の本来の在り様が実感できたんじゃないかな? これが記憶の隠された機能なのだよ」
中山がさらりと訊ねる。
「凄いです先生! これは再現性と言うより再体験そのものです。私は彼の質感や雰囲気まで感じることが出来ましたよ。それだけじゃないです。その時の私の肉体の反応や感情の高まりまで再体験しました」
「うん、上出来だ。それが人間の記憶の本当の姿さ。これはほんの一例、最も再体験しやすい題材を選んだ。初恋・ファーストキッスが中学二年のときにあった君ならではの結果かもしれないが」
「中山先生、もし初恋の体験が無い人なら、どうなるのです?」
「いやあ、初恋に限らず、心に強く記憶された体験というのは、誰もが持っているものだからねえ。いろいろ方法はある。怖いこともあるよ。その記憶が邪悪な場合もあるからねえ」
すでに愛子の中には一つの洞察が生まれていた。体験した記憶の再現が、実は愛子がこれまで見てきた霊の映像に非常に良く似た感じだったからだ。強い思いは強い記憶になる。それはきっと時さえも越えるものに違いない。親が子を思うこと。祖先が子孫を思うこと。それが縦糸になり、今が一瞬一瞬過去になって行く。横糸は今ただいまの思いのことだと思った。
母の日記の一節が浮かんでくる。
《霊の本質はおそらく量子力学的な残留思念に記憶のデータが同調して、その記憶を材料として限りなく実態に近い映像・音・匂い・雰囲気・動きを再現するメカニズムだろう》
この世界は思いの海に取り巻かれているのだ。質量を持たない世界。母は残留思念と呼んだ。父は思いの織物と定義して判りやすくしたのだ。
中山のそのセッションを締める言葉が聞こえてきた。
「この世には目に見えない思いの海があります。それは人類が無意識に作り上げて織り上げている織物でもあります。そこに自分の気持ちが感応すると、そしてその人が自分の記憶を引き出すことに優れているなら、思いは記憶を材料にして実体に限りなく近い映像・音・匂い・雰囲気・動きを自分に見せることになるのです。しかしそれは物質ではありません。物質に見え、物質に感じ、物質と同じように反応するかも知れませんが、それは人の記憶が材料になって生じている五感の再生であるのです」
愛子は自分の見てきた霊の正体をついに掴んだのだ。しかし、その同調を発生させる思いとはいったい何なのだろう。霊が人の本体でないなら、思いの正体こそ、人の本体ではないか? そう考えていた。
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