第五話 審神占い
第五話 審神占い
母と同じ仏教哲学科に通う傍ら、愛子は教団のセミナーに積極的に参加した。母が望んだこと、父が成し遂げてきたことが、母の日記を読んで判ったからだ。まずは、父と母が作り上げた占いの講習会に参加した。
貸しビルの一室で、『あなたの守護霊が語るあなたの運勢! 幸福と開運のためのメッセージ』と大きな垂れ幕が入り口に張られてある。部屋に入ると花でいっぱいの花瓶が幾つか、中を華やいだ雰囲気に飾りつけていた。
男性は背広にネクタイをつけ、女性は思い思いに派手でもなく地味でもないきちっとした服装で、近隣の信者が占いに来た人を親切にもてなす。宗教臭さはまったく無く、小奇麗な相談所の趣を持っていた。
中央に向かって、ついたてで仕切られた机が三つほど、占師と占われる人が対面するように置かれていた。占いに来た人は、受付で渡された番号を持って順番を待つ。愛子は一つのテーブルの占師の横に座って研修をした。
「はい、十三番の人、Aテーブルにどうぞ」
愛子のテーブルに来たのは二十歳くらいのOLだ。髪を茶に染めて、ちゃらちゃらした服装の女性だった。見た目にも遊びまわっている感じがして、妙にメリハリの付いた化粧をしている。
占師は教団幹部の山中氏。この道十年のベテラン。
「はい、まずはお名前と生年月日を仰って下さい」
山中はマニュアル通りに質問してゆく。このマニュアルは母のノートを基にして父が精魂込めて作ったと言われている。
「えーと、森崎美弥です。年は二十歳。未婚デス。ふふふ」
ちゃらっとした物言いで親近感を持たせようとでも言うのだろうか。場にそぐわない声と台詞だと愛子は感じた。
山中はそんなことには頓着無く、目線で森崎美弥の瞳を捕らえて離さない。美弥はその視線にすでにたじろいでいる。マニュアルによれば、『相手に名前と生年月日を言わせた後、相手の目線を直視して、真剣勝負であることを伝える』とある。その気迫は森崎美弥に完全に伝わったようだ。彼女の顔から不真面目さと興味本位で占いに来たというような雰囲気が吹っ飛んだ。
「あなたは幾つかの大きな問題を抱えていますね? 何か、過去の経験の反動で、今のあなたは、糸の切れたふらふら漂う凧のようだ」
山中は静かな口調で最初の占いを告げる。美弥は下を向いて黙ってしまった。彼女の格好に似合わない深刻な表情が滲んで来る。それを山中は見逃さない。
「森崎さん! 図星でしたか。でも心配したり、不安を感じることはありませんよ。審神占いは象徴であなたの過去と未来、そして今を見ます。あなたの過去にいったい何があったか、それを細かく見る必要は無いのです。今が一番大事ですから。でもあなたがそれを語るなら、それは別で、さらに細かい占いが可能になります」
「……、はい、糸の切れた凧……、その通りです。私、ずっと好きな人がいて、彼のために全てを犠牲にして生きてきたのに……、彼は私を置いて……」
山中は全てを語らせず、割り込むように、
「その愛する人に捨てられた!? だからあなたはどうでもよくなって、自暴自棄に遊びまわっている! そうでしょう!」
森崎美弥は暗い表情を俯かせてさらに黙ってしまう。すると山中は声音を落として、優しく名前で呼ぶ。
「美弥さん、あなたは彼と別れる運命にあったのです。それは守護霊様が導いたことですよ。あなたにはもっとふさわしい違う人が、そして違う道があるからです」
「ううっ! 先生! でも彼に捧げた私の三年間は何の意味があったのですか? 私の何がいけなかったのですか? 私、情けなくて、悔しくて……」
森崎美弥はすでに崩れるように山中に全てを語る。
「守護霊様はあなたの本当の幸せを望んでいたのです。その人と結ばれたとしても、決してあなたは幸せにはならない。あなたもそれをうすうす感じてはいませんでしたか?」
美弥はをふっと目線を宙に止め、山中の言葉に虚を突かれたようになる。
「美弥さん、そうでしょ! 守護霊様が知っていることは、実はあなたも薄々はわかっていることなんです! 守護霊様はあなたの心の深いところであなたを見守る方ですから」
森崎美弥はもうすでに砦を失い、机にうっぷして泣くしかなかった。
愛子は呆然とその光景を見ていたが、その部屋の三つのテーブルから、それぞれ同じような嗚咽が聞こえてくるのに時間は掛からなかった。
新米の愛子はそこからのフォローが研修目的だった。泣き止まない森崎美弥を別テーブルに導き、美弥の小さな理解を深めるために相談に乗る形を取る。感情の基が何かを判らせるのだ。それも父がすでにマニュアル化していた。
「美弥さん、辛い経験をしましたね」
美弥は少し落ち着きも取り戻している。
「石川愛子です。新米ですが美弥さんのお力に少しでもなれたらと思います」
愛子がそう言うと、美弥は上目ずかいに愛子を見た。
「いやだ、恥ずかしい……」
美弥はそう言うと、少し微笑んだ。
「年も近いし、美弥さんの気持ちはすごくわかりますよ!」
「ありがとう。私、馬鹿だから騙されたみたい。あいつは私の体だけが目当てだったと思う」
美弥は再び俯いて暗い目をした。この瞋恚への寄り戻しをこれから無くすことが愛子の仕事なのだ。
「美弥さんは優しかっただけ。愛する人を受け入れることは騙されることではないですよ。それは相手がどんな人であろうと、美弥さんの心から望んだこと。その時はきっと美弥さん、とても幸せだったのではないですか?」
「……、うん、そうね。俊夫と一緒になれてとても幸せだった。それは確かね……」
「本当の美弥さんって、その時の美弥さんだと思います。後先のことを考えずに好きな人を無条件で受け入れた……。きっとその時、美弥さんは素敵な女性だったのでしょうね」
美弥は目を丸くして愛子を見つめた。同年齢位の愛子が美弥と俊夫が出会った頃の気持ちを正確に言い当てた。そしてその頃の自分が本当の自分だと言う。
「あ、愛子さんでしたね。確かにその頃私は幸せだった。全てが薔薇色に輝いて、今だけがずっと続いて欲しいと思っていました」
「その時の幸せは誰がくれたものでしょうか?」
愛子は美弥の瞳をじっと見つめ真剣に問う。
「……、と、俊夫がくれた……」
「いいえ、違うと思います。それは美弥さんが俊夫さんを無条件で受け入れたからもたらされた幸せだったと考えられませんか?」
「……」
「俊夫さんという方は美弥さんにとって、空に浮かぶ千切れ雲の一つ、秋に舞う落ち葉の一つ、美弥さんの足をひたして冷やしてくれた谷川の流れる水みたいなものです。やって来ては、いつかは通り過ぎてゆく訪問者。それを受け入れた人には幸せが訪れ、受け入れない人には何も起こらないのです」
「で、でもこの悔しさは拭えない……」
美弥は表情を少し歪めて言った。愛子は辛抱強く語り続ける。
「悔しさは愛の裏返し。俊夫さんを愛すれば愛するほど、裏切られた、捨てられたと思うと、それは悔しさや恨みになって行きますよね。そして美しくて幸せだったころの思い出も汚して行く」
愛子は語尾を強く言った。そして美弥の瞳を真剣に覗きこむ。美弥はハッとしたような表情を一瞬作った。愛子は続けて言う。
「俊夫さんへの愛が無ければ、悔しさも恨みも生まれないでしょう。愛が形を変えて悔しさに恨みになっていることに気づいて下さい。そして俊夫さんを無条件で受け入れたころの自分に帰りましょう」
美弥は再び涙目になりそうな表情を愛子に返す。
「愛が悔しさに変わったその理由は……、幸せを俊夫さんから貰ったと勘違いされているからですよ。それは些細な誤解。幸せは美弥さんの心が広がって愛になったから。俊夫さんは些細なきっかけに過ぎなかった。人はそうやって花にも小鳥にも木立にも心を開けるのです。そこから愛が生まれ幸せが訪れる。出会いは別れの始まりと言うじゃないですか。俊夫さんとの別れが少し早く来たに過ぎないでしょう。人は皆いつか死んで別れを言わなければならないとしたら、幸せだったころの記憶を美しく保つことが大事だと思いませんか?」
美弥の表情に明かりが点り、目頭が緩んだ。やがて静かな大粒の涙が流れて来る。愛子は優しく美弥の手を取って握った。
「美弥さんの守護霊はそのことを美弥さんに伝えたいのです」
愛子がそう言うと、美弥は強く愛子の手を握り返してきた。その姿を占師、中山が静かに微笑んで見つめていた。
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