「綿球に天然抗菌成分キトサン配合」
ヤスシは、右手に掴んだプラスチックの容器の文面をしばらくじっと見つめていた。
「キトサン……キトサン……キトサンって何だ?」
そうつぶやくとゆっくりと空を仰いだ。
しばらく続いた厳しい冬の寒さもどこへやら、今日は珍しく小春日和で、やわらかい日差しが街をやさしく包んでいる。
(キトサン……キトサン……木戸さん?ハッ!!C組の木戸さんか!?)
木戸さんとは、ヤスシの隣のクラスの学級委員長である木戸才子のことである。知的な美人で男子からの人気はかなり高い。
(木戸さんが配合されているのか、この綿棒には?……いいな。かなり、いいな。しかも、木戸さんは天然抗菌成分。天然抗菌成分……抗菌成分……“抗菌”ってツンデレっぽいし)
断っておくが、木戸才子はツンデレではない。確かにツンとした感じであるが、デレ部分はヤスシの勝手な思い込みである。
(いや、しかし……“天然”って、ツンデレ部分である“抗菌”と相反するんじゃないか?木戸さんはどう見ても“天然”じゃないし……いや、俺の勝手な思い込みで、実は案外天然なのかも……)
「ヤスシ君」
ヤスシは突然、自分の名を呼ばれたことによって妄想から解放された。
気が付けば、目の前に木戸才子が立っていた。
「やあ、木戸さん」
「ヤスシ君、私は天然ではないわよ」
才子はそう言うと、踵を返して駅の改札へと向かっていった。
「ありがとう、木戸さん。あぶなかったよ。君はツンデレだもんね?」
ヤスシは才子の去りゆく背に問いかけたが、才子はけっして振り返ることは無く、駅の改札へと吸い込まれていった。
(そうか、やっぱりツンデレと天然は相反するのだな。忘れないようにしよう。しかし、あれだな。そうすると振り出しに戻ったわけだな……)
ヤスシは腕を組み、再び空を仰ぐ。空にはとんびが上昇気流に乗って楽しそうに飛んでいた。しかし、ヤスシの目には映らなかった。
(木戸さんではないとすると、一体誰だ?キトサン……キトサン……キットサン……キッドさん……怪盗KIDのことか!?)
怪盗KIDとは、ヤスシが愛読しているマンガ週刊誌に掲載されている主人公である。
(この世に盗めないものはないという天下の大泥棒、怪盗KID……確かに、奴なら耳垢を盗むなんてお手の物だ。怪盗KIDが入っているということは、ものすごく耳垢がとれる綿棒ってことなのか!?)
断っておくが、怪盗KIDは耳垢なんぞ――いや、書くまでもないことだ、失礼。
(いや、しかし、“抗菌”って“正義”って感じだよな。泥棒って“菌”――つまり悪って感じだし、これも相反するんじゃ……いやいや、待たれい!!そんな短絡的に考えてはいけない。泥棒が悪とは限らないではないか!!義賊とか居るわけだし。いや、むしろ、政府、役人がこの国を蝕んでいる菌で、それに抵抗しているのが怪盗KIDとその愉快な仲間達……いや、ここで“愉快な”とは不謹慎か。“お茶らけているけどいざというときは頼れる仲間達”としておくかな?)
「おじちゃん、おじちゃん!!」
(いや、これだと長いって読者からクレームが来るな……)
「おじちゃん、おじちゃんったら!!」
突如、ヤスシは右足に鈍痛を覚えた。
「痛っ……えっ!?僕、何しているんだい!!」
気が付けばヤスシは右足を小学校低学年くらいの男の子に踏まれていた。
「おじちゃんってば、呼んでも全然気がつかないから、こうするしかなかったんだよ」
「いや、ごめん……で、僕に何の用だい?」
「パパがね、怪盗KIDではないってさ」
ヤスシは目線を上げると優しそうな成人男性と目が合った。
きっとこの子のパパなんだろう。ヤスシは軽く会釈をすると、その男性は手を振ってくれた。
「じゃあね、僕もういくからね」
そう言うと、男の子はパパのところへと戻って行った。
「ありがとう、でも、僕はまだ高校生だよ」
ヤスシは男の子の走り去る背に訴えたが、男の子はけっして振り返ることは無く、中央公園のほうに消えていった。
(そうか、やっぱり読者からクレームが来たんだな。しかし、あれだな。そうするとまた振り出しに戻ったわけだな……)
ヤスシは腕を組み、再々空を仰ぐ。空ではとんびがカラスに追いかえられて逃げ回っていた。しかし、ヤスシの目には映らなかった。
(怪盗KIDでもないとしたら……キッドではないとしたら……木戸さんでも、キッドさんでもないとしたら、答えは一つ!!きっとさんか!!……きっとさん?きっとさんていったい誰だ?うーん……はっ!!ひょっとして、人ではないのか!?)
ヤスシは組んでいた腕を離し、左手の手のひらに、握りこぶしにした右手をポンと置いた。それを見ていた駅の売店のおばちゃんは満足そうにひとりうなづくのだった。
(きっとさん……きっと、さん。つまり、きっと、酸!!……おおおお!!すごく合っているんじゃないか!?酸性洗剤とかあるし。まるで、ド○ストみたいに根こそぎ耳垢が取れちゃうんだよ!!天然抗菌成分“きっと、酸”配合!!おおぅい、ばっちりじゃないか!!)
「いーしやーきいもー、ほっかほかーのおイモだよ!!」
ヤスシが一人、興奮の坩堝にはまっていると、焼き芋屋の軽トラがやってきた。
焼き芋はカナコの大好物である。ヤスシは小走りで軽トラに駆け寄った。
「おじさーん、焼き芋2つ下さい」
「あいよー。でもよー、ヤスシ君よー、ド○ストは塩素系だぜ。そこんとこどう説明するわけよ?」
「ええっ!!そうなんですか?それは、きっと……きっと……あぁ、そうですよ!!“きっと酸”だから、“おそらく酸”ってことじゃないんですか?ド○ストの主成分は次亜塩素酸ナトリウムというややこしいものだから、開発の人も塩素系なのか酸性なのかでおそらく意見が分かれて、会社内を二分にする派閥抗争に発展して、その抗争が長きにわたって会社が疲弊して、これじゃぁイカンということで、“きっと酸”という曖昧な表現で両派閥が妥協したのではないでしょうか?酸に落ちついたのは、社長が酸性派だったということで……」
「かぁーっ、ヤスシ君、洗剤をなめてるとそのうち命を落とすぜ!!」
「ええっ!!そりゃーおじさん、長い上につまらなかったことは認めますが、そこまで言わなくても……」
「わかっちゃいねぇ、わかっちゃいねえよ、若えの!!」
「……」
「覚えとけ、そして忘れるな。“混ぜるな、危険!!”ということを」
ヤスシはハッとして顔をあげると、焼き芋屋の軽トラはすでに走り出していた。
「ありがとう、焼き芋屋さん!!けっして忘れません、あなたの教えは。だけど、どうして“わかっちゃいねぇ”って2回も言ったんですか?」
走り去る軽トラにヤスシは問いかけたが、軽トラはけっしてバックすることはなく、商店街の方へとゆっくりと、だが着実に小さくなっていくのだった。
焼き芋屋さんにとても大事なことを教えてもらったヤスシだが、又又又振り出しに戻ってしまったわけで、そのうえ今度の答えにはかなり自信があったのが反動してすっかりしょげてしまった。
(ふぅ、やっぱり僕には真実は解明できないのか?嗚呼、なんという格差社会だろう……こんなんじゃ、将来お先が真っ暗だ……)
と、思った瞬間、ヤスシの目の前は本当に真っ暗な闇に包まれた。
「うわっ!!」
「だーれだ?」
やさしい手の感触がヤスシの顔に伝わってくる。
「カナコ!!」
ヤスシが間髪入れずに答えると、ヤスシの視界に光が戻ってきた。
「えへっ、お待たせー」
「こらっ!!最近遅刻が多いぞ!!」
「だってーカラスがしつこくて……」
「ん?カラスがどうしたって?」
「うううん、何でもないの。行こ、映画始まっちゃうよ」
カナコはヤスシの腕を掴み、強引に引っ張って行く。
「おいおい、誤魔化すなよ」
すると、カナコは内緒話をするようにヤスシの耳に手を当ててこう言った。
「ヤスシ、キトサンってね、カニ殻等に多く含まれる天然成分で、細菌類やカビに高い抗菌性を示すんだよ」
ボーゼンとするヤスシを置いてカナコは映画館の方へと小走りに駆けていく。
「……カナコ、なんで知っているんだ?」
走りゆくカナコの背にヤスシが問いかけると、カナコはくるりと振り向いた。
「ヤスシのことは何でも知ってるよ〜」
(カナコには敵わないや)
カナコのいたずらっぽい笑顔を見て、ヤスシは映画館の方へと歩き出した。
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