テスト週間中というのは、無性に何かをしたくなるもので。
ふいに目に入った、荒れた戸棚がきっかけで1日かけての大掃除を始める…なんてこともそれほどめずらしくない。
そんなよくある気の迷いは、時に完璧超人までも飲み込むことがある。
…白皇生徒会会長・桂ヒナギク、只今絶賛掃除中。
「はあ、いったい何してるのかしら…」
掃除の誘惑に負けてしまった自分を叱咤しながらも、本棚を整頓する手は休まることがない。
元々綺麗好きで几帳面な性格のため、部屋はいつも綺麗なのだが、逆に言えばその性格ゆえに探せば探すほど、気になるところが見つかってしまうのだ。
掃除を始めて約2時間弱。だいぶ部屋も片付いてきた。
でも、最後の天敵である本棚がヒナギクを煩わせていた。
だいたいの本は作者順、タイトル別に並んでいるのだが、中には衝動買いしてしまった一巻だけの本というものがあり、それをどう並べるべきかでヒナギクはその成績優秀な頭をフル回転させていた。
頭が良いというのは時に皮肉なもので、大雑把であまり計算をしない人間ならば、適当に最後のほうに詰め込んでハイ終わり、となるだろう。
しかし、ヒナギクの場合はその本の大きさやデザインなどから、いかに能率よく、そして美しく収納できるか、なんてことまで考え込んでしまう。
…完璧主義者とは難儀なものである。
「ああっ! もうっ!」
本棚と見合って1時間が過ぎようとしていたころ、とうとうヒナギクが発狂した。
そのつりあがった眉と目じりから、いかに今ヒナギク嬢がご立腹か大体予想がつく。
う〜、と小さく悔しそうな唸り声を上げたヒナギクは、おもむろに本棚の中身を全て出し始めた。
せっかく2時間もかけて綺麗に整頓した本や小物たちが、無残な姿になって床に落ちていく。
しかし、ご乱心気味のヒナギクはそんなこと気にしない。
いかに重くて大きい辞書であろうが、可愛いぬいぐるみであろうが、ためらうことなく放り投げていく。
いつもの凛とした姿からは想像できない、彼女の姿。きっとあの三人娘が近くに居たなら、意気揚々と動画を収めているだろう。
3段目、2段目がからっぽとなり、ヒナギクの手は1段目に伸びた。
1段目の棚は、教科書や辞書、小説が収められている2,3段目とは違い、アルバムや小さいころの思い出の品など、少し特別なものが収められている。
それゆえにヒナギクの手も、1段目の棚ばかりはゆっくりとした丁寧な動きになっていた。
薄っすらとほこりが被るほど、触れていなかったその棚には、ヒナギクの過去がたくさんつまっていた。
小学生ぐらいのときに友達とやっていた交換日記。
美術の時間に作らされた、使い勝手のわからない謎の工作。
嫌々書いた読書感想文に、なぜか貰えてしまった賞状。
もうほとんど記憶に残っていない旅行先で買ったと思われる、趣味の悪い土産品。
そんな品々を見ているうちに、ヒナギクはさっきまでのイライラも忘れ、小さく笑みを零していた。
「ふふっ…あの時の私、なんでこんなもの買ったんだろうなぁ」
どこかのご当地キャラクターのキーホルダーを指で転がしながら、ヒナギクはしみじみと呟いた。
「あ、そうだ。掃除掃除っと」
目的を思い出したヒナギクは、思い出に浸るのを一時中断し、掃除の作業に戻った。
もっとも、一番しなくてはいけない作業は勉強なのだが。
ほこりを舞い散らせながら、1段目の思い出たちを掘り出していく。
あまりの懐かしさゆえ、何度も手を止めてしまったが、どうにか全て出し終える。
そのころには、すでに空が赤く染まり、カラスがアホーと鳴いている時間になっていた。
「……どうしよう、無我夢中で全部ひっくり返しちゃったけど……絶対これ、今日中に片づかないわよね…」
桂ヒナギク、まさかの失態に呆然とする。
空っぽになり、ただの木製の箱と化した棚をだただた眺めることしかできなかった。
「………ん?」
棚を眺めていると、一段目の棚の奥に薄汚れた一枚の紙が挟まっていることに気づいた。
手を伸ばして、その紙をとろうとする。
しかし、どうやらそれは棚の隙間に挟まってしまっているようで、なかなか取れない。
少し力を入れて引っ張ると、ビリッ、と渇いた音を立てて破れてしまった。
「あっ………」
小さく声を上げたが、千切れた部分が紙の端のほうだったので、ヒナギクは少し安心した。
その紙はだいぶ黄ばんでおり、中々古いものだと一目で分かる。
画用紙のような紙質からすると、多分絵が描かれているのだろうと推測できた。
中身が気になって、ヒナギクは軽い手つきで4つ折になっていた大き目の紙を開いていく。
(何描いたのかしら?
中学校のときに描いた自画像? 風景画?
あ、もしかしたら小学校の時あまった紙で友達と描いた落書きかしら?)
胸を弾ませながら、紙をひらく。
そして、そこに描かれていた絵は、ヒナギクの予想していたものとは、少し違うものが描かれていた。
「……これって……」
古い黄ばんだ紙に描かれていたのは、色とりどりのクレヨンで賑やかに描かれた、幼稚園の時の将来の夢。
ピンク色の髪をしたヒナギクと思われる女の子が、ドレスのようなものを着て、赤い屋根の家の前に立っている。
その周りを囲むのは姉と、今は行方知れずの母と父。
あのころ、大好きだった両親は姉より若干大きく描かれていて、ヒナギクは思わず苦笑してしまった。
みんな、ヒナギクを中心に、ニコニコと笑っている。
「……このころは……捨てられるなんて考えもしなかったもんなぁ……」
そう呟くヒナギクの声は、すこし潤んでいた。
幸せそうな、幼いころの絵。
このころは、こんな幸せが永遠に続くと信じて止まなかったのだ。
父や母が、純粋に大好きで、愛せていたのだ。
「………もう、このときみたいに、綺麗には描けないわね………」
汚れてしまった、父と母への愛情。
憎んではいないけど、一度汚れてしまったこの愛情は、この絵のように純粋にはなれない。
きっと、この幼いころの私の夢は、叶わない。
「………ごめんね、夢、叶えられなかったよ………」
涙声で呟いて、クレヨンで描かれた幼い夢を、愛おしそうに撫でる。
零れた涙が、母の顔の上に落ちて、すこし滲んでしまった。
それが、また、無性に哀しくて。
しばらく絵を眺めた後、ヒナギクは深いため息をついて立ち上がった。
「掃除も………時にはいいわね………」
―――忘れてしまった大切な思い出を、見つけられるから。
そんなことを考え、しみじみとした気持ちになっていると、ふいに飛び込んできた無造作に散らばった本の山。
一気に現実に引き戻されてしまったヒナギクは、さっきとはまた違った意味でため息をついた。
「………はぁ、どうしよ………」
だるそうにため息まじりに呟いて、ヒナギクはうなだれた。
第二回掃除戦争を始めるために、手に握っていた絵を床にそっと置いて、ヒナギクは敵の前へと向かっていった。
床に置かれた幼いころの夢。
ヒナギクは気づいていなかったが、画用紙の裏に、母親の文字でこう書かれていた。
『わたしのゆめは、およめさんです。
かっこいいおとこのことけっこんしたいです。
あと、あたらしいおうちでは、ぱぱとままとおねえちゃんもいっしょにくらしたいです』
多分、幼稚園の発表会のようなもので、これをヒナギクは読んだのだろう。
平仮名で書かれた母親の文字からは、微笑ましい愛情のようなものが溢れ出している。
きっと、後にこれを見たヒナギクは、当時のことを思い出して、また懐かしさを覚えるに違いない。
そして、紙の隅に母親の言葉が書かれていた。
短い、けれど深い愛情に満ちた言葉。
『ヒナちゃんはいっぱい、幸せになってね。
大好きよ、ごめんね、愛してるわ、ヒナちゃん ママより』
きっと、家を出て行く前に、そっと書き記したのだろう。
文字が震えているところを見ると、きっと泣きながら書いたに違いない。
上に書かれている文字とは明らかに違う、寂しげで悲しげな、弱々しい文字。
その筆体全面から、後悔のような自分を蔑むようなヒナギクの母親の姿が見て取れる。
この言葉を見たとき、彼女はまた、泣いてしまうだろう。
でも、零れる涙はきっと、暖かな涙のはず。
母親を想っての、彼女が一番流したいと願っていた涙のはず。
愛情の汚れを、もしかしたら洗い流してくれるかもしれない、そんな涙。
さあ、一枚のクレヨンで描かれた絵が、ちょっとした奇跡を起こすのは、
――もう直前。
|