衆愚政治
目覚ましが鳴ったので、私は覚醒した。
時刻を確認すると、七時だ。
私はいつも、七時に起きるのだ。
布団から出て、最初にすることは決まっている。デスクの端末のスイッチを入れることだ。
これは妻がくるまえにしなくてはならない。
いつ、夫婦間に関する法律が改定されているか、解らないからだ。
立ち上がったディスプレイを見る。政府のサーバーへアクセスして、夫婦間に関する法律をチェックする。
開かれたページには、難解な法律用語で一杯の悪文が乱舞している。一昔前の人間なら、辟易して読むのをやめるだろうが、そんなことはできない。
それに慣れの問題である。最近では、法文の読みすぎで、人のドジを未必の故意だね、と言ってしまうくらいなのだ。なぁに、軽い。ほんの一万字程度だ。
読み終える。
とりたてて改正された様子はない。安心だ。これで、妻におはようが言える。
着替えてダイニングへ行くと、妻が朝食の用意をしていた。
私は言った。
「ちゃんと、食品管理法と家庭に於ける認可食材一覧を見たかい?」
「いいえ」
平然といいやがる。全く、ふてぇ妻だ。専業主婦ってのは、自宅に篭ってればいいのだから、いい御身分だ。
「いつ、逮捕されてもしらんからな」
「それより早く食べなさいよ」
急かすものだから、私は五分で朝食を掻きこむ羽目になった。
しかし、ここで重大なことに気づく。
妻が食品管理法と、家庭に於ける認可食材一覧を参照していないということは、だ、私が誤って認可取り消しを食らった品を食べた可能性がある。
私は身震いをした。なんと、恐ろしいことだろうか。
私は自室に直ちに引き返し、くだんの文献を参照した。
改定はなかった。
時計を見ると八時になっている。
そろそろ家を出ないと会社に遅れてしまう。
玄関へ向かう。靴を履く前にすることがある。今日が祝日になっていないか、調べなくてはいけない。他にも、うっかり殺人が合法になっていたりしたら、おちおち外へなどでれるものか。
私は再び自室に戻った。
これは大仕事だ。なぜなら、刑法民法から条例、あらゆる法文などを参照しなくてはならない。
六法の厚さがいかほどのものか、弁護士ではないが誰だって知っている。
私はディスプレイに首っ引きになった。
一体、何時間読み続けていただろう。ふと、窓へ目を遣ると、茜色の空が見える。
コンコン。
部屋をノックする音。妻だ。
「待て」私は言った。
自動コンピュータが管理する政府により、日々の改定は朝の六時、夕方の六時の二回ある。今は、当に六時を回っている。
夫婦間に関する法律を参照しなくては、妻をこの部屋にいれるわけにはいかない。
「あなた。入るけど」
「待て、待ってくれ」
そう。私はまだ、夫婦間に関する法律以前に朝から読み始めている法文などを読み終えていないのだ。
「あなた」
「待ってくれ」
「警官が着たわ」
「なぜ?」
妻は何を言っているのだろう。私はまだ、法を犯してはいないはずだ。
確かに全文は読み終えていない。一体、どこが改定されたのか? 私は焦ってマウスホイールを回した。しかし、目が追いつかない。
「入るぞ」
問答無用で警官が私の部屋に押し入った。
そして、こう言った。
「無断欠勤は三十万円以下の罰金だ」
なんということだ。ただでさえ火の車の我が家の家計簿が、盛大に真っ赤になってしまう。
「それは勘弁してもらえませんか?」
「いいだろう」
意外とあっさりと警官は引き下がる。しかし、次の一言で私は地獄へ落とされた。
「おまえを不正アクセスで逮捕する」