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舞々花伝 作者:一瀬詞貴

跋ノ段

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そして、日常(1)

 数日もせずに、日常は戻って来た。
 たづさんが憑依していた女性の遺体は住職さんが丁寧に埋葬してくれた。しいちゃんと魂を入れ替えられた少女は、身寄りがないことが判明して、観世座の下女として雇われることに決まった。黒翁は、元雅くんが継承するまでの間は、帰ってきた元清さんのもとで厳重に保管されることとなった。
 元重さんは相変わらず青蓮院への出仕が絶えないし、元雅くんは、稽古に後援者巡り、夜は舞々と忙しく活動している。しいちゃんはそろそろ床上げできるらしい。
 そして、我が相棒・猿彦も変わりない。結局仲直りしたかに見えた元雅くんとは喧嘩が絶えないし、乱暴ですぐに僕をヤスケで殴るし、よく自室でごろごろしている。でも、たった一つ、変わったことがある。
 それは――――
「……別に君が表に出てるっていうのは、良い事だと思うよ」
 稽古場への渡り廊下を歩きながら、僕は左隣を歩く相棒を見た。
 猿彦は、ここ最近、怨霊との戦い以外で僕を憑依することがほとんどなくなっていた。座の中にはあからさまに顔を顰める人もいて、嫌がらせも受けたけど、いろいろ吹っ切れて開き直った猿彦が、二・三度やり返すと相手は静かになった。口にはできないけど、陰湿で過激な彼の返礼に、なお嫌がらせをしようと思えるのは元雅くんくらいだろう。
〔文句あんのか?〕
「いえいえ滅相もない。ただ何となく、痛い思いする時ばっかり、僕が表に出てる気がするんだけど?」
 元雅くんに殴られた時とか、切り傷を負った時とか。
〔よく気付いたな! 俺様の素晴らしい配慮に〕
 彼は歩みを止めると、ふん、と胸を張った。僕は恐る恐る問いを口にする。
「どこら辺が素晴らしいのか、聞いていい?」
〔痛いと、生きてるって感じすんだろ〕
「……君はまず、他人の痛みを知れるようになった方がいいね」
 頭痛を感じて僕は、未だに何か言っている猿彦をその場に残し、先を急ぐ。
「…………あ。敦盛さん!」
 と、前方の楽屋の方から、しいちゃんがひょっこり顔を出した。ぱたぱたと小動物のように駆け寄ってくる彼女に、僕は屈んで目線を合わせる。
「しいちゃん! もう、体調は良いの?」
「うん」
 頷いてから、彼女は少しだけ顔を曇らせた。
「…………たづさんのこと、聞いた。しいのこと助けてくれたのに……ありがとうも、言えなかった」
 悔やむ彼女の髪に触れるように手をかざして、僕は笑う。
「君が元気でいるのが『ありがとう』になるよ。そんな顔してると、たづさん、悲しんじゃう。ね?」
「…………敦盛さん」
 しいちゃんが鼻を鳴らして、顔をあげる。そして。
「ありがとう」
 ニコリ。
 そう目を細めて、笑う彼女の、なんと愛らしいことか……!
 その笑顔に、僕の胸はきゅん、と締め付けられて、思わず顔がにやけてしまった。いつも神経質そうに黙り込み、年齢以上に大人らしく振る舞おうとするけなげな姿を知っているから、尚更可愛い。本当に、地蔵菩薩のように可愛いらしい。が。
「敦盛!」
 しいちゃんの微笑みに気を取られていた僕は、庭の方から薄ら寒くなるほどの明るい声で呼ばれて、硬直した。
「――――は、はーい?」
 ぜんまい仕掛けの人形よろしく、ぎぎぎ、と振り返れば、予想通り、神がかった美しい顔に笑顔を張り付かせた元雅くんが立っていた。
「表へ出ろ」
 小首を傾げ、けれど、先ほどとは打って変わってもの凄く低い声で命じる。
「な、何だってそんな、急に……?」
「殴りたい」
 ああ、やっぱり……っ!
 その時、後方でドンッと床を突く音がした。
〔いいぜ? この前の続きと行こうか!〕
 見れば、猿彦が嬉々として、元雅くんの申し出を受けていた。
 どうして僕宛ての申し出を猿彦が勝手に受けるのか。ちょっと理解ができない。
「……ちょうどいいね。二人まとめて、ぼこぼこだ」
「まとめなくて良いよ。やるなら二人で勝手にやってよ」
 僕の抗議は二人には届かない。
「一体、何を騒がしく……」
 その時、盛大にやりあい始めた彼らの騒音に気付いて、しいちゃんが出て来た楽屋の方から元重さんが顔を覗かせた。
「……おやおや。また喧嘩ですか」
「元重さんっ! 止めてください!!」
 聞こえないとは分かっていても、訴えかけられずにはいられない。しいちゃんが僕に便乗して助けを求めてくれる。その彼女の肩に手を置いて、元重さんはふと、感慨深げに弟たちを見やった。
「この家は……少し窮屈な時もありますから。息抜きも必要なんです。あれでいて、二人ともきちんとじゃれ合いで済ませていますし」
 僕としいちゃんは無言で首を振った。
 じゃれ合いで済んでません。
「喧嘩するほど仲が良い、とも言いますし……ああ、だからといって、兄としては弟たちの喧嘩を仲裁しないわけにはいきませんよね」
 それに僕らは勢いよく頷いた。
「それでは」
 元重さんはやりあう弟たちを鋭い眼差しで一瞥すると、す、と一歩踏み出した。
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