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舞々花伝 作者:一瀬詞貴

八ノ段

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「裏切らない」(3)

「猿彦!! 元雅くんッ!!」
 勝負は一瞬でついた。
 場の中央で高笑いする黒翁に、左右から飛びかかった二人は、呆気なく吹っ飛ばされたのだ。黒翁はしいちゃんの顔で酷薄な、それでいて艶やかな、壮絶な笑みを浮かべ立っていた。
「ぬるいわ! これでわらわを使役しようというのだから笑ってしまう」
 二人は、足を踏ん張って立ち上がった。けれど、元雅くんが腹部を押さえて、途中で膝をついた。先ほど刺された箇所だろう、衣の腹部が真っ赤に染まっていた。
 ヤスケに寄り掛って立ち上がると、猿彦はそれを頭上で一回転させ再び構える。
 黒翁の赤い瞳が猿彦を見て楽しげに歪んだ。
「さすが、元我が主殿。もう少し遊んでもらわねば、わらわの不満は解消されぬ」
 何度やろうと、勝負は見えていた。
 肩で息をする猿彦。対する黒翁は汗一つかいていない。本領発揮の神の力をまざまざと見せつけられて、僕は立ち尽くした。
 負ける――初めて、猿彦に感じた不安と、失うかもしれない恐怖。
「これ以上は無意味だわ」
 その時、僕の右隣でたづさんが声を張り上げた。
「剣は、出す。だから、これ以上の事はやめて」
 言って、たづさんは黒翁へと近づいた。
〔馬鹿言ってんじゃねぇ! こいつを自由にしちまったら、大勢の人間が喰われるんだぞ!!〕
 猿彦の叫びを無視して、たづさんは黒翁に近づくと、自身の胸元へ手を突き入れた。
「これが……魂切りの剣よ」
 ずるり、と胸の辺りから取り出した剣を、黒翁の小さな手に渡す。黒翁は目を細めてそれを見下ろすと、深く頷いた。
「なるほどの。お主の魂の一部だったわけだ」
〔させるか……ッ!〕
 飛びかかる猿彦を、指を爪弾く動作だけで追いやった黒翁は、剣を舐めるように見やると躊躇なく自身に剣を突き立てた。
 足元に影が滲み、ぐわっと黒く大きな獣のような魂が吹き出す。
 その中央には白い球。そこに目鼻立ちの造形が刻まれていると気付くまで、時間がかかった。
 あれが猿彦の、顔……?
「これで……」
 刀身を刺した部分から、放射線状に白い光が四方に走った。
 光が散ると、猿彦の顔だろう中心の白い円がぐい、と浮かび上がる。
「ふ、ふふふ……これで、これで、憎きこの顔とも離れられる! わらわは、自由じゃ。自由じゃあああっ」
 ――――――けれど。
「な、に……!?」
 ぎりぎりと引き延ばされたものの、その光は結局、黒い魂に引っ付いて離れなかった。しばらくすると、光自体が収まってしまう……
「何故じゃ。何故、奴の顔が離れぬ。どんな魂も切り離せると、そのような剣だと申したではないか!!」
 黒翁の怒りに燃えた瞳に、たづは戸惑いながら首を縦に振った。
「そうよ。何だって切り離せる……」
「だが、できない。貴様っ!! この期に及んでわらわを謀ったか!!」
「ち、違うわよ。それは、本物よ!」
 はっとしてたづさんが猿彦を振り返った。
「猿彦!? あなた、まさか――」
〔俺はこれでも元若大夫。不祥事を起こすわけにはいかねんだ。…………死んだってな〕
 たづさんが救えなかった人に、死んだ母親に取り付かれている子供がいた。その時、彼女は言ったのだ。人の側が自ら離したくないと望む場合、除霊はできない、と。
 猿彦はあれだけ顔を切り離したい、取り戻したいと願いながら、観世の家の者としての義務を果たそうというのだ。例え……大夫でなかったとしても。それが……舞々の誇り。
「ちぃぃぃっ!! 皆殺しじゃ! 全員、斬り裂き殺してくれるっ!!」
 黒翁はそう絶叫して、両手を天へ延ばした。闇が渦を巻き始める。彼女は空間ごと僕らを沈めてしまうつもりらしい。自由を手にいれるよりも、目の前の苛立ちを解消する方を取るつもりなのだ。
〔敦盛〕
 呆然と、その膨大な邪気の奔流を見上げていた僕を、猿彦が呼んだ。
〔笛の用意をしろ〕
 それから、元雅くんに向き直ると、怪我人に思いやりの片鱗もなく命令を下す。
〔元雅、立て。んで、さっさとこっちに来い〕
「猿彦……? 一体」
〔こいつらを向こうに戻す〕
 元雅くんがなんとかやって来たのを確認してから、一言、猿彦は告げた。
 それは死を覚悟した〈声〉だった。
――俺ら舞々は、命をかけて舞う。
――だから、面はかぶるじゃなくて、『かける』んだ。
 出会った当初、猿彦はそう言って、舞々がなんたるかを僕に教えてくれたのを思い出す。
〔あ。だが、敦盛。お前はダメだ。逃げんじゃねぇーぞ〕
「…………分かってるよ」
 僕はきょとんとしてから、ニヤリと不敵に見えるよう口の端を持ち上げた。
 僕は猿彦が死ぬまで一緒。そんなことは、彼の持ち霊になった時から覚悟はしているんだ。
 ……一度、僕は死んだ。それも、これ以上にないほど情けない最期だった。でも、今度は間違えない。一人じゃない。
「な、に言ってんの……彦兄」
 その時、立ち上がるのもやっとの元雅くんが、更に顔を蒼白にして声を震わせた。
〔呆けた顔してんじゃねぇ。しっかり敦盛に捕まっとけ〕
「馬鹿を言うな! 僕は舞々だ。逃げるわけにはいかない!!」
 元雅くんの悲鳴にも似た、怒号……
「神を制御し、人々を守るのが舞々の使命。その舞々が、自身の命が危ういからって、人に危害を加えるに違いない奴らに背を向けていいはずがない!! 僕は逃げない!!」
 彼らは武士じゃないけれど、武士に負けず劣らずもののふだった。
「それに、しいをこのまま――」
〔てめぇは次の大夫だ〕
 いきり立つ元雅くんが、ヤスケに浮かび上がった文字に息を飲んだ。何事か言おうと形の良い唇を開閉させてから、彼はやがて項垂れる。
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