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舞々花伝 作者:一瀬詞貴

五ノ段

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壊す理由、救う理由(6)

 身体を維持するための食事を取り入れる口は、魂を維持するための呼吸をする場所として〈気息の穴〉と呼ばれている。
 猿彦には顔がない。だからもちろん口――気息の穴もない。食事は僕が憑依して摂取するとして……呼吸は常時していないと魂は淀み、腐り、最終的には人に害なす死霊・怨霊と化してしまう。
 だから、猿彦には特殊な呪が施され、彼の気息の穴は元重さんに繋げられている――元重さんの呼吸がそのまま、猿彦の呼吸となっているのだ。これが、猿彦が唯一元重さんにだけ懐き、信頼を寄せる理由だった。
 気息の穴を繋げるということは、二人分の呼吸を行わなくてはならないということ。聞いたところに寄れば、それはかなりの重労働らしい。しかし、よくよく考えれば当り前のことではある。人の命を二つ、維持しようというのだから。
 そして、その呪は、元重さんの血で背に書かれているため、水に弱かった。
 お寺に戻るとすぐにたづさんは観世家に使いを出した。けれど、それが観世家につく前に、元重さんが馬を駆って飛んで来た。呪が途切れたのに気付いたのだ。
「すいません、お忙しいところ。元重さ――」
 到着した元重さんを出迎えたたづさんは、彼の姿を一目見て恐縮した。接待の途中で座を抜け出して来たのだろう。彼は、
「事情を説明したら、義円殿は快く暇をくださったよ」
 と、にこやかに言ったけれど、〈快く〉と言う割には右目の下と、唇の端の、こさえたばかりの痣が痛々しかった。
 天台三門跡の一つ、青蓮院。華頂山麓に位置し、知恩院に北隣するその門跡寺院は、ここ泣地蔵寺からそう遠くない。そして元重さんを後援するそこの僧、義円殿は性格に一癖も二癖もある御人だった。現将軍義持の弟であり、次の天台座主と目される彼の傲慢不遜な性質は、かねがね噂で耳にするところだ。とりわけ元重さんへの執着は凄まじく、病だろうが、他に仕事があろうが、家族が死のうが……自分を第一に優先させねば気が済まない。そんなわけで、彼の青痣はいつものこと。元重さんの性癖上、同情するのもおかしな話だったが、たづさんのように、彼を余り知らない人からしたら、怪我だらけの姿に自分を責めてしまうのは無理なからぬことだ。
〔死ぬと思ったぞ、このトサカオンナ〕
 元重さんが呪を描き直すと、猿彦はほどなくして目を覚ました。
「………………ご、ごめんなさい」
 上半身を起こした猿彦の枕元に膝を進めて、殊勝な態度でたづさんが頭を下げる。猿彦はヤスケを引き寄せると、たづさんを覗き込んだ。
〔あ? 聞こえねぇな。もっと大きい声で〕
「ご、ごめ…………」
〔んん? 何だって?〕
 わざとらしく耳に片手を当てて詰め寄る。
「ご…………」
 たづさんが涙目になった。それを楽しげに見つめる猿面。
「ごめん、って言ってんじゃないのよーっ!!」
 猿彦の腹部に拳がねじ込まれたのは言うまでもない。……たづさんは顔を覆って、室を出て行ってしまった。
「しかし……本当に大した事がなくて良かったですよ。猿彦との繋がりが消えた時は、ひやっとしちゃいました。近くに敦盛くんがいるとは分かってはいても……やはり、心配で」
 痛みに蹲る猿彦の足元に座していた元重さんが、濡れた手拭いを怪我に当てながらのほほんと言う。ついで不思議そうに、布団を挟んだ向側に座る弟妹を見やった。
「そういえば、君たち、家に帰っていないようですね。どうしてこちらへ?」
「黒翁の気配を追って来たんだよ。ねぇ、しいちゃん」
 元雅くんの返答に、元重さんはちょっとだけ目を見開いた。
「黒翁? 今更、あれが現れたのですか?」
「彦兄の顔が邪魔だったんだろ」
「ですが、五年ぶりですよ? その間、何をしていたのか……確かなんですね、まーくん」
「この目で見たし、やりあった。本物だった」
 元雅くんが清々とした声で答え、はっきりと頷く。元重さんは顎を撫でて、うん、と唸った。
「……そうですか。それで黒式尉の面は」
「まだ見つかってない。何処にあるのかも、分からない。――意外と近くにある気がしなくもないけど」
 意味ありげな言葉に、元重さんが目を細める。猿彦の介抱をしていたしいちゃんがふいにその手を止めると、唇を噛み俯いた。
 何だろう。みんな、何かを隠している?
〔おい、バカマサ。何か、隠してねーか〕
 猿彦が出し抜けにそう問えば、元雅くんは兄を振り返り、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「隠してないよ。まぁ、隠してても言わないけど」
〔てめぇ……〕
 猿彦が身体を起こす前に、元雅くんは立ち上がると、静かな足取りで、けれど全身から苛立たしさを発しながら、猿彦へ近づいた。
「っていうかさ」
 元雅くんは、せせら笑うようにして口を開き、しいちゃんを押しのけ、中途半端に立ちかけた義兄の首元に、抜き放った打ち杖を突きつけた。
「まーくん、一体何を……」
 元重さんが慌てるのを無視して、元雅くんは猿彦を睨んだ。
「顔を取り戻す? はっ! 何も見えてない奴の言い草だよね。いいんだよ、あんたには顔なんてなくても。言ったじゃん。『今』が一番いいんだ、って。……そうでしょ、重兄?」
 元重さんが、一瞬息を詰まらせる。
「彦兄。よく考えてみなよ。今が一番うまく回ってるんだ。彦兄は顔を失い、重兄は力を失い、実質的に大夫を継げるのは僕一人。何の争いもない。最高の今だ。……僕にとって、だけど」
〔………てめぇ、なのか?〕
 手に裂傷を負うのも構わず、猿彦は杖を右手で掴んで退けた。
〔てめぇが、毒を盛ったのか!?〕
 問いと共に、左手に持ったヤスケの柄で板敷を打つ。
「はあ? 違うよ。僕じゃない」
 否定しながらも、元雅くんは唇の端を吊り上げた。ヤスケを握る猿彦の手に、血管が浮かび上がる。
〔黒翁がゲロったら――てめぇがやった、って証拠が出たら、絶対に殺してやる。殺してやるからな〕
 やがて、背後に怒気を漲らせて猿彦は言うと、杖を掴んだ手を離し、元雅くんを押しやった。
 あぐらをかき、彼は貧乏揺すりをしながら右耳を弄り始める。暴れ出したい衝動を何とか抑えようとする時の、猿彦のくせだ。一方、僕は初めて聞くことに眉を寄せた。
「毒? 証拠? 一体何の話を――?」
「ああ、敦盛は知らないんだっけ。彦兄が儀式に失敗したのは、黒式尉の面の裏に毒が塗られてたからなんだよ」
 元雅くんが袴の皺を伸ばしながら、姿勢を正して座ると答えてくれた。ちらり、と猿彦を一瞥し、彼は続ける。
「って言っても、殺傷力はほとんどなし。意識が遠くなって、深い眠りを誘う、どちらかと言えば、薬に近いものだったんだけど…………ねえ?」
 命掛けの儀式だ。途中でそんなものを嗅げば、身体などすぐに乗っ取られてしまう……明らかな殺意だった。
「僕は同情なんてしない。そうなった原因は、あんたにあったんだから」
 元雅くんの斬り捨てるような鋭い言葉に、猿彦は鬱陶しげに首を振った。
〔俺に? 馬鹿言うな。他人のやっかみまで面倒見切れねーよ〕
「そうやって被害者面して、周りを威圧し続ける。僕はあんたのそういう傲慢なところが大嫌いだ」
〔俺もてめぇの僻み体質が大嫌いだ〕
 ぶん、と振られた杓文字が空を切る。切っ先は真っ直ぐと元雅くんに向けられた。
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