最初に言っておきますけど、猫って、あなた方が思う程頭は悪くないんです。本当ですよ。信じて下さい。猫の私が言うんですから間違いありません。
例えば、私に限らず猫はみんな、人の言葉が分かるんです。というよりも、人間ばかりの世界で暮らしていれば、嫌でも分かってしまうんですけどね。まあ、私の知る限り、『話す』ことができるのは私だけみたいですし、その私も話せるようになったのは昨日からなんですけど。
そんなに驚かないで下さい。私がこれからお話しすることは、こんな事よりももっと信じられないことですから、腰を抜かしてしまいますよ。私じゃ助けられませんから、気をつけて下さいね。
ごめんなさい。自己紹介がまだでしたね。
私はミーア。
あなた方が言うところのアメリカンショートヘアーで、昨日三歳になりました。――えっと、猫の三才って、人間の年齢に直すといくつになるんでしたっけ。ごめんなさい、どこかで聞きかじった覚えはあるんですが……なにせあんなことがあった次の日ですから。って、言い訳になってませんね、ごめんなさい。
で、そのご主人様がクルト様。丁度昨日、十五歳の誕生日を迎えた男の方で、――そう、私と同じ誕生日なんですよ!――彼の今まで見たものが全部写っているんじゃないか、ってくらい深い青色の目をしていて、肩まであるブロンドで、ちょっと癖っ毛なんですけど、とにかくすごく素敵な方で、そう、すごく優しいんです! とっても優しくて、それから――――っと、ごめんなさい、つい余計なことまで。
えっと、どこまで話したんでしたっけ。あ、まだ自己紹介まででしたか。そう、ですねえ、どこからお話ししましょうか。早く昨日のことをお話ししたいんですけど、いきなりそこからじゃ何がなんだか分かりませんものね。じゃあ、私がこの家に来た時のことから順番に話していきますね。
その時のことは私、あまりよく覚えていないんですが、聞いた話によると、私がやっとお母さん離れできたような頃に、余所のお宅からここにもらわれてきたらしいです。
しっかりとした記憶があるのは、今から大体二年位前、私が一歳になった頃からですね。その時のクルト様は……えっと、十五歳、ですか。私が言うのも何ですが、まだ少し幼さの残る顔立ちをしていました。いや、それでもその頃から素敵な方で、綺麗な目をしていましたよ。
その頃のクルト様は、本当によく私と遊んでくださいました。クルト様は私に色々なおもちゃを持たせてくださいましたし、毎日ご飯も用意してくださいました。寒い時も暑い時も、毎晩一緒のベッドで眠りましたし、暇があれば私を抱きしめて、頬を寄せてくださいました。クルト様の頬は私より少しだけ涼しくて、優しい匂いがして、私はそうされる度に幸せな気持ちになりました。
そうそう、おもちゃといえば、クルト様は私と猫じゃらしで遊ぶのがお気に入りだったようでした。
私がクルト様のお側に寄っていくと、クルト様はいつも決まってアレを取り出して、私の鼻をくすぐるんです。例えどんなに眠くても、どんなに疲れていても、アレを見ると追い掛け回さずにはいられないんです、私。いくら掴んでもするすると手から抜けていくアレを巧みに動かしながらクルト様は、それにじゃれる私を見て、可愛いなあ、って言って笑ってくれるんです。そんな日の夜は私、嬉しくて特別クルト様のお側に擦り寄って眠りました。
――まあ、でも今考えると、ちょっと複雑な気分になりますね。可愛いだけじゃないんだから、なんて。自分でいうのも何ですけど、ウエストからヒップにかけてのラインなら少し自信あるんですから。ふふ、ごめんなさい変なこと言って。
その次の年位からでしょうか。クルト様の様子が少し変わったんです。 具体的には、家にいる時間が少なくなってしまったんです。
何があったのかよく分かりませんが、何やら色々と忙しくなったみたいでした。朝は私が起きる前に出て行って、夜は私が寝た後に帰って来るようになってしまいました。お父様がお休みの日も、です。たまに家にいる時は大抵眠っているか、ご飯を食べているか、髪を整えているかで、私とも遊んでくれなくなってしまいました。
その時に初めて気付いたんですけど、猫じゃらしって、一人で遊んでもちっとも面白くないんですね。
竿の先に着いた毛むくじゃらをいくら独りで追い掛け回してみても、いつか買っていただいた鼠のおもちゃを弾いてみても虚しいばかりで……。ご飯の味が、持ってきてくれる人によって変わるのに気付いたのもその頃でした。その頃からご飯はクルト様のお母様が持ってきてくださるようになったのですが、その、今までと同じ筈のキャットフードがどうしても味気無く思えて、残してしまうことも多くなりました。
その頃ですね、自分の気持ちにちゃんと向き合えたのは。クルト様のいないベッドに入るのも申し訳ない、と隣りの部屋のソファで眠っていると、どうしようもなく悲しくなってきて……。いくら寝返りをうっても、クルト様の顔を蹴ってしまうことはなくなりました。それに気付いて起きてしまったクルト様が、手探りで私を撫でてくれることもなくなりました。それが、とても辛かったんです。
やっぱり、私はクルト様のことが……
ごめんなさい、何て言うんでしたっけ。人間の言葉って、難しいです、ね。いえ違うんです違います! 恥ずかしいとかそんなじゃなくて……話、続けますね。
クルト様に、何としてもこの気持ちを伝えたいと思うようになったんです。私のお側にいて欲しい。それだけ伝えたかったんです。でも私は、そんなちょっとしたことを伝えられる術を、何一つ持っていませんでした。ただどうすればいいかわからないまま、月日だけがずるずると流れてゆきました。そうしている間にクルト様はどんどん家から離れてゆき、私はどうしても馴れない独りの夜を幾度も過ごしました。
それからしばらくしたある日のことでした。私はクルト様のお部屋のドアの前に、何をするでもなく座っていました。暇な日はいつもそうです。ただじっとして、クルト様が来ないかとありもしないことにほんの少しだけ期待して、時折うとうとしたりしながら、何時間でもそこに座っているのです。
それで、その日の夕方頃、来たんです、クルト様が。玄関から入ってくる音ですぐに分かりましたよ。クルト様が帰ってくるときは、いつも鍵をちゃらちゃらと鳴すんです。いつも通りの鍵の音と、踵を擦って歩くクルト様の足音がはっきりと聞こえてきました。でも、その日の音は、いつもと少し違いました。もう一つ、聞き慣れない足音があったのです。お母様のより軽い、お父様のより高い音でした。
その主は、クルト様と同じ位の年齢の、可愛らしい女の子でした。
クルト様はそれはそれは楽しそうなお顔をしていました。その左隣りにいる黒髪の彼女はそれに答えるようにクルト様に微笑みかけながら、こちらに近付いて来ました。そしてウエーブのかかった髪をふわりとさせながらドアの前でしゃがみ込んで、私を二三度つつくように撫でてから、クルト様のお部屋に入っていってしまいました。
私は、そのお部屋に入ることが出来ませんでした。動けなかったんです。
彼女の楽しげな笑い声が聞こえない部屋までよたよたと離れてから、さっきと同じようにカーペットの上に座りました。
しばらくぼーっとしてから、私は悟りました。クルト様と私の時間を奪っているのは、紛れもない彼女だ、と。もちろん、クルト様だって家にいない間中彼女といるわけではないでしょう。でも、その中のいくらかを彼女と過ごしているだろうということは、クルト様のあらゆるところから感じられました。
なんというか、とてもショックでした。そして同時に、彼女を羨ましく思いました。彼女と私はどう違うのか考えました。誰でも真っ先に思い浮かべるような安易な結論に走って、克復し得ないそれを憂えるようなことはしたくありませんでした。でも――考えれば考える程、それは『猫と人間の違い』に集約されたんです。そう、克復し得ないものに。
それから毎日思い悩むようになりました。
どうして私は人間ではないのか、どうして彼女は猫に生まれなかったか……そんなことばっかりです。馬鹿らしいと思いますか。私もそう思います。そんなこと考えてもなんにもならないんですから。でも、仕方ないんですよね。
それから、これも本当に馬鹿らしいんですけど、こうも思うようになったんです。
人間になれたらいいな、って。
そうすれば、私も彼女と同じ目でクルト様に見てもらえるのに、って。無理だってことくらい分かってました。でもやっぱり、そう思わずにはいられないんですよね。だから毎日悩み疲れると、人間になったら何をするか考えました。『おけしょう』をしてみたり、可愛らしいお洋服を着たりしてクルト様の前に表れるんです。そうすると私の中では、毎日決まってクルト様は私に一目惚れで、それからはずっと私と一緒にいるんです。でもひとしきり妄想にふけってから瞼を開けると、私のグレーと白の毛で覆われた前足が見えるんです。その度に私は溜め息をついて、どうせ夢物語だ、って眠るんです。今度は夢の中で、なんて少しだけ期待して。そんな生活をずっと続けていました。相変わらずあまりご飯を食べなかったので、結構痩せてしまって、体のラインも貧相になってしまったんですけど、その時はお構いなしでしたね。
で、おととい、ある面白い話を聞いたんですよ。
私は、取りあえずご飯を食べなきゃ、といつも通りリビングに行ったんです。そしたら、私の餌が入っている筈のお皿の中に、何も入っていなかったんです。別に食べないなら食べないで大丈夫なんですが、お母様はきっちりとした方ですので、おかしいな、と思ってリビングを見渡したんです。そしたら、お母様が私の餌を片手に、テレビの前に突っ立っていたんです。私がちょっと後ろから覗き込むと、なんてことはないニュース番組でした。私がなんだ、と思っていると、そのテレビから『今日はみなさんの願いを叶えるチャンスですね』とニュースキャスターの声が聞こえてきたんです。 『りゅうせいぐん』でしたか、それが今夜見られる、というニュースでした。
流れ星に願いをかけると叶う、という話は以前どこかで聞いたことがあったのですが、流れ星って、――テレビで見ただけなんですけど――急に出てくるし、早いし、何より見つからないじゃないですか。だから試すに試せなかったんですけど、そのキャスターの話によると、今夜は何百という流れ星が東の空に見える、というんです。ただの迷信だ、と思っていたとはいえ、そんな風に言われたら試してみたくなるじゃないですか。
その日の夜は、深夜二時まで起きていました。とっても眠たかったんですけど、それ位にならないと流れ星がよく見えない、ってキャスターの人が言うんですもの。私はお父様とお母様の部屋の窓から、同じように窓を覗くお母様の隣りで、頬を寄せるようにしてひょこっと顔を出してみました。
そしたら――生の流れ星はその時初めて見たんですけど、本当に星が流れるんですね。真っ暗な空にビー玉をたくさん転がしたみたいに、星がしゅっ、しゅっ、って。しばらくは願いごとのことなんてすっかり忘れてました。しばらくしてからふっ、と思い出して、人間の言葉で、素早く一回だけ願いごとをしました。『素早く三回唱える』って話も聞いたことがあるんですけど、そんなの早過ぎて無理だったのでなかったことにして、『人間にして下さい』って。
もう分かっちゃいましたかね。そう、次の朝起きたら本当に人間になってたんですよ! 本当ですってば、自分で言うのも何ですけど、結構可愛かったんですから。見せてあげたかったくらいですよ!
だから朝起きたときは本当にびっくりしましたよ。ちゃんと指が五本動いて、寝ていたソファからはみ出るくらい大きくなってて、手足には全然毛が生えてなくて、ちゃんとしゃべれて、とにかく本当に普通の人間だったんです。長めの銀色の髪の毛で、銀色のコサージュの着いた真っ白の柔らかいワンピースで、そう、みんな私の毛の色と同じだったんです。
ただ一つ残念だったのは、相変わらず体が貧相だったことですね。無理してでもご飯食べておけばよかった、って思いました。
さっき言いましたけど、その日はクルト様の誕生日だったんです。うちでは誰かの誕生日は必ず家族全員でお祝いすることになっていましたから、その日はクルト様もお家にいました。ただ私は、家の中で会うのはまずい、と思って玄関前をうろうろしていたので、なかなかクルト様に会えなかったんですね。ご近所の人達に怪しまれたでしょうか。
そんなこんなで夕方になって、パーティが始まりました。
クラッカーの音と、お父様お母様の『おめでとう!』の声がドア越しに聞こえてきました。猫の姿であったならすぐにその輪の中に入っていって、クルト様のお膝の上に乗るのですが、その時私は人間の姿でしたからそんなわけにもいかず、相変わらず玄関でこそこそとしていました。何度か拍手が起こっては止み、楽しげな声も一段落した辺りで、突然クルト様の声が聞こえてきたんです。
「あれ? ミーアは?」
って。その時になってやっと私思い出したんですけど、今日は私の誕生日でもあったんです。そういえば去年、クルト様は私にプレゼントをくださいました。お父様お母様もです。そしてみんなで私にハッピーバースデーのお歌を歌ってくださいました。そう、私、早くお家に入らなければならなかったのです。
お父様、お母様の、私を探す声が聞こえてきました。階段を上がる音やドアを開ける音、とても慌ただしくて、それでもそれぞれ誰の出した音だかだかすぐに分かりました。
――このままじゃまずい。私が焦っていると、玄関辺りからクルト様の足音が聞こえてきました。私は反射的に、ミャアオ、と鳴きました。行方不明だと思われたら大変ですからね。猫の時の喉の使い方を覚えていて助かりました。
「外にいるのか?」
クルト様の声が響きました。私がもう一度ミャアオ、と鳴くと、ドアががちゃっ、と開いて、
「ミーア?」
「あっ!?」
そう、出てこられたら困るんです。いや、もちろん見てもらう為に人間になったんですけど、それまでにはちゃんと段取りとかそういった物があって、こんな風に会ってしまうと、もうどうしていいか分からなくなってしまったんです。
私がどうしようかとどもっていると、クルト様が突然、私に話しかけてきたんです。
「あの、すいません。今この辺りに、アメリカンショートヘアーいませんでしたか?」
ここで、『私です』なんて言えます? 私、本当にどうしていいか分からなくて、あっちに行きましたよ、ってお庭の方を指したりして。多分顔は真っ赤だったと思うんですけど、そんな私にクルト様は、ありがとうございます、って軽く頭を下げたあと、
「そういえば、うちの猫、あなたにそっくりなんですよ。気を悪くしたらごめんなさいね」
って言って、それからすたすたと庭の方へ行ってしまったんです。
クルト様が見えなくなると、私はその場に崩れ落ちてしまいました。怖かったのが半分、緊張したのが半分で、膝ががくっ、と折れてしまったんです。それで――
「ミーア! どこ行ってたんだよ!?」
クルト様の声がして、私は目を覚ましました。クルト様は私を抱き抱えて、私の目をじっと見ていました。――そう、私は、もう猫の姿に戻っていたんです。太い毛むくじゃらの手を見つめながら、私は溜め息をつきました。ああ、やっちゃった、って。
それから私は、猫の姿でパーティに参加しました。クルト様は私に銀色の首輪を、お父様はマタタビを、お母様は鈴の入った鞠をくださいました。パーティがひとしきり終わって、片付けが始まった辺りで、私はクルト様のお部屋に行きました。私には広過ぎるベッドの上に座って、私は呟きました。
「クルト様……」
って。そう、『呟くことが出来た』んです。鳴き声を挙げるときとは、明らかに喉の感じが違いました。多分、人間だった時の喉の使い方を覚えていたんだと思います。私は嬉しくなって、もう一度声を挙げました。
「クルト様!」
って。
とりあえず私の話はこれでおしまいです。
ごめんなさいね、こんなことに付き合わせて。どうしても誰かに話したかったのと、猫の姿のままちゃんとしゃべる練習も兼ねて、と思って。本当に今日はありがとうございました。
そうそう、今日私、ちゃんとクルト様とお話ししてみようと思うんです。ええ、この姿で。やっぱり気持ちはきちんと伝えないと。かなりびっくりされると思いますけど、できる限り頑張ってみます。
心の中ででいいので、応援して下さいね。 |