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浮き船ガーランド・第一部 作者:セオ

序章

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序章1 2599年、マリラ、ミシシッピ河に至りて(挿絵有)

「人類はまだ生きていけるようね。なんという幸い、なんという奇跡!
そして、なんてしぶとい生命力なの」
この年、西暦2599年。
25歳のマリラ・ヴォーはミシシッピ河の船旅の途上、河岸の光景の美しさに震えた。彼女が生まれた頃にはまだ手つかずの再生原野だった土地に、街と農場と大プロジェクトが展開しているのだ。
傍らで同行のリュス・アイランが体を揺すった。
「甦りし不毛の大地が宇宙へ手を伸ばそうとはね。まさにしぶといよ」
春の緑の麦畑が地平線まで広がり、百を数える巨大なカマボコ型の建物は真新しかった。マリラはそれらに目を見張った。
「リュス、信じられる?
150年前の夏、この北米大陸は異常繁殖した耐性カビ菌に覆われたのよ。農業はおろか、全ての産業と人間がここから立ち去ったなんて。大地は封鎖されたわ。誰も戻れなくなって、アメリカ合衆国もカナダもメキシコも国としての形を解体して、とうとう復活しなかったのよ」
それはマリラの曽祖父母が誕生した頃の未曽有の大災害だった。
その後、彼女の祖父母の時代にナノ技術はネット技術と融合した。飛躍的発展を遂げたそれは、この土地を長い時間をかけて不毛の大地から蘇らせつつあった。
地球上でナノマシンの恩恵を受けない土地はどこにもない。地球の環境保全、例えば両極地方の氷の増減にさえナノ技術が使われている有様だ。
50年前からヨーロッパに本部を置く複合NPO「セントル・アメリ」がミシシッピ河中流域を管理していた。その平原で、一大プロジェクトが進んでいた。
軌道エレベーターの組立だ。
それは20世紀に発案され、幾度となく人類の挑戦をはねつけた困難なプロジェクトだった。技術的問題以外にも、国家間の利害やテロや経済状況がつきものとなった。
マリラは同行のルポライター、リュス・アイランと船旅の間中、このプロジェクトの意義について語り合った。
リュスは40代半ばの達観の持ち主で、マリラがパリの大学に席を置きながらカメラマンの仕事を始めた時からの知り合いだ。彼はマリラの政治学レポートをいくつか読み、彼女が人間に絶望感を抱いてるくせに、実は絶望したくない女であることをおもしろがっていた。
「君は幼い時から、紛争の間近で育っている。
人間性というものは状況次第でいくらでも失われることを君は見てきた。
それを認めているのは君の経験と記憶であって、心ではない」
「そうかしらね」
マリラはリュスに話したことがあった。
「私ね、トルコで生まれたの。父の両親はアメリカからの難民で、母はフランス人とロシア人の親を持ってたの。イスタンブール紛争が起きたのは5歳の時よ」
「2579年の北米系難民排斥事件か」
挿絵(By みてみん)
「母の地縁でロシアに逃げたけど、4年後にまたロシア系と移民集団の衝突が始まったの。いつ死んでもおかしくない日々だったわ。
銃弾や地雷に当たるより隣人の密告の方が怖かった。
父は出自を隠し通したわ。偽造身分証を持ち、家族はロシア語しか話さなかった。
私を子供と侮って罠にかけようとした自警団の幹部がいたし、両親を脅して隠し持ってた貴重品を巻き上げる親戚もいた。リンチも裏切りも殺戮も見た。死への恐怖より人間への絶望が辛かった。
人間の敵はまず人間なのよ。生き延びたのは運だけだわ。
脱出の後も忘れる事は出来なかった。体験を整理するには時間が要るのね」
「それでも君は心では人間に可能性を求めている。君にとっての理想、希望的理想だよ。
子供っぽいとは言わないよ、俺は心理学者じゃないんだから。
君はシャッターを切ることで絶望と理想の折り合う地点を探しているような気がするね。
なァ、俺にも絶望してるのかい」
リュスはさりげない冗談が好きだ。マリラは冗談めかして返事した。
「いいえ、尊敬してるわ」
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