彼女は屋上にいた。彼の幼馴染であり、二週間年上の先輩であり、十年前から従ってきた相手で、初恋の相手で、今現在、片想いの相手でもある少女。
小柄で髪は長く、瞳は切れ長で、すっと鼻筋の通っている少し大人びた容姿の美少女だった。
彼女は県立春日台高校史上最高の革命家を自称しており、彼はその彼女の行う革命を助ける第一の側近ということになっている。その革命を具体的に上げると、職員の傀儡と化している生徒会の打倒。校則の抜本的緩和。自由にして開放的な校風の確立。形骸化した儀式・祭典の変革。文化祭・体育祭の活性化及び本格化、巨大化などなど。
「そんな革命家であり多忙な私に何か用かな?」
彼女の言葉に彼は苦笑した。ついさっきまで屋上で昼寝していた人間が何を言うか。
「午後の授業には出たのか?」
「うんにゃ。ストライキした」
「普段からサボタージュしてるくせに」
「うむ、今に私だけロックアウトされてしまいそうだよ」
微妙に変だが、これが最近の二人の会話スタイルだった。
彼女は、この前、政治経済の授業で出た労働用語がやたらと気に入っているらしい。黄犬契約をどこかで使いたいらしいが、今のところ、そういった機会には巡り会えていない。
彼は少し呆れながら鞄の中をごそごそやった。即座に彼女は反応する。瞳をきらきらさせて彼の手元を見つめる。彼は苦笑しながら鞄に入れてあった弁当を渡す。
「今日はお昼無しかと思ったよ。ああ、実際、お昼ご飯は無かったんだが、どうして、もっと早くに持って来てくれなかったのかね?」
「持ってったよ。教室に」
「ああ、それはすまん。私は四時限の体育から、ここでストライキをしていたんだ。次からは教室にいなかったら、ここに持って来てくれたまえ」
何でもないように言うと彼女は男らしく弁当を掻き込み出した。
「留年するぞ」
「何、大丈夫。ちゃんと計算してるから、そんなヘマは犯さないよ」
呆れた彼の言葉に、彼女は少し自慢げに言った。
「それに留年するのもいいかも知れん」
「いいわけないだろ」
彼は呆れ顔で溜息を吐いた。
「でもさ」
そう言って彼女は彼を見る。
「私が留年したら、君と同じ学年になれるじゃないか」
彼女の妙に真面目な顔と口調に彼はやや顔を赤らめ、ふいと顔を背ける。
彼女は、たまにこういう嬉しいことを言ってくれる。彼が彼女に恋心を抱いていることを知ってか知らずか。
彼はポケットの中の小箱を触りながら、一生懸命弁当を消化器官に押し込んでいく彼女を見やる。
この小箱こそが今回の目的だった。数時間遅い昼食を与える為でも、およそ若い男女らしからぬ会話を交わす為でもない。
今をさること、十年前の話である。
ある夏のこと。二人は仲良く夏祭りへと出かけた。勿論、保護者付きだが。
この時、彼は彼女に安っぽい玩具の指輪をプレゼントした。のだが、当時から少し変わっていた彼女は、じっと玩具の指輪を見つめて、ぼそりと言った。
「……ほんものがいい」
幼い頃の彼は今とは比べものにならないほど、純粋にして繊細だった。
初めてのプレゼントが、大好きな女の子に評価されなかったことに大変なショックを受け、気付いたら、翌日になっていた。
この時、彼は心の中で彼女に約束したのだ。いつか必ず、彼女に本物の指輪をあげようと、その時まで愛の告白はするまいと。
それ以来、彼は生真面目にも、その自分の中の約束を守り続け、お小遣いをちまちまと貯蓄し続けた。
当然、小学生ごときの小遣いで買える本物の指輪なぞ無い。結果、彼の密かな試みは十年に及び、高校に入ってアルバイトをしてから、ようやく資金が貯まったのであった。そして、昨日、指輪を買い求め、ついに決戦の春である。
いざ、この時を迎えて、今までの努力の十年間が走馬灯のように脳裏を駆け抜けていく。
初めて宝石店のショーウインドウを覗いた時、桁違うんじゃねーか? と目を疑ったものだ。
我慢しきれず貯金を切り崩してゲームを買ってしまった時、敗北感と罪悪感に苛まれ、彼女の顔が見れなかったこと。
中学の時の教育実習生に惚れかけたこと。
何度も挫折しかけ、時に諦め、時に忘れ、時に弱気になったこの十年。長かった。
彼は、青い青い空を見上げて目の奥が熱くなるのを感じていた。
「おい、どうしたのかね?」
彼女に声をかけられ、彼はどこか遠い所に飛びかけていた自分の意識を取り戻す。
「ぼーっとして、どうした? 君らしくもない。腹が痛いのか?」
「いや、違う。実はな。お前に話がある」
彼は少し真面目な顔で彼女を見る。
「ほうほう。何だね? 何かね? ははーん。それは恋の悩みだな?」
彼女の茶化すような台詞に彼は内心かなり驚く。しかし、感情を隠すのは得意なので、
「あー、遠からず」
と、冷静を装って言う。
彼の言葉に彼女は一瞬きょとんとしたが、みるみる顔を険しくさせる。
「相手は誰だ? 告白されたのか?」
「いや」
「じゃあ、君が好きなのか?」
「あ、まあ」
彼女はかなり真剣な顔でむむむと唸る。
「それは誰かね? 君は私の弟のようなものだ。それを教える義務がある」
彼女の言葉に彼は密かに落ち込む。
彼女にとって自分は「弟」か。恋愛対象外ということだろう。「弟」の地位である自分がいきなり指輪を渡しても困惑されるだけだろう。
それどころか、今のこの心地良い関係が崩壊する危険がある。
彼は肝心なところでヘタレだった。
「それはトップシークレットだ。姉役にも教えられないな」
「そうケチるな。教えたまえ」
「いや、いいんだ」
そう言って彼は屋上から降りて行った。大丈夫。今じゃなくても、いつか渡せばいいさ。
一人残った彼女は憂鬱そうに溜息を吐く。
彼は覚えているだろうか。十年前の夏祭りに自分が言った台詞を。
「ほんものがいい………いつか、ほんもののけっこんゆびわがほしい」
その時の彼女は子供なりの告白台詞に赤面して、彼の反応を見れなかったのだが、生真面目な彼のこと、いつかくれるだろうと彼女は思い信じて、この十年密かにずっと待っていた。
「でもなぁ、十年前のことだしな。こんな昔の思い出で男女が結ばれるのは、今時、少女漫画かアキバ系アニメにしかないのかもな」
彼女はアンニュイな顔と口調でぼやく。その横顔は「恋に悩む少女」特有の憂鬱に彩られていた。
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