血染めの頭巾にご注意を
必要なものは全部で四種。
お婆ちゃんのくれた真っ赤なケープ。
お母さんのくれた緋色のエプロンドレス。
お父さんのくれたブーツと――――猟銃その他諸々。
「うん、これでばっちり」
すべて準備し終えた少女は、狼の棲まう森へと出かけた。
◇◇◇
深いふかい森の中、二つの声が響き渡る。
「狼さーん。うふふふ~、待って~!」
「ぎゃぁぁああああああああああああああああ!!」
片や笑顔で銃を撃ち放つ少女。
片や絶叫と共に逃げ惑う青年。
深々と静まり返る森林を駆け回り、命がけの鬼ごっこをする二人の名は、メイとヴォルフという。
村人から『は』赤頭巾と呼ばれる少女と、人食いもする狼である。
だがしかし、今現在命の危機が到来しているのは狼のほうだった。
「こうして会ったのも運命よ、今日こそ貴方を射抜いてみせるわ!」
言いながら、メイは狙撃銃のシリンダーから空薬莢を排出。少女らしからぬ手際の良さで弾丸をリロード。
それを弾倉に納め、両手でしっかりと長大な銃を構えて、狼を狙う。
銃口が火を噴き、咆哮と共に獲物目掛けて弾を放つ。
「止めてくれぇぇぇええええええもう勘弁してぇええええええええええ!!」
ヴォルフは悲鳴を上げながら、なんとか狙撃を回避。外れた鉛の弾丸は、傍の地面や木の幹に埋まる。
背後から撃たれまくる狼は、何故こうなってしまったのかと、時既に遅き後悔をするのだった。
切っ掛けは、森で彼女を見つけたことだった。
あの頃は兎や鹿を少々狩り過ぎて、満足な食事にありつけなかった。餓死はしないものの妙に中身の空いた腹の具合にうんざりしていたのだ。
そんな時、お婆さんの家を目指す少女の姿を見つけた。
ふわふわと波打つ、チョコレート色の髪。大振りの瞳は殻を向いた姫胡桃と同じ色。クランベリーみたいな赤いエプロンドレスにケープを纏う姿は可愛らしく、瑞々しい薄桃の頬っぺたが美味しそうでもあった。
あの娘はどんな味がするだろう。
きっと、舌が蕩けそうなほど美味しいに違いない。
ヴォルフは口から垂れた涎を拭い、少女に声を掛けた。
「やぁお嬢さん」
「あら、貴方は狼さん?」
特に逃げる様子もなく、狼に応じる少女。
「あぁ、そうだよ。今からどこに行くんだい?」
「どこって、お婆さんのところよ?」
小首を傾げて答える少女の言葉に、ヴォルフは妙案が思い浮かんだ。
「だったら、あそこの花をお土産に持って行ってあげたらどうだ?」
そう行って、彼は茂みの向こうに見える花畑を示した。
「お花を?」
「あぁ。孫からお土産を花を貰えたら、きっと喜ぶぞ」
「お花ねぇ」
口に手を当てて思案する少女を横目に、彼はほくそ笑む。
この純朴そうな少女なら、狼であるヴォルフの言葉を鵜呑みにして道草をするだろう。
その間に自分はお婆さんの家に向かい、彼女を食べて成りすます。
そうして送れてやって来た少女を、パクリと食べてしまうのだ。
我ながら素晴らしい計画にニヤニヤ笑みを浮かべていると、少女は決心したらしい。
「狼さん、素敵な提案ありがとう」
「いやいや、どういたしまして」
「でも、止めておくわ」
ニコニコと愛想笑いで応じた狼だったが、続く言葉に表情を強張らせる。
「ど、どうしてだい?」
「だって、ここにある花を摘むってことは、ここの花を傷つけることになるもの。そんなこと、私、出来ないわ。それに……」
儚げな笑みを浮かべて少女の言葉に、狼は内心で舌打ちした。
ただでさえ腹が減って苛立っているというのに、自分では名案だと思っていた策が台無しになったのだ。彼の腹の虫は悪くなり、頭の中がぐつぐつと煮えたぎるような怒りで満ちていく。
同時に二人食べれると思ってたのに。
なら、せめて、この美味そうな少女だけでも食ってしまおう。
少女がこちらに背を向けて何やらしているのを見計らい、ヴォルフはじりじりと近寄り、大口を開けた。
その牙が脳天に喰らいつかんとする、刹那、
「お婆さんへのお土産は、もっと精のつくものが良いと思うの」
そう呟いた瞬間、少女は勢い良く振り返った。
次いで、目の前が爆ぜた。
「!? ――――……っ」
突然のことに硬直しそうになる狼だったが、冴え渡った獣の勘が危険を察知し、何とか横跳びを行った。
直後、響き渡る発砲音。
「なっ、な――――?」
「あら?」
腰を抜かした狼へと、少女の不思議そうな顔が向けられる。
「避けられちゃった、びっくりだわ。不意をつけたと思ったのに」
首を傾げる彼女の両手に握られていたのは、細長い猟銃。
分解出来るように改良されたそれは今まで、手から提げたバスケットに仕舞われていたのだろう。先ほど背を向けてゴソゴソとしていたのは、猟銃を組み立てていたからだと予想がついた。
なんてことだろう、互いが互いを獲物として狙っていたのだ。
「狼のお肉って癖があるって言うけど、滋養に富んで、特に腰痛に効くらしいから。腰が悪くなってるお婆さんへの、良い手土産になるかと思ってたんだけど……」
語りながら、少女は回転式猟銃のシリンダーを回し、再び構える。
「標的に避けられたのは、初めてだわ。射落とせなかったのに……なんでだろう、すごく嬉しい。わくわくしているの」
「ひっ……!!」
狼は少女――――メイの顔を見て、恐怖で顔を引き攣らせる。
彼女の愛らしい顔には花のような笑みが浮かんでいたが、その爛々と輝く瞳は、ヴォルフたちが苦手とする狩人の眼光だったのだ。
それも、ただの狩人ではない。
「うふふ、今度は当たるかしら? どきどきするわ」
甚振る対象を見つけた、捕食上位者としての目だ。
「それじゃあ狼さん……私と、『遊びましょう』?」
少女の言葉を聞いた途端、彼は意識が遠くなるのを感じた。
その日、ヴォルフはメイがお婆さんの家に行くまでの間、彼女に猟銃片手に追い掛け回されることとなった。
この一件で懲りた彼は二度と、赤い頭巾の少女を襲わないと心に誓った。
――――が、悪夢はその日だけでは終わらなかった。
ヴォルフを獲物と捕らえたメイは猟銃と拳銃、短剣や手榴弾を手にちょくちょく森を訪れ、彼を狩らんと狙って来るようになったのである。
狼仲間に訊いた話によると、メイはあのサバゲー趣味を持つドS狩人の一人娘であり、彼の性癖と戦闘技術を丸々受け継いでいるらしい。
ただ、厳ついムキムキ狩人と違って、見た目は華奢で可憐な少女なのだ。
大人しげで、庇護欲を誘う、慎ましい小花のような娘なのだ。
だがしかし、そんな見た目と裏腹に猟銃を撃ちまくる。
接近すればナイフに持ち替え、蹴りと斬撃で応戦してくる。
なんとか距離を取っても、狙撃で急所を狙われる。
あるいは、先に仕掛けられたトラップが待ち構えている。
こちらの肝を心臓ごと潰さんとするような彼女の攻めっぷりは、紛うことなくあの外道狩人の血を継いでいる。
そんな手段を選らばぬ鬼畜ぶりを発揮する彼女を、狼仲間たちは『血塗れ頭巾』と呼んだ。
狼を完膚なきまでに追い詰めて殺す、毒花のような少女ということだ。
そんな血塗れ頭巾に標準を定められたと聞きた仲間は、心底彼を哀れんだ。
哀れんだだけで、助けてはくれないようだ。
「頼むから他の奴のとこ行ってくれよぉおおおおおおおお!!」
「私、一途な女なの。他の狼と浮気なんて出来ないわ」
「そんな一途さはいらねぇえええええええええええええ!」
つい数ヶ月前まで静寂を保っていた森林は、今日も絶叫と銃弾と爆撃音を轟かせる。
恋に浮かれるような目で猟銃を抱える赤い少女の笑い声と、狙う相手を間違えてしまった狼の悲鳴。
それを訊いたとあるお婆さんは、「青春だねぇ」と微笑んだ。