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第9章 猿蟹合戦
――今度、あの木に実が生る時は、きっと笑顔で出逢えるね…

「んっ…」
 ゆっくりと目を開くのはモンキ。開いた途端に空から差し込んでくる太陽に、モンキが少し目を細める。
「夢…か…」
「どっひゃああっ!!」
「んん〜?」
 急に耳に飛び込んでくる大きな叫び声に、モンキが眉をひそめて起き上がる。
「何やぁ〜?朝っぱらからぁ」
「いつもの感じだよ」
「いつもの感じかぁ〜」
「だっから俺の半径一メートル以内に近づくなって何度言わせたらわかんだよっっ!!お前はぁっ!」
 起き立ての寝ぼけ眼のモンキと、呆れた表情を見せている由雉の見つめる先にいるのは、大声で何やら必死に叫んでいるハチ。
「すみません。ハチの尻尾の触り心地がいいものでついっ」
「ついじゃねぇっ!ついじゃああっ!!」
 軽い笑顔で答える輝矢に、強く言い返すハチ。いつものように輝矢がハチの尻尾を掴んで寝てしまい、起きた途端にそれを発見したハチが一時間気絶した後、この口論に至ったのである。
「もうお前っ!俺の半径二メートル以内も立ち入り禁止なっ!!」
「ええ〜そんなぁ〜」
「当ったり前だろっ!お前、この前俺に何をしたと思ってんだよっ!!」
「この前?」
 ハチの言葉に、輝矢が少し首をかしげる。
「ああ、“接吻”のことですか?」
「ぎゃああっ!!日本語で言うんじゃねぇっ!余計重々しいっ!!」
「じゃあ軽くするためにもう一度しましょうか?」
「するかぁっ!ボケぇぇっ!!」
 輝矢の一言一言に怒鳴りまくるハチ。朝から元気なものである。

「ああぁ〜今日も平和やなぁ〜」
「進歩がないってゆーかね…」
 そんな二人のやりとりを見ながら、まったりするモンキと呆れたように肩を落とす由雉。
「はぁ〜顔でも洗ってこぉかなぁ〜」

――ポロっ…

「……っ?」
 立ち上がったモンキの服のポケットから落ちる、何かの種のような小さなものに由雉が気づく。
「おっとっ」
 モンキはどこか隠すように素早くその種を拾った。
「種?意外だねぇ〜君みたいな自然にまったく興味のなさそうな人間がそんなもの持ってるなんてっ」
「まっ…まぁなっ…」
「……?」
 由雉の言葉に少し笑顔を見せた後、すぐさまどこか悲しげに俯くモンキに、由雉はそっと眉をひそめた。




 御伽界・南東部。“アライグマの街”。
「ギャアアアッ!!」
「……“月器”」
 鬼人が砂となり消え去ったことを確認し、構えていた三日月を元のピアスへと戻す輝矢。今日も街に現れた鬼人をあっさりと退治する。
「最近やっと落ち着いたよなぁ〜看板騒ぎっ」
「そうだねぇ〜まぁ落ち着いてみると、何のお礼もされないってのも悲しいもんだね」
 ついこの前までは羊スケが無断で作った看板のせいで、あらゆる人々から依頼が来た上、いちいち過剰なお礼を受けていたが、それもだいぶ落ち着いてきた。
「お前も可愛い女の子にキャーキャー言われなくなって寂しいんじゃねぇーのかぁっ?サルっ!」
「…んっ?あっああ、せやなぁ〜やっぱバナナの皮は滑りやすいよなぁ〜」
「はぁっ?」
 からかうようにモンキの方を見たハチであったが、モンキがまったく噛み合っていない言葉を返してくるので、思わず顔をしかめる。
「どうかしたのかぁ?サルのヤツっ…」
「よっくわかんないけど、朝、種みたいなの落としてからずっと変なんだよねぇ〜」
「種ぇ?」
 由雉の言葉に、ハチが首をかしげる。
「何だよ?種って」
「知らないよ。ボク、花とか興味ないし」
「……?どうかしましたか?」
 そんないつもと違う空気を出しているモンキを見ながら、ヒソヒソと会話をしていたハチと由雉の元へ輝矢が近寄ってくる。
「えっ?あっ、いやっ…」
「待てぇっ!魚介類っ!!」
『……っ?魚介類っ?』
 輝矢の問いかけにハチが言葉を詰まらせていたちょうどその時、謎の単語が大音量で聞こえてきて、皆が思わず振り向く。
『いっ…?』
 驚きに表情を引きつるハチたち。道の向こうから輝矢たちのいる方へとやって来るのは、横歩きで猛スピードを出している真っ赤なカニが二匹。
「確かに魚介類っ…」
「何でこんな山ん中にカニがいんだろぉ〜?」
「待てっつってんだろうがぁっ!この魚介類がぁっ!!」
 そしてその二匹のカニを追いかけるように、後から走ってくるのは白いハチマキをした三匹のアライグマである。人の言葉を話していることから、この街の住人であるアライグマの獣人であろう。

「クっ…!」
 前を行く目のくりくりした方のカニが、後ろを振り返りながら少し表情を歪める。

「ハチ、カニ鍋は好きですか?」
「ええっ!?食う気っ!?」
 走り込んでくるカニを見ながらの輝矢の問題発言に、ハチが大きくリアクションを取る。

「うわああああっ!!」
「……っ!どないしたっ!?チョキ三郎っ!」
 急に叫び声をあげる、後ろを走る方の小ガニ。前を走っていた目クリクリカニの方が勢いよく振り返る。
「姉ちゃんっ…」
 チョキ三郎と呼ばれた小ガニが、深刻そうな表情を姉ガニに向ける。
「いつの間にか縦歩きになってもうたぁっ!!」
「だああああっ!!」
 深刻そうに縦歩きをしているチョキ三郎に、姉ガニが思わずコケる。
「んなもんどっちでもええんやぁっ!とっとと走らんかいっ!ボケぇっ!」
「キャニィッ!」
 怒った姉ガニに蹴られ、悲鳴をあげて倒れ込むチョキ三郎。
「酷いわぁ〜!姉ちゃんっ!そない思い切り蹴らんでもっ…!」
「うっさいっ!だいたいアンタがなぁっ…!!」
「捕まえたぞぉ〜っ!?魚介類っ!!」
『うっ…!』
 カニ姉弟があれこれとモメていると、二匹がいつの間にか追ってきていたアライグマたちに囲まれる。目の前に立ち塞がるアライグマたちに、表情を引きつるカニ姉弟。
「ちょっ…!ちょい待ちやっ!一応逃げたけど、ウチら何も捕まることなんかっ…!」
「この街はなぁっ!山菜でちょ〜有名な街なんだよっ!!」
「おめぇーたちみたいな魚介類にウロチョロされてな、山菜が魚臭くなっちまったらどうしてくれんだっ?」
 必死に訴える姉ガニに、可愛い容姿とは裏腹に悪そうな表情を向けるアライグマたち。
「人探しとうだけやねんっ!!探したらすぐ出てくから、せやからっ…!」
「ソイツは聞けねぇ頼みだなぁっ!」
「うわああああっ!!」
「ねっ…!姉ちゃんっ!!」
 アライグマの一匹が、姉ガニの足を掴んで持ち上げる。
「何すんねんっ!アホグマっ!!ウチは高級食材やぞぉっ!?」
「うわっ…!!」
 姉ガニが自分を持ち上げたアライグマに、必死にハサミを振り回す。ハサミを避けるため、思わず姉ガニを手放すアライグマ。
「何だっ!このカニっ!危ねぇーなぁっ!!」
「はんっ!!」

――ボォォォ〜ンッ!

 姉ガニの全身を白い煙が包んでいく。
『……っ』
「ウチら蟹人はなぁっ!誇り高い一族なんやぁっ!」
 次の瞬間、煙の中から出てきたのは長い赤毛を二つに束ねた、少しキツそうな大きな黒い瞳の、まだ幼さを残した顔立ちの少女であった。十六,十七に見える。背中には大きなハサミを背負っていた。
「そう簡単に捕まったりなんかっ…!」
「姉ちゃ〜んっ!!」
「ああっ?」
 泣きそうなチョキ三郎の声に振り返る姉ガニの少女。と振り返った先には、他のアライグマ二匹に踏み倒され、身動きの取れなくなっているチョキ三郎の姿があった。
「って、何捕まっとんねんっ!ウチの言葉の説得力ゼロやないかぁっ!このアホぉっ!」
「だぁってぇ〜っ」
 怒鳴りまくる姉ガニに、チョキ三郎は潤んだ瞳を向けた。
「弟ガニ踏み潰されたくなかったら大人しくしなぁっ!」
「クっ…!」
 アライグマたちの脅迫に、姉ガニが表情をしかめ、背中のハサミを取ろうとしていた手を下ろす。

「よぉーしっ。さぁーて、とっとと追い出すかぁ。それともカニ鍋にでもしちまうかねぇ?」
「……っ」
「へっ?」
 嫌らしい笑みを浮かべたアライグマの顔面に飛び込んでくる一本の足。

――バギコォォーーンッ!

「ぐぎゃあああっ!!」
『なっ…!?』
 横から振り上げられた足に蹴り込まれ、チョキ三郎の上に乗っていたアライグマが勢いよく吹き飛ばされる。その光景に他のアライグマや姉弟ガニが驚きの表情を見せる。
「ふぅ〜っ」
『……っ』
 少し肩を落としながら、ゆっくりと右足を下ろしたのは輝矢であった。
「てっめっ!いきなり何しやがっ…!」
「……っ」
「ほげええええっ!!」
 輝矢に飛びかかっていったもう一匹のアライグマも、すぐさま輝矢の右足の餌食となった。
「さて…」
「うっ…!」
 最後に残ったアライグマが、輝矢に見られ、思わず後ずさる。
「アライグマ鍋にでも…して差し上げましょうか…?」
「ひいっ!!遠慮しときますぅーーっ!!」
 輝矢の冷たい笑みに、全身の毛を振るい立たせたアライグマが、怯えるように必死に逃げ去っていった。

「ふぅっ…口ほどにもないっ」
「あっ…」
 チョキ三郎が起き上がりながら、戸惑うように輝矢を見上げる。
「あのっ…ありがっ…」
「ハチぃ〜、今夜はカニ鍋ですよぉ〜」
「ええええっ!?」
「食うために助けたのかよっ!?」
 礼を言おうとしたチョキ三郎を持ち上げ、ハチに笑顔を向ける輝矢。チョキ三郎が驚きと怯えの叫びをあげ、ハチが強く突っ込む。
「何やっ…?あの女っ…」
「んん〜っ」
「……?どうしたの?門貴」
 戸惑うように輝矢を見ている姉ガニを見て、何やら考え込むように唸り声を漏らしているモンキ。そんなモンキに由雉が不思議そうに声をかける。
「どうせまた“ズキュン”が来たんだろぉ?」
「ああ〜またたった一度の恋が始まるわけぇ〜?」
「ああっ!!」
『うわっ』
 呆れた表情で言葉を交わしていたハチと由雉が、急に大声をあげるモンキに少し驚く。
二花にかぁぁっ!!」
「えっ?」
 姉ガニを指差し、思い出した様子で叫ぶモンキ。姉ガニが名を呼ぶ声に眉をひそめて振り返る。
「……っ」
 モンキの姿を見た姉ガニが目を見開く。
「門貴っ…」
『へっ?』
 モンキの名を口にした姉ガニ・二花に、輝矢たちは皆、首をかしげた。
「やぁ〜っぱ二花やぁっ!カニん時は判別不能やったけど、その下っ品な話し方でもしかしてって思っ…!」
「このっ…」
 二花が背中の大バサミに手をかける。
「クソザルがぁぁっ!!」
「へっ?うわわわわっ!!」
 いきなり大バサミを手に取り、モンキへ向けて思い切り振り下ろす二花。モンキが驚きながらも素早く避けるが、二花は次々とハサミを振っていく。
「いっ…!いきなり何すんねんっ!!」
「どんだけ人がっ…!ってかカニが探し回た思てんねんっ!食われそうになるし、責任とりやぁっ!!」
「はぁっ!?ようわからん理由でハサミ向けんなっ!ボケぇぇっ!!」
「うっさいっっ!!今日という今日はサルの串焼きにしたるわぁっ!!」
『……。』
 威勢のいい関西弁を飛ばしあいながら、戦いを繰り広げていくモンキと二花。というか二花が一方的に攻撃しているだけなのだが、輝矢たちが呆れた表情で見つめる。
「何々だっ…?一体っ…」
「さぁ…?」
 ハチの問いかけに、輝矢は首をかしげた。




 三十分後。アライグマの街・すぐ外の山道。
「痛てててててっ…」
 右腕に負った切り傷を見ながら、表情を歪めるモンキ。
「はいっ、塗り薬ぃ〜」
「ええっ?“癒羽”はぁ?」
「もったいない」
「ぎゃいぃぃーんっ!!」
 キッパリと答える由雉に、ショックを受けるモンキ。
「で、あなた方は一体、どこのどなたなんです?」
「あっ!はいっ!申し遅れましたぁっ!」

――ボォォォォ〜ンッ!

 輝矢に問いかけられたチョキ三郎の体を白い煙が包んでいく。
「俺っ、蟹人一族の蟹江かにえチョキ三郎っていいますぅっ!」
 煙の中から現れたのは、赤毛の短髪に大きな黒目のまだ幼い、十四,十五歳の少年であった。優しい笑顔のよく似合う、小柄な少年。二花同様、背中に大きなハサミを背負っている。
「あっ、こっちは姉の蟹江二花ですぅ〜」
 チョキ三郎が不機嫌面でそっぽを向いている二花に手を向けながら、笑顔で言う。
「門貴さんとは生まれた村が近くってぇ、まぁいわゆる幼なじみといいますかぁ〜」
「まぁ別にサルの生い立ちに興味はありませんが」
「そんなぁ〜っ!冷たいでぇっ!輝矢ぁぁ〜んっ!」
「……っ」
 輝矢に泣きつくモンキを見て、二花が少し眉間に皺を寄せる。
「アンタっ」
「……?」
 急に立ち上がり、輝矢の方を睨みつけるように見る二花。そんな二花に輝矢が少し眉をひそめる。
「アンタっ…門貴の何やっ?」
「はいっ?」
 二花の思いがけない問いかけに、表情をしかめる輝矢。
「何って…」
「そらもちろんっ!恋びっ…!ふぎゃあああっ!」
「“飼い主”です」
 笑顔で答えようとしたモンキを踏みつけ、輝矢がさらりと答える。
「“飼い主”っ…?」
 輝矢の答えを聞いた二花が、上を見上げて妄想を膨らませる。




――二花の“飼い主”のイメージ。

「ふぅ〜っ…今日も長旅で疲れましたねっ…」
 夜も暮れた頃、今日の旅を終えて地面に座り込む飼い主・輝矢。
「おみ足をお揉みしましょう。輝矢様」
 一日歩き通しで疲れのたまっている輝矢の足を、そっとマッサージするペット・門貴。
「ああ、ありがとうございます。門貴」
「いえっ、輝矢様のお足に触れさせていただけるだけで私は光栄ですから」
「フフっ…アナタは正直ですね…」
 門貴の言葉に、輝矢がそっと微笑む。
「今夜は冷え込みますかね…」
「よろしければ私がずっとお傍におりましょう…」
 門貴が輝矢の手を取り、輝矢を見つめる。
「貴女が眠りにつくまで…」
「それはいい夢が見れそうですね…」




「ぎゃああっ!何が“サルの抱き枕”やぁ!エロいっ!エロいわぁっ!飼い主とペットっ!」
「何、想像してんだかね…」
 自分の妄想内容に苦悩し、叫び声をあげる二花に、由雉が冷たい視線を送る。
「やめて下さいよ。私はそんなこと、ハチとしかしません」
「しねぇーよっ!!」
 輝矢の言葉に、ハチが全力で突っ込む。
「ぐううううっ…!おのれっ…飼い主とペットぉっ…!!」
「姉ちゃんっ、姉ちゃんっ!」
「何やぁぁっ!?」
「ひいっ!」
 未だ妄想に苦悩する二花にチョキ三郎が声をかけるが、二花に強く睨みつけられ、思わず震え上がる。
「それより早くっ…本題にっ…」
「ああああっ!!そうやったぁぁっ!!」
 チョキ三郎の言葉に、思い出したように叫び声をあげる二花。
「ウチら、アンタを探して遠路遥々“蟹の村”からやって来てんっ!!」
「蟹の村?」
「俺を探してぇ?」
 二花の言葉に首をかしげるハチとモンキ。
「何やぁ?二花、お前結婚でもするんかぁ?あっ、そんなわけないかぁ〜誰も貰てくれへんもんなぁ〜」
「……っ」
「あっぎゃああああっ!!」
 フザけた口調で話すモンキが、顔を引きつった二花に容赦なく殴り飛ばされる。

「一体っ…何があったんでごさいまひょ…?」
 右頬を大きく腫らして、改めて問いかけるモンキ。
「…“猿蟹合戦”が始まったんやっ!」
「……っ」
『猿蟹合戦〜っ?』
 輝矢たちが聞いたことのない不可思議な言葉に首をかしげる中、モンキが表情を一変させる。
「何だぁ?それっ」
「サルとカニがパン食い競争するんじゃないですか?」
「何でパン食い競争なのさ…」
「何てこっちゃあああっ!!」
『うわっ』
 輝矢やハチ、由雉が暢気に言葉を交わす中、耳が痛むほどの大声を放つモンキに、皆の視線が集まる。
「そりゃ大変やぁっ!!」
「せやねんっ!とりあえず大変やねんっ!!」
「えっ…?そんな大変なことなのか…?猿蟹合戦て…」
 かなり焦った様子のモンキと二花に、戸惑うように呟くハチ。
「さぁっ!そうとわかったら、とっとと蟹の村へっ…!!」
「でもなぁ〜」
「へっ?」
 気合を入れて走り出そうとした二花が、やる気なく話すモンキに目を丸くする。
「俺、今そういう気分やないってゆ〜かぁ〜」
「……っ」
 モンキの言葉に、二花の血管がブチ切れる。
「つべこべ言っとらんとっ!死にたくなかったら付いて来いやぁっ!!」
「あっきゃああああっ!!」
 二花に尻尾を掴まれ、無理やり連れ去られていくモンキ。

「あっ!待ってよっ!姉ちゃ〜んっ!」
「さらわれていくけど…どうすんの?輝矢」
「んん〜っ」
 モンキを連れ去っていく二花の後を慌てて追っていくチョキ三郎。取り残される形となった由雉が、横にいる輝矢に問いかけると、輝矢は少し考えるような声を漏らした。
「まぁとりあえずあのサルのことはキレイサッパリ忘れて、旅の続きをっ…」
「だああああっ!!」
「へっ?」
 やけに遠くの方から聞こえるハチの悲鳴に、輝矢が眉をひそめる。

「離せっ!離せよっ!クソザルっ!!」
 ハチは二花に尻尾を掴まれ連れて行かれているモンキに尻尾を掴まれ、間接的に連れ去られようとしていた。
「何で俺まで巻き込まれなきゃいけねぇーんだよっ!!」
「お前でも連れてこな、輝矢が付いて来んやろがっ」
 怒鳴りあげるハチに、わりと冷静に答えるモンキ。

「あのクソザルっ…」
「で…どうすんの?」
 拳を握り締める輝矢に、由雉が改めて問いかける。
「まぁたまにはペットの里帰りに付き合ってやるのも悪くありませんねっ。行きますよ?キジっ」
「……。」
 足早にモンキたちの後を追いかけていく輝矢の姿に、少し呆れた顔を見せる由雉。
「桜時がさらわれなきゃ…絶対、行かなかっただろうな…」
 輝矢に遅れるように歩きながら、こっそりと呟く由雉であった。





 御伽界、南西部・“柿之木山”。山の中腹に一本だけ、何とも巨大な柿の木が立っていることからその名が付いたと言われている。
 柿之木山・中腹。柿の木平原。

「来たぞぉっ!!サルたちだぁっ!!」
「防衛体制を取れぇぇっ!柿の木より先、山を下らせるなぁっ!!」
『うおおおおっ!!』
 中腹に立つたった一本の柿の木を中心として、言葉をしゃべる多くカニたちが列を作るように広がっていく。カニたちの表情は緊張感が走っており、その鋭いハサミを構えていた。

移貴うつき猿長っ!」
 一方、中腹より頂上側で、列を成していくカニたちを見下ろすのは、こちらも言葉を話すサルの軍団。その軍団の先頭へ、柿の木のカニたちの様子を見ていた子ザルが戻ってくる。
「カニたちはみんな、いい感じに赤色でしたぁっ!!」
「誰がんな報告しろ言うたんやっ…?猿飛…」
 胸を張って報告する子ザルを、冷たく睨みつける一匹のサル。黒ブチメガネをかけ、他のサルとは違い、真っ赤な法被を着たサルである。軍団の先頭に立っていた。
「陣形とか数とかあるやろ?」
「ああ〜それならよう見えませんでしたぁっ!」
「……。」
 明るく答える子ザル・猿飛に、言葉を失うメガネザル・移貴。
「カニはんなら、柿の木辺りで防衛線張っとうみたいやでぇ?」
『……っ』
 移貴の横に立つ、少し目つきの悪いチンパンジーが移貴に笑いかけると、移貴と猿飛が少し表情をしかめた。
「パン児っ、お前、こっからでも柿の木見えるんか?」
「ウチの視力は五.〇,五.〇どすえぇ?猿飛はんっ」
 不思議そうに問いかけた猿飛に、パン児は笑顔で答えた。
「ほなっとっとと行きまひょかぁ〜猿長はんっ」
「……。」
 不適な笑みをこぼす男を移貴が鋭く見つめ、そして前を向いて高々と右手を挙げた。
「全サルっ!!合戦用意っ!!」
 移貴が下方に見える柿の木を指差し、強く叫ぶ。
「今日こそカニどもを蹴散らしてやれぇっ!」
『ハイウッキぃーーっ!!』
 サルたちが棒やら剣やらを構えて、我先にと柿の木の方へ横歩きしていく。

「サルたちが来たぞぉっ!!迎え撃てぇぇっ!!」
「カニの誇りを見せ付けろぉぉっ!!」
『うおおおおっ!!』
 サルの軍団とカニの大群が、山の上と下から一斉に走り出していき、やがてぶつかり合っていく。
「おりゃああああっ!!」
「ぎゃああああああっ!!」
「こっのおおっ!」
 カニたちが強くそのハサミを繰り出せば、サルたちは素早い身のこなしでそれをかわす。サルたちが鋭く武器を突き刺せば、カニたちはその硬い甲羅でそれを受け止める。

「……。」
 サルの大群の後方から、厳しい表情で戦況を見つめる移貴。
「温いっ…温いなぁっ…」
 パン児が、戦況を見ながら冷たい表情を浮かべて呟く。
「どっちも相手を殺さんよぉ〜う、気ぃつけて気ぃつけて戦こうてるっ…なんちゅ〜退屈な戦いやろかぁ」
 鬱陶しそうな表情を見せながら言葉を続けるパン児。
「そう思わはりまへん?猿長はんっ…」
「……っ」
 問いかけるパン児に、移貴が少し目を細める。
「わいやったら…一瞬でカニどもみぃ〜んな蹴散らしてやりますのにぃ〜なぁ?」
「……前へ出ていいぞ、パン児」
「なっ…!」
 含んだ笑みを向けてきたパン児に、前線へ出る許可を出す移貴。移貴のその言葉に、移貴の猿飛が驚きの表情を見せる。
「移貴さんっ…!何をっ…!」
「ありがとうございますぅ〜ほなっ」
「あっ…!」
 移貴に温かみのまったくない笑顔を向けて、素早く前線へと行ってしまうパン児。移貴に異議を唱えようとしていた猿飛が、去っていくパン児に表情をしかめる。
「移貴さんっ!なんであんなことっ…!」
 猿飛が責めるように移貴を見る。
「アイツがどういうヤツやか移貴さんもわかっとるでしょっ!?アイツまたカニたちをっ…!!」
「堪えろ…猿飛っ…」
「……っ」
 移貴の低く重い声に、猿飛が思わず言葉を止める。
「今はとにかく堪えるんやっ…」
「移貴さんっ…」
 そう呟いた移貴は、確かに何かを必死に堪えているような厳しい表情を見せていた。
「ぎゃああああっ!!」
「うがああああっ!!」
「……。」
 勢いを増すサルたちの攻撃に、カニたちは徐々に押され、サルたちの前に次々と倒されていく。
「これが…猿蟹合戦…かつて“聖戦”と呼ばれ…サルとカニが一族の誇りを持って挑んだ戦いか…」
「がぁーはっはっはっ!きかねぇーなぁっ!カニどものちゃっちいハサミなんかぁっ!」
「とっととくたばりやがれぇっ!!薄汚いカニどもがぁっ!!」
 かつては誇りと呼ばれた聖戦も、今はただの醜くて汚い争い。
「今のこの戦いを見たら…お前はどう思うんやろな…」
 移貴はどこか遠い瞳で呟いた。

「ぐはあああああっ!!」
 サルの飛び蹴りを喰らい、カニがその場に倒れ込む。
「よしっ、次にっ…」
「何言うてはりますのぉ?」
「……っ?」
 カニを倒したサルが他のカニと戦いに行こうとした時、そのサルの前へと現れたのはパン児であった。
「パン児さんっ…!」
 パン児を見たサルが、少しかしこまって背筋を立てる。
「まだ動けるでっしゃろぉ?そこのカニっ」
「えっ?」
 パン児の言葉に、サルが目を丸くする。
「いやっ、でもっ…あれじゃあ、しばらく立ち上がることもっ…」
「甘いどすなぁ〜」
 サルの言葉を遮り、パン児がゆっくりと首を横に振る。
「もしあのカニが根性で立ち上がって、背中向けたあんさんを後ろから突き刺したらどないするんどすぅ?」
「そっ…それはっ…」
 パン児に突き刺さるような瞳を向けられながら問いかけられ、サルは言葉を詰まらせて俯く。
「こういう時はぁ…ちゃんと二度と動けんようにしていかんとっ…」

――ボォォォ〜〜ンッ!

 パン児が白い煙に包まれると、チンパンジーから茶髪に長身の若い男へと姿を変える。
「……っ」
「……っ!ひぃっ!」
 倒れているカニに向け、冷たく笑うパン児。倒れているカニが恐怖に顔を歪める。
「たっ…助けてくれカニっ…!」
「そういう命乞いはっ…」
 パン児が腰に下げた長い剣を抜く。
「言葉の通じる人間にするもんどすえっ…?」
「ひいいっ!!」
 パン児が笑顔でカニに剣を振り下ろす。

――パァァァーンッ!

『……っ!』
 カニへと振り下ろされた剣を止める何か。移貴や猿飛、周囲のサル・カニたちが思わず目を見張る。
「……っ」
 少ししかめた表情を上げるパン児。
「随分と活きのええヤツやなぁ〜」
 そう言ってパン児へと笑いかけたのは門貴であった。パン児の剣を止めたのは、門貴の構えた如意棒である。
「あんさんは…」
「門貴っ!?」
「……?」
 パン児が眉をひそめて剣を引き、門貴を見つめる中、近くのサルが大声で門貴の名を呼ぶ。
「門貴っ!?」
「門貴って…元・猿長のっ…!?」
 カニたちを圧倒していたサルたちが、皆、門貴の名を呼び、門貴の姿に目を見張る。
「何々ぃ〜?門貴ってばもしかして凄いおサルさんだったのぉ〜?」
「これだけいればカニ雑炊も食べれますね」
「とりあえずカニに食べる以外の用途を持てよ」
 門貴に遅れるようにしてその場に現れる輝矢たち。場違いなテンションを醸し出す由雉と、カニを食べることしか考えていない輝矢に、呆れた表情を見せるハチ。
「大丈夫かっ!?アンタたちぃっ!」
 輝矢たちに続いて、二花とチョキ三郎も戦場の最中へとやって来る。
「二花さんっ!!と、チョキ三郎…」
「二花蟹長っ!と、チョキ三郎っ」
「どうせ俺は姉ちゃんのオマケですよ…」
 姿を現した二花に、倒れ込んでいたカニたちが目を輝かせる。がしかし、チョキ三郎には大して感動しないカニたちの様子に、チョキ三郎が少し拗ねるように呟いた。

「ウチがおらん時に合戦しかけてくるたぁ、どういうこっちゃっ!?移貴っ!!」
 二花がサルの大群の後方に位置どっている移貴を睨みつける。
「アンタっ!そこまで汚なったんかぁっ!?このクソメガネザルっ!!だいたいアンタはなぁっ…!!」
「そんくらいにしとけやぁ〜二花」
「……っ門貴っ」
 戦場の真ん中で怒鳴りまくる二花を、門貴が止めに入る。
「おうっ!ひっさびさやなぁ〜っ!移貴っ!」
「門貴…」
 門貴が明るく手を挙げると、移貴は少し眉をひそめた。
「ほぉ〜元・猿長さんどすかぁ〜」
「……?」
「光栄やなぁ〜そないな方とお会いできるなんっ…」
「全サル、退くでぇっ!」
「何っ?」
 門貴に含んだ笑みを向けようとしたパン児が、急な移貴の命令に、思わず驚いた表情で振り向く。
「ここまで来て何をっ…!」
「退くもんは退く。猿長命令やっ!全員、とっとと山登りぃっ!!」
「……っ」
 異議を唱えようとしたパン児を強い口調で黙らせ、再び命令を出す移貴。移貴の言葉に従い、全てのサルが戦いをやめて山を登っていく。
「チっ…」
「……っ」
 パン児は舌打ちをすると剣を納め、他のサルとともに山を登っていった。

「ちょい待ちやぁっ!移貴っ!話はまだ済んでへんでぇっ!!」
「……。」
 他のサルたちを従えて、山の頂上に戻って行こうとする移貴を、二花が大声で呼び止める。すると移貴は山を登っていくサルたちの中で1匹足を止め、ゆっくりと二花や門貴の方を振り返った。
「移貴…」
 門貴がまっすぐに移貴を見つめる。
「これはどういうこっちゃ?このインテリザルっ」
 門貴が少し表情をしかめて言い放つ。
「何でこんな、面白半分に相手傷つけるような合戦なんかっ…」
「……。」
 門貴の問いかけに少し下を向く移貴。
「カニどもグサボロにするなんて、お前のキャラちゃうやろ?勉強しすぎて頭おかしなったんちゃうかぁ?」
「……お前は相変わらず伝染しそうなアホ面だな」
「んやとぉっ!?」
 移貴の言葉に、門貴が怒りを見せる。
「だいったいお前、サル山の大将やるガラちゃうやろぉっ!?お前、昔っから俺の後付いてばっかでっ…!」
「村捨てたお前には関係のないことやっ」
「……っ」
「村をっ…捨てた…?」
 冷たく言い放つ移貴。その移貴の言葉に、輝矢たちが眉をひそめる。
「二度と俺らの前に姿見せんなっ」
「移貴っ…」
 門貴を睨みつけるように見ると、移貴はすぐさま視線を逸らし、他のサルたちの後方から山へと登っていった。
「あっ…!移貴さんっ…!……っ」
 猿飛が門貴に一礼して、移貴の後を追って山を登っていく。

「待たんかいっ!このクソメガネぇっ!!こっちの話は終わってないねんぞぉっ!!」
「まぁまぁ姉ちゃんっ、とりあえず合戦は終わったんやしぃ、こっちには怪我しとるカニもおんねんからぁ」
 山を登っていく移貴に飛びかかりそうな勢いの二花を、何とか必死に宥めるチョキ三郎。
「そうそっ、とりあえず毛ガニ…じゃなくって怪我人、どうにかしようぜっ」
「うわぁ〜オヤジギャグ〜」
「寒くても愛してますよ、ハチ」
「うっせぇなぁっ!咄嗟に出ちまったんだよっ!お前らも倒れてるヤツに手貸してやれっっ!」
 近くで倒れているカニを起こしてやりながら、ハチが輝矢と由雉に怒鳴りあげる。
「こんなカワイイボクの手を煩わせるんだから、ちょ〜っとイイものお返ししてよぉ〜?」
「今晩のおかずになってもいいと言うのなら助けて差し上げましょう…」
『ひぃぃ〜っ!』
「そんくらい無償で助けてやらんかぁっ!!」
 倒れているカニ相手に強請る由雉と脅迫する輝矢に、またもやハチが怒鳴りあげる。

「ほれぇ〜っ、大丈夫かぁ?」
 門貴が倒れているカニへと手を差し出す。
「触るなカニっ!!」
「……っ」
『……っ!』
 倒れているカニが強い口調でそう言い放ち、差し出された門貴の手をハサミで勢いよく切り裂いた。輝矢や二花たちが驚いて目を見開く。
「卑怯で汚いサルがぁっ!!」
「そうやそうやぁっ!お前、前の猿長やろぉっ!?」
「アイツらの仲間なんちゃうカニぃっ!?」
「なっ…!」
 門貴に次々と冷たい言葉を浴びせるカニたちに、二花が戸惑うように周りを見回す。
「やめぇーやっ!アンタたちっ!門貴はなぁっ…!!」
「ええって、二花」
「……っ!」
 門貴を庇うように声をあげた二花を止めたのは、穏やかな笑みを浮かべた門貴であった。
「コイツらの言い分も当然やでぇ〜俺、サルやしっ、まぁ何せめちゃめちゃ有名な猿長やったからなぁ〜」
「……っ何をっ…!」
「ここはお前や輝矢んに任せるわぁ〜ついでに輝矢んに茶ぁ〜でも出したって。俺は散歩してくるからっ」
「あっ…!ちょっ…!待てやっ!門貴っ!!」
「ほんならまたなぁ〜輝矢んっ」
「門貴っ!!」
 二花の話をろくに聞かずに、門貴は笑顔を見せたままあっさりとその場から去っていった。
「もぉ〜っ!何なんやっ!アイツはぁっ!!」
「……。」
 怒鳴る二花の横で、輝矢は少し表情を曇らせた。





 柿之木山の麓、海にも程近い場所に、二花たち蟹人の村・“蟹の村”があった。
 猿蟹合戦でサルに傷つけられたカニたちを村まで運ぶのを手伝った輝矢たちは、そのまま二花とチョキ三郎の家“蟹江家”へと案内された。蟹江家は村でも一番古く立派な木製の屋敷であった。
「あのキジの羽根、凄いなぁ〜もうほとんどの怪我人治ってたわっ」
 輝矢たちの案内された畳の部屋に、背中のハサミを下ろし、軽装に着替えた二花が入ってくる。
「ええっ、そこだけがペット価値ですから」
「何だっ、ペット価値って…」
 笑顔で答える輝矢の横で、呆れた表情を見せているハチ。由雉はカニたちの怪我の治療に借り出され、チョキ三郎とともに兵舎の方に行った。
「これならまたアイツらが合戦仕掛けて来ても防げそうやな…」
『……っ』
 暗い表情を見せながら座る二花に、輝矢とハチ眉をひそめる。
「で…“猿蟹合戦”というのは一体、何なのですか?」
「えっ?あっああっ…せやな。まずそっから話さんとな…」
 二花が少し笑みを零して頷く。
「“猿蟹合戦”ゆぅんはウチら蟹人である蟹江一族と、猿人である猿川一族が大昔っからやっとる聖戦でな…」
「聖戦っ?」
「随分と大袈裟ですね」
 二花の言葉にそれぞれ呟くハチと輝矢。
「毎年、柿之木山の柿の木ぃに実が生っとう間だけ、あの場所で一族の兵士たちが合戦をやるんや」
 二花が言葉を続ける。
「蟹軍と猿軍、それぞれの大将を“蟹長”・“猿長”言うてなぁ、今の蟹長がウチ、ほんで今の猿長ってのが…」
「さっきのメガネをかけた、いかにも賢いですよと言わんばかりの男の方ですね」
「せやっ。あのクソメガネは猿川移貴っ。ウチと一緒で今年から猿長になっとる…」
 少し表情を曇らせ、ゆっくりと俯いていく二花。
「猿蟹合戦は…一族の誇りを賭けたカニとサルの力比べ…やってんけどなぁ…」
『……。』
 悲しげに呟く二花を見て、少し俯く輝矢とハチ。
「やったのに…あんのクソメガネザルがぁっ!!」

――バギコォォォーンッ!

「だあああっ!!」
 怒りのあまり自分の家の壁を肘で砕き割る二花に、ハチが目を見開いて驚く。
「今年んなっていっきなり力比べどころか殺し合いみたいな合戦仕掛けてきよってからにぃぃぃっ!!」
「今年になって急に…?」
 二花の叫び声に、輝矢が眉をひそめる。
「何考えとんねんっ!あのアホがぁぁっ!!」
「まっまぁ落ち着けよっ!」
 暴れ散らす二花を何とか止めようとするハチ。
「何か理由があんのかも知れねぇーしっ…!」
「理由っ!?」
「うっ…!」
 二花に睨みつけられ、ハチが思わず後ずさる。
「理由て何やぁっ!?急にカニ鍋が食いたくなったとでも言うんかぁっ!?ああっ!?」
「そうかも知れませんねぇ」
「ああっ!?」
 さらりと答える輝矢に、二花がさらに表情を引きつる。
「おっおいっ!何、火に油的なこと言っ…!」
「もしくはぁ〜何者かにそうするよう仕向けられてるとかぁ〜」
『……っ』
 鋭い瞳で言い放つ輝矢に、ハチと二花が一瞬で表情を固くする。
「仕向け…られてるっ…?」




 柿之木山・頂上。“猿の村”(門貴の故郷)。村中央部・“猿川”の屋敷。
「今日はもう出陣することもないやろ。各サル、家に戻ってしっかり休みっ」
『了解っキィーっ!!』
 屋敷の庭で移貴がそう指示を送ると、サルたちが揃って敬礼し、屋敷を出てそれぞれの家へと戻っていった。その場に移貴と猿飛、そしてパン児が残る。
「猿飛、お前も部屋で休みぃ」
「あっ、でもっ、ちょっと話がっ…」
「おんやぁ〜?これは随分とお早いお帰りやのぉ〜」
「……っ」
 猿飛が移貴に話をしようとした時、屋敷の中から聞こえてきた、間延びした高い声に、移貴が鋭い表情となって振り返る。

「そんなに早くカニどもを片付けられはったんかのぉ?」
粒栗つぶくりっ…」
 移貴の振り返った先に立っていたのは、大きな顔に先の尖ったセンスのない髪型をした、麻呂眉にいやらしいたれ目の中年男であった。粒栗の姿を見た移貴は、どこか憎しみのこもった鋭い瞳となる。
「いやはやっ、さすがは天下の猿川一族の猿長さんっ」
「ちゃいますよぉ〜粒栗はんっ」
 横から口を挟んだのはパン児であった。
「んん?ちゃうとはどないゆうことかのぉ?パン児ぃ〜」
「猿長はん、合戦の途中で退いて来たんですわぁ〜何でもぉ前の猿長とかいうお人が現れてぇ」
「退いた…?」
 パン児の言葉に、粒栗が麻呂眉をひそめる。
「お友達ザルはんとの再会でぇ、気持ちが鈍ったんどすかねぇ〜」
「ちゃうっ!」
 悪戯っぽく微笑むパン児の言葉に、移貴が思わず声を荒げて否定した。
「蟹長も合流したしっ…あのまま攻め込んでもコッチが戦力消耗するだけや思たからやっ…」
「ホンマでっしゃろかぁ〜?」
「……っ」
「パン児っ!お前っ…!」
「まぁ良い」
『……っ』
 移貴の言葉を疑うように言うパン児に、移貴が顔をしかめ、猿飛が思わず声を出したが、粒栗の言葉に三人が動きを止めて粒栗の方を向いた。
「マロは終わったことに興味はないでなぁ」
 粒栗が右手に持っていた扇子を広げ、自分の口元に当てる。
「次はカニども倒してくれるんやろのぉ?猿長はんっ…」
「……。」
 試すように笑う粒栗に、顔をしかめる移貴。
「当たり前やっ…」
 そう言い放って、移貴が粒栗とパン児に背を向け、屋敷の中へ入って行こうとする。
「気ぃ付けることや」
「……っ」
 粒栗の声に、足を止める移貴。
「あんまり勝手されるとぉ、マロたちも勝手なことをやらねばならなくなるからのぉ。ホッホッホっ」
「……っ!」
 粒栗の笑い声に、移貴が歯を食いしばり、拳をきつく握り締める。
「わかっとるっ…」
「あっ…!移貴さんっ…!」
 言い捨てるようにそう呟き、屋敷の中へと去っていく移貴。猿飛も少し慌てるようにして移貴の後を追って、屋敷の中へと入っていった。屋敷の庭先に粒栗とパン児だけが残る。

「でぇ、様子はどうかのぉ?パン児…」
「あんまりよぅないですねぇ」
 改めて問いかける粒栗に、パン児は少し表情をしかめて答えた。
「あの前の猿長とかいうサル…ウチらの計画には少々邪魔かも知れまへん…」
「そうか…可愛いおサルさんたちだけではこの辺りが限界なんかも知れんのぉ…」
 粒栗が扇子を閉じ、瞳を冷たく尖らせる。
「邪魔が入る前に…早目に手を打とうかのぉ…」
 どこか含んだような怪しげな笑みを浮かべる粒栗であった。




「移貴さんっ…!移貴さんっ!!」
「……。」
 猿飛に何度も呼ばれ、猛然と廊下を歩いていた移貴がやっと足を止める。
「何やっ…」
「あっ…」

――ボォォォ〜〜ンッ!

 猿飛の体を白い煙が包むと、次の瞬間十四,十五歳くらいの可愛らしい顔立ちの茶髪の少年が煙の中から出てきた。少年は少し周りを気にするようにして、移貴の傍へと駆け寄る。
「門貴さんにアイツらのこと、伝えましょうっ」
「……っ」
 猿飛が小声で呟くと、移貴は少し顔をしかめた。
「門貴さんならきっと何とかしてくれっ…!」
「あかんっ!」
「……っ!」
 強く否定する移貴に、猿飛が思わず言葉を止める。
「何でですかっ?門貴さんならっ…!」
「門貴には頼らんっ」
「……っ」
 移貴が猿飛の言葉をもう一度否定する。

――ボォォォ〜ンッ!

 移貴の体を白い煙が包むと、次の瞬間、黒いメガネをかけた知的な茶髪の青年が現れた。
「アイツはもぉこの村のサルやないっ…アイツらのことは俺らだけで何とかするんや…」
「でもっ…!」
「このこと、門貴には絶対言うなやっ…ええなっ…」
「……。」
 強く睨みつけるように一瞬、猿飛を見て、足早にその場を去っていく移貴。
「何とかなんてっ…もうできへんことくらいっ…わかってはるでしょ…?」
 猿飛が泣き出しそうな表情で俯く。
「移貴さんっ…」




――門貴さんならきっとっ…!――

「……っ」
 猿飛の言葉を思い出し、移貴が苦しそうに胸を押さえて俯く。

――門貴なら楽勝やろぉっ?俺の代わりに頼むわぁっ!なっ!?――
――ったく、しゃーないなぁっ、移貴はぁっ…――

「あかんっ…」
 移貴が強く拳を握り締める。
「俺はもうっ…アイツに頼ったらあかんねんっ…」
 まるで自分に言い聞かせるように呟く移貴であった。





「仕向けられてる…か…」
 輝矢の意味深な言葉を聞き、初めは驚いた二花であったが、何か思い当たる節でもあるように呟いた。
「確かに…その線はあんねんっ…」
「えっ?」
 二花の言葉に、ハチが目を丸くする。
「猿の村に粒栗とかゆー怪しいオッサンが入り込んでから、移貴の様子は明らかに変わった」
「粒栗…?」
「この合戦の始まるちょい前に現れた男やっ。祈祷師とか何とかゆーてたけど、どうなんやかっ…」
「……。」
 二花の言葉を聞き、輝矢が少し考え込むように俯く。
「さっきの合戦時、門貴に止められとった目つき悪い男おったやろぉ?あの男も粒栗と一緒に来たんやっ」
「確かにあからさまに怪しいなっ」
 ハチが険しい表情で頷く。
「おいっ輝矢っ、一回、そのクリつぶとかゆーヤツを調べっ…」
「あんのクソメガネがぁぁっ!!」
「だあああああっ!!」
 またしても急に壁を破壊し始める二花に、ハチが叫び声をあげる。
「こっ…今度は何だぁっ!?」
「いっくら粒栗に利用されとういうたかて、ウチらに言うてくれればいいだけの話やろぉっ!?」
「ひいっ!」
 問いかけたハチに、強く怒鳴りあげる二花。
「それやのに何も言わんと、利用されるがままにウチら攻撃するなんてどういうこっちゃああっ!?」
「いっいやっ…俺に言われてもよっ…」
「そうせざるを得ない事情があるのかも知れませんね…」
「……っ」
 真面目な表情で呟いた輝矢に、二花が怒鳴ることをやめて目を見開く。
「事情て…」
「脅迫かぁ人質かぁ爆破予告かぁ核弾頭かぁ」
「どんどん有り得ない方向にいってっぞ…?」
 あらゆる可能性を挙げる輝矢に、呆れた表情を向けるハチ。
「門貴やったらこんなことにはっ…」
『……っ』
「あっ…」
 思わず呟いた二花が、同時に振り返る輝矢とハチに、素早く口を押さえた。

「悪いっ…今のはっ…」
「サルが移貴の前の猿長だったのですね」
「……っ」
 輝矢の言葉に表情を歪める二花。そんな二花を、輝矢はまっすぐに見つめた。
「門貴は村を捨てた…そう言われていましたね。猿長をやめて村を出るほどの何かが門貴の身に起こった…」
「……それはっ…」
 拳を握り締め、辛い表情を見せる二花。
「それは…」
「……。」
 どんどんと俯いていく二花を見て、輝矢が少し目を細める。
「まっ!まぁいいじゃねぇーかっ!それより今クリつぶってヤツのことを調べようぜっ!」
 あまりに辛そうな二花を見ていられなくなったのか、ハチが不自然に声を出す。
「そうですね。サルのことになど興味ありませんし」
「いやっ…」
『……?』
 輝矢とハチが立ち上がろうとした時、二花が小さく声を漏らした。
「お前たちには…知っといてもらった方がええんかも知れん…」
『……。』
 二花の言葉に、輝矢とハチは真剣な表情を見せた。




「へぇ〜門貴がおサルの大将さんだったとはねぇ〜」
「歴代猿長ん中でも五本の指には入るってくらい強かったんですよぉ〜?」
 意外そうに呟く由雉に、チョキ三郎が笑顔で答える。由雉は兵舎でカニたちの傷の手当てを終え、チョキ三郎から輝矢たちと同じように猿蟹合戦のことを聞いていた。
「でもあの頃、門貴さん荒れとって、サル側も手ぇ焼いとったみたいですけどねっ」
「荒れて?あの陽気サルがぁ?」
 荒れていた門貴など想像もできず、由雉が不思議そうに首をかしげる。
「なんで荒れてっ…」
「あっ!そうやっ!由雉さんっ、みんなの手当てしてくれたお礼ですぅ〜」
「えっ?何々っ?ササミチーズ?」
 チョキ三郎の言葉に、目を輝かせる由雉。
「じゃ〜んっ!柿のタネっ!!」
「……。」
 笑顔のチョキ三郎が由雉の前へと差し出したのは、大きな袋いっぱいに詰まった小さなオカキ・柿のタネであった。あまりにも期待はずれなお礼の品に、由雉があからさまに嫌な顔をする。
「あれっ?ピーナッツも一緒に入っとう方が好きでしたぁ?」
「どうせならカニみそ食べたいなぁ〜」
「ええっ!?それって俺に死ねいうことですかっ!?」
「そっ」
「きゃあああっ!!」
 笑顔で答える由雉に、悲鳴をあげるチョキ三郎。

「あっ」
 悲鳴をあげているチョキ三郎の横で、由雉が何か思い出したように声を出す。
「そういえばあれっ、柿の種だったんじゃ…」
「へっ?」
「いやぁ〜今朝、門貴が種っぽいもの落とすトコ見てさぁ〜」

――まっ…まぁなっ…――

 あの種を落としてから、何やら考え込むように明るさを消した門貴。
「あれぇ、柿の種だったんじゃないかなぁ〜と思って」
「……っ」
 由雉の言葉に、チョキ三郎が表情を曇らせる。
「でもボクってカワイイわりに花とか興味ないからなぁ〜柿だか何だかなんてわかっ…」
「いえ、柿です」
「へぇ?」
 即答するチョキ三郎に、由雉が目を丸くする。
「まだ持ってたんですね…門貴さん…」




“蟹の村”・西はずれ。海の見える小高い丘の上に、門貴は一人、立ち尽くしていた。
「ただいま…」
 丘に佇む一つの墓石を見て、門貴が悲しげに微笑む。
一花いちかっ…」




「あの丘に眠っている者の名は蟹江一花…」
 部屋の窓から見える小高い丘を見つめ、悲しげな表情で話し始める二花。
「蟹江…?」
「ウチの姉っ…」
 首をかしげたハチに、二花が答える。
「そして…門貴の運命を変えた人やった…」
 二花は遠い目で呟いた。




――一年前。柿之木山の柿の木に実の生る少し前。
“猿の村”。
「おっらああああっ!!」
「ぎゃあああああっ!!」
 自分の二倍はありそうな大柄の男を、軽々と吹き飛ばす一人の青年。
「ったくっ!弱過ぎるっちゅーねんっ!どいつもコイツもっ!!」
 猿川門貴、十六歳。猿の村に生まれた、猿人の青年。
「勝者、門貴っ!」
「当ったり前やろっ!?こんな弱っちいヤツらに俺がヤラれるかっちゅーねんっ!!」
 右手を挙げて声を出したサルに、門貴が強く怒鳴りかける。
「ええ〜よって本年度の猿長は門貴にっ…」
「おお〜うっ!!任しときぃっ!!カニどもなんか俺が一匹残らずグサボロにしてやるわぁっ!」
「グサボロって…」
「やりましたねぇっ!門貴さんっ!!」
 高々と言い放つ門貴に、呆れた表情を見せるメガネザルと声援を送る子ザル。移貴と猿飛である。
「見事であった…猿川門貴よ…」
「……っ?」
 年老いた声に振り返る門貴。そこに立っていたのは全身白い毛の年老いたサル。いかにも偉そうな髭を蓄えており、木の杖をついている。
「おうっ!じじいっ!やぁ〜っと俺の力を認めっ…!」
「じゃがな門貴、猿蟹合戦は相手を傷つけるための戦場ではない…」
「ああっ?」
 厳しい表情を見せる老ザルに、門貴が眉をひそめる。
「猿蟹合戦というのはっ…グボオオウっ!!ゲハァっ!!ゴホォっ!!」
「長老さまっ…!!お薬をっ…!!」
「……。」
 真剣な表情そのもので話していた老ザルが急に激しく咳き込み、隣にいたサルが慌てて薬と水を差し出す。その光景に少し呆れた表情を見せる門貴。
「うっううんっ…ああ、門貴…」
 呼吸を整え、改めて真剣な表情を門貴へと向ける長老。
「猿蟹合戦というのはな…」
「……。」
 門貴も少し息を呑む。
「猿蟹合戦というのは…グガアアアウっ!ゴホオオっ!!ゲハァァっ!!」
「だああああっ!」
 またしても肝心なところで咳き込む長老に、門貴が思わずズッコケる。
「長老さまっ…!!お薬をっ…!!」
「ゲホゲホっ!!グホホっ!!」
「ったくっ!やってやれんわっ!俺、もう行くでぇっ!」
「門貴っ!」
「……っ」
 またしても薬と水を飲まされる長老を見兼ね、その場を立ち去ろうとする門貴。しかし強く呼ぶ長老の声に、門貴が足を止めた。
「猿蟹合戦は一族の誇りを賭け、己の力を試すための戦場…むやみやたらにカニたちを傷つけることはっ…」
「戦場は戦場やろっ!?」
「……っ」
 やっと言えた長老に対し、どこか残酷な笑みを向ける門貴。
「生温いこと言うて人笑わせんといてくれやっ…」
「あっ!門貴さんっ!」
「おいっ、待てやぁ〜門貴ぃ〜」
「……。」
 冷たい表情を長老に向けて去っていく門貴を、猿飛と移貴が慌てて追って行く。門貴の去っていく背中を見ながら、気難しい表情を見せる長老。
「良いのですか…?長老…」
 長老の隣にいる薬を構えたサルが、長老へと問いかける。
「よりにもよってあの暴れザルの門貴を猿長にするなんて…」
「今のヤツにはぁ…“出会い”が必要なんじゃよ…」
「出会い…?」
 長老の言葉に首をかしげるサル。
「それってどういう…」
「グホホウウっ!ゲハアアアっ!!グハアアアっ!!ゴホっ!ゴホっ!」
「ちょっ…!長老さまっ…!!」
 またしても咳き込む長老に、慌てて薬を差し出すサルであった。




 十歳の時、猿長だった兄貴が死んだ。
 猿蟹合戦で負った傷が元で、弱っていってそのまま死んだ。
 母さんは…めちゃくちゃ泣いた。
 オヤジは…“アイツはよくやった”と言った。


 “バカげてる”…そう思った。




 門貴が猿長に決まって間もなく、柿之木山の柿の木に実が生った。猿蟹合戦が始まった。
「おっらぁっ!!如意棒っ!!」
『ギャニィィィっ!!』
 門貴は実をつけた柿の木の下、多くのカニを容赦なく傷つけた。
「はっ!蟹江一族も大したことないなぁっ!」
「何だカニっ!?」
 倒れ込んだカニの一匹が、罵倒する門貴に倒れたままハサミを向ける。
「……っ」
「……っ!ぎゃああああっ!!」
 突き出されたハサミを、力強く踏みつける門貴。カニの悲鳴が山に響き渡る。
「弱いゆーとんねんっ!!」
「ううううっ…うううっ…」
「おっおいおいっ、ちょっとヤりすぎじゃっ…!」
 ハサミにヒビが入りそうなまでに踏みつける門貴に、移貴が思わず声を出す。
「うっさいっ!!お前も殺されたいかぁっ!?移貴っ!」
「全然ヤりすぎていません」
「すごく情けないよ…移貴さん…」
 門貴に睨まれ、すぐに大人しくなる移貴に、猿飛が呆れた表情を見せた。
「あぁ〜あっ!」
「ううっ…!」
 門貴がカニのハサミから足を下ろし、倒れ込んだカニたちに背を向ける。
「弱っちいカニばっかで全然面んないなぁっ!こんなんやったら猿長にならんで良かったわぁっ!」
 そう言いながら、門貴が山を登っていく。
「何か荒れてません?今日の門貴さんっ」
「アイツはいっつも荒れとうやろ」
「おいっ!とっとと帰るでぇっ!もたくさすんなやっ!!」
「あっはいっ!」
 門貴に聞こえないようにこっそりと話す移貴と猿飛。そんな二人に門貴が山の上方から怒鳴り声をあげると、猿飛が慌てて返事をした。
「移貴さんっ!」
「ヘイヘイっ…って、ああっ!?」
「えっ?ええっ!?」
「……?」
 聞こえてくる二人の妙に驚いた声に、門貴が思わず足を止める。

「どうしっ…なっ…!?」
「隙アリぃっ!!」
 振り返った門貴に、大きなハサミを振り下ろす、真っ赤なショートヘアの1人の少女。

――バッコォォォンッ!

「……っ!!だあああっ!!」
 少女の振り下ろしたハサミが、門貴の頭に炸裂する。
「いっ…痛てええっ!」
「門貴っ!」
「門貴さんっ…!?」
 頭のてっぺんにたんこぶを作ってしゃがみ込む門貴に、思わず身を乗り出す移貴と猿飛。
「なっ…!何だっつっ…!」
「一本取ったでぇっ!猿川門貴っ!!」
「……っ」
 戸惑うように顔を上げた門貴に、ハサミを下ろした少女は屈託のない笑みを向けた。底抜けに明るいその笑顔に、門貴が少し驚いたように目を見開く。
「……って、いきなり何すんねんっ!!クソ女っっ!!」
 門貴が怒り剥き出しの表情で立ち上がる。
「カニ族のヤツかぁっ!?俺に勝負でも仕掛けに来っ…!」
「せやっ!ウチは今年の蟹長の蟹江一花っ!!よろしゅうなっ!」
「なっ…!?」
『蟹長っ!?』
 少女の自己紹介に、大きく驚く門貴、移貴、猿飛。それもそのはず、蟹長というのは猿長同様、村で行われるいわゆる予選大会で村の誰よりも強くなければなれない者。その蟹長が今、目の前にいる愛らしい少女とはとても信じられなかった。
「はっ!何、しょーもないウソっ…!」
「ウソちゃうよぉっ!なぁっ?」
「せやせやっ!!姉ちゃんは蟹の村で一っ番強い、最強のカニなんやぁっ!」
「せやせやぁっ!」
 一花の問いかけに答えるのは、後方から一花を応援しているまだ幼さの残る二花とチョキ三郎。
「なっ?ウソやないやろっ?」
「……マジでっ…?」
 笑いかけてくる一花に、引きつった表情を見せる門貴。
「っちゅーわけで記念すべき初手合わせといこかぁっ!猿長っ!」
 一花がやる気満々でハサミを構える。
「冗談っ!誰が女なんかとっ」
「待ていっ!」
「だあああっ!!」
 吐き捨てるように言って門貴が一花に背を向けた途端、一花が門貴の後頭部にハサミを振り下ろした。ハサミを喰らった門貴が、頭を抱えてしゃがみ込む。
「おっ前…一度ならず二度までも俺の頭をっ…!」
「蟹長が決闘しょ〜言うてんのに断る猿長がどこにおんねんっ」
 頭に二個できたたんこぶを押さえながら、門貴が突き上げるように一花を睨むが、一花は少しも恐がる様子なく、口を尖らせて門貴に訴えた。
「一族の誇りを賭けて蟹長と猿長が拳と拳でぶつかり合うっ!それが猿蟹合戦やろっ?」
「かっ!アホらしっ」
「……っ」
 熱く語る一花に、煩わしそうに言い放つ門貴。
「俺は猿蟹合戦なんかどうでもええねんっ…」
「えっ…?」
 立ち上がりながら言う門貴を、一花が不思議そうに見る。
「俺はどいつもコイツもグサボロにできりゃあそれでええんやっ!」
「……っ」
「があああああっ!!」
 立ち上がり一花を見下ろして、冷たい笑みを向ける門貴。そんな門貴の笑みと言葉に一花が表情をしかめ、またもや門貴の頭にハサミを振り下ろした。
「痛ってぇ〜っ…」
 もう全体的に腫れ上がった頭を押さえながら、またしてもしゃがみ込む門貴。
「お前なぁっ…!!」
「そんなに誰か傷つけたいなら…ウチが相手したるわっ!この当てつけハゲザルっ!」
「ああっ!?」
 顔を上げた門貴に、一花が鋭い表情で言い放つ。一花の言葉に、顔をしかめる門貴。
「上等やっっ!!このクソカニ女ぁっ!!」
 門貴が如意棒を構え、勢いよく立ち上がって一花に振り下ろす。

――パァァァーーンッ!

 激しくぶつかり合う、ハサミと如意棒。
「やぁーっとやる気になったなぁっ!よっしゃっ!改めて初手合わせやっ!」
「はっ!後悔すんなやぁっ!クソ女っ!!」
『いっけぇーっ!!姉ちゃんっ!!』
「負けんなやぁーっ!門貴っ!!」

 こうして始まった門貴と一花の戦いは、見つめるサルやカニの観衆がどんどん増える中、空がオレンジ色に染まるまで延々と続いた。



「はぁっ…はぁっ…はぁっ…」
 柿の木のすぐ傍に寝転がった門貴が、息を乱しながら、オレンジ色に染まった空を見上げる。
「お前っ…ホンマ女かっ?化けモン並みの力やぞっ」
「はぁっ…はぁっ…あんま嫁の貰い手がなくなるようなこと、大声で言いなやっ…」
 柿の木を挟んで横に寝転がっている一花。こちらも激しく息を乱しながら、空を見上げていた。
「けど、さっすが猿長っ!やっぱ強いなぁ〜!」
 一花が起き上がり、まだ寝転がっている門貴に笑顔を向ける。
「村にはウチと互角に戦えるヤツなんて誰もおらへんもんっ」
「せやろな…」
 少し呆れた表情で答えながら起き上がる門貴。
「もう日も暮れるし、そろそろお開きにしよかぁ」
「せやな」
 山から見える海に沈んでいく夕日を見つめながら、門貴と一花が言葉を交わす。
「ふぅ〜っ今日は楽しかったでっ!」
「……?」
 立ち上がった一花がハサミを背中に背負いなおし、門貴の方を見る。
「また明日もやろなっ!門貴っ!」
「……っ」
 一花は屈託のない笑顔を見せて、そう言った。


 これが俺と一花の出逢いやった…。



「いっくでぇぇっ!門貴っ!!」
「いつでもかかってこいやぁっ!!クソ女ぁぁっ!!」
 それから毎日、門貴と一花は、柿の木のすぐ横で一対一の手合わせを続けた。
「いってまえぇぇっ!!門貴ぃぃっ!!」
「アホうっ!勝つんはウチの姉ちゃんやっ!」
「女が門貴に勝てるかいっ」
「何やとぉっ!?このクソメガネぇっ!!」
「ああっ!?」
 外野で険悪なムードとなる二花と移貴。
「まぁまぁ姉ちゃん〜」
「移貴さん、抑えて抑えてぇ〜」
 チョキ三郎と猿飛が必死に宥める。

『はぁっ…はぁっ…』
『また互角かぁ〜』
 毎日、勝負はつかなかった。だが毎日、勝負は続いた。

『いっけぇぇいけいけいけいけっ!門貴っ!!サルの実力見したれぇぇっ!!』
『一花ちゃんファイトぉ〜っ!!カニの誇り、見せつけたれぇ!!』

 日に日に両者の応援のサル・カニは増え、その年の猿蟹合戦はかつてない盛り上がりを見せた。また、サルとカニ、両一族にあった壁のようなものも次第になくなり、両一族は親しくなっていった。


 そして、門貴にも変化があった。

「ぐへひゃあああっ!!」
 “猿の村”深夜。稽古広場に移貴の叫び声が響き渡った。
「無理無理っ!痛い痛いっ!もう俺の負けっ!俺の負けっ!」
「よしっ」
 倒れた後起き上がり、必死に負けを訴える移貴の前に立っていたのは、如意棒を構えた門貴であった。
「ほなっ、もういっちょやろかぁっ!」
「ええぇぇっ!?」
 これ以上ないくらいに表情をしかめる移貴。
「やる気満々ですねぇ〜門貴さんっ!」
「んっ?」
 そこに外野から猿飛が声をかけた。
「当ったり前やろっ!女に勝てんまんまでおれるかいっ!」
「それよりも俺の体のことをもうちょい考っ…」
「よっしゃっ!行くでぇっ!移貴っ!」
「えげぇぇぇっ!?」
 移貴が嫌がる中、もう何度めになるのかもわからない門貴と移貴の手合わせが始まる。
「アハっ、何か変わりましたよねっ、門貴さんっ」
「うむっ」
 笑顔を見せる猿飛の横で、深々と頷く長老ザル。
「良い出逢いをしたのじゃろう…うっ!ぐふっ!ゲハゲハゲハっ!!グオホホンっ!!」
「長老さまっ…!!お薬をっ…!!」
「……長老さまは変わりないよね…」


 そうして緩やかに、でも確実に、時は過ぎていった…。



「ふわぁぁぁ〜っ!まぁ〜た勝ち負け付かずかぁ〜っ!」
 空がオレンジ色に染まる時間が早くなってきた頃、二人の勝負も少しずつ早く終わるようになっていた。勝負を終えた後の会話の時間が、少しずつ長くなっていた。
「今日、ギャラリーいなくて寂しいねぇ〜」
「“柿祭り”の日やからなぁ〜みんな準備で忙しいんやろっ?」
「ウチらの勝負より祭りかぁ〜やっぱっ」
 柿の木にもたれるようにして海を見る一花と、柿の木のすぐ横で寝転がる門貴。二人だけの合戦でない時間が続いた。
「なぁっ…一花…」
「んんっ?」
 門貴の呼びかけに、一花が笑顔で振り向く。
「前、言うたやろ…?俺の兄貴のことっ…」
「……っうん…」
 少し目を伏せ、一花が小さく頷く。
「兄貴は猿長で、猿蟹合戦の傷が元で死んだ…」
「……。」
 空を眺めながら話を続ける門貴の横で、どこか悲しげに俯く一花。
「俺ぇ、兄貴の葬式ん時、オヤジが“アイツはよくやった”言うた意味が全然、わからんかった…」
 門貴がそっと目を細める。
「母さんがあんなに泣いてんのに、猿蟹合戦なんかのために死んだ兄貴が、ようやったなんて思えんかった」
「門貴…」
 一花が顔を上げ、門貴を見つめる。
「猿蟹合戦が何やっ、何で一族の誇り守るために死ななあかんねんって…思とった…ずっと…」
 門貴がゆっくりと起き上がる。
「今までは…」
「まで…?」
 少し笑みをこぼして呟いた門貴の言葉に、一花が少し首をかしげる。
「今は…少しわかる気がすんねんっ…」
 海に沈んでいく夕日を、まっすぐに見つめる門貴。
「兄貴が命賭けてまで戦った理由も、オヤジがようやった言うた意味も、この合戦の誇り高さも…」
「……っ」
 門貴の言葉に、一花がそっと笑みをこぼす。
「だから俺も…一族の誇りと俺の命を賭けてこの合戦に臨もうと思えるようなったっ」
「……。」
 一花が少し目と閉じ、俯いて微笑んだ。
「門貴っ、ウチのハサミ喰らいまくっとうからなぁ〜っ!案外、アッサリ命失うかも知れへんでぇ〜?」
「ああっ!?」
 悪戯っぽく言った一花の言葉に、門貴が表情をしかめる。
「アホかぁっ!そんなに喰らってへんわっ!」
「そうかぁ〜?百発は喰らった思うでぇ〜?」
「それはお前がブンブン振り回すからやろぉっ!」
「門貴がもっと素早く避ければええやろぉ〜?おサルさんやねんからっ!」
「んやとぉっ!?」
 強く睨み合う門貴と一花。
『……プっ!アハハハハハっ!!』
 睨みあったのも束の間、すぐさま両者に笑いがこぼれた。
「……もう柿の季節も終わるな…」
「……っ」
 不意に笑みを消して呟く一花。その言葉に、門貴もそっと笑みを消す。“柿祭り”は今年最後の柿を食べる時に開かれる祭り。柿の季節の終わりを意味し、そして猿蟹合戦の終わりも意味する。
「こうして毎日…勝負もできんようになるかと思うと…少し寂しいな…」
「ああ…」
 一花の言葉に、門貴は素直に頷いた。いくら猿と蟹の一族が親しくなってきたとはいえ、長年争ってきた一族同士に変わりはない。猿蟹合戦が終われば、二人にはそう会う機会もなくなるだろう。
「寂しい…な…」
「……門貴…」
「んっ?」
「約束しよう。来年の猿蟹合戦も、猿長と蟹長としてここに来るって」
「一花っ…」
 一花は右手の小指を差し出し、門貴に穏やかな笑みを向けた。
「……っ」
 門貴もゆっくりと笑顔を作る。
「ああ…約束するっ…」
 二人は小指と小指を交わらせ、固い約束を交わした。
「今度、この木に実が生る時はっ…きっと笑顔で出逢えるねっ…」
「ああっ…」
 二人は柿の木を見上げ、笑いあった。

 そして、俺たちは猿蟹合戦を終え、少しの別れの時を迎えた…。次に会う日の来ることを信じて…。




 柿の季節も終わった冬。猿の村。
「“御伽腕相撲選手権”の猿の村代表選手ぅ〜?」
「せやねん〜っ!」
 猿蟹合戦を終えても鍛錬を怠らないでいる門貴の元へ、困り顔の移貴がやって来た。
「でもそれ、お前が予選勝ち残ってやっと代表になったやつやろ?」
「せやねんけどさぁ〜俺、最近どぉ〜にも腱鞘炎で右手、めっちゃ調子悪くてさぁ〜」
 移貴が右手を回しながら表情をしかめる。
「これでボロ負けしたら、後で長老に何言われるかわからんやろっ?だから門貴、代わりに行ってくれんっ?」
「んん〜っ」
 懇願する移貴を前に、少し考え込む門貴
「門貴なら楽勝やろぉっ?俺の代わりに頼むっ!なっ!?なっ!?」
「わかった、わかった」
「ホンマかぁっ!?」
「ああっ」
 目を輝かせる移貴に、門貴が笑顔を向ける。
「ったく、しゃーないなぁっ、移貴はぁっ」
「サ〜ンキュっ!帰ってきたらバナナ奢っからっ!」
「十本なっ」
「えっ!?あっ、五本にしぃ〜へんっ!?」

 こうして俺は移貴の代わりに御伽腕相撲選手権に出るために出かけ、しばらくの間、村を空けた。




 帰ってきたのは、春も近づく冬の終わり。
「ふぅ〜っ、やぁ〜っと着いたぁ〜んっ?」
 久々に戻り、柿之木山を登った門貴が見つけたのは、村の入口に一人佇む移貴の姿であった。
「移貴ぃ〜っ!」
「……。」
 門貴が深く俯いている移貴の元へ、笑顔で駆け寄っていく。
「ちゃぁ〜んと優勝してきてやったでぇ?ほれっ!これっ、優勝トロフィーっ!」
「……。」
「……?」
 トロフィーを差し出した門貴が、まったく反応のない移貴に少し首をかしげる。
「なっ何やねんっ!もうちょい反応してくれたかてっ…!」
「門貴っ…」
「んっ?」
 移貴が力なく門貴の名を呼び、ゆっくりと顔を上げる。
「一花がっ…」
「えっ…?」
 震えた声で呟く移貴に、門貴の表情が凍りついた。




 案内されたのは、蟹江の家ではなく、蟹の村の西はずれにある丘の上だった。
「一週間前…風邪をこじらせて…そのまま…」
 そう言って二花が門貴に見せたのは、一花の姿ではなく、一つの墓石だった。
「……。」
 門貴は少しの表情も無いまま、その墓石の前に立ち尽くした。
「一…花っ…?」
 呼びかけたところで、返って来る声などない。
「一花っ…?」
 だが門貴はもう一度、その名を呼んだ。
「ウソやろっ…?一花っ…なぁっ!一花っ!!」
「門貴っ…!!」
 墓石に向かって必死に叫ぶ門貴を、移貴が後ろから押さえる。
「こんなんっ…!こんなんウソやろっ!?なぁっ!何とか言えよっ!一花っ!一花っ!!」
「門貴っ…!!」
「門貴さんっ…」
 押さえる移貴と見つめる猿飛の瞳から、涙がこぼれる。
「なんでっ…!!なんでっ…!ううっ…!!」
 門貴の瞳から涙が溢れ、門貴が力なくその場に座り込む。
「なんでこんなっ…」
『……っ』
 墓石の前に座り込んだ門貴を見て、皆、涙を流し、遣り切れない表情で俯いた。
「門貴…これっ…」
「……?」
 座り込んだ門貴の前に、二花が差し出したものは、一粒の種であった。
「柿の…種っ…?」
「姉ちゃんがアンタに…“最期の言葉”やって…」
「最期の…言葉…?」
 門貴が二花から柿の種を受け取り、それを見つめる。
「最期っ…」
 門貴が種を握り締め、天を仰ぐ。
「あああああっ!!」
『……っ!』
 天へと突き上げた門貴の声に、二花が移貴が、皆が泣いた。

「あああああああっ!!」


――今度、この木に実が生る時は…きっと笑顔で出逢えるね…――


 雪が溶け、花の芽吹き始めた春。俺は、一人になった…。



                                      其の十へつづく。
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