第61章 再集結
御伽界中央部・“鬼ヶ島”。
「シルク様…」
木の1本すら生えていない、その荒れ果てた大地の広がる島を、周囲を少し戸惑うように見回しながら歩く諸刃。呼びかける諸刃の前方には、シルクの姿があった。
「ここは一体っ…」
「ここは“鬼ヶ島”…」
諸刃の問いかけが終わらぬうちに、シルクが振り向きもせずに、短く答える。
「かつて…すべての鬼が滅びた地…」
「えっ…?」
シルクの言葉に、諸刃がそっと眉をひそめる。
「何故、このようなところにっ…」
「着いたわ…」
「えっ…?」
そう言って足を止めるシルクに、諸刃も問いかけをやめ、足を止める。
「・・・っ」
顔を上げた諸刃の表情が、一気に曇る。荒れた大地のその奥、尖った山のすぐ麓に存在したのは、巨大繭のようなものであった。白く細い糸が幾重にも重なり合っており、中がどうなっているのかは見えない。だが虫類の繭にしては大き過ぎる、人でも入れそうなくらいの繭であった。
「シルク様…こっこれはっ…」
諸刃は動揺を隠しきれず、少し声を震わせる。
「さぁ…起きて…」
――――ピキっ……!――――
「えっ…?」
シルクの声に反応したかのように、分厚い繭に突然、鋭い亀裂が入る。繭の中から噴き出した空気は湯気のように白い。そして妙に熱く、その熱が亀裂の部分から、徐々に繭を溶かし始めた。繭の上部分が溶け落ちて、やっとその中身が明らかとなっていく。
「・・・。」
「人っ…?」
繭の中から見えたのは、1つの人影。その姿に、諸刃が大きく目を見開く。
「いやっ…“鬼”か…」
そう言い直し、諸刃が眉をひそめる。
「さぁ…おいで…」
シルクがそっとその口元を緩め、繭の中から現れたばかりのその者へ、そっと白い手を伸ばす。
「もう1人の私っ…」
「・・・。」
繭の中から姿を見せたのは、目元までかかる長く白い前髪に、感情のない赤い瞳の、きれいな顔をした少年であった。
「・・・っ」
シルクの手を取る少年を見つめながら、諸刃は少し、険しい表情を見せた。
鬼ヶ島、隣島・“巌流島”。
「目覚めたか…」
島の沿岸に立ち、鬼ヶ島の方を見つめる1人の男。
「もう、そう時間はないぞ…」
鬼ヶ島を包む不穏な雲に、男が青い瞳を細め、厳しい表情を見せる。
「太狼っ…」
男の白髪が、強い風になびいた。
修行開始30日目。犬国・里見家屋敷。
「白槍っ…」
鋭い瞳で、白槍を構える犬仁。
「“白雨”っ…!!」
犬仁が白槍を突き出すと、そこから無数の白い光の刃が、横から降る雨のように勢いよく放たれた。
「・・・っ」
白雨の向かう先に立つのは、門貴。門貴がその表情を引き締め、新しく出来た如意棒を身構える。
「如意棒、第二の舞っ…“浄”っ!!」
――――バァァァァァァァァァァァーーーーンっっ!!!――――
門貴が如意棒を地面に突き刺すと、門貴の四方から強い風が、まるで竜巻のように舞い上がり、門貴へと向かって来ていた白雨を、粉々に斬り裂いた。
「ふぅ〜っ」
風が止むと、門貴は一息ついて、構えていた如意棒を下ろした。
「新しい如意棒にも、だいぶ慣れたか?」
「ああっ、結構なぁっ」
同じように構えていた白槍を下ろし、門貴のもとへと歩み寄って来た犬仁に、門貴が笑みを向ける。新しい如意棒で修行を始めて13日。如意棒が、門貴の手に、やっと馴染み始めていた。
「フフンっ!まぁそれもこれも、ウチみたいな最高の修行相手がおったからこそやなぁっ!」
得意げに声をあげるのは、横から2人の交戦を見ていた、門貴の幼馴染・二花。
「貴様はブンブンと闇雲に大バサミを振っていただけだろうっ」
「何やてぇぇぇっっ!!?」
「貴様の後先考えない攻撃のせいで、どれだけ屋敷が壊されたと思っている?金を払え」
「誰が払うかぁぁぁっっ!!」
『はぁっ…』
勃発する二花と犬仁の口論に、呆れきったように肩を落とすチョキ三郎と他の八犬士。この口論は毎日、単位時間ごとに繰り返されており、皆はもう止めることもしなくなっていた。
「相変わらず犬蟹の仲やなぁ〜アイツらっ」
「へぇ〜っ、それが新しい如意棒っ?」
「・・・っ」
暢気に二花と犬仁の口論を眺めていた門貴が、どこからか聞こえてくる、よく知るその声に、少し目を開いて振り返る。
「良かったじゃ〜んっ、唯一の取り柄の如意棒が戻ってきてぇ〜」
門貴が振り返った先の木の枝で、羽根を休めているのは1羽の青いキジ。
「それなかったら、ただの役立たずのおサルさんだもんねぇ〜、よっ」
――――ボォォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
キジが地面へと降下していきながら、その体を白い煙に包ませる。
「ご無沙汰ぁ〜っ」
白い煙の中から姿を見せた由雉が、地面に着地し、門貴に軽く右手を上げる。
「久し振りぃ〜相変わらず、ボクってば可愛いでしっ…」
「ユッキーっっ!!!」
「どわあああっっ!!」
勢いよく抱きついてくる門貴に、由雉が思いきり顔を引きつる。
「とっとと離れてくれないっ?バカ菌がうつるっ」
「久々の再会やのにひどいわぁぁ〜〜っ!ユッキーのいけずぅぅぅっ!!」
「キモっ」
由雉の両手に力強く顔を押され、引き離される門貴。門貴が涙で訴えると、由雉はさらにその表情を引きつった。
「あっあんたらっ…」
そんな2人の様子を、唖然とした表情で見つめる二花。
「もっもしかしてそういう関っ…!」
「やめて。疑われるだけで、吐き気がするっ」
あらぬ疑いをかける二花に、由雉が心底、嫌そうな顔を見せて、すぐさま止めた。
「ふぅっ」
やっとのことで門貴を引き剥がした由雉が、少し疲れたように肩を落とす。
「でっ?桜時はぁ?」
「んっ?」
由雉からの問いかけに、顔を上げる門貴。
「ああっ、アイツならっ…」
――――バァァァァァァァァァァァーーーーンっ!!――――
「・・・っ!」
すぐ近くから聞こえてくる巨大な衝撃音に、由雉が驚いたように大きく目を見開く。
「なっ何っ?今の音っ」
「おぉ〜、丁度、終わったみたいやなぁ〜」
「へっ…?」
笑顔を見せる門貴に、由雉はゆっくりと首を傾けた。
『・・・。』
衝撃風の収まった庭に、少しの距離を置いて、背中合わせに立っている桜時と八房。吹き荒れる風の音だけが聞こえる、少しの沈黙。
――――パリンっ……!――――
沈黙を破ったのは、刀の折れる小さな音。
「うむっ…」
右手に握った、先の折れた刀を見た八房が、どこか満足げに深々と頷く。
「見事じゃっ…」
そう言いながら、ゆっくりと振り返る八房。
「桜時っ…」
「ふぅっ」
八房が振り返ると、一息つくように肩を落とした桜時が、ゆっくりと八房の方を向いた。こちらも満足げな笑みを浮かべている桜時の右手には、折れても欠けてもいない、きれいな状態のままの村雨丸がしっかりと握られている。
「今の最後の技、なかなかのものじゃったぞ」
「へへっ」
誉める八房に、桜時が少し照れたような笑みを浮かべる。
「なぁ〜にが“なかなか”じゃ〜っ」
『・・・っ?』
2人の会話に入ってくる声。
「今日だけで5本も刀折られとるくせに偉そうにぃ〜ゲホゲホっ」
「うっさいわいっ!死にかけジジイっ!」
咳込みながらも八房に厳しい突っ込みを入れる長老に、八房が少しムキになって怒鳴り返す。八房と門貴の村の長老である猿蔵は、昔からの知り合いであるらしく、種族の通りの犬猿の仲なのであった。
「ハハハっ…」
そんな2人の関係を見ながら、空笑いをして、桜時が村雨丸を鞘へと収める。
「おぉ〜いっ!イヌコロぉ〜っ!」
「・・・っ?」
聞こえてくる門貴の声に、振り向く桜時。
「・・・っ!由雉っ!」
「お久しぃ〜っ」
桜時が門貴の横に由雉の姿を見つけ、大きく目を見開く。驚いている様子の桜時に、由雉は笑みを向けた。
「何だっ、来てたのかっ」
「うんっ、ついさっき着いたぁ」
門貴と由雉が、桜時のすぐ傍へと歩み寄ってくる。
「んでっ?修行の成果は?いい羽根は出来たのか?」
「うぅ〜んっ、まぁねっ」
桜時の問いかけに、由雉は言葉を濁しながらも、どこか得意げな笑みを浮かべた。
「そっちも何か成果あったみたいじゃ〜ん?何か見違えちゃったよぉ〜?」
「そっそうかっ?」
微笑む由雉に、桜時が少し照れ臭そうな顔を見せる。
「ユッキーっ!!俺にはそんなこと、言ってくれんかったやんっ!!」
「だって見違えてないもん」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁーーーんっっ!!」
「はぁっ…」
あっさりと言い放つ由雉に、門貴が激しくショックを受ける。由雉の言うように、確かに成長は見られない門貴に、桜時は深々と溜息をついた。
「まぁほんならっ、ユッキーも来たことやし、ちょい早いけど龍国戻ろかぁ〜」
「そうだなっ」
立ち直った門貴の言葉に、桜時が頷く。
「修行期間は明日までだけど、こっから龍国まで遠いしねぇ〜」
「ああっ、輝矢も帰って来てるかも知れねぇーしっ…」
「何っ?そんなに早く輝矢に会いたいわけっ?」
「んなっ…!!」
由雉の言葉に、桜時が一気に顔色を真っ赤にする。
「べっべべべべ別にそういうわけじゃっ…!!」
「はぁぁぁぁぁぁ〜〜〜ちぃぃぃぃぃぃ〜〜〜〜っっ!!」
「ふぇっ?」
必死に否定しようとした桜時が、どこからか聞こえてくる声に目を丸くする。
「えっと…?」
戸惑った表情を見せながら、声の聞こえてきた上空を、ゆっくりと見上げる桜時。
「はぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜ちぃぃぃぃぃ〜〜〜〜っっ!!」
「うげぇぇぇっっ!!?」
桜時が顔を上げたその視線の先には、遥か上空から満面の笑顔で、こちらへと降下してくる輝矢の姿。
「かっ…かかかかかかか輝矢ぁぁぁぁっっ!!?」
「ハチぃぃぃぃ〜〜〜っっ!!」
驚いている桜時めがけて、まっすぐに輝矢が落ちてくる。
「ちょちょちょっ…!」
「ハチっ!」
「ぎゃああああああああああっっ!!!」
――――バッコォォォォォォォォォーーーーンっっ!!!――――
桜時が止めようと必死に手を突き出しても、重力に逆らうことは出来ず、輝矢は力強く桜時の上へと落下した。輝矢の落ちたところに、激しい衝撃風が巻き起こる。
「あぁ〜あっ…」
「ご愁傷様ぁ〜」
巻き起こった煙を見つめながら、門貴と由雉が呆れたような表情で呟く。
「なっ何やっ!?今の音っ…!」
「どうかなさいましたかっ!?桜時様っ!!」
輝矢の落下音を聞きつけ、二花や犬仁たち八犬士が、その場へ駆けつけてくる。
「ぐっ…ぐふっ…」
煙が止むと、その向こうから、地面に仰向けに倒れ込み、今にも死にそうな青い表情を見せている桜時の姿が見えてきた。
「ふぅ〜っ」
「うげぇっ!?」
そんな桜時の体の上に、馬乗りになるように、思いきり乗っかっているのは輝矢。無事に着地出来たからか、どこか安心したように一息ついている。そんな輝矢の姿を見て、桜時が潰れたような声をあげる。
「かっかかかかかか輝矢っ…!」
「久し振りですねぇっ、ハチっ」
激しく震えた声で輝矢の名を呼ぶ桜時に、輝矢が楽しげな笑みを浮かべる。
「なっなななななななんで輝矢がここにっ…!」
「ハチっ」
「ういいいぃぃぃぃぃっっ!!」
桜時の上に乗ったまま上半身を倒し、倒れたままの桜時の顔に、自分の顔を近づける輝矢。近づいてくる輝矢の顔に、桜時が怯えるような声を出す。
「いぃ〜い度胸してますよねぇ〜」
「へっ…?」
鋭い瞳を向けてくる輝矢に、桜時が目を丸くする。
「私に内緒で、こっそり修行に出るなんてっ」
「うっ…!」
輝矢の言葉に、桜時が思わず顔を引きつる。そう、桜時は輝矢に犬国で修行することは黙っていたのだった。だが輝矢がここに居るということは、その隠していた修行が、もうすでに思いきりバレているということ。
「あぁ〜それはぁ〜そのぉ〜っ…」
強く見つめてくる輝矢から視線を逸らし、締まりのない声を繋げる桜時。
「・・・っ」
しかし特にいい言い訳が思いつかず、桜時が顔をしかめる。
「いっ…いいだろっ!別にっ!俺だって、強くなりたかったんだからっ!」
少しムキになって、怒鳴り返す桜時。
「とっとにかく、さっさとどけってっ…!」
「・・・っ」
「うえぇっ!?」
赤く染まった顔を隠すように俯きながら、桜時が起き上がろうとしたその時、輝矢が勢いよく桜時の両手を掴んで、起き上がろうとした桜時を、もう1度強く押し倒した。
「ちょっ…!輝っ…!」
さらに顔を赤くした桜時が、焦ったように声を出す。
「恋人間で、秘密を作るなんてダメですよぉ〜?ハチぃ〜」
「だっ誰が恋人だぁぁぁっっ!!」
「償いとしてっ…」
「ひぃっ!!」
鼻と鼻の先が当たりそうな程まで接近してくる輝矢に、桜時が真っ赤にしていた顔を、一気に青くする。
「ハチの全部を、私に下さいっ」
「のおおおぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜っっ!!!」
真面目な顔で言い放つ輝矢に、桜時が死に物狂いの悲鳴をあげる。
「うぅぅ〜〜んっ…」
そのやり取りを、しっかりと腕組みをして、気難しい表情で見つめる犬仁。
「このままでは桜時様の貞操がっ…助けるべきか、助けないべきかっ…」
「放っておけばいいんじゃないか?じゃれているだけだろう?」
本気で悩み込んでいる犬仁に、横から犬義が冷静に答える。
「ぎゃあああああああああっっ!!」
――――ボォォォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
「あっ」
必死の悲鳴をあげ、白い煙に包まれた桜時が、白いイヌ・ハチの姿となって、輝矢の下から逃れる。
「ぜぇっ…!ぜぇっ…!ぜぇっ…!」
輝矢から大きく距離を取ったところで足を止め、その前足で自分の左胸を押さえて、ハチが乱れた呼吸を何とか整える。
「ダっダメだっ…最近やっと慣れてきてたのにっ…好きって自覚しちまったから、さらに心臓がっ…」
「ハチぃ〜?」
「うおおおぉぉうっ!!」
ドクドクと鳴る心臓を押さえつけ、ぶつくさと呟いていたハチが、遠くから自分の名を呼ぶ輝矢の声に、背筋をピンと立ち上がらせる。
「もっもうっ!お前っ!俺の半径50メートル以内接近、禁止っ!!」
「50メートルも離れてたら、会話出来ないじゃないですかぁっ」
「それでいいっ!!」
「ぶぅっ」
きっぱりと言い放つハチに、輝矢が少し拗ねるように頬を膨らませた。
「輝矢ぁぁぁぁ〜〜〜んっっ!!」
「・・・っ?」
ハチを取り逃がし、見るからに残念そうに立ち上がった輝矢が、後方から聞こえてくる声に振り返る。
「久し振りぃ〜っ!どないぃ〜っ?俺っ!修行して、一段と男前にっ…!」
「どちら様でしたっけ?」
「ぎゃびぃぃぃぃぃぃぃ〜〜〜んっっ!!」
笑顔で駆け寄って来た門貴に、輝矢が容赦なく冷たい言葉を吐くと、門貴は激しくショックを受けて、その場にしゃがみ込んだ。
「・・・っ?」
呆れるように門貴を見ていた輝矢が、門貴が右手にしっかりと握りしめている如意棒を見つける。
「・・・っ」
新しいその如意棒を見て、そっと目を細める輝矢。
「修行で性格は直らなかったみたいだねぇ〜」
「・・・っ?」
落ち込んだ門貴を呆れたように見ていた輝矢が、横からする声に顔を上げる。
「キジ」
「久し振りぃ〜」
輝矢が顔を上げると、そこには由雉が立っていた。
「アナタこそ、少しは性格直して来たのですか?幸ノ街に修行に行ってきたのでしょう?」
「ボクは顔が可愛いから、性格悪くってもいいのぉっ」
「それなら私も性格を直す必要はないでしょう」
「お前らなっ…」
輝矢と由雉のロクでもない会話を聞き、思わず顔をしかめるハチ。
――――ボォォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
「ふぅっ」
やっと呼吸の落ち着いたハチが、白い煙に包まれ、再び人化した姿となる。
「んっ?」
目線が高くなった途端に、桜時がふと何かに気づく。
「輝矢っ、それっ…」
「えっ?」
桜時が指差したのは、輝矢の右耳にぶら下がった、三日月型の金色のピアス。
「おおぉ〜っ!“月器”っ!」
「戻ったんだぁ〜っ」
門貴と由雉も輝矢の右耳を覗き込み、どこか嬉しそうに声をあげた。
「へぇ〜っ!良かったなぁ〜っ!」
「これで百人力やなっ!輝矢んっ!!」
「輝矢は元々、百人分くらい力あるけどねぇ〜」
「ええっ、まぁっ」
まるで自分のことのように喜ぶ3人に、輝矢は少し照れたような笑みを浮かべながら、ピアスを弾いて、復活した月器を目覚めさせる。
「“月器・三日月”」
前よりも強く輝く三日月を、右手にしっかりと収める輝矢。
「互いに実りある時間を過ごしたようですね」
「へっ?」
輝矢が目覚めさせた三日月の先を、門貴の方へと向ける。
「サルっ」
「・・・っ」
三日月の刃先が向いたのは、門貴が握っている如意棒。穏やかに微笑む輝矢を見て、門貴は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに笑みを浮かべた。
「ああっ!」
門貴が差し出された三日月の上に、新しい如意棒をしっかりと重ね合わせる。
『・・・っ』
その様子を見て、互いに目を合わせ、頷き合う桜時と由雉。
「よっと」
『・・・っ?』
「最近こうゆうクッサいことばっかやってるよねぇ〜」
重ね合わされた三日月と如意棒の上に、それぞれ、村雨丸と青い羽根を乗せる桜時と由雉。武器を乗せた2人が、笑顔を見せる。
『・・・っ』
その2人に釣られるようにして、笑みを浮かべる輝矢と門貴。
「再集結っちゅーやつやなぁっ!」
「たったの1ヶ月で大袈裟なんだよぉ〜」
「ハチ、1ヶ月離れてた分、存分にイチャイチャしっ…」
「結構ですっ!!」
重なった4つの武器を取り囲みながら、4人が明るく言葉を交わす。
「では改めてっ」
輝矢が少し間を取ってから、声を発する。
「私を共に戦いなさいっ、イヌ、サル、キジ」
「おうっ!」
「喜んでぇ〜っ!」
「ええぇ〜っ?」
輝矢の偉そう極まりない言葉に、3人はそれぞれ言葉は違うものの、皆、笑顔を見せる。
『・・・っ』
そんな4人の様子を見守り、笑みをこぼす、八犬士の皆や二花、チョキ三郎。
「アナタたち、修行して少しは使えるようになったのでしょうねぇ?」
輝矢が急に表情をしかめ、3人にそう問いかける。
「使い物にならなかったら、容赦なく捨て去りますからね」
「うっはぁ〜っ!厳しっ!」
「まぁいつもの感じじゃなぁ〜い?」
「はぁっ…」
輝矢の厳しい言葉に、門貴は思わず額を手で押さえ、由雉は特に気にすることなく笑みを浮かべ、桜時は深々と溜息をついた。
「ほっほっほっ!」
4人の会話を聞いていた長老が、どこか楽しそうに微笑む。
「いいチームじゃなぁっ」
「ああっ…」
長老の言葉に、その横の八房は穏やかな笑顔で、ゆっくりと頷いた。
「ってゆうか、輝矢は何で、ボクらが修行に出てること、知ってたわけぇ〜?」
「昨日、早めに修行が終わったので、ババアと一緒に龍国へ戻ったんですよ」
由雉の問いかけに、輝矢がスラスラと答える。
「皆がいなかったので、タローに聞いたら“修行に出たよぉ〜”って」
「あの野郎っ…あっさり口割りやがってっ…」
輝矢の言葉に、桜時が思わず顔をしかめ、拳を強く握り締める。
「最初は“秘密ぅ〜”って言い張ってたんですけどね、いちご大福あげたら、すぐに口割りました」
「意志弱過ぎだろっ!!」
この場にいない太狼に、つい突っ込みを入れてしまう桜時。
「まぁほんなら、みんな揃ったことやし、龍国戻ろかぁ〜っ」
「そうだなっ」
門貴の言葉に、改めて頷く桜時。
「じゃあ俺、準備をっ…」
「ああ、ハチっ」
「んっ?」
龍国に戻る準備をしに、屋敷の中へ行こうとした桜時を、輝矢が呼び止める。
「何っ…って、うおっ!?」
輝矢の両手に両頬を挟み込むように持たれて、桜時が無理やり、顔を横へと向かされる。
「痛いっつっ…!」
「・・・っ」
「うっ…!」
向かされた桜時の顔へと、迫る輝矢の顔。
――――ぶっちゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ〜〜〜っっ!!!――――
『あっ…』
公衆の面前で重なる輝矢と桜時の唇。だが誰も驚いた様子は見せず、どちらかというと呆れたような表情で、その光景を見つめる。
「ふぅ〜っ」
「・・・。」
輝矢が唇を離し、呆然と立ち尽くす桜時の方を見る。
「やっぱり再会のチュ〜は定石ですよねぇ〜っ」
「ぐっ…ぐふっ…」
「あれっ?」
輝矢が楽しげに微笑みかけるが、桜時は一瞬にして白目を剥き、そのまま後方へと倒れ込んでいった。倒れた桜時に、輝矢が不思議そうに目を丸くする。
「ハチぃ〜っ?」
「ぐぷっ…」
『はぁっ…』
気絶した桜時を、覗きこむ輝矢。そんな2人の様子に、その場にいた誰もが、深々と肩を落とした。
3時間後。
「はぁっ…すっかり出発が遅くなってしまいましたねぇ…」
「だっれのせいだと思ってんだよっ!!」
“やれやれ”といった表情で肩を落とす輝矢に、ハチが勢いよく怒鳴りあげる。4人揃い、龍国へと戻ろうとしていた輝矢たちであったが、輝矢のキッスで桜時が2時間も気絶していたため、すっかり出発が遅くなってしまったのである。
「我が孫ながら情けないっ…」
「うっせぇっ!!クソじじいっ!!」
本当に情けなそうに頭を抱えている八房に、ハチが少し顔を赤くして、言い返す。
「そう気に病まないで下さいっ、桜時様っ」
「そうですよぉ〜っ!私たちはどんな桜時様でも、常に味方ですっ!」
「その真面目な励まし、逆に落ち込むわっ…」
実の祖父にまで情けないと言われたハチを、必死に励まそうとする犬仁と犬智だが、その必死さが、さらにハチを落ち込ませた。
「ほんなら長老っ、如意棒ありがとうなぁっ」
「うむっ、ゲホゲホっ」
里見家屋敷の入口では、門貴が、猿の村へ戻る長老と二花、チョキ三郎の3人を見送っていた。門貴の言葉に、長老は少し咳込みながらも、しっかりと頷く。
「二花っ、長老を頼むでぇ」
「ああっ」
「チョキ三郎っ、移貴や猿飛によろしく言うといてやぁ」
「はいっ!」
門貴の言葉に、二花とチョキ三郎が、それぞれ笑顔で頷く。
「ほんじゃあ気ぃつけてっ…」
「門貴っ!」
「んっ?」
送り出そうとする門貴の言葉を遮って、二花が強く門貴の名を呼ぶ。
「何や?」
「あっ、えぇ〜とっ…」
聞き返した門貴に、二花は、自分から呼びかけたものの、少し躊躇うように下を向く。
「そのぉ、たまにはぁ、ホンマに帰ってきぃやぁっ」
「へっ?」
俯いたまま話す二花の言葉に、少し目を丸くする二花。
「結構、寂しがりやからっ…姉ちゃんっ…」
「・・・っ」
小さな声で躊躇いながら呟いた二花に、門貴がそっと目を細める。
「二花」
「・・・っ?」
名を呼ばれ、二花が顔を上げる。
「一花に言うといてっ」
「えっ…?」
「“世界救ったら帰る”てっ」
「・・・っ」
今までのような悲しみのない、晴れやかな笑顔を見せて言い放つ門貴に、二花が少し驚いたように目を見開く。もう一花の死を、引き摺っている門貴はいない。二花がそっと口元を緩める。
「アンタに世界なんて救えるかいっ!アホがっ!」
「口の減らん女やなぁ〜っ」
悪態づく二花に、門貴が呆れたように肩を落とす。
「ほんならなぁっ!」
「おうっ」
「アンタらにも世話になったなっ!犬どもっ!」
「ぜってぇ感謝してねぇーだろっ…」
世話になったっわりに言葉が乱雑な二花に、礼を言われたハチたちが皆、少し引きつった表情を見せる。
「とっとと帰れ、カニ女」
「アンタに言われんでも帰るわいっ!」
冷たく言い放つ犬仁に、二花が顔をしかめて強く言い返す。
「ほんならなぁっ!」
「おうっ!」
二花たちが門貴に背を向け、里見の屋敷を出て行く。
「門貴さんっ、皆さんっ!お元気でぇ〜っ!!」
「元気でっ…うっ!ゲホゲホゲホっ!!」
「村着くまで死になやぁ〜長老っ」
門貴や皆に大きく手を振りながら、歩き去っていくチョキ三郎。チョキ三郎と同じように手を振ろうとして咳込んだ長老に、二花が素気なく声をかける。そんなこんなをしながら、二花たちは、里見の屋敷を出て、猿の村へと帰っていった。
「ふぃ〜っ」
3人を送りだした門貴が、少し肩を落として、里見の屋敷内の方を振り向く。
「じゃあボクらも行くぅ〜?」
「そうですね、ハチ」
「ああっ」
由雉の言葉に頷いた輝矢が、ハチの方を見る。輝矢に呼びかけられ、ハチが里見屋敷の前に並んだ八房と八犬士の前に立った。
「みんな、世話になったなっ」
「お気をつけて、桜時様」
「また遊びに来てねぇ〜っ!桜ちゃんっ!」
「いつでもお待ちしておりますのでっ」
「おうっ」
次々と声をかける犬仁、犬信、犬智に、ハチが笑顔を向ける。その他の八犬士たちも皆、ハチに笑顔を見せていた。
「おい、竹取輝矢っ」
「はいっ?」
犬仁に名を呼ばれ、輝矢が不思議そうに振り向く。
「桜時様に何かあったら許さないからなっ、しっかりと守れよっ」
「ハイハイ、ハチの心は私だけのものです」
「全然っ、話が噛み合っていないっ!!」
適当にあしらうように答える輝矢に、犬仁がムキになって怒鳴り返す。
「また再戦に来いよっ、門貴っ」
「ああっ」
犬義の言葉に、笑顔で頷く門貴。
「じゃあじじいっ」
ハチが八房の方を見る。
「俺、行くわっ、色々とありがとうなっ」
「うむっ」
笑顔を見せるハチに、大きく頷く八房。
「んじゃあっ」
「ああ、そうじゃ、桜時」
「へっ?」
輝矢たちとともに八房と八犬士に背を向け、里見の屋敷を出ようとしたハチが、呼び止める八房の声に、ゆっくりと振り返る。
「お前、今、桃タローの家に居候しておるんじゃろう?」
「へっ?あっ、そぉ〜だけどっ?」
八房の問いかけに、ハチが少し戸惑い気味に頷く。
「なら、あやつに聞いたのか?」
「へっ?聞く?」
戸惑いの表情のまま、八房の言葉を繰り返すハチ。
「聞くって、何をっ?」
「何をって、そりゃあお前の父親のことじゃろう」
「はぁっ?」
八房の言葉に、ハチが大きく顔をしかめる。
「なんでアイツに父さんのことを聞くんだよっ?」
「何じゃっ、お前、聞いとらんのかっ?」
「だから何がだって?」
問いかけの繰り返される会話。互いにしかめた表情で、ハチと八房が見つめ合う。
「お前の父、第54代・犬孝は、10年前、桃タローがすべての鬼を退治した時の仲間だったんじゃよっ」
「えっ…?」
八房の言葉に、固まるハチ。
「えええええええぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!!?」
次の瞬間、里見の屋敷に、ハチの絶叫が響き渡った。
翌日。龍国・エセお菓子の家こと『桃原家』。
「いっやぁぁぁぁぁ〜〜〜っ、おかえりぃぃぃぃ〜〜〜っ!」
そのクッキーに似せて作られた大きな玄関の扉を開けると、家の中から爽やかな笑顔を見せ、大きく両手を広げた太狼が姿を現した。
「ぜぇっ…!ぜぇっ…!ぜぇっ…!」
皆の先頭に立ち、大きく乱した呼吸で、太狼を睨み上げているのは、ハチ。
「随分と早かったねぇ〜着くのは明日になるかと思ってたけどぉ〜っ」
そんなハチを気に留める様子もなく、太狼が言葉を続ける。
「ええっ…それはもう大急ぎで走って帰って来たものですからっ…」
「ボクらは別に急ぎたくなかったんだけどねぇ〜」
「イヌコロがどんどん突っ走りよるからさぁ〜」
ハチに付き合わされ、犬国から走って龍国まで戻って来たからか、疲れきったようにげっそりとした表情で、輝矢、ユキジ、モンキがそれぞれに呟く。
「門貴様ぁぁぁぁぁっっ!!お会いしたかったぁぁぁぁぁっっ!!」
「んぎゃあああああああああっっ!!」
玄関は太狼が塞いでいるため、その横のキッチンの窓から、身を乗り上げて飛び出してくるヘンゼル。勢いよく突進してくるヘンゼルから、モンキが死に物狂いで逃げる。
「あぁ〜久々の光景ぃ〜」
「妙に心が落ち着きますねぇ」
「門貴様ぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
「ふんぎゃああああああああっっ!!」
ヘンゼルに追い回される門貴を、特に助けようともせずに、落ち着いた口調で言葉を交わしている輝矢とユキジ。
「あっ!輝矢様っ!お帰りなさいませっ!」
ヘンゼルの飛び出してきた窓から、グレーテルが顔を出す。
「ただいま戻りました、グレーテル」
そんなグレーテルに、輝矢が笑顔を向ける。
「へぇ〜そんなに急いで帰ってくるなんて、どうしちゃったのぉ〜?ハチくぅ〜んっ」
「・・・っ!」
不思議そうに問いかける太狼を、ハチがさらに強く睨み上げる。
「お前っ…!!」
「へっ?」
ハチの前足を強く向けられ、太狼が目を丸くする。
「お前っ…!!何か俺に言うことはないかっ…!?」
「言うことぉ〜?」
ハチの言葉を繰り返し、眉をひそめる太狼。
「あっ、毛先がちょっと乱れてるんじゃないっ?」
「ちっがぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーうっっ!!」
ハチの白い毛並みを指差し、軽い口調で言い放つ太狼に、ハチが全力で怒鳴りあげる。
「クっ…!」
――――ボォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
強く唇を噛み締めたハチが、白い煙に包まれ、桜時の姿となって、近くなった太狼の顔を、また睨みつける。
「お前っ!!何で言わなかったんだよっ!!?」
「へっ?」
「昔っ…!俺の父さんと仲間だったってことっ…!!」
「・・・っ」
桜時の言葉に、太狼が軽い笑みを消し、そっとその表情を曇らせる。
「一緒に鬼退治したらしいじゃねぇーかっ!!なんで、んな大事なことっ…!」
「あぁ〜あっ、しゃべっちゃったのぉ〜?八房さぁ〜んっ」
「えっ…?」
必死の桜時の言葉を遮って、どこか面倒臭そうな声をあげる太狼。そんな太狼に、桜時が眉をひそめる。
「余計なこと、言ってくれちゃってぇ〜」
「余計なことっ…!?」
桜時から目を逸らし、少し冷たく言い放つ太狼に、桜時の表情が勢いよく引きつる。
「余計なことって何だよっ!?」
さらに声を荒げ、桜時が太狼に掴みかかる。
「ハチっ」
「うっせぇっ!!」
「・・・っ」
掴みかかったハチを、止めようと呼びかける輝矢であったが、桜時は輝矢の声を一蹴する。その桜時の様子に、少し驚いたような表情を見せる輝矢。
「お前だって知ってんだろっ!?俺がどんなに父親を探してたかっ…!!」
「ハチっ…」
必死に訴える桜時に、輝矢が目を細める。
――――父さんだって探したいっ…!!――――
それは、桜時の旅の目的。桜時が雀国を出た、最大の理由。
「・・・っ」
その父親の行方を知っているかも知れない人物を目の前に、桜時が冷静でいられるはずもない。止める言葉も理由も思いつかず、輝矢はそっと俯いて、拳を握り締めた。
「なぁっ…!?お前、知ってんのかっ!?父さんがどこにいんのかっ…!」
「・・・。」
詰め寄って問いかける桜時を、鋭い瞳で突き刺すように見る太狼。
「・・・知ってるよっ…」
「・・・っ!」
ポツリと落とすように答えた太狼に、桜時が大きく目を見開く。
「教えろっ…!!」
桜時の太狼を掴む手に、さらに力がこもる。
「俺に父さんの居場所を教えろっ…!!」
「・・・っ」
桜時のその青い瞳が真剣になればなるほど、太狼の表情がどんどんと冷たくなっていく。
「・・・教えないっ」
「んなっ…!!」
呟くように答えた太狼に、桜時が大きく目を見開く。
「んだとっ…!?」
「教えないったら、教えなぁ〜いっ、大体、君に教える義理とかないでしょ〜っ?」
「・・・っ!」
太狼がいつもの軽口を叩くと、桜時の表情がさらに歪んだ。
「はぁ〜あぁっ、相変わらず最低な大人だねぇ〜」
「そんなん言わんと、教えたればええやぁ〜ん」
「タローっ」
呆れたように言い放つユキジとモンキよりも少し前に出て、輝矢が真剣な表情を見せながら太狼の名を呼ぶ。
「ハチは本当に真剣に父親を探しているんです。だからっ」
「だからって、僕が教えてあげる義理はないでしょ〜っ?」
「てっめぇっ…!!」
「・・・痛っ」
太狼の言葉についに怒りが振り切れたのか、桜時が勢いよく太狼の体を押す。すると太狼の背中が強く玄関の扉に押しつけられ、太狼が少し顔をしかめた。
「てめぇにも父親くらいっ、いんだろっ!?」
「・・・っ」
桜時の言葉に、太狼が少しハッとしたように目を見開く。
「だったらっ、父親に会いたいっつー俺の気持ちくらいっ…!わかるはずじゃっ…!」
「いたよっ…」
「えっ…?」
不意に落ちる太狼の声のトーンに、桜時が思わず言葉を止める。
「“最強の狼人”とか言われててねっ、この世界の英雄だった父親っ…」
「タローっ…?」
少し遠くを見るような瞳で、薄い笑みを浮かべながら話す太狼。その太狼が妙に悲しそうに見えて、見つめる輝矢は少し眉をひそめた。
「英雄英雄って捲くし立てられてっ、鬼の軍勢にたった1人で立ち向かわされてっ、それで死んだっ」
「えっ…?」
「・・・っ」
太狼のその言葉に、輝矢と桜時が、それぞれ驚きの表情を見せる。
「そんな父親なら、いたよっ」
「・・・っ」
桜時の方をまっすぐに見つめ、そっと微笑む太狼。その太狼の言葉に唖然としたのか、力強く太狼に掴みかかっていた桜時の手は、さらりと流れるように下ろされた。
「とにかく、今はまだ話せない。今言えるのはそれだけだからぁ〜っ」
そう言い捨てて、太狼は足早に、家の奥へと姿を消した。
「・・・。」
玄関前に残された桜時が、どこか後悔するような表情を見せ、右手で口元を覆って、そっと俯く。
「輝矢様っ…」
少し不安げに、窓から輝矢の方を見つめるグレーテル。
「初めて…聞きました…」
閉まった玄関の扉を見つめながら、輝矢がそっと目を細める。
「タローの…父親の話なんてっ…」
「・・・。」
家の中へと入った太狼が、厳しい表情のまま、足早に1階の自室へと入る。
「はぁっ…」
自室に入り、扉を閉めた途端に、どこか疲れたように肩を落とす太狼。
「珍しいこともあるもんだねぇ」
「うわぁ〜っ」
すぐ横から聞こえてくる声に、太狼が驚いた様子で、自分の左胸を押さえる。
「驚かさないで下さいよぉ〜トマトさぁ〜んっ」
「悪いねぇっ、人の部屋に勝手に入り込むのが癖なんだ」
少し困ったような顔で太狼が振り返ったその先には、トマトが立っていた。いつの間に、どこから入って来たのか、ということは、この人を相手には愚問である。
「太狼っ…」
「はいっ?」
真剣な表情で呼びかけるトマトに、軽く返事をする太狼。
「私の258番目の旦っ…!」
「お断りします」
「うっ…」
まだ“旦那”という単語も出ていないうちから、笑顔を見せた太狼が、トマトのプロポーズを慣れた様子で断る。一瞬にして玉砕し、顔をしかめるトマト。
「いつまでも釣れない男だねぇ〜」
「僕は永遠に釣れないですから、いい加減、諦めて下さいぃ〜」
拗ねるように口を尖らせるトマトに軽く答えながら、太狼がトマトの横を通り過ぎ、自室の机の前の椅子へと座る。
「はぁ〜ああっ」
「・・・っ」
椅子に座り、両手を伸ばして伸びをする太狼の背中を見ながら、真剣な表情を作り、目を細めるトマト。
「珍しいねっ…」
「何がですかぁ?」
もう1度その言葉を呟いたトマトに、太狼がいつもの明るいトーンを変えずに聞き返す。
「お前が、感情的になるなんて」
「・・・っ」
トマトの言葉に、伸びをしようと上げられたまま、高い位置で止まる太狼の両手。
「そんなに気に食わないかい?」
両手の動きを止めた太狼に、トマトが少し試すような笑みを向ける。
「朱実桜時は」
「・・・っ」
どこか挑戦的なトマトの言葉に、太狼はそっとその口元を緩め、上がっていた両手をゆっくりと下ろした。
「ええっ」
笑みを浮かべたまま、短く頷く太狼。
「父さん父さんって、まっすぐに父親を追ってる姿が、まるでっ…」
太狼が少し目を細め、突き刺すようにどこかを見つめる。
――――父さんっ!父さんっ!!――――
思い出される、父親の影を追ってばかりいた、少年の日。
「昔の自分を見ているみたいでっ…不快なこと、この上ないですよっ」
「・・・っ」
過去の自分を嘲るような笑みを浮かべる太狼に、トマトはそっと目を細めた。
戻って、桃原家・玄関前。
「俺っ…」
扉の前にポツリと立ち尽くしていた桜時が、ふと声を漏らす。
「俺っ…あいつの気に障るようなことをっ…」
「気にすることありませんよっ、ハチ」
「えっ…?」
太狼の口から父親の話を聞き、どこか気に病むような表情を見せていた桜時が、輝矢の声に、戸惑うように顔を上げる。桜時が顔を上げると、そこには笑顔の輝矢が立っていた。
「輝っ…」
「大丈夫です。ハチの父親のことは、後で私がタローの首でも絞めて、聞きだしておきますからっ」
「やめいっ!!」
笑顔で殺人予告を口にする輝矢に、桜時が勢いよく突っ込む。
「いいってっ!アイツが話せないっつーんだから、何かきっと理由とかあんだろうしっ!」
「そうかぁ〜?ただのイヌコロへの嫌がらせちゃう〜?」
「もしくは糖分が足りてなかったとかぁ」
「・・・あり得るっ…」
理由があるのだろうと主張はしたものの、モンキとユキジの言葉に、その考えを、あっという間に変えられそうになる桜時。
「けっけど、いくらアイツがただの超甘党で、俺のこと苛めるの趣味みたいにしてるからってっ…!って、やっぱあり得るかなっ…」
「揺れてますね」
何とか太狼にフォローを入れようとするが、モンキたちの意見に流されそうになる桜時。2つの考えの間で揺れる桜時を、輝矢が呆れた表情で見つめる。
「まぁとりあえず、ハチに暴言を吐いた件だけは、私が爪引き剥がしてでも謝らせますのでっ…」
「だからやめいっつってんだろうーがっ!!お前はっ!!」
シレっとした表情で恐ろしい発言をする輝矢に、桜時が少し怯えながらも必死に止める。
「っつーか、謝るんだったら、俺が謝るべきだしっ…」
「えっ?」
少し俯いて呟く桜時に、輝矢が目を丸くする。
「何故、ハチが謝る必要があるのです?さっきのはどう聞いても、386%、タローが悪いですよ?」
「その数字、よくわかんねぇーっ」
輝矢の微妙な確率に、顔をしかめる桜時。
「けっけどっ…」
桜時が再び、下を向く。
――――そんな父親なら、いたよっ――――
どこか悲しげだった、太狼の薄い笑み。あんな太狼は、初めて見た。
「何かっ…そのっ…辛いっぽい顔してたしっ…」
「・・・っ」
あれほどに求め続けた父親のヒントが、目の前にあるかも知れないというのに、それを気にする素振りなく、今はただ、太狼のことを心配している桜時。そんな桜時を見て、輝矢が少し目を細める。
「アナタはっ…」
「へっ…?」
桜時の頬に、そっと触れる、輝矢の右手。
「本当に…優しい人ですね…」
「・・・っ!!」
穏やかに微笑む輝矢に、桜時の顔色が一気に真っ赤になる。
「のおおおおおぉぉぉぉぉぉ〜〜〜っっ!!!」
真っ赤な顔をしたまま、輝矢の手から逃れるため、勢いよく後退していく桜時。輝矢と距離を離し、閉まった玄関の扉にぴたりと背中を張りつける。
「べっべべべべべ別に優しいとかじゃねぇーしぃっ!ナハハハハっ…!!」
「ハチっ?」
わざとらしいまでに大きく笑う桜時に、輝矢が少し首を傾ける。
「何かハチ、前より拒絶反応、ひどくなってません?」
「へぇっ!?」
輝矢の鋭い指摘に、思わず声を裏返らせる桜時。
「そっそそそそそそんなことなねぇーぞぉっ!?アハハハハっ…!!」
「うぅ〜んっ…」
どうもウソ臭い笑い声を発する桜時に、疑いの目を向ける輝矢。
「アハハっ…ハハっ…!」
輝矢の疑いの目線を感じ、桜時が顔を引きつる。
「まっまぁっ!とりあえず家ん中にっ…!」
「あっ!そうそぉっ!かっぐやちゃぁぁぁ〜〜〜んっっ!!」
「ぎゃあああああっっ!!」
その時、太狼の明るい声とともに勢いよく玄関の扉が開き、扉にぴたりと背中を張りつけていた桜時が、勢いよく吹き飛ばされた。
「帰ってきたら言うよう頼まれてたこと、すっかり忘れてたやぁ〜っ!」
「ぐへぇっ!」
玄関から出てきた太狼が、扉に吹き飛ばされ、力なく倒れ込んでいた桜時の背中を、容赦なく踏みつける。
「あっれぇ〜?いたのぉ〜?ハチくぅ〜ん」
「どう頑張ったら、視界から消せんだよっ!!このクソ桃タローっ!!」
「あんまりにも薄汚くて、眼球が見ることを拒否してたのかなぁ〜?」
「ああっ!!?」
わざとらしく言い放つ太狼に、勢いよく怒鳴りあげる桜時。
「すっごい切り替え、早っ」
「さっきのシリアスさはどこへやらぁ〜だねぇ」
先ほどまで真剣な言い争いをしていたとは思えないような緊張感のなさで、いつものようにくだらない言い合いを繰り広げる桜時と太狼に、モンキとユキジが呆れきった表情を見せる。
「もう絶対、謝んねぇーからなっ!!」
「はぁ〜?」
強く言い放つ桜時に、太狼が不思議そうに首を傾げる。
「でっ?私に言うよう頼まれてたこととは何なのです?タロー」
「あっ、そうそうっ、実はねぇ〜」
「俺の上からどいてから、しゃべれっ!!」
桜時の背中を踏みつけたまま、話をしようとする太狼に、桜時がさらに怒鳴りあげた。
「実はねぇ〜」
やっとのことで桜時から降り、改めて話を始める太狼。
「“戻ってきたら、オトポリに来てくれ”って、リンゴちゃんがぁ〜」
「リンゴが?」
太狼の言葉に、輝矢が少し眉をひそめる。
「うん〜」
「そうですか、では早速、オトポリへっ…」
「ぐぅぅぅぅぅ〜〜〜っっ!!!」
『・・・っ?』
その時、遠くの方からこちらへと近づいてくる、何やら必死な大声が聞こえてきて、輝矢や太狼、皆が振り返った。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅ〜〜〜〜っっ!!!」
桃原家へと全力疾走で駆け込んでくるのは、オトポリの黒い制服を着て、その制服には似ても似つかぬ麦わら帽子を被った、短い茶髪にくりくりとした黒い瞳の青年であった。
「鹿男っ」
「ぐぅぅぅぅぅぅ〜〜〜っっ!!」
輝矢の元へと走り込んできたのは、アホウの国こと鹿国出身の鹿人、加々鹿男であった。輝矢と出会ったことに影響を受け、今は龍国でオトポリの志願隊員をしているのである。ちなみに“ぐぅ〜”というのは、鹿男が付けた、輝矢のあだ名である。
「久し振りですね」
目の前へと駆け込んできた鹿男に、輝矢が声をかける。
「そういえばこの前、キリコに会いましてね、アナタによろしくと言っ…」
「ぐぅっ!!」
「えっ…?」
キリコからの伝言を伝えようとした輝矢の言葉を勢いよく遮り、鹿男がその両手で、強く輝矢の手を握り締めた。
「鹿男…?」
顔を上げた鹿男は、いつものアホウ全開の陽気笑顔とは違い、妙に真剣な顔をしており、輝矢は少し戸惑うように鹿男を見る。
「一体、どうしっ…」
「俺のっ…!人生の千本ノックっ…!聞いてっ…!!」
「はっ…?」
鹿男の発した、まるで意味のわからない言葉に、輝矢が勢いよく顔をしかめる。
「あっ!そうじゃぁ〜なくってぇ、えぇ〜っと、何て言うんだっけぇ?瀬戸際の3回転ジャンプだっけ?えぇ〜っとっ…」
「相変わらず何言っとうか、サッパリやなぁ〜」
正しい言葉を探し、悩み込む鹿男。アホウの鹿男は、普通の人間を同じように会話をする能力に欠けているのだ。そんな鹿男を、呆れた表情で見つめるモンキ。言いたいことを汲み取ってやろうにも、まったく連想も想像もつかない。
「ってか、輝矢ってアホウ語の通訳、マスターしてたんじゃなかったけぇ〜?」
「時間が経ったので、忘れました」
「ええぇ〜?」
わりと早くに忘れ去った輝矢に、ユキジが呆れた視線を向ける。
「じゃあ誰もわかんないじゃ〜ん」
「困りましたねぇ」
ユキジの言葉に、輝矢が少し首を捻らせる。
「えぇ〜っと、何だっけぇ〜?」
「“一生のお願い”」
「そうっ!それっ!!って、げっ!」
横から聞こえてくる求めていた言葉に、嬉しそうに振り向く鹿男であったが、振り向いた途端、一気に鹿男の表情が引きつられた。
「馬ロンっ…!!?」
「・・・。」
鹿男の振り向いた先に立っているのは、腰ほどまで伸びたサラサラの金髪をたなびかせた、長身細身の20代半ばあたりの男。そのよく整った顔立ちを、今は不機嫌そうにしかめている。
「“次長”か“隊長”と呼ぶようにと、何度も言っているだろうっ?」
「うっ…」
しかめっ面で鹿男に注意をする馬ロン。馬ロンはオトポリの次長で、志願隊員である鹿男の、指導員をしているのである。上司を目の前にしたからか、鹿男が怯えるように、2,3歩下がる。
「業務時間中に勝手に抜け出さないようにとも、もう何度も言ったはずだがっ?」
「ううっ…」
馬ロンにさらに責められ、鹿男が逃げるように輝矢の後ろへと身を隠す。
「ただでさえ馬面なのに、さらに馬面をしてシカを威嚇するのはやめて下さい、ウマっ」
「んなっ…!!」
鹿男を庇うように立ちながら、馬ロンに冷たく言い放つ輝矢。輝矢の発言に、馬ロンがさらに顔をしかめる。
「うっ馬面っ…!?君っ!このオトポリの白馬の王子・馬ロンに、何という口をっ…!」
「あぁっ!輝矢っ!」
「・・・っ?」
馬ロンの声を遮って聞こえてくる声に、輝矢が振り向く。
「リンゴ、羊スケ」
「帰って来てたのねぇっ!丁度、良かったっ!」
「うっ…うぇっ…」
輝矢が振り向くと、そこには黒のオープンカーが止まっていた。助手席にリンゴ、運転席にはとても疲れた様子の羊スケが乗っていた。
「何かげっそりしてね?羊スケっ」
「ここ最近っ…ずっとリンゴさんにコキ使われてましてっ…」
桜時が声をかけると、羊スケは覇気なく答えた。
「おおぉ〜〜っ!!リンゴぉぉぉ〜〜っ!!今日も一段と美しっ…!」
「ハイハイっ」
リンゴの美しさを称賛しようとした馬ロンをとっとと押しのけ、リンゴが輝矢の前へとやって来る。
「あんた、いつ帰って来たのよぉ?」
「さっきです」
すぐ前までやって来たリンゴの問いかけに、輝矢が短く答える。
「そういえばリンゴ、タローから伝言を聞きましたが、私に何か用ですか?」
「そうそうっ、そうなのっ」
輝矢の言葉に、リンゴが何度も頷く。
「実は北方で、鬼人が出たってゆー国があってねぇっ」
「鬼人っ…?」
『・・・っ』
リンゴの口から鬼人の名が出ると、輝矢と桜時たち3人が、表情を厳しくする。
「だけどほらぁ、今、オトポリ内、忙しいじゃないっ?だから人手が足りなくってさぁ」
「指導員の僕に、派遣命令が回ってくる始末なのさっ」
「へぇ〜」
2人の言葉に、輝矢があまり興味なさそうに頷く。
「って、ゴンゴンはぁ〜?」
「そうだよぉ〜こうゆう時の問題キツネでしょ〜?」
「うえっ!?」
モンキとユキジから口々に問いかけられ、焦った表情で、上ずった声を出す羊スケ。ゴンが輝矢たちと時を同じくして修行に出たことを、4人は知らないのである。そしてまだ、ゴンは修行から戻って来ていない。
「あっああぁ〜っ、ゴンさんは確かぁ〜お料理を習いに遠くの国までぇ〜っ!」
「オトポリがクソ忙しいってゆーのにかぁっ?」
羊スケの下手過ぎるウソに、顔をしかめて問いかける桜時。
「ベン君なら、確か修ぎょっ…ぶほぉっ!」
「オホホホっ!クソ忙しい時だからこそ、追い払ったのよぉ〜っ!あの問題キツネ、いると余計に忙しくなるからぁ〜っ!」
「ああ、そういうことか」
何かを言いかけた馬ロンを蹴り飛ばして、満面の笑みで言葉を繋げるリンゴ。リンゴの笑みもかなりウソ臭いものではあったが、ゴンの普段の素行が素行なだけに、桜時たちは納得した様子で頷く。
「・・・っ」
そんなリンゴと羊スケの少しおかしい様子を見て、そっと目を細める輝矢。
「いいですよっ」
「へっ?」
輝矢の声に、リンゴが笑みを止めて振り向く。
「その鬼人退治、私が頼まれて差し上げますっ」
「えっ?あっ、随分とあっさりねっ…まっまぁいいけどっ…こっちはそのつもりだったしっ…」
簡単に返事する輝矢に、少し拍子抜けしたような表情を見せるリンゴ。
「じゃあ頼んだわよっ」
「はい」
リンゴの言葉に、もう1度しっかりと頷く輝矢。
「あっ!言っとくけど、無理はしないようにねっ!あの女が関わってきたら、すぐオトポリに連絡すんのよっ!?」
「気が向いたらします」
「100%の割合で連絡しなさいっ!!」
適当な反応を示す輝矢に、リンゴが親のように怒鳴りつける。
「ではリンゴ、僕は行かなくてもいいかなぁ?」
「ええっ、馬ロンは通常通り、鹿男の教育にっ…」
「イヤだぁぁぁぁっっ!!!」
『・・・っ?』
打ち合わせをしていたリンゴと馬ロンが、勢いよく聞こえてきた怒鳴り声に、一斉に振り向く。2人が振り向いた先にいたのは、輝矢の後ろからやっと顔を出した鹿男であった。鹿男がまるで睨みつけるように、リンゴと馬ロンを見る。
「俺もぐぅ〜たちと一緒に、鬼人退治に行くっ!!」
「えっ?」
「はぁっ…」
鹿男の言葉に驚く輝矢と、深々と溜息をつく馬ロン。
「あのねぇ、何度言ったらわかるんだ?」
少し頭を抱えた馬ロンが、呆れた表情で鹿男の方を見る。
「君は志願隊員だ。まだ人語もろくにしゃべれないくせに、鬼人退治なんて5億光年早っ…」
「鬼人が出たのは“獅国”だっ!」
「獅国っ…?」
聞いたことのあるその国名に、輝矢がそっと眉をひそめる。
「獅国はレオのっ…!俺の友達の国だっ!!」
鹿男がアホウとは思えないしっかりとした人語で、必死に言葉を続ける。
「今行かなかったらっ…!何のためにオトポリに入ったのか、わかんないよっ!!」
「鹿男っ…」
「・・・っ」
その必死な鹿男の言葉に、リンゴが目を細め、輝矢がその表情を厳しくする。
「っつーか、アイツ、人語上手くなったなっ」
「馬ロンさんが必死に指導してたっスからねぇ〜」
真剣な言い合いの中、あまり空気の読めていない会話をする桜時と羊スケ。
「ダメなものは、ダメだっ」
「・・・っ」
強く言い放つ馬ロンに、鹿男が思わず唇を噛む。
「どうせ志願隊員の君が行ったところで、鬼人なんて倒せっこない。お友達の国を救うことなんて不可能っ」
「そんなの、行ってみなきゃわかっ…!」
「わかるっ」
「・・・っ!」
言い切る馬ロンに、それ以上の言葉を続けられない鹿男。
「とにかく今は諦めたまえっ」
馬ロンが鹿男から目を逸らし、偉そうにがっしりと腕を組む。
「どうしても救いたいんなら、次行けるよう、しっかりと勉強に励むことだっ」
「・・・っ」
馬ロンの言っていることは、正論である。その正論に言い返す言葉が出て来ないのか、鹿男はただ悔しそうに口をしっかりと閉じ、深く俯いて、拳を握り締めていた。
「・・・。」
そんな鹿男を見て、輝矢が少し目を細める。
「シカっ」
「へっ?」
輝矢に種族を呼ばれ、鹿男が少し戸惑うように顔を上げる。
「何っ?ぐっ…」
「アナタ、車の運転はっ?」
「へっ?」
急な輝矢の問いかけに、鹿男が目を丸くする。
「出来るよっ、オトポリに入ってすぐに僕が教えたからねぇっ」
戸惑っている鹿男の代わりに答えたのは、馬ロンであった。
「そうですか、では行きますよっ」
「へっ?」
『へっ!?』
そう言って鹿男の手を引き、リンゴと羊スケの乗って来たオトポリのオープンカーの運転席へと、無理やり鹿男を乗せる輝矢。皆が戸惑うように見つめる中、輝矢がその隣の助手席に乗り込む。
「とっとと行きますよ?」
「あっ、おうっ」
「待ってやぁ〜っ!輝矢ぁぁ〜んっ!」
「ボク、寒いとこ、苦手なんだけどぉ〜」
そう言いながら後部座席へと、桜時、モンキ、ユキジが次々と乗り込んでいく。
「ではタロー、ちょっと行ってきますね」
「はいはぁ〜いっ」
『いってらっしゃいませっ!輝矢様っ!』
輝矢たちを、太狼とヘンゼル・グレーテルが笑顔で見送る。
「ちょっ…!輝矢っ…!」
「君っ!何をしてっ…!」
「リンゴっ」
リンゴと馬ロンの言葉を遮り、輝矢がリンゴの名を呼ぶ。
「鬼人退治に行ってきてあげる代わりに、この車と運転手、お借りしますねっ」
「えっ?あっ、えとっ…」
「運転手くらい、他にもいるだろうっ!例えばっ、そこのコースケ君とかっ!」
「羊スケっス…」
口ごもるリンゴの代わりに、輝矢を責めるように言い返す馬ロン。馬ロンに名前を間違えられながら、力強く指を差され、羊スケが少し引きつった表情を見せる。
「コースケでも羊スケでもいいからっ、とにかく彼を運転手にっ…!」
「あっあぁ〜っ!俺っ!最近、リンゴさんにコキ使われてるせいで寝てないからっ、今、運転したら絶対、事故るなぁ〜っ!」
「何っ!?」
わざとらしく額を押さえ込む羊スケに、馬ロンがさらに表情をしかめる。
「ヒツジもそう言ってることですし、ここはやはりシカに運転していただくしかありませんねっ」
「待て待てっ!」
話をどんどんと進めていく輝矢を、必死に止める馬ロン。
「ならっ、本部に要請して、他の運転手をっ…!」
「そんな暇はありません。事は一刻を争うのです」
「うっ」
強く言い放つ輝矢に、さすがの馬ロンも口ごもる。
「ではとっとと出発しますよっ、シカっ」
「うぅ〜んっ!」
嬉しそうな笑顔で大きく頷いて、勢いよくアクセルを踏む鹿男。
――――ブイイィィィィィィーーーーンっっ!!!――――
『ぎゃああああああああああああああっっっ!!!』
勢いよく後方へ進む車に、後部座席の3匹が、悲鳴にも似た声をあげる。
「あっ!間違えてバックしちゃったぁ〜っ!よっとぉ〜っ!」
陽気な笑顔を見せた鹿男が、レバーを操作し、改めてアクセルを踏む。
――――ブイイィィィィィィーーーーンっっ!!!――――
『ひぎゃあああああああああああああっっ!!!』
いきなり最高速度で走り出す車に、またも後部座席から悲鳴が響く。あっという間に走っていく車に、その悲鳴もすぐに聞こえなくなった。
「あぁ〜あっ…行っちゃった…」
「俺の車…無事で戻って来るっスかねぇっ…?」
どこか呆れた表情で呟くリンゴと、どこか不安げに車の走り去って行った方を見つめる羊スケ。
「ああぁ〜っ!もうっ!」
「・・・っ」
リンゴが、苛立ちを全面に押し出し、頭を掻いている馬ロンの方を振り向く。
「別に気になるなら、追って行ってくれてもいいわよぉ〜?」
ごこかわざとらしく声を掛けるリンゴ。
「どうせあんたの仕事は、鹿男が居なきゃ成り立たないんだしぃ〜?」
「・・・っ」
そのリンゴの言葉に、馬ロンの眉間の皺がぐっと寄る。
――――ボォォォォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
『・・・っ?』
白い煙の中に包まれていく馬ロンを、目を丸くして見つめるリンゴと羊スケ。
「ふぅっ!」
白い煙の中から姿を現したのは、美しい1頭の白い馬。
「ちょっ…!ちょちょちょっと散歩に行ってくるだけだからねっ!間違っても獅国になんて行かないよっ!」
「ハイハイっ」
妙に必死になって言う馬ロンを、リンゴが軽くあしらう。
「私がいなくても、泣くんじゃないよっ!リンゴっ!」
「ハイハイっ、泣かない泣かないっ」
「ではねっ!」
「ハイハイっ、いってらっしゃ〜いっ」
蹄のいい音を立てて、その場を走り去っていく馬ロンを、リンゴが適当に見送る。
「素直じゃないっスねぇ〜馬ロンさんもっ。心配なら心配って言えばいいのにぃ」
「まっ、いいんじゃないっ?馬ロンが部下の身、案じてるってだけでも、もう奇跡みたいなもんだしっ」
羊スケの言葉に、リンゴが少し疲れたように肩を落とす。
「さっ、私たちも戻って、仕事の続きするわよぉっ!」
「うぃ〜っス…」
張り切るリンゴに、羊スケがまったくやる気のない返事を返す。
「さぁ〜て、ココアタイムにでもしようかぁ〜?ヘンゼルぅ〜、グレーテルぅ〜」
「あっ、はいっ!」
「準備しまぁ〜すっ!」
太狼の言葉に頷き、ヘンゼルが家の中へと入り、窓から顔を出していたグレーテルが顔を引っ込め、キッチンでココアの準備を始める。
「さぁ〜てとっ」
「あっ!太狼さんっ!」
「ん〜っ?」
家の中に入ろうとした太狼が、リンゴに呼び止められ、振り返る。
「何ぃ〜?」
「オトポリの本部に、緊急匿名通信が入ってましたよっ」
リンゴが太狼へ、鋭い瞳を向ける。
「“巌流島”からっ」
「・・・っ」
「巌流島っ?」
リンゴが口にしたその島の名に、太狼はそっと眉をひそめ、羊スケは聞き慣れない様子で首を傾けた。
「そっ」
太狼がすぐに笑顔を作り、短く頷く。
「わかったぁ〜後で見に行くぅっ」
「・・・っ」
いつもの軽い口調でそう言う太狼に、表情をしかめるリンゴ。
「太狼さん」
「んっ?」
リンゴが真剣な表情で、太狼の方を見つめる。
「あなたのことは信用していますし、あなたが何をしているのかを問い質す気はありませんけどっ…」
まっすぐな瞳で、太狼を捉えるリンゴ。
「あの子たちのことだけはっ、守ってあげて下さいねっ…」
「・・・っ」
その言葉は、真剣で、でもどこか祈るようで、太狼はそっと目を細めた。あの子たちのこと“だけは”。そう強調したリンゴの心に刻まれているもの。
――――次狼ぉぉぉぉぉぉっっ!!!――――
それは、かつて守れなかった、大切なもの。
「・・・わかってるよっ」
「・・・失礼します」
太狼がそっと微笑み、頷いたのを確認すると、リンゴは太狼に一礼をした。
「さっ、行くわよ、羊スケ」
「うぃっスっ!」
羊スケを引きつれ、オトポリへと戻っていくリンゴ。
「ふぅ〜っ」
桃原家の前に1人残った太狼が、どこか疲れたように肩を落とす。
「緊急…かっ…」
少し鋭くした瞳で、空を見上げる太狼。
「もう本当に…時間がないんですね…」
空を見上げた太狼が、険しい表情を見せる。
「犬孝さんっ…」
その誇り高き名を呼ぶ声は、吹き荒れる風に、掻き消された。
其の六十二につづく。
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