第53章 敗北
――――やっと見つけた…――――
「“命…咲かす者”…?」
桜時が、目の前に現れた牢戸知玖の言葉を、戸惑いの表情で繰り返す。
「ええ…」
そっと微笑んだまま、ゆっくりと頷くシルク。
「何、意味わかんねぇーことをっ…!」
感じる恐怖を振り払うようにして、桜時が素早く村雨丸を抜く。
「梅人は渡さねぇっ!!」
桜時が村雨丸を構えた。
「“柔桜っ…無塵”っ…!!」
桜時が村雨丸を振り切ると、周囲に桜が舞い降り、桜を纏った桃色の一閃が、シルクへと向かっていく。
「・・・っ」
何もしようとはせず、ただ微笑んで、向ってくる一閃を見つめるシルク。
「・・・草薙っ」
シルクの背後に立っていた諸刃が、素早くシルクの前に立ち、腰に下ろしている水晶のような美しい剣の柄に手を伸ばした。
「クサナギ…?」
桜時が眉をひそめる中、諸刃が抜いたばかりの草薙という名の水晶の剣を振り上げる。
「・・・“春雷”…」
――――バリィィィィィィィィィーーーーンっ!――――
「・・・っ!」
諸刃の振り上げた草薙の剣先から放たれた電撃が、シルクへ向かっていっていたすべての桜の花びらを焦がし尽くした。力なく落ちる桜の花びらに、消える一閃。その光景を、桜時が大きく目を見開いて、見つめる。
「“雷…力”っ…」
「・・・。」
ゆっくりと草薙を下ろす諸刃を見つめながら、桜時が茫然と呟く。その力は、桜時が初めて見るものであった。
「ネバーランドで会った時…貴方たちは言ったわね…」
「・・・っ」
諸刃が再びシルクの後方へと回り、前へ出たシルクが、桜時へと語りかける。
「“鬼が人間に戻った”と…」
「・・・。」
ゆっくりとした口調で話しを続けるシルクの言葉に、桜時が少し眉をひそめる。
――――さっきの灰鬼、気絶さしたら人間に戻りよってなぁっ…――――
――――それがこの前、成人の儀やってたヤツだったから、もしかしてって思ってよっ――――
そう、ネバーランドで、桜時の攻撃を受けた鬼人化人間は、人間の姿へと戻った。輝矢が攻撃しても戻らなかったというのに、桜時の時だけは戻った。
「あの時…梅の青年が“花力”を使っているのを見たから…てっきり人に戻したのは彼の方だと思ってた…」
――――そして…“花を咲かす者”…――――
別れ際、輝矢と梅人にだけ“また会いましょう”と言ったシルク。シルクの探していたのは、鬼人化人間を人間へと戻した者。
「・・・。」
やっと出る答えに、桜時が厳しい表情を見せる。
「お前が狙ってたのはっ…梅人じゃなくてっ…」
「そう…貴方よっ…」
シルクの口端が、さらに吊り上がる。
「朱実桜時っ…」
「・・・っ!」
シルクに名を呼ばれた瞬間、桜時の全身に震えが走った。
「・・・っ」
震える手が、村雨丸の刃先まで伝わる。必死にそれを消すように、桜時は強く唇を噛み締めた。痛みで恐怖を打ち消したかった。恐怖する自分を隠したかったのだ。
「貴方は…この世で唯一っ…“鬼を人へと変える者”…」
シルクがゆっくりと右手を上げる。
「・・・。」
シルクの言葉を聞き、そっと俯く桜時。どうして桜時だけが鬼を人へと戻せるのか、といった疑問は浮かばなかった。桜時には、心当たりがあった。
――――その力の名は…“命力”…――――
シルクが狙っているのは、桜時の中に眠る“神の力”。
「そして唯一…」
その上げた右手が、顔を上げた桜時の方へと伸ばされる。
「“私の願いを叶えることの出来る者”っ…」
「願い…?」
「ええ…」
「・・・っ」
聞き返した桜時に、シルクが小さく頷く。その願いが何なのか、問いかけることが桜時には出来なかった。知りたいとも思ったが、知りたくないという気持ちの方が上回った。知れば、2度と戻ることが出来ないような気がした。
「聞かないの…?」
「えっ…?」
その問いかけに、桜時が思わず顔を上げる。
「私の願いが何なのか…」
「・・・。」
すべてを見透かしているように冷たく笑う、その血のように赤く、だがまったく血の通っていなそうな、感情の読めない瞳。
「それとも…聞けないの…?」
「・・・っ」
そっと微笑むシルクに、桜時が唇を噛み締める。どんなに感情を隠したところで、この女には読まれてしまうのであろう。今の桜時の戸惑いも恐怖も、きっとシルクの手の中の小さなものに過ぎない。
「可愛いわね…」
「・・・っやめっ…!」
伸びてくる白い手に、桜時が左手を振り上げようとした、その時。
――――パシンっ……!――――
「・・・っ」
「えっ…?」
桜時へと伸ばされたシルクの手が、桜時ではない者の手によって、振り払われた。桜時とシルクが、それぞれ戸惑うように、その手の人物を見る。
「・・・輝矢っ…」
「・・・。」
シルクの手を振り払ったのは、桜時のすぐ前へと立ち、シルクに鋭い瞳を向けている輝矢であった。桜時が少し驚いたように、現れたばかりの輝矢を見つめる。
「私のハチに触れようなんてっ、百年早いですよっ…」
「・・・月の少女っ…」
強きに言い放つ輝矢を見て、シルクはどこか楽しげに微笑んだ。
「はぁっ…!はぁっ…!はぁっ…!」
雨の激しくなる龍国を、ひたすら森を目指して駆けるゴン。その額からは汗か雨か、雫が滴り落ちていた。
――――俺の町へ来ませんか?――――
――――俺はゴンを信じますよ――――
――――ゴンっ…――――
「・・・っ」
思い出される過去の光景に、ゴンが強く唇を噛み締める。
「頼むっ…!」
必死に駆けながら、零れ落ちる言葉。
「間に合ってくれっ…!」
願うようにそう言い放ちながら、ゴンは輝矢や桜時たちの元へと急いだ。
『・・・。』
しばらく見つめあったまま、訪れる沈黙。交錯する輝矢の黒い瞳と、シルクの赤い瞳。何を思っているのか、何を探り合っているのか、2人の間に入り込めないような壁を感じ、桜時はただ、見つめ合っている2人の様子を見守った。
「竹取…輝矢…」
諸刃も同じように2人を見つめながら、ポツリと輝矢の名を落とす。
「わりと早めに再会出来たわね…嬉しいわ…」
「私はそう嬉しくもないですけどっ…」
微笑むシルクに、輝矢も少し引きつった笑みを見せて答える。
「でも今日は貴女じゃなくて、貴女の飼い犬さんの方に用事があるのだけれど…」
「・・・っ」
シルクの言葉に、桜時の心臓がドキリと鳴り、その表情がしかめられる。
「狙いは梅人ではなく、ハチだったということですか…」
すぐにすべてを理解し、納得したように頷く輝矢。シルクの狙いは、梅人の“花力”ではなく、桜時の“命力”だという方が、確かにより具体的であるような気がした。
「ご用件があるなら、まず飼い主を通していただかないと困るのですが…?」
輝矢がさらに前へ出て、シルクから桜時を庇うように、立ち塞がる。シルクをまるで挑発するかのような言葉を吐き、鋭い瞳を向ける輝矢。
「輝っ…あっ…」
輝矢の名を呼ぼうとした桜時が、ふと何かに気づき、視線を落とした。
「・・・。」
「・・・っ」
桜時を庇うようにして立っている輝矢の、その強く握られた右手が、小刻みに震えている。震える輝矢の手を見て、桜時はそっと目を細めた。桜時を庇ってくれているが、挑発めいた発言をしているが、輝矢も目の前に立つ女に対し、確かな恐怖を感じているのだ。
「輝矢っ…」
初めて見る、敵に恐怖している輝矢に、桜時が少し険しい表情を見せる。
「そう…」
輝矢の挑発に顔色1つ変えずに、短く頷くシルク。
「じゃあまず飼い主さんを説得しないとね…」
「・・・。」
シルクのその言葉に反応し、後方に立つ諸刃が、再び草薙の剣を構えた。
「いいわ、諸刃…」
「・・・っ?」
制止を促すように右手を前へと出すシルクに、諸刃が少し眉をひそめる。
「ここは私が…」
「しかしっ…」
「いいの…」
「・・・はっ…」
反論しようとした諸刃であったが、もう1度強く言うシルクに逆らうことはせず、大人しく返事をすると、草薙の剣を鞘へと戻し、距離を取るように1歩下がった。
「さぁ…遊びましょうか…」
シルクがゆっくりと、輝矢の方を向き直る。
「月の少女…」
「・・・。」
微笑むシルクに、輝矢の表情がさらに厳しくなる。
「少し下がっていて下さい…ハチ…」
「えっ…?でっでもっ…!」
「お願いです…」
「・・・っ」
真剣に願う輝矢の声。目の前にいるのは、輝矢が恐怖するほどの相手だ。桜時がともに戦ったところで、足手まといになるだけであろう。それに、狙われている桜時がともに戦えば、輝矢の気を散らせてしまう。
「・・・わかった…」
頷くことしか出来ず、桜時はそっと後ろへ下がった。
「“月器・三日月”…」
輝矢が右耳のピアスを弾き、月器を目覚めさせて、三日月を構える。
「竹取輝矢…」
瞳を鋭くする輝矢。
「鬼退治いたしますっ…!」
「・・・っ」
輝矢が三日月を振り上げると、シルクがどこか楽しげに両手を広げ上げた。
「シルク様っ…!!」
『・・・っ』
今まさにぶつかり合おうとしていた輝矢とシルクが、シルクの名を呼ぶその大きな声に、同時に動きを止めた。桜時と諸刃も、声のした方を振り返る。
「・・・鬼っ…?」
振り返った桜時が、そっと眉をひそめる。そこに現れたのは、紫色の肌の、金色の角を持った1匹の鬼であった。腹部にかなり深い刀傷を負っており、ボタボタと人間のものではない緑色の血を流している。
「・・・薄荷っ…!?」
「シルクっ…様ぁっ…!!」
驚いたように鬼の方を見る輝矢。傷を抱え苦しみながら、必死にシルクの方へと手を伸ばしているのは、輝矢が先程まで戦っていた薄荷が、鬼人化したあの紫鬼であった。
「追ってっ…?」
傷を負わせて動けないようにし、戦いが終わった後でオトポリに連れていくつもりであったというのに、自力で目覚めて、輝矢を追ってきたようである。輝矢が少し困惑したように、薄荷を見つめる。
「薄荷…?ああ…」
輝矢の言葉に、思い出したように頷くシルク。
「生きていたの…」
シルクが、薄荷の方を振り向く。
「もうとっくに殺されたのかと思っていたわ…」
ゆっくりとした足取りで歩み寄って来る薄荷に、シルクが冷たい笑みを向ける。
「薄荷っ…!下がっ…!」
「シルク様っ…!シルク様っ…」
輝矢の声を遮り、薄荷がシルクを呼び続ける。虚ろなその赤い瞳には、シルクの姿しか映っていないようであった。
「何故っ…何故ですかっ…?」
シルクに近づいていきながら、かすれた声で問いかける薄荷。
「何故っ…私が鬼にっ…?」
鬼のものである、その低く重い声が、どこか悲しげに響く。
「あの紋様はっ…力を強くするためだって…仰ったではないですかっ…」
声が徐々に、震えていく。
「“鬼にはならない”と…仰ったではないですかっ…!」
「薄荷っ…」
心の内を必死に叫ぶ薄荷を見て、輝矢が少し目を細める。それだけを問いたくて、重い体を引き摺りながら、ここまでやって来たのかも知れない。それほどに、薄荷にとっては、鬼にされたということが、重いことだったのであろう。
「何故なんですっ…?」
シルクの前までやって来た薄荷が、その場で力なく膝をつく。
「答えて下さいっ…」
鋭い爪のついた巨大な手を、まるで救いでも求めるかのように、シルクへと伸ばす薄荷。
「答えて下さいっ…!」
伸ばされた手が、大きく震える。
「シルク様っ…!!」
「・・・。」
答えを求める必死なその瞳を、冷静な表情で見つめ返すシルク。
「・・・っ」
「シルク様っ…?」
シルクの細く白い手が、薄荷の大きな体へと伸ばされる。伸びてくる細い手に、薄荷が戸惑うようにシルクの名を呼ぶ。
「・・・くだらない問いかけね…」
「・・・っ!!」
冷たく言い放たれたその言葉に、薄荷が大きく目を見開く。
「薄荷…」
「・・・っやめっ…!」
輝き始める薄荷へと伸ばされたシルクの手に、輝矢が大きく身を乗り出した。
――――バァァァァァァァァァァーーーーンっ!――――
シルクの手から放たれた白い光線が、薄荷の鬼の体を、勢いよく貫いた。
「・・・っ!!」
その光景に、身を乗り出そうとしていた輝矢の動きが止まり、その瞳が大きく開かれる。
「うぁっ…あっ…」
光線に貫かれた薄荷の体が、人間の姿へと戻っていく。
「なん…でっ…」
人間の姿に戻ったのも一瞬で、倒れていきながら、薄荷の体が砂と化していく。
「シルクっ…様っ…」
その赤い瞳から一筋の涙を流すと、薄荷の体は完全に砂となって、崩れ落ちた。
「ごめんなさいね…薄荷…」
シルクがゆっくりと手を下ろし、薄荷が崩れ落ちた小さな砂の山を見下ろす。
「駒を鬼にするのに…いちいち理由なんて考えてないわ…」
そう呟き、微笑んで、シルクはその砂の山を、踏み潰した。
「てっめぇっ…!」
そのあまりの光景に、思わず身を乗り出す桜時。
「人の命を何だと思ってやがるっ…!?」
「“何だと”…?」
桜時の怒鳴るような問いかけに、シルクが不思議がるような表情で振り返る。少し間を置いた後、シルクがゆっくりと口端を吊り上げた。
「ゴミっ…」
「・・・っ!」
微笑んで答えるシルクに、大きく目を見開く桜時。
「てめぇっ…!!」
怒りを剥き出しにした桜時が、持っていた村雨丸を力強く身構える。
「輝矢っ!やっぱ俺も戦っ…!」
「・・・。」
「・・・っ?輝矢っ?」
怒りの勢いで戦いに参戦しようとした桜時が、振り向いたその先で、茫然と立ち尽くしている輝矢に気づき、少し眉をひそめた。
「輝矢っ…?」
「・・・。」
桜時の呼びかけに答えることもなく、輝矢はただ、シルクの足の下の砂を見つめる。
――――お願いっ…竹取輝矢…――――
――――私を…助けてっ…――――
“助けて”と、願われたというのに。
――――あの言葉だけは…守りますから…――――
“助ける”ことを、自分の中で誓ったというのに。
――――人でなくなるだけでっ、死ななくて済むのよっ…!?――――
また、助けられなかった。
――――これがっ…太陽の神様の力かなっ…?――――
また、助けられなかった。
――――ズキンっ……!――――
「ううっ…!」
「輝矢っ…!?」
突然、頭を抱え込んでしゃがみ込む輝矢に、桜時が驚いたように目を見開く。
「ダメっ…」
全身が震える。声が震える。
「出て来ないでっ…出て…来ないでっ…!」
苦しげに頭を押さえながら、願うように必死に呟く輝矢。
「輝矢っ…!」
そんな輝矢に、桜時が慌てた様子で駆け寄る。
「どうしたんだよっ!?大丈夫かっ!?」
「ハチっ…」
同じようにしゃがみ込んで、輝矢の顔を覗き込むように見る桜時。輝矢が桜時を見て、そっと目を細める。
――――どうして俺を…殺したの…?――――
いつか見た、狂気に呑み込まれた自分が、桜時を殺す、悪夢。
「・・・っ!」
輝矢が大きく目を見開く。
「ハチっ…今すぐこの場から離れて下さいっ…」
「えっ…?」
少し苦しそうに漏れる輝矢の声に、桜時が眉をひそめる。
「何っ…」
「いいから早くっ…!」
「・・・っ!」
怒鳴りつけるように叫ぶ輝矢の声に、桜時は思わず言葉を止めた。輝矢のこんな追い詰められたような声は、初めて聞いたからである。
「お願いですっ…ハチっ…」
搾りだすようにそう呟きながら、輝矢がゆっくりと顔を上げる。
「でないとっ…私っ…」
「・・・っ」
顔を上げたその輝矢の瞳が、いつもの黒ではなく、真っ赤に輝いていた。
「輝矢っ…その瞳…」
「私っ…ううっ…!」
「輝矢っ…!!」
輝矢が再び苦しみだし、深く頭を抱えて蹲る。
「輝矢っ…!輝矢っ…!!」
「ううぅっ…!ううっ…!」
――――ズキンっ!ズキンっ!――――
激しくなっていく頭の痛み。自分が徐々に呑み込まれていく。
「もうっ…押さえきれないっ…」
輝矢が、どこか悔しげに唇を噛む。
「すみませんっ…ハチっ…」
「えっ…?」
「“月器・望月”っ…!」
――――パァァァァァァァァァァァァァァーーーーンっ!――――
「なっ…!!」
金色の球体・望月まで満ちた月器が、輝矢と桜時の間へと入り込む。
「おいっ!輝矢っ!何っ…!」
「・・・っ」
「・・・っ!うわああああっ!!」
輝矢が少し手を動かすと、望月が桜時の体を押し、輝矢の元から勢いよく、桜時を吹き飛ばした。
「ううっ…!」
望月に押された桜時が、近くの木の幹に背中を打ちつけ、そのままもたれかかるように、木の下にしゃがみ込む。
「うっ…輝…矢っ…」
痛みに少し顔を歪めながら、桜時が輝矢の名を呟く。
「はぁっ…はぁっ…はぁっ…三日月…」
桜時が離れたのを確認すると、輝矢が頭を押さえながら、重そうな体を何とか立ち上がらせる。そして望月を再び三日月へと戻し、何とか右手で握り締めた。
――――ズキンっ!――――
「ううっ…うっ…!」
かすんでいく景色。薄れていく意識。痛みに気が遠くなっていく。
「何が…」
「離れていなさい…諸刃…」
「えっ…?」
苦しむ輝矢を、戸惑うように見ていた諸刃が、シルクの言葉に首を傾げる。
「呑み込まれるわよ…」
「・・・っ」
どこか楽しげに言い放つシルクに、諸刃はそっと眉をひそめた。
「うううぅっ…ううっ…」
痛みに耐えるように、深く俯いている輝矢。
「・・・っ!」
輝矢が勢いよく顔を上げると、赤く染まったその瞳が、大きく開かれた。
「あああああああああああああああああっっっ!!!」
――――バァァァァァァァァァァァァーーーーンっ!!――――
「・・・。」
赤色から元の色へと戻った十字刃を下ろした醍也は、静かな表情で、自分の前方を見下していた。醍也の見つめる先には、血だらけの門貴が、深く瞳を閉じて、倒れ込んでいた。意識は失っているが、どうやら死んではいないようである。だが、もう虫の息の状態だ。しばらく放っておけば、死ぬであろう。
「醍也」
「・・・っ?」
門貴を見下ろしていた醍也が、自分の名を呼ばれ、ゆっくりと後方を振り返った。
「黒羽…」
醍也が振り返ると、そこには黒羽が立っていた。
「来ていたのか」
「ああ…」
黒羽の言葉に、醍也がゆっくりと頷く。
「駒が…役に立たなかったようだからな…」
「うっ…!」
そう言いながら醍也が視線を移すと、その先には、門貴に庇われ、何とか生きている剛也の姿があった。視線を移した醍也に、剛也は酷く怯えた表情を見せる。
「ああっ…」
そんな剛也の姿を確認し、納得した様子でそっと微笑む黒羽。
「お前は…?敵は倒したのか…?」
「敵…?ああっ」
醍也の問いかけに、黒羽がさらに口元を緩める。
「あれのことかな?」
黒羽が振り返ると、黒羽から少し離れたところに、真っ赤な血を流して、うつ伏せに倒れ込んでいる由雉の姿があった。顔は深く地面に落とされており、指1本動いていない。
「敵と呼ぶには、あまりに微弱だった。数分も転がしておけば死ぬだろう」
黒羽が再び、由雉から目を離し、醍也の方を振り向く。
「お前の方も片付いたのだろう?なら、とっととその役立たずを殺して、シルク様の元へっ…」
「いやっ…」
「何っ…?」
言葉を遮る醍也に、黒羽が眉をひそめる。
「野垂れ死にでは物足りない…」
そう呟いた醍也が、ゆっくりと倒れている門貴の方に向き直る。
「敗北者には…」
醍也が、右手に持っている十字刃を振り上げる。
「俺の手で…死を…」
その感情のない赤い瞳が、倒れている門貴を捉える。
「ふぅっ…」
そんな醍也の様子に、黒羽は少し呆れたように肩を落とした。
「相変わらず…敗者に厳しい男だな…」
「・・・。」
醍也の振り上げた十字刃が、空中で止まる。
「・・・っ!」
十字刃が、意識を失っている門貴へ、勢いよく振り下ろされた。
――――バァァァァァァァァァァァァーーーーンっ!――――
「何っ…!?」
十字刃が門貴に突き刺さろうとしたその寸前、横から飛んでくる黒色の一閃に、醍也は驚いた様子で振り返り、思わず向けようとしていた刃を止めた。
「クっ…!」
その一閃の強力さをすぐさま察知し、防ぎきれないと悟った醍也が、高々と飛び上がって、それを避ける。
「・・・っ」
醍也の避けた一閃は、今度はその直線上にいる黒羽の元へと向かってきた。黒羽も同じように飛び上がって避けると、一閃は遥か空の向こうへと消えていった。
『・・・。』
着地した醍也と黒羽が、厳しい表情で、一閃の飛んできた方向を見る。
「・・・。」
2人の振り向いた先には、黒い刀を構えた、いつになく真面目な表情の太狼が立っていた。太狼が左手で眼鏡をはずすと、その穏やかな緑色の瞳が金色へと変わり、鋭く突き刺すように2人を捉える。
『・・・っ』
その瞳に、少し怯むように眉をひそめる醍也と黒羽。
「あんな男…報告では…聞いていない…」
太狼を見つめながら、醍也が小さく呟く。
「常識で知ってろ、あれは世界を救った英雄だ」
「英雄…?」
黒羽の言葉に困惑しながらも、醍也が臨戦態勢を整えるように、右手の十字刃を構えようとする。
「やめておけ」
「・・・っ」
構えようとした醍也の手を止めたのは、黒羽であった。
「何故だ…?」
醍也が不思議そうに、黒羽を見つめる。
「シルク様の許可なく、あの男と戦うのは好ましくない…それに…」
黒羽の表情が、そっと曇る。
「次元が違い過ぎる…今の俺たちでは到底、勝てないさ…」
「・・・。」
気難しげな表情で、そう呟く黒羽。醍也もその黒羽の言葉に、異論を唱えようとはしなかった。太狼の実力は、向い合っているだけで、2人に十分、伝わって来ていた。
「まぁいい。足止めは出来た。今日のところは退くぞ」
「ああ…」
――――ボォォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
言葉を交わした2人の体を白い煙が包むと、次の瞬間、白い煙から、1羽の真っ黒のカラスと1頭のチーターが森の奥と空へと、それぞれに飛び出していった。
「・・・。」
獣の姿はすぐさま見えなくなり、その場に残った太狼は、ゆっくりと構えていた刀を下ろす。
「ご主人様っ…!!」
「追わなくてよろしいのですかっ…!?」
少し焦ったような表情で、太狼の元へと駆け寄って来るヘンゼルとグレーテル。どうやら近くの木陰に、身を隠していたようである。
「いいよっ、深追いは危険だし」
眼鏡をかけ、瞳を緑色へと戻して、太狼が2人の方を見る。
「それより今は2人の保護をぉ」
『はっはいっ!!』
太狼の言葉に頷くと、2人はそれぞれ、倒れ込んでいる門貴と由雉の元へと駆け出していった。
「タローさんっ…!!」
「・・・っ」
やって来る自分の名を呼ぶ声に、太狼が振り返る。
「イチゴちゃん〜」
「いらしてたのですねっ…!」
そこへ駆けつけたのは、イチゴとその他数名のオトポリ隊員であった。イチゴが慌てた様子で、太狼の元へと駆け寄っていく。
「桜時さんたちはっ…!」
「ごっめぇ〜ん、イチゴちゃん。今はハチくんより、あっちの2人のこと、頼まれてくんないっ?」
「あっちの2人っ…?・・・っ!」
首を傾げたイチゴが、太狼の指差した方を振り返り、その表情を強張らせる。
「門貴さんっ…!由雉さんっ…!」
ヘンゼルとグレーテルがそれぞれ駆け寄った、傷だらけの門貴と由雉の姿を見て、イチゴが大きく目を見開く。その傷の深さは、一目見れば十分に伝わるほどに酷いものであった。
「オトポリへ運んだげて。ウチじゃあ対処出来なそうだからっ」
「はっはいっ!救護班っ!担架をっ!本部に連絡して、集中治療の準備をさせてっ…!!」
太狼の言葉にしっかりと頷き、イチゴは素早く隊員たちに指示を与えていく。ヘンゼルとグレーテルも手を貸しながら、門貴と由雉がオトポリの担架に乗せられ、隊員たちに運ばれていく。
「彼の保護も頼むよぉ」
「はっ!」
太狼が手の空いている隊員に、しゃがみ込んでいる剛也の方を指差して言い放つ。
「来いっ!」
「ううっ…」
放心状態の剛也が、オトポリ隊員により連行されていく。剛也はもう力尽きたのか、仲間に殺されようとしたショックからか、抵抗は見せなかった。
「・・・。」
その様子を、厳しい表情で見つめる太狼。
「んっ…?」
見つめていた太狼が、ふと何かに気づき、雨の降り続く薄暗い空を見上げた。
「雨が…動いている…?」
そっと眉をひそめる太狼。空から重力により降り落ちているはずの雨が、集められてでもいるかのように、同じ方向、森のさらに奥へ向かっていっている。それはあり得ない光景であったが、太狼には1つ、心当たりがあった。
「水力の暴走が始まったか…」
太狼がさらに厳しい表情を見せて、雨の集まっていくその先を見つめる。
「輝矢ちゃん…」
太狼は、どこか不安げに輝矢の名を呼んだ。
一方、桜時と別れ、1人、太狼の家へと戻ろうとしていた梅人も、その空の異変に気付いていた。
「何だ…?」
雨空だというのに、雨の降り落ちて来ない空を、梅人は戸惑いの表情で見上げていた。
「雨が…集まっていく…?」
すべての雨雫が、一定の方向へ向かって飛んで行っている。重力も自然の摂理も、何もかもを無視したその雨の動きに、困惑する梅人。雨が向かっていくその空の下で、何かが起こっていることは間違いないだろう。
――――何っ…?今のっ…――――
桜時と別れた直後、胸に走った予感。
「桜時…」
その不可思議な空を見上げながら、梅人は不安げに桜時の名を呟いた。
「梅人くぅぅぅぅ〜〜〜んっ!」
「梅ちゃぁぁぁぁ〜〜〜んっ!」
「・・・っ?」
聞き覚えのよくあるその2つの声に、梅人が振り返る。
『無事だったんだねぇぇぇぇぇ〜〜〜っっ!!』
「うわあぁっ!」
梅人が振り返ると、どこからか駆け込んできた松人と竹人が、勢いよく梅人へと抱きついた。2人の兄に抱きつかれ、梅人が思いきり顔を引きつる。
「ちょっとぉ〜っ!鬱陶しいなぁっ!とっとと離れてよぉっ!」
『鬱陶しいっ!!?』
梅人の言葉に、衝撃を受けた様子で、梅人から離れる松人と竹人。
『お兄ちゃんっ、もう生きていけないっ…!』
「なら死ねばぁ〜っ?」
『ぎゃいぃぃぃぃ〜〜〜んっっ!!』
落ち込み、その場に膝をつく兄たちに、さらに追い打ちをかける梅人。
「ったく、もうっ」
「ふわぁっはっはっはっ!どうやら無事だったようだねぇ〜っ!」
「へっ?」
落ち込み続ける兄たちに呆れていた梅人が、後ろからやってくる更なる声に、また振り返った。
「ふわぁっはっはっはっ!このオトポリの若き隊長、正刈鉄汰が、目標を無事、確保したよぉ〜っ!」
「・・・。」
梅人が振り返ると、そこには数名のオトポリ隊員を連れ、得意げな笑みを浮かべた鉄汰の姿があった。初対面の鉄汰の姿に、梅人が少し固まる。
「誰?この変態オカッパ」
「誰がオカッパだいっ!!」
鉄汰を指差し、松人たちに遠慮なく問いかける梅人に、鉄汰が勢いよく怒鳴りあげる。
「オトポリの若き隊長だと言っただろうっ!わざわざ君を助けに来てやったんだぞっ!」
「別に変態オカッパに助けてもらわなくたって、無事だけどっ?」
「にゃにをぉぉ〜〜っ!?」
生意気極まりない梅人の発言に、鉄汰の表情がどんどん歪んでいく。
「でも本当無事で良かったよぉ〜」
「えっ?」
やっと立ち上がった松人の言葉に、梅人が少し戸惑うように振り向く。
「梅人クン、さらわれたって聞いたからさぁ〜っ」
「怪我とかしてないぃ〜っ?」
「あっ、うんっ…僕は別にっ…」
不安げに梅人の様子をうかがう兄たちに、梅人がやっと真面目な表情を作って答える。
――――じゃあなっ!――――
「あっ…」
思い出される、別れ際の桜時の姿。
「桜時っ…!桜時たちはっ…!?」
梅人は少し焦るような表情を見せて、鉄汰たちへと問いかけた。
「フフフ…」
集まった雨たちは、巨大な水の球体を作り、雨が降り続くほどにその大きさを増していった。
「フフフっ…」
その水の中心で不気味に微笑むのは、黒く長い髪を振り乱した、真っ赤な瞳の少女。全身から禍々しいまでの空気を放っている。近づいただけで、その空気と水に呑み込まれてしまいそうであった。
「・・・輝矢っ…」
木の下にしゃがみ込んだ桜時が、どこか悲しげな表情で、その少女を見つめる。
「アハハハっ…アハハハハっ…!」
楽しげに、そして冷酷に微笑むその姿は、最早、桜時の知っている輝矢の姿ではなかった。
「あの時と…同じ…」
――――アハハハハっ…!アハハハハっ…!――――
今の輝矢は、海底での戦いで、鯨国の刺客である渦礼を殺そうとしていた、あの時の輝矢の様子と、まったく同じであった。
「海底に…この雨…水力が暴走してるのか…?」
雨の集まって来るその空を見上げ、戸惑いの表情を見せる桜時。
「アハハハハっ…!アハハハハっ…!」
「・・・。」
そのいつもの輝矢ではない輝矢の姿を見つめ、桜時が厳しい表情を見せる。
――――大丈夫だよっ…輝矢ちゃん…――――
あの時、輝矢の暴走を止めたのは、太狼。
「アイツじゃなきゃ…どうにも出来ないっ…」
桜時がそっと目を細める。
「俺じゃっ…どうにも出来ないっ…」
そう呟いて、桜時はどこか悔しげに、唇を噛み締めた。
「シルク様…これはっ…」
水に包まれた輝矢と、まだまだ集まって来る雨を見つめながら、さすがに困惑した表情を見せる諸刃。輝矢の纏うその空気には、諸刃も気圧されるほどであった。
「・・・この力…どこかで…」
シルクは諸刃の問いに答えることなく、少し考えるように呟く。
「フフフっ…」
「・・・っ」
楽しげに微笑んでいた輝矢が、シルクの方へと視線を移した。
「お前…」
その赤い瞳が、急に鋭くなる。
「殺すっ…」
そう言って、輝矢がシルクへ左手を向けた。
――――バァァァァァァァァァァァァーーーーンっ!!――――
輝矢の左手から放たれる、無数の水の刃。
「強いっ…」
いつもの水月よりも遥かに強さを感じるその力に、桜時の表情が曇る。
「・・・っ」
勢いよく飛んでくる無数の水の刃に、シルクは少し眉をひそめた。
「クっ…!」
素早くシルクの前へと飛び出し、諸刃が草薙の剣を振り上げる。
「“白雷”っ…!!」
――――バリィィィィィィィィィーーーーンっ!――――
草薙の剣から放たれた白い雷が、輝矢の放った水を弾き落とすようにしながら進んでいき、輝矢の左手まで流れた。
「・・・っ」
「輝矢っ…!」
水を伝った雷が、輝矢の白い手を黒く焼く。見つめていた桜時が、思わず身を乗り出した。
「・・・。」
しかし輝矢は表情1つ動かさず、今度は三日月を持っている右手を振り下ろした。
――――バァァァァァァァァァァァァーーーーンっ!!――――
再びシルクと諸刃の方へと向けて放たれる、無数の水の刃。
「無駄なことをっ…」
少し顔をしかめた諸刃が、再び草薙の剣を振り上げる。
「“白雷”っ…!!」
諸刃が輝矢の水へ向け、同じように白い雷を放った。
――――パァァァァァァァァンっ!――――
しかし今度は、雷が水を流れることはなく、雷の方が逆に水に弾き飛ばされる。
「何っ…!?」
白雷を弾いて向かってくる水の刃に、少し焦ったような表情を見せる諸刃。
「・・・っ」
「シルク様っ」
シルクが諸刃の前へと出て、向ってくる水の刃へ右手の人差し指を向けた。
「“鬼閃”…」
「・・・っ!」
シルクの人差し指から放たれた、細く白い光線が、輝矢の水の刃を1つ1つすべて撃ち抜き、最後に輝矢の右肩を貫いた。
「・・・っ」
「輝矢っ…!!」
光線に撃ち抜かれ、少し俯く輝矢に、桜時が再び不安げに身を乗り出す。
「・・・フフフっ…」
しかし輝矢は、すぐさま顔を上げ、またもや楽しげな笑みを浮かべた。左手は雷に焼かれ、右肩からはボタボタと血が滴り落ちているというのに、その表情にはまったく痛みが見えない。
「痛覚が…ないのか…?」
そんな輝矢の様子に、少し気味悪がるように、顔をしかめる諸刃。
「そうかも知れないわね…」
「シルク様…」
諸刃の呟きに、前に立ったシルクがそっと答える。
「申し訳ありません。先程はっ…」
「どうして…2度目の電流が流れなかったか、わかる…?」
「えっ…?」
シルクの問いかけに、眉をひそめる諸刃。
「いえ…」
「2度目の水が、不純物のない100パーセントの純水だったからよ…」
「・・・っ」
その言葉に、諸刃の表情がさらに曇った。
「100パーセントの純水では…雷力は流れない…」
「ええ…1度目の貴方の攻撃を受けて、瞬時に水の純度を変化させた…」
諸刃と言葉を交わしながら、シルクがそっと口元を緩める。
「どうやら…ただの水使いというわけではないようね…」
シルクの赤い瞳に、輝矢の赤い瞳が映る。
「貴方は下がっていなさい、諸刃…」
「・・・っ?」
「下手したら死ぬわ…」
「・・・っはいっ…」
シルクの言葉に諸刃は少し驚いたように目を開いたが、すぐさま大人しく頷き、後方へと下がった。あのシルクがそう言うほどに、目の前にいる少女の姿は強大なのである。
「本当に興味深いわね…貴女は…」
諸刃を下げると、シルクがゆっくりと両手を広げた。
「月の少女…」
「・・・っ」
シルクの微笑みに、そっと目を細める輝矢。
――――私は…可哀想なんかじゃ…ないって…――――
――――ピー…ター…?――――
――――私を…助けてっ…――――
その映像だけが、確かに脳裏に刻みつけられている。
「牢戸…知玖…」
輝矢が静かに、シルクの名を呟く。
「お前を…殺すっ…!!」
「・・・っ」
三日月を構え、勢いよく駆け込んでくる輝矢に、シルクがそっと右手を上げた。
――――パァァァァァァァァァァァーーーーンっ!――――
輝矢の振り下ろした三日月を、右手で掴み止めるシルク。
『・・・っ』
2人が強く見つめ合う中、三日月を受けとめている、シルクの真っ白なその手から、真っ赤な血が滴り落ちた。
「シルク様に…血を…」
諸刃が、驚いたように呟く。
「赤い…血っ…」
滴り落ちるシルクの血を見て、眉をひそめる桜時。
「人間…なのかっ…?」
自分と同じ色の血を流すシルクに、桜時は少し戸惑うように呟いた。
「殺す…お前を…殺すっ…」
三日月に力を込め続けながら、まるで呪文のようにその言葉を呟く輝矢。力の暴走で意識は手放したようだが、シルクを倒さなければいけないという、その思いだけは、頭の中に強く残っているようだ。余程、薄荷やウェンディのことが、シルクへの怒りとして刻みついているのだろう。
「この武器…」
右手から血を流しながら、シルクも痛みを表情で見せることなく、掴み止めている三日月に目をやる。
「もしかしたら…と思ってたけど…」
シルクがゆっくりとした口調で、言葉を続ける。
「その瞳…あの力…」
シルクの赤い瞳が、再び輝矢の赤い瞳を捉える。
「とっくに死んでいたと思っていたけど…貴女…」
そっと吊り上がる、その口元。
「そうっ…あの時のっ…」
「・・・っ」
まるで輝矢を知っているかのような口振りで微笑むシルクに、輝矢は少し表情を曇らせた。
「あの時の子供なのっ…面白いわっ…でもねっ…」
急に、シルクの声のトーンが変わる。
「今日は貴女と遊びに来たわけじゃないのよっ」
シルクがそう冷たく呟くと、三日月を掴み止めているシルクの右手が、白く輝いた。
――――パァァァァァァァァァァァァーーーーンっ!!――――
「・・・っ!!」
白く輝いたシルクの右手に、粉々に砕き割られる三日月。
「そんっ…なっ…」
目の前で砕け散っていく三日月に、輝矢が大きく目を見開いた。
「輝矢のっ…三日月がっ…」
信じ難いその光景に、桜時も唖然とした様子で呟く。
「三日…月っ…」
地面へと落ちていく金色の粒を、茫然と見つめる輝矢。
「今日はね…“命咲かす者”に用があって来たの…」
三日月を砕いた右手をゆっくりと下ろしながら、茫然としている輝矢に微笑みかけるシルク。
「だから…貴女に用事はないの…」
下ろしたばかりの右手の人差し指を伸ばし、輝矢の腹部へとつける。
「サヨウナラ…」
「・・・っ!輝矢っ…!」
立ち上がり、2人の元へ駆けこんで行こうとする桜時。
「月の少女っ…」
シルクの人差し指が白い光を放つと、次の瞬間、輝矢の体を、白い光線が貫いた。
「ううっ…!」
腹部から真っ赤な血を流しながら、輝矢が後方へと吹き飛ばされていく。
「あぁっ…あっ…」
輝矢が力なく、地面へと倒れていく。
「輝矢っ…輝矢ぁぁぁぁぁっっ!!!」
倒れた輝矢の元へ、桜時は必死に駆け込んだ。
「輝矢っ…!輝矢っ…!!」
駆け込んだ桜時が、傷だらけの輝矢の体を抱き起こす。
「輝矢っ…!!」
桜時の左手が、輝矢の左手を掴むと、先ほど諸刃の雷に焼かれた皮膚が、桜時の手に触れている部分から、徐々に再生を始めた。
「・・・っ」
その光景に、思わず目を見開くシルク。
「輝っ…!」
「フフフっ…」
「・・・っ?」
輝矢の名を呼び続けていた桜時が、聞こえてくる笑い声に、そっと顔を上げる。
「フフフフフっ…ウフフフフフフっ…!」
「・・・っ」
腹の底から込み上げてくるような、どこか不気味な笑い声をあげるシルクに、桜時が怯えるような、困惑するような表情を見せる。
「素晴らしいっ…!素晴しいわっ!“命咲かす者”っ…!!」
「・・・っ!」
大きく目を見開くシルクに、桜時の肩が大きく震える。
「その力っ…!その力さえあればっ…!私の願いは叶えられるっ…!!」
どこか興奮したように、叫ぶシルク。
「・・・。」
そのシルクを、後方から諸刃が、神妙な表情で見つめる。
「さぁっ…私のもとへっ…」
桜時へと、ゆっくりと伸ばされる、シルクの右手。
「“命咲かす者”っ…」
「うっ…!」
伸びてくる手に、桜時の表情が恐怖で歪む。
――――パシンっ……!――――
『・・・っ』
振り払われるシルクの手に、桜時とシルクが驚いたように目を開く。
「はぁっ…はぁっ…はぁっ…」
シルクの手を払ったのは、大きく息を乱した輝矢の、再生したばかりの左手であった。
「私のハチにっ…触れようなんてっ…100年早いですよっ…」
「輝…矢っ…」
少し乱れた息遣いで、そう言った輝矢のその瞳は、いつも通りの黒色であった。口調も空気も、先ほどまでとは違い、いつもの輝矢である。集まって来ていた雨も、いつの間にか収まっていた。
「はぁっ…はぁっ…はぁっ…」
傷だらけの体で何とか体を起こし、立てないながら、必死に桜時の前へと立ち塞がろうとする輝矢。
「・・・っ」
突き上げるように見上げてくる輝矢に、シルクが少し煩わしそうに顔をしかめる。
「仕方のない子ね…」
そんな輝矢に、シルクが再び人差し指を向けた。
「“鬼閃”…」
「・・・っ!ううああああああっっ!!」
「輝矢っ…!!」
シルクの指から放たれた光線が、輝矢の左腿を貫くと、輝矢がその場に前のめりに崩れ落ちた。
「ううぅっ…ううっ…!」
輝矢の足から、地面へと滲んでいく真っ赤な血。蹲った輝矢が、苦しげな声を漏らす。
「輝矢っ…!クッソっ…!」
桜時が表情を険しくし、村雨丸を抜こうとしたその時だった。
「えっ…?」
村雨丸を抜こうと思っているのに、桜時の手は動かなかった。立ち上がろうと思っているのに、桜時の足は動かなかった。
「何…でっ…?」
動かぬ自分の体に、桜時が戸惑いの表情を見せる。
「何でっ…!」
「教えてあげましょうか…?」
「・・・っ!」
戸惑っていた桜時が、聞こえてくる声に、勢いよく顔を上げる。顔を上げると、そこには、不適な笑みを浮かべたシルクの姿があった。
「お前っ…!俺の体に何かっ…!」
「勘違いしないで…私は何もしてないわ…」
「何っ…?」
すぐさま否定するシルクに、桜時が眉をひそめる。
「じゃあ何でっ…!」
責めるように、桜時が声を荒げる。
「何で俺の体が動かねぇーんだよっ…!!」
「それは…貴方が恐怖してるからよ…」
「えっ…?」
その思いがけない言葉に、桜時の表情が止める。
「何っ…」
「私に恐怖するあまり…貴方の体は動かなくなってしまったのよ…」
「そんなことっ…!」
桜時が否定するように叫び、必死に手を足を、動かそうともがく。
「そんなっ…ことっ…!」
しかし、強く震える桜時の体は、やはりどんなに頑張っても、動かすことが出来なかった。
「クソォっ…!」
俯いた桜時から、悔しげにかすれた声が漏れる。
「もうこれ以上、怖い思いはしたくないでしょう…?」
そんな桜時に、優しい口調で微笑みかけるシルク。
「だから…私のもとへっ…」
「・・・。」
「・・・っ」
桜時に歩み寄ろうとしたシルクの前に、立ち塞がるもの。その姿に、シルクの表情が、一気に冷たく変わる。
「はぁっ…はぁっ…はぁっ…」
立ち塞がったのは、もう足だけで起き上がることも出来ずに、右手を地面について、何とか起き上がっている状態の輝矢であった。体はボロボロだというのに、まだ強く輝く瞳を、輝矢がシルクへと向ける。
「輝っ…矢…」
そんな輝矢の姿を見て、目を細める桜時。
「しつこい子ね…」
「・・・っ!ううああああああああっ!」
「・・・っ!!」
少し顔をしかめたシルクが、輝矢の右手を鬼閃で撃ち抜く。足を、手を撃ち抜かれ、倒れ込んだ輝矢は、もう完全に起き上がれなくなってしまう。
「ううぅっ…」
それでも、何とか必死に起き上がろうとする輝矢。
「輝矢っ…!クソっ…!」
目の前で輝矢が、あんなに傷だらけになってまで、桜時を守ろうとしているのに、桜時は恐怖で体を動かすことさえ出来ないでいる。
――――強くなりましたね…ハチ…――――
「クソォォォっっ…!!」
強く握り締められた桜時の拳から、血が滲んだ。
「もう少し遊んであげたかったけど…ちょっと邪魔だから…」
「ううぅっ…ううっ…」
シルクが何とか顔だけを上げる輝矢を見下ろす。
「ごめんなさい…」
「・・・っ」
輝矢の顔面へと向けられる、シルクの人差し指。輝矢が顔をしかめる。
「本当にサヨナラ…月の少女っ…」
「輝矢っ…!!」
「・・・っ!」
白く輝き始めるシルクの指先に、桜時が必死に輝矢の名を叫び、輝矢がそっと唇を噛んだ。
その時。
「“五臓・六腑”っ…!!」
「・・・っ」
聞こえてくるその声に、シルクが指先の光を止ませ、少し表情をしかめて、振り向く。すると、その振り向いた先から、シルクへ向け、数個の火の玉が飛んで来ていた。
「・・・っ」
諸刃がすぐさまシルクの前に立ち、火の玉へ向け、草薙の剣を振り上げた。
「“白雷”っ…!!」
――――バリィィィィィィィィーーーーンっ!――――
白い雷が、向ってきた火の玉を弾き落とす。
「・・・っ」
ゆっくりと草薙の剣を下ろし、火の玉の飛んできた方を見つめる諸刃。
「あっ…!」
そこに立つ人物を見て、桜時は大きく目を見開いた。
「・・・。」
森の木々の間から現れたのは、いつもにも増して険しい表情を見せたゴンであった。
「ゴっ…」
「ゴンっ…」
「えっ…?」
自分より先にゴンの名を呼ぶ諸刃に、桜時が眉をひそめる。
「諸刃…」
ゴンもまっすぐに諸刃の方を見つめ、諸刃の名を呼ぶ。
「知り合い…?」
「・・・っ」
そんな2人の様子に、戸惑う桜時。倒れたままの輝矢も、少し表情を曇らせる。
「誰かと思えば…」
シルクが、現れたゴンに、笑みを向ける。
「随分と大きくなったわね…見違えたわ…」
「・・・。」
ゴンを知っているような口調で、どこか親しげに話しかけるシルク。ゴンは特に答えようとはせずに、怖いとさえ思えるほどの険しい表情で、睨みつけるようにシルクを見つめた。
「何をしに来たの…?」
「お前を殺しに…」
「私を…?つまらない冗談を言うようになったのね…」
確かな怒りを見せるゴンを、嘲笑うかのように言葉を吐くシルク。
「また…仲間の死ぬところを見に来たんじゃないの…?」
再びシルクが、輝矢の方を向き、顔面に向けていた指先を光らせる。
「・・・っ」
「輝矢っ…!」
同じように、輝矢が顔をしかめ、桜時が輝矢の名を呼ぶ。
「・・・。」
『・・・っ!』
輝矢とシルクの間へ、輝矢を庇うようにして、現れるゴン。輝矢と桜時が大きく目を見開く。
「・・・。」
「・・・そうっ…」
強く睨みつけるゴンに、シルクが少し呆れたように肩を落とした。
「・・・死にに来たの…」
シルクの冷たい言葉とともに、その指先の光が、強さを増していく。
「ゴンっ…!」
「うっ…!」
「・・・。」
桜時が名を叫び、輝矢が顔をしかめる中、ゴンは少しも怯むことなく、輝矢の前に立ちはだかった。
「“鬼せっ…」
――――バァァァァァァァァァァァァーーーーンっ!!――――
「・・・っ!」
シルクがゴンへ鬼閃を放とうとしたまさにその時、シルクのすぐ下の地面が、青い光を放ちながら、勢いよく突き上げた。
「何っ…?」
「シルク様っ…!」
突き上げる地面に、少し戸惑いの表情を見せながら、シルクが諸刃とともに、後方に飛び避ける。
「なっ何っ…」
危機を回避したゴンも、戸惑うように、突き上げた地面を見つめる。
「ふぅいぃ〜っ!」
『・・・っ』
すぐ横から聞こえてくる声に、振り向くゴンと輝矢たち。
「どうやら間に合ったようだねぇ〜っ」
『あっ…!』
振り向いた皆が、驚いた様子で、大きく目を見開く。
「よっ!無事かいっ?未来の私の旦那どもっ」
輝矢たちのすぐ傍へと降り立ったのは、着物から惜しみなく肌を露出し、青い髪をなびかせて、妖艶な姿で微笑んでいる、御伽界最古の獣人・千年竜のトマトであった。
「トマト先生っ!」
「クソババアっ…」
ゴンが驚いたように、桜時が茫然と、トマトの名を呼ぶ。
「フフフっ…」
「・・・っ」
聞こえてくる笑い声に、トマトが表情を厳しくして、振り向く。
「今日は随分と懐かしい顔にばかり会うわねぇ…」
「シルク…」
どこか楽しげに微笑んでいるシルクを見て、さらに表情を険しくするトマト。その視線が、シルクから、その横へと移される。
「諸刃…」
「・・・。」
諸刃の姿を見て、そっと目を細めるトマト。諸刃もどこか複雑そうな表情で、トマトの方を見る。
「会いたかったよっ、シルク…随分と探した…」
「それは光栄ね…」
トマトがシルクに鋭い瞳を向けると、シルクも笑顔で、全然笑っていない瞳を向ける。
「さぁ、とっとと終わりにしようかっ」
――――ザザザザザザザザザっっ……!!――――
「・・・っ」
『・・・っ!』
トマトのその言葉を合図にするかのように、輝矢やシルクたちを中心とするようにして、周囲に多数のオトポリ隊員が現れ、取り囲んだ。その光景を驚いたように見つめる桜時、ゴンと、少しその表情を曇らせるシルクと諸刃。
「動かないでっ…」
隊員たちの中心、シルクの真後ろに立ち、厳しい表情を見せるリンゴ。
「少しでも動けばっ…殺すわよっ…」
「・・・。」
そのリンゴの言葉を聞き、そっと口元を緩めるシルク。
「ホント…今日は懐かしい顔が多い…」
「・・・っ」
そのシルクの言葉に、リンゴが顔をしかめる。
「懐かしかったわ…欲しいものが手に入れられなかったのは、少し残念だけどっ…」
「何をっ…!」
「・・・っ」
リンゴが言い返そうとした瞬間、シルクがそっとその右手を掲げた。
――――バァァァァァァァァァァァァァァァーーーーンっ!!――――
「うっ…!」
シルクと諸刃を包み込むようにして、白い光が地面から突き上げる。
「待っ…!」
「近づくんじゃないよぉっ!」
「・・・っ!」
その光に近づこうとしたオトポリ隊員を、トマトが強い口調で呼び止める。
「触れたら、半身は軽く吹き飛ぶよぉっ」
『・・・っ』
脅迫ともとれそうなトマトの言葉に、一気に怯む四方の隊員たち。
「次こそは私の手に…“命咲かす者”…」
「・・・っ」
シルクと諸刃を包んだ白い光が徐々に薄くなっていく中、シルクが桜時へ微笑みを向ける。その冷たい笑みに、少し表情をしかめる桜時。
「・・・っ」
桜時の方を見つめていたシルクが、ゴンの後ろで倒れたままの輝矢へと、視線を移す。
「また遊びましょう…」
「・・・。」
楽しげに笑ったシルクを、輝矢は厳しい表情で見つめた。
「月の少女っ…」
微笑む口元が、白い光の中へと消えていく。
――――パァァァァァァァァァァンっ!――――
『あっ…!』
最後に強く輝いて、シルク、諸刃とともに、忽然と消える白い光。何もなくなったその場所に、隊員たちは思わず声を漏らした。
『・・・。』
それぞれ、神妙な面持ちで、光の消えた場所を見つめるゴン、リンゴ、トマト。
「牢戸…知玖…」
輝矢も小さく、シルクの名を呟く。
「・・・っ」
そして輝矢は、そっとその瞳を閉じ、その場に深々と倒れこんだ。
「・・・っ!竹取っ…!?」
倒れた輝矢に気づき、ゴンが少し慌てた様子で駆け寄る。
「竹取…!?竹取っ…!?」
「リンゴっ」
「あっ、はいっ!」
ゴンが必死に輝矢に呼びかける中、トマトがリンゴの方を見る。トマトに名を呼ばれ、ハッとしたように頷くリンゴ。
「救護班っ!担架急いでっ!その他っ!念の為、周囲を探索っ!敵が残ってないか、確認してっ!」
リンゴが、隊員たちに指示を与えていく。
「腹の傷、締め上げてでも止血しなっ」
「はいっ!」
トマトに助言を受けながら、気を失った輝矢へ処置を施していく救急隊員。止血処理を受けながら、もうほとんど生気を失った顔色の輝矢が、担架に乗せられて、運ばれていく。
「・・・。」
そんな輝矢を、しゃがみ込んだまま、茫然と見つめる桜時。
――――それは…貴方が恐怖しているからよ…――――
――――ううああああああああっ!――――
目の前であんなに輝矢が傷つけられたというのに、恐怖で動かなかったこの体。
「・・・っ」
桜時が、強く唇を噛み締める。
「おいっ!ハチ公っ!お前も担架にっ…!」
「・・・っ」
ゴンが桜時の方を振り返ったその時、桜時がその瞳を閉じ、その場に倒れ込んだ。
「んっ?ハチ公っ…!?」
倒れた桜時に、駆け寄るゴン。
「おいっ…!ハチ公っ…!?ハチ公っ…!!」
「・・・。」
深く瞳を閉じた桜時は、ゴンの呼びかけに動くこともなかった。
その日、輝矢一行は、初めて、“敗北”したのであった…。
其の五十四へつづく。
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