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鬼斬り かぐや <原作>
作:千風



第32章 その力の名


「しっ…白雪っ…」
「久し振りねっ…」
驚きの表情で見つめる輝矢に、自信満々の笑みを向けるその女性。
「竹取輝矢っ」
「・・・っ」
ピンチの輝矢たちの前に現れたのは、白雪であった。

「ねぇ〜っ、お兄ちゃん…」
「んん〜っ?」
金髪紫目のまだ幼い少年が、同じく金髪紫目のよく似た顔立ちをした青年へと声をかける。2人は雪深い森の中を、一歩一歩足跡をつけながら、ゆっくりと歩き進めていた。
「白雪様ぁ〜…どこ行っちゃったんだろうね…」
「さぁ…あの人が本能のままに突き進んで、道に迷うのはいつものことだから…」
少年の問いかけに、少し呆れた表情で答える青年。そう、この2人、白雪の部下である鈴白・芹兄弟である。
「まぁ、しぶとい方だから死ぬことはないと思うけど」
「待つだぁぁぁぁ〜〜〜っっっ!!!」
「イヤっスぅぅぅぅ〜〜〜っっ!!!」
『んっ?』
森の向こうの方から聞こえてくる2つの大声に、鈴白と芹が同時に振り向く。
「タダのところなんてぇ、行っちゃダメだぁぁぁぁ〜〜っ!!」
「わかったっスっ!行かないっスから、もう追って来ないで下さいっスぅぅ〜〜っ!!」
深い森の奥から飛び出してくるのは、羊スケと、羊スケを追いかけている大男・犬悌。犬悌は、ゴンと犬忠の元へ行こうとしている羊スケを、必死に止めようとしているのである。
「考え直すだぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜っっ!!!」
「だあああああああっっ!!誰か何とかして下さいっスぅぅ〜〜っっ!!」
羊スケが、誰にともなく必死に助けを求めた。その時。
「“降雹”っ!」
「・・・っ!」
追いかけている犬悌に飛んでくる、数個の巨大な雪の玉。
「クっ…!」
犬悌がその場に立ち止まり、両手を顔の前で交差させた。
――――バァァァァァァァァァァァァーーーーンっ!!――――
雹が犬悌に直撃し、粉雪のような細かい雪の粒が辺りに舞い上がり、犬悌の姿を隠した。
「へっ…?」
やっと走る足を止め、少し戸惑った様子で後ろを振り返る羊スケ。
「大丈夫ですかっ!?」
「へっ?」
声に羊スケが振り向くと、羊スケの元へ鈴白と芹が駆け寄って来た。
「あっありがとうっス。あなた方は確かっ…」
「あなたは確か…」
互いを見合う、羊スケと鈴白・芹。
「誰でしたっけ?」
「誰っスかぁ?」
そして3人は、同時に首をかしげた。両者、虎国でも戦いの時に顔を合わせているのだが、どうもお互いの印象が薄かったようで、どちらも記憶に残っていないようである。
「芹、覚えてるか?」
「うぅ〜んっ…何となく見覚えはあるんだけどぉ…」
「誰でしたっスかねぇ〜?」
3人は必死に首を捻り、思いだそうと考え込む。
「ぬおおおおおおおおおおおおうぅっ!!」
『・・・っ!』
雄たけびのような大声をあげ、辺りに舞い散っていた雪を払いのけ、姿を見せる犬悌。そんな犬悌に、3人が表情を険しくし、身構える。
「やぁぁぁぁぁっと見つけただぁぁぁよぉぉぉっ!!侵入者っっ!!」
『へっ?』
犬悌の大きな指を差され、目を丸くする鈴白と芹。
「侵入者の手から今、助けるだぁぁぁよぉぉぉっっ!!あんさぁぁぁんっ!!」
『ぎゃああああああああああああっっ!!』
「だあああああっっ!!だから違うって言ってるっスぅぅ〜〜っっ!!」
羊スケ・鈴白・芹は、またもや勘違いして追いかけてくる犬悌から、必死に逃げた。

「奇遇ですね…」
目の前に現れた白雪に、驚いていた輝矢が表情を戻して声をかける。
「どなた様でしたっけ?」
「貴女っ!今っ!“奇遇ですね”っつったじゃないっ!!さっき“白雪”って呼んだしっ!!」
とぼける輝矢に、白雪は勢いよく突っ込みまくる。
「ああ、白雪虎昌ですかっ」
「フルネームで呼ぶんじゃないわよっ!!下の名前、気に入ってないんだからっ!!」
フルネームを呼ぶ輝矢に、またしても勢いよく怒鳴りあげる白雪。そう、この女、本名を白雪虎昌。本人曰く西ではけっこう有名な退治屋のようで、輝矢をライバル視して戦ったこともある。こう見えて虎国主の娘であったりもするのだ。
「白雪ちゃ〜んっ!!」
「何で白雪がこんなところにいるのぉ〜?」
門貴が白雪に嬉しそうに手を振る中、犬信の攻撃を避け、地面へと降りてきた由雉が問いかける。
「フフフっ、それはねぇっ…!」
「また悪趣味な美少年集めでもしているのですか?」
「ちっがうわよっ!!」
輝矢の言葉を、全力で否定する白雪。
「龍国から匿名通信があったのよっ!」
「匿名通信っ?」
「そうっ!」
聞き返した輝矢に、白雪が大きく頷く。
「桜時様が犬国の連中にさらわれて、あんた達が助けに行ったから手助けしてやってほしいってっ」
「・・・っ」
白雪の説明に、輝矢が少し驚いたように目を開く。匿名通信で虎国に連絡を取ることが出来るのは、恐らくオトポリにいる者くらいであろう。それも、かなりの身分を持った者。
――――アンタ、あいつから手、離さない方がいいわよっ?――――
「・・・。」
輝矢の頭を過ぎる、リンゴの顔。
「ふえぇ〜?誰がそないなことぉ〜?」
「・・・っ」
首をかしげている門貴の横で、輝矢は俯き気味に少しだけ笑みをこぼした。
「というわけでっ!ここは私が引き受けるわっ!」
「えっ…?」
強く言い放つ白雪に、輝矢が少し戸惑いの表情を見せる。
「言ったでしょっ?あの時っ!」
鬼人に攻め込まれた虎国を、輝矢たちが戦い、何とか守りきったあの時。
――――貴女に借りが出来たわっ。だから今度、貴女がピンチの時は…――――
「“私が助けてあげる”ってっ!」
「白雪っ…」
笑顔を見せる白雪に、輝矢が少し目を細める。
「別にアナタごときに助けられなくても、私は全然平気でっ…」
「だあああああっ!!1回目言った時と同じこと言うんじゃないわよっ!!相変わらずな女ねっ!!」
白雪に助けられようとすることを拒む輝矢であったが、白雪が大声を出して輝矢の言葉を無理やり遮る。
「助けてあげるったら助けてあげるっつってんのよっ!!」
「だから助けなどいらないと言ってるでしょう?しつこい女ですね」
「何ですってっ!?」
「ですから私は、アナタなどに助けられるくらいならですねぇっ」
「まぁまぁ輝矢ぁ〜んっ」
「・・・?」
久々に会ったというのに、やはり険悪な空気になってしまう輝矢と白雪。白雪に負けじと言い返そうとした輝矢を、門貴が宥めるように呼ぶ。
「何です?サル。私は今、機嫌が悪いので、触れると火傷しますよ?」
「いっやぁぁぁ〜〜んっ!!輝矢んの愛の炎で溶かされるんなら本望やわぁぁ〜〜っ!!」
「バカっ」
「うぎゃっ!」
火傷本望の門貴を突き飛ばし、輝矢の前に少し不機嫌そうな表情の由雉がやって来る。
「輝矢もっ!今は白雪と争ってる場合じゃないでしょっ?」
「だってこの女が生理的に無理なんですもん」
「何、全否定してくれちゃってんのよっ!貴女っ!!」
輝矢の言葉に、すかさず文句をつける白雪。
「だいたいこの女の助けを借りるなんて、私のプライドが傷つきます」
「・・・っ」
白雪に背を向けるようにして腕を組み、そっぽを向いてしまう輝矢に、由雉が顔をしかめる。
「あのねぇっ…!」
「・・・。」
「・・・?」
輝矢に訴えかけようとしていた由雉の前に、制止を促すように手を差し出したのは白雪であった。由雉が少し戸惑うように白雪を見る。
「竹取輝矢っ…」
「何です?白雪虎昌」
「フルネームで呼ばなくていいわよっ!!下の名前、気に入ってないんだからっ!!」
わかっていて言っている輝矢に、通例通りの突っ込みを見せる白雪。
「貴女…」
しかし白雪がすぐさま真剣な表情となり、まっすぐな瞳を輝矢に向ける。
「プライドと桜時様と…どちらが大事なんですのっ…?」
「ハチです」
「早っ!」
即答する輝矢に、問いかけた白雪が思わず驚く。
「だったらとっとと行きなさいっ」
少し呆れたように肩を落とし、改めて輝矢の方を見る白雪。
「とっとと行って、とっとと敵ぶっ倒して、とっとと桜時様取り返していらっしゃいっ!」
「・・・っ」
白雪にしては珍しい、嫌味のない穏やかな笑みに、輝矢は少し驚いたように目を見開いた。
「そして桜時様を私のお婿さんに頂戴っ」
「絶対やりません」
付け加えられた言葉を、一瞬で断る輝矢。
「・・・。」
少し肩を落とし、俯いた輝矢が、そっと笑みをこぼす。
「わかりました。ここは任せます」
「そうこなくっちゃっ!」
「まぁハチはあげませんけどね」
『・・・っ』
笑顔で白雪を見る輝矢に、白雪が張りきったように右手を挙げる。2人の様子を見て、門貴と由雉も笑顔をこぼす。
「白雪っ」
「何よっ?」
輝矢に呼ばれ、振り返る白雪。
「仮にも私の仲間として戦うのですから、不甲斐無い戦いはしないようにお願いしますよ」
「カッチーンっ!いちいちムカつくこと言う女ねっ!」
遥か上から目線の輝矢に、白雪が勢いよく表情を引きつる。
「誰に向かって言ってんのよっ!」
「・・・っ」
引きつった顔を見せながらも自信を覗かせる白雪に、輝矢が少し笑みをこぼす。
「では今度こそ行きますよ、サルっ」
「おうっ!」
輝矢の言葉に、門貴が大きく頷き、2人が先へと駆け出して行く。
「あぁ〜っ!輝矢ぁ〜っ」
「・・・?」
駆け出して行く輝矢を、少し呼び止める由雉。輝矢が走りながら、振り返る。
「桜時に伝えといてぇ〜っ」
由雉が輝矢に笑顔を向ける。
「“ボク、桜時の、そういうウジウジクヨクヨメルメルしたとこ、大っ嫌ぁぁ〜い”ってっ!」
「・・・っ」
由雉の言葉を聞き、輝矢が少し笑みをこぼす。
「わかりました」
「じゃあ私も“この世で1番愛してますわぁ〜桜時様ぁ〜”ってっ!」
「却下っ」
「何でよっ!!」
白雪の言葉を一瞬で却下し、輝矢が背を向けて再び走り出していく。
「うっわぁ〜っ!人を散々、放置しといた挙句、また逃亡ぅぅ〜っ?」
いきなり現れた白雪との会話を、延々と横で聞かされていた上に、またもや先へ進もうと駆け出して行く輝矢と門貴に、犬信が非難するように声をあげる。
「腐ったことを言っている前に奴らを止めろ…犬信…」
「はいはいっ!」
犬礼の言葉に、遠ざかっていく輝矢と門貴目掛けて、弓を構える犬信。
「“白矢”っ!」
犬信の矢のない弓から、またもや無数の白光の矢が放たれる。
「逃がさないって言ってるでしょっ!」
輝矢たちへと飛んで行く矢を見ながら、得意げに笑う犬信。
「・・・“氷壁”…」
――――バァァァァァァァァァァァーーーーンっ!!――――
「・・・っ!!」
地面から突如、突き上がってきた巨大な氷の壁が、犬信の放った矢をすべて受けとめた。
「なっ…!」
思わずずっと浮かべていた笑みを消し、驚きの表情を見せる犬信。
「貴方たちは私が引き受けるって言ってるでしょっ…?」
「・・・っ」
氷の壁の前に立ち、得意げに微笑む白雪の姿に、犬信の表情が歪む。
「どうしよぉ〜〜っ!?2人も逃がしちゃったぁ〜っ!!レイレイ〜っ!!」
「うるさい…耳が腐る…」
歪んだ表情から一気に子供のような泣きそうな表情を見せる犬信に、冷たく耳を塞ぐ犬礼。
「こうなってしまったことはもう仕方ない…あの2人は犬仁と犬義に任せ、俺たちはこの2人をやる…」
「うんっ!わかったぁっ!」
犬礼の冷静な言葉に、犬信が満面の笑顔で頷く。
「ボク、頑張って侵入者やっつけるねっ!」
「・・・っ」
無邪気な笑顔の中に、鋭い瞳を見せる犬信を見て、白雪が少し眉をひそめる。
「さぁっ!やるわよっ!キジっ!」
「そう仕切られてもねぇ〜」
やる気を見せる白雪に、由雉はかなり面倒臭そうな表情を見せた。

「犬仁…」
「・・・。」
その頃、ハチと犬智のいる桜時の部屋に、厳しい表情を見せた犬仁がやって来ていた。いつもとどこか違う空気を醸し出している犬仁を、ハチと犬智が少し戸惑うように見つめる。
「ヒトちゃんっ…?一体、どうしっ…」
「犬国に数名の侵入者が入り込みました」
「・・・っ!」
「えっ…?」
犬仁の思いがけない言葉に、犬智は大きく目を見開き、ハチは少し戸惑うような声を出した。
「ひっ…ヒトちゃんっ…!」
「侵入者…?」
「はい…」
犬智が止めるように名を呼ぶが、犬仁は聞き返したハチに大きく頷いた。
「侵入者は御伽警察の者2名、サル1匹、キジ1羽、そして…」
犬仁がまっすぐにハチを見つめる。
「黒髪の少女…」
「・・・っ!」
ハチが大きく目を見開く。
「輝矢っ…」
突き出たように、その名を口にしてしまうハチ。
「輝矢がっ…?」
――――私はっ…!アナタを“仲間だ”などと言った覚えは1度もありませんっ…!!――――
「そんなっ…はずはっ…」
ハチが戸惑うように俯く。あんなにもはっきりと拒絶されたのに、仲間ではないと言われたのに、来るはずなどない。
「そんなっ…」
来るはずなどないと思いながらも、胸の中から何かが込み上げた。
「・・・。」
そんなハチの様子を見ながら、犬仁が少し目を細める。
「すでに他の五犬が応戦中です」
俯いたままのハチに、犬仁が言葉を続ける。
「私も今から参ります」
強い意志を感じさせる瞳で言い放つ犬仁。
「それだけです。失礼しました」
「あっ…!ヒトちゃんっ…!」
ハチに一礼して部屋を出て行く犬仁を、犬智が慌てて追いかける。
「・・・っ」
部屋に1人残されたハチが、ゆっくりと森の見える窓の方を振り返った。
「みんな…が…」

「待ってっ!待ってっ!ヒトちゃんっ!!」
縁側から庭へと降り、屋敷の入口へと歩いて行く犬仁を、必死に追いかける犬智。
「何だ、犬智」
庭で犬仁が足を止める。
「犬孝様のお傍に付いていろ。晩飯抜きにするぞ?」
「どうしてっ…どうしてっ…!?」
振り返らない犬仁の背中に、必死に問いかける犬智。
「どうして犬孝様にあんなことをっ…!?」
「・・・。」
犬智の問いかけにそっと俯く犬仁。侵入者のことは、八房により、ハチには伝えないという指示が出ている。いつも決して指示に背いたりしない犬仁が、それを破るなど、犬智には信じ難いことであった。
「あんなこと言ったりしたら犬孝様っ…!」
「確かに…」
犬智の言葉を、遮る犬仁。
「確かに…お前の言う通りだったのかも知れない…」
「えっ…?」
こぼれ落ちた犬仁の言葉に、犬智が少し首をかしげる。
「あの方が里見犬孝だということは…あの方がここにいる理由にはならない…」
「ヒトちゃん…」
少し拳を握り締めた犬仁に、犬智がそっと目を細める。
「あの方の居場所は…あの方自身が決めることだ…」
「・・・っ」
どこか辛そうに見える犬仁に、犬智は悲しげに目を細め、ただ見つめる。
「だがっ…」
目つきを鋭くし、顔を上げる犬仁。
「侵入者に犬孝様を渡すわけにはいかないっ」
犬仁が強い瞳で、言い放つ。
「行ってくる。犬孝様を頼んだぞ、犬智っ」
「あっ…!」
そう言うと、犬仁は高々と跳び上がり、屋敷の塀を軽々と飛び越えて、戦いの地へと赴いていった。
「ヒトちゃんっ…」
庭に残された犬智は、悲しげな表情で犬仁の名を呟いた。

白雪の加勢により、犬信・犬礼から逃れることの出来た輝矢と門貴は、安房の森のさらに奥へと急いでいた。
「・・・っ」
「・・・?」
隣を走る門貴の表情が突然変わり、輝矢は少し首をかしげ、前方を見た。
「・・・っ」
前方を見た輝矢が、その場で足を止める。門貴も輝矢の隣に立ち止まった。
『・・・。』
2人の見つめる先に見える人影。
「来たか…」
先にある大きな木の幹にもたれかかっている、黒髪長身の男。
「随分と早かったな…加勢でも加わったか…」
涼しげな表情を見せた男は、やって来た輝矢と門貴を見ながら言う。
「やはり四犬では厳しかったか…」
「・・・っ」
その男の姿に、門貴が表情を鋭くする。
「アナタは…?」
「八犬士が二、第54代・犬義だ」
輝矢の問いかけに、木にもたれかかっていた背を起こし、輝矢と門貴の方へと向き直りながら犬義が答える。
「あれが…」
名を名乗った犬義を見つめながら、門貴へと声をかける輝矢。
「あれが“戦いたい相手”というやつですか?サル」
「・・・ああっ…」
輝矢の問いかけに、門貴が小さく頷く。
「輝矢んっ…」
「はい?」
どこか遠慮がちな、門貴にしては珍しい声に、輝矢が素気なく返事をする。
「俺…1回、アイツに負けてもてん…」
――――輝矢んっ…ごめんっ…――――
桜時をさらわれたあの日、傷だらけの瀕死の状態で帰って来た門貴。
「ボっロボロに負けてもてん…」
「・・・。」
少し笑みを見せて話す門貴に、輝矢が目を細める。死の手前にまで追い込まれた相手。門貴はもう1度戦うことを望んではいたが、やはり不安を感じているのかも知れない。
「そうですか…」
輝矢が肩を落とし、そっと呟く。
「なら、今日は勝ちなさい」
「・・・っ」
偉そうな言葉。その投げやりなようにも聞こえるシンプルなたった一言に、門貴は目を開き、そしてゆっくりと微笑んだ。
「了解っ!」
大きく答えた門貴の笑顔に、もう不安の色はなかった。
「・・・っ」
門貴の返事を聞き、輝矢も笑みをこぼす。
「では行きます」
「おうっ!輝矢んも気ぃ付けてなっ!」
門貴が軽く右手を挙げる。
「それから桜時にっ…」
少し間をあける門貴。
「“1匹で考え込み過ぎなんやぁっ!アホイヌぅっ!”ってっ!」
「・・・っ」
笑顔で言葉を託す門貴に、輝矢も笑みをこぼす。
「・・・確かにっ」
門貴の言葉に短く頷き、輝矢は犬義の横を通り、森のさらに奥へと駆け出して行った。
「・・・。」
去っていく輝矢を、犬義が落ち着いた表情で見送る。
「何やぁ?えっらい簡単に見逃してくれるんやなぁ〜っ!」
「別に…逃げるものを追いかける趣味はない」
笑顔で問いかける門貴に、犬義もそっと微笑み、どこか余裕を感じさせる口調で答える。
「向かってくる者を…叩き潰す趣味はあるがな…」
「・・・っ」
皮肉った笑みを浮かべる犬義に、どこか楽しげな笑みを浮かべる門貴。
「行っくでぇっ!」
「来いっ…!」
門貴と犬義の、2度目の戦いが始まった。

「“白火(ぎゃくび)”ぃぃっ!!」
「狐火・一髪っ!!」
激しくぶつかり合う、白い炎と赤い炎。
――――パァァァァァァァァァーーーーンっ!――――
「チっ…!」
相殺する2つの炎を見て、ゴンが少し表情をしかめる。
「へっ」
しかめた表情のまま言い放つゴンを見て、どこか楽しげな笑みを浮かべるのは八犬士の1人・犬忠。
「“白火”ぃぃっ!!」
「・・・っ!」
犬忠はすぐさま両手をゴンに向け、休むことなく次々と白い炎を放った。
「ヒャッハッハッハっ!!燃えろ燃えろ燃えろぉぉぉっっ!!」
「うっせぇーなぁっ」
大声を出す犬忠に、不機嫌面となるゴン。
「しゃらくせぇっ!!」
――――ボォォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
ゴンがさらに目つきを鋭くし、白い煙に包まれていく。
「・・・っ」
白い煙の中から現れた、狐化したゴンに、犬忠が少し眉をひそめる。
「一髪・二目・三耳・四首っ…」
向かってくる白い炎に向け、狐化したゴンがその長い尾を翻した。
「“五臓・六腑”っっ!!」
ゴンの翻した尾から、6つの炎の塊が放たれる。
「これでっ…!」
威力を増して飛んでいく炎に、ゴンが勝利を確信したように言う。
「・・・っ」
――――ボォォォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
しかし犬忠は不適な笑みを浮かべ、その体を白い煙へと包ませていく。
「何っ…?」
その様子に、眉をひそめるゴン。
「・・・。」
白い煙が晴れ、そこに現れた黒い犬が、大きくその尾を振り上げた。
「“白炎(びゃくえん)”っっ!!!」
「・・・っ!」
先程の白火よりもさらに強い炎が、ゴンの放った6つの炎玉を、次々に消し去っていく。
「クソっ…!」
ゴンの六火をすべて消し去り、さらに勢いを増してゴンのもとへと飛んで来る白炎。ゴンは表情をしかめ、その狐の体を身軽に動かして、白炎を避ける。
――――バァァァァァァァァァーーーーンっっ!!――――
「・・・っ」
ゴンの避けた白炎により、森一帯が広く焼かれた。そのあまりの威力に、ゴンが少し圧倒される。
「あいつも獣化した方が力が増すのかっ…」
「ヒャッハッハッハっ!!」
「・・・っ」
焼ける森を見て、また狂ったように笑う犬忠に、気難しい表情で考え込んでいたゴンが、軽く表情をしかめ、犬忠の方を振り返った。
「こりゃっ…九尾を使うことになるかもなっ…」
そう呟いたゴンは、厳しい表情を見せていた。

『ひぃぃぃぃぎゃああああああああああああっっっ!!!』
「待つだぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
こちらは未だに勘違いして追ってくる犬悌から、全力で逃げている、羊スケ・鈴白・芹の異色三人組。もうすでに1時間は森を駆け回っている。
「待つだぁぁぁぁっっ!!侵入者ぁぁぁっっ!!とっととその人を解放するだぁぁぁっっ!!!」
羊スケを、侵入者にさらわれた一般人だと思っている犬悌。
「わかりましたっ!解放しますっ!」
「だから僕らは逃がして下さいっ!!」
「ええぇ〜っ!?それって、俺を囮にする気じゃないっスかぁぁっ!!?」
羊スケを置いて、自分たちだけ逃がしてもらおうとしている鈴白と芹に、羊スケが非難するように必死に叫ぶ。
「とりあえずこのままじゃ、いつか捕まっちゃうよぉっ!お兄ちゃんっ!!」
「そっ…それもそうだなっ…」
最もな芹の言葉に、鈴白が少し考えるように俯く。
「あのぉ、どなたか忘れましたが、そこの方っ」
「何っス?誰か忘れたっスが、どこかの兄弟の兄っ」
互いに誰であったかを忘れた状態で、何とか会話をする羊スケと鈴白。
「どなたか忘れましたが、ここは協力して、あの大男をどうにかしませんか?」
「おお、それはイイっスねっ!どこかの兄弟の兄っ」
「では決まりですねっ」
互いの名も思い出せない状態ではあるが、何とか話はまとまる。
「芹っ」
「うんっ!」
鈴白の呼びかけに大きく頷く芹。3人は互いに目を配り合い、頷き合って、一斉に犬悌の方を振り返った。
「んん〜っ?」
振り返った3人に、立ち止まり首をかしげる犬悌。
「何っ…」
「行きますよっ!そこの方っ!」
「イイっスよっ!どこかの兄弟の兄っ!」
羊スケ・鈴白・芹が、一斉に両手を犬悌に向ける。
「“降雹”っっ!!」
「“雪鏡”っっ!!」
「“羊々ボール”っ!!」
芹が雹を、鈴白が鏡のように周囲を映す氷の結晶を、羊スケがふわふわの羊毛ボールを、犬悌に向けて同時に放った。
「うっ…!」
飛んでくる3つの技に、思わず目を見開き、その場で身構える犬悌。
――――バァァァァァァァァァァァーーーーンっっ!!――――
素早い動きとは縁遠そうな大きな体の犬悌は、向ってくる3つの技を、避けることもなく見事に直撃した。巻き起こる衝風に、犬悌の姿が隠れる。
「やっ…やったっスかねっ?どこかの兄弟のお兄さん」
「どうでしょうね…」
羊スケと鈴白が、真剣な表情で薄れていく衝風を見つめる。
「ぬぅぅぅぅぅぅぅぅ〜〜〜っ……」
『・・・?』
聞こえてくる唸り声に、3人が表情を曇らせる。
「ぬおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉうっっ!!!」
『・・・っ!!』
雄たけびで周囲の風を吹き飛ばし、姿を見せた犬悌は、3つとも直撃したというのにまったくの無傷であった。
『ういいいぃぃぃっっ!!?』
その犬悌の姿に、大きく驚く羊スケたち。
「さては侵入者に情が移っただなぁ…?」
「へっ…?いやっ、だからぁっ」
「こうなったら力ずくで目を覚まさせてやるだぁぁぁぁぁっっ!!」
『ひいいいいぃぃぎゃあああああああああああああああああっっっ!!!』
表情に怒りを見せた犬悌に、羊スケ・鈴白・芹は、またもや全力で逃げ去った。

「射抜けっ…“白矢”っっ!!」
無数の白き光の矢を放つ犬信。
「フフっ」
向かってくる矢を見ながら、白雪が余裕の笑みで両手を構える。
「“雪乱雲”っ…!!」
――――パリィィィィィィィィーーーーンっっ!!――――
白雪の放った吹雪が、向ってきた無数の矢を、1本と残すことなく氷付けにしてしまった。凍らされた矢が、力なく地面に落下していく。
「ぷぅ〜っ!」
その様子を見て、犬信が悔しそうに両頬を膨らませる。
「無能め…」
「ひっどいっ!レイレイっ!!苦戦してる相方に、優しい言葉とか掛けられないわけぇっ!?」
「掛けれん…俺の口が腐る…」
非難するように訴える犬信に、動じることなく冷たい言葉を吐く犬礼。
「ふぅ〜っ!やぁっぱ雪が多いと戦いやすいわねぇ〜っ!」
雪の降る空を見上げながら、白雪がどこか楽しそうに笑う。
「さぁ〜っ!とっとと畳み掛けるわよっ!キっ…!」
「ぶるぶるぶるぶるっ」
「だあああああああああああっっ!!」
横で半分凍りながら震えている青いキジの姿に、白雪が勢いよく雪の中にズッコケた。
「なぁ〜に貴方まで氷付けになっちゃってんのよっ!!」
「君が所構わず吹雪かせるからでしょっ…?」
起き上がって突っ込む白雪に、ユキジが震えながらも鋭い視線を送る。
「ったく、ひ弱ねぇ〜っ!」
「仕方ないでしょっ。トリは南国育ちなんだからぁ〜」
羽根で体を擦りながら、白雪に断固として訴えるユキジ。
「寒さとか全然平気な、雪国育ちの無繊細人間とは違うんですよぉ〜」
「どういう意味よっ!?」
嫌味の込めまくられたユキジの言葉に、勢いよく怒鳴りあげる白雪。
「いつまで遊んでいる気だ…?」
『・・・っ』
聞こえてくる声に、ユキジと白雪が表情を鋭くして振り返る。
「俺の貴重な1日が腐ってしまう…」
『・・・っ!』
薙刀を振り上げながら降下してくる犬礼に、ユキジと白雪の表情は険しくなった。

――――キィィィィィィィィィィーーーーンっ!!――――
雪の降る森に、響き渡る金属音。
『・・・っ!』
如意棒を構えた門貴と、大剣を構えた犬義が、それぞれ同時に後ろへと飛び、交差していた武器が離れる。
「動きが鈍いな…」
大剣を構え直しながら、門貴へと笑みを向ける犬義。
「この前の怪我が治りきっていないのではないか…?」
「お前こそっ!右手、庇っとうみたいやったけどぉ?」
犬義の問いかけに、門貴も笑顔で言い返す。
「フンっ」
「へっ」
互いに笑い合う、門貴と犬義。
『・・・っ!』
そして再び、両者は相手の元へと駆け込んでいった。

「・・・っ」
その頃、1人、ひたすらに森を駆け抜ける輝矢。
「ハチっ…」
走りながら、輝矢は思わずハチの名を呼ぶ。
「ハチっ…!」

――――ハチっ…!――――

「・・・っ」
どこからか聞こえてくる声に、桜時がふと顔を上げる。
「・・・。」
桜時は窓ガラスに手を当て、窓の向こうに広がる森を見つめていた。かすかだが、森から数回、衝撃音が聞こえてきた。恐らくは皆と八犬士たちが戦っているのだろう。
「・・・っ」
森を見つめる桜時が、その瞳を鋭くする。
「失礼します」
そこへ、犬仁を追いかけて外へと出て行った犬智が、部屋へと戻って来る。
「・・・っ」
人化して窓の向こうを眺めている桜時に、犬智が少し目を細める。
「席をはずしてしまって申し訳ありませんでした。犬孝様」
「いやっ…」
変えた表情を元に戻し、深々と頭を下げる犬智。桜時は振り返ることなく、少し首を横に振った。
「さっ…さぁっ!骨っこの残りをいただきましょうっ!」
犬智が無理やり作った明るい笑みを浮かべ、桜時へと話しかける。
「犬智っ…」
「あっ!そうだっ!私っ!あいうえお作文の第3段考えてきたんですよっ!?」
振り返って名前を呼んだ桜時に返事をすることなく、犬智が必死に話を続ける。
「では早速、披露してっ…!」
「ごめんっ…犬智っ…」
「・・・っ」
桜時から“ごめん”という言葉が出ると、犬智は何とか繋げようとしていた言葉を、あっさりと止めてしまった。犬智の表情から笑顔が消える。
「・・・。」
「俺…」
笑顔を消した犬智を、桜時がまっすぐに見つめる。
「俺…行かなくちゃ…」
「・・・っ」
ついに告げられたその言葉に、犬智は目を開いた。
「・・・。」
犬智が衝撃を走らせた表情をもとに戻し、静かな表情で桜時を見る。
「どちらへ…行かれるのですか…?」
「仲間の元へ…」
犬智の問いかけに、少し笑みを浮かべて答える桜時。
「帰らなくちゃ…」
「・・・。」
まっすぐな瞳で言う桜時に、犬智は今度は少し目を細めた。
「帰る…?」
「うん…」
聞き返した犬智に、桜時はしっかりと頷く。
「自ら出て来たのに…ですか…?」
「・・・っ」
鋭い瞳を見せて問いかけた犬智に、桜時は思わずその表情をしかめた。
――――我々とともに行きましょう…――――
差し出された犬仁の手を、取ったのは桜時自身。
「自らここへ来たのに…ですか…?」
「・・・。」
犬智の問いかけに、桜時は少し俯いた後、穏やかな笑みを浮かべた。
「確かに…ここへ来たのは俺自身が選んでのことだ…」
――――ハチには関係のないことですっ…!!――――
「辛いことがあって…どこでもいいから逃げてしまいたくて…それで…犬仁の手を取った…」
「・・・。」
話を続ける桜時を、犬智が静かに見つめる。
「そんな俺に…犬仁も犬智もすごく優しくしてくれて…俺は…すごく居心地良かったし…楽しかった…」
桜時が犬智に笑顔を向ける。
「でもっ…」
桜時がまっすぐな瞳を犬智へ向ける。
「ここは…俺の居場所じゃない…」
「・・・っ」
まっすぐに突き出されたその言葉に、犬智は目を細めた。
――――あの方が里見犬孝だということは…あの方がここにいる理由にはならない…――――
「・・・。」
先程の悲しげな犬仁の姿を思い出し、そっと俯く犬智。
「貴方の居場所は…貴方を取り返しにやって来た、あの者たちのところなのですか…?」
「・・・わからない…」
「えっ…?」
笑って答えた桜時に、犬智が少し眉をひそめる。
「帰っても…またケンカとかしないとも限んないし…」
――――私はっ…!アナタのことを“仲間だ”と言った覚えは1度もありませんっ…!!――――
「戻っても…“仲間だ”って言ってくれるかも…わかんない…」
1度は拒絶されたのだ。取り返しに来てくれたのだとしても、仲間だと思ってくれるという自信はない。また拒絶されてしまったらどうしようと考える、そんな不安がないわけではない。
「でもっ…」
拒絶されることを怖がって、ずっとここに居たのでは、何も変わらない。少しも進まない。
「だからっ…」
桜時がまっすぐな瞳で微笑む。
「俺っ、帰らなくちゃっ」
「・・・っ」
まっすぐに前を見据える瞳。その瞳は、まるで犬智の心を突き刺すようであった。
――――俺が…バカだったんだ…――――
昨日まではあんなに悲しんでいたというのに、今日はどこまでも前を見つめている。前に進もうとしている。それはきっと、仲間が助けに来たことを知ったから。
「・・・。」
それはきっと、犬仁や犬智がどう頑張っても出来ないこと。
「私…知っていました…」
「えっ…?」
呟かれた犬智の言葉に、桜時が少し目を丸くする。
「ここが…貴方の居場所ではないこと…」
「犬智…」
少し笑みをこぼしながら呟いた犬智に、桜時が目を細める。
「だって犬孝様っ、ここに来てから悲しそうなお顔しかされてなかったから…」
――――ならどうしてあの人はっ、あんな悲しそうな顔しかしないのっ!?――――
きっと初めからわかっていたのだと思う。ここが桜時の居場所ではないこと。犬仁も、きっと。
「行って下さい…」
笑顔を見せた犬智が、ゆっくりと顔を上げて桜時の方を見る。
「貴方の笑える場所へっ…」
「犬智っ…」
どこか泣きだしそうな、そんな笑みを浮かべた犬智を見て、桜時も少し切なげな笑みをこぼす。
「ありがとうっ…」
桜時は犬智へ向け、少し頭を下げると、窓ガラスから手を離し、犬智の横を通り抜けて、与えられたその自分の部屋を出た。
「・・・あのっ…!」
廊下を歩き去ろうとした桜時を、振り向いた犬智が思わず呼び止める。
「・・・?」
廊下の先で、不思議そうに振り返る桜時。
「私っ…私っ…!」
少し迷うように俯いていた犬智が、勢いよく顔を上げた。
「貴方が“犬孝様”でっ…良かったですっ…!!」
「・・・っ」
大きな声でそう言い放った犬智に、桜時は少し驚いたように目を開いた。
「・・・ありがとうっ」
驚いた表情を見せていた桜時は、すぐに笑顔を見せ、犬智に礼を言うと、廊下の曲がり角の向こうへと姿を消していった。
「・・・。」
桜時のいなくなった部屋の前に、1人立ち尽くす犬智。
「ご武運を…」
桜時の去った廊下の先を見つめ、犬智が呟く。
「朱実桜時様…」
犬智は、桜時の犬孝ではない名を呼んだ。

「・・・っ」
森の中をひたすらに駆け抜けていた輝矢が、ふと何かに気付いて足を止める。
「アナタ…は…?」
輝矢の止まった道のすぐ先に立つ、1人の人物。
「・・・。」
白髪に強い紫目の少女が、ゆっくりと輝矢の方を振り返った。
「八犬士が六…第55代・犬仁…」
振り向いた犬仁は、まっすぐに輝矢を見つめ、自らの名を名乗った。


―――――――――・・・・・・
「八房…八房…」
それは、遠い過去。貴女は静かに私の名を呼んだ。
「国とは…大国とは…何なのでしょう…?」
貴女は静かに、私に問いかける。
「私のこの力は…何のためにあるのでしょう…?」
私では答えられないことばかりを、貴女はいくつも問いかける。
「私は…何のために生きているのでしょう…?」
私は今も、その問いかけの答えを探している。
・・・・・・・・―――――――


「伏…」
里見家屋敷、八房の部屋。八房は仏壇の前に座り、仏壇に飾られた女性の写真を眺めていた。かつてその写真の中の女性が言った言葉を思い出し、八房が少し目を細める。
「・・・っ」
写真を見つめていた八房が、ふいに表情を曇らせ、少し後ろを振り返る。
「・・・八犬士には、部屋から出さぬよう伝えたはずだが…?」
後ろを振り返った八房が、誰にともなく問いかける。
「こんなところで何をしておる…?」
急に鋭くなる八房の瞳。
「犬孝…」
「・・・。」
襖を開き、八房の部屋へとゆっくりと足を踏み入れたのは、真剣な表情を見せた桜時であった。
「最後に…貴方に…聞いておきたいことがある…」
桜時が八房をまっすぐに見つめた。

「八犬士…」
輝矢が少し目を鋭くする。
「・・・。」
輝矢の前に現れた犬仁は、ゆっくりと輝矢の方に向き直り、まっすぐに輝矢にその紫色の瞳を向けた。
「貴様…名は…?」
「私っ…?」
不意に名を問いかけられ、輝矢が少しキョトンとした表情となる。
「私は竹取輝矢です」
「竹取…輝矢…」
――――輝矢がっ…?――――
それは、あの時、桜時が呼んだ名。
「そうか…」
犬仁が顔を下へと向ける。
「貴様が…」
「・・・?」
噛み締めるように呟いた犬仁に、輝矢はその真意がわからず、ただ怪訝そうな表情を見せた。
「貴様は…何をしにこの犬国へ足を踏み入れた…?」
「・・・っ」
犬仁の問いかけに、少し表情をしかめる輝矢。
「そんなの決まっているでしょう?」
その場で腕組みをし、輝矢が堂々と言い放つ。
「私のハチを、返してもらうためです」
「・・・私のっ…?」
自信満々の輝矢の言葉に、犬仁が少し眉をひそめる。
「返せと…」
「ええっ」
少し低い声で呟いた犬仁に、輝矢が遠慮なく大きく頷く。
「そうか…」
だが犬仁はすぐに静かな表情となり、まっすぐに輝矢の方を見た。
「我は…犬孝様を守る者…」
「犬孝っ…?」
桜時のもう1つの名を、輝矢は知るはずもなく、戸惑うように首をかしげた。
「犬孝様はこの国に必要な御方っ…」
犬仁が、背中に背負っていた白い槍を右手に取る。
「貴様に渡すわけにはいかぬっ…!」
「・・・っ」
槍を構え、厳しい表情を見せる犬仁に、輝矢も表情をしかめる。
「“月器っ…」
厳しくした表情で、右耳のピアスを弾く輝矢。
「三日月”っ…!」
輝矢は月器を目覚めさせ、犬仁と相対するのであった。

「最後…?」
八房は、桜時の言葉の、その単語だけを繰り返した。
「最後じゃと…?」
「ああっ…」
静かに問いかけた八房に、桜時は真剣な表情でしっかりと頷く。
「俺は…里見犬孝にはなれないっ…」
「・・・っ」
桜時の放った言葉に、少し目を開く八房。
――――俺は里見犬孝にはなれねぇっ!!――――
「・・・。」
思い出される過去が、今の桜時の姿と重なり、八房は思わず目を細めた。
「俺は…この国にはいられないっ…」
「・・・。」
その言葉を聞き、八房は1度そっと目を伏せると、またすぐに開いて、ゆっくりと桜時の方に向き直った。
「同じ顔…同じ目で…同じことを言う…」
「えっ…?」
桜時の方へと体を向けた八房が、低くどこか重い声で呟いた言葉に、桜時は少し眉をひそめた。
――――ボォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
「・・・っ」
白い煙に包まれていく八房に、目を見張る桜時。
「本当に…」
徐々に晴れていく白い煙。
「その派手なピンク頭でなければ…見間違うところじゃっ…」
「・・・っ」
晴れていく煙の中から姿を現したのは、紺色の着物を纏った、白髪白髭の老人であった。薄く開かれた緑色の瞳は、少し相手を威圧するような、強い力を持っている。背中を丸めた小さな老人ではあったが、肌を刺すような力を感じ、かつての老人がいかに強かったかを容易に想像させた。
「・・・。」
だが、やはりどこか懐かしい。桜時は少し目を細めた。
「そう言ってこの国を出た…そなたの父とな…」
「父さんっ…?」
桜時が、驚いた様子で大きく目を見開く。
「本当によく似ておる…これが血というものなら…」
八房の瞳が、ふいに鋭くなる。
「何と…煩わしきものかっ…」
「・・・っ」
忌々しそうに言葉を放った八房の表情はとても冷たく、桜時は怖いとさえ感じ、思わず表情をしかめた。まるで血の繋がりを憎んでいるような、そんな言葉だった。
「国をっ…出たって…」
少し八房の言葉に動揺しながらも、桜時が問いかけをする。
「とっ…父さんは国を追放されたってっ…!」
「それは追放されるよりも、もっと前の話じゃ…」
「えっ…?」
八房の答えに、桜時がまたも戸惑う。
「あやつがそう言って国を飛び出して行ったのは…今のお前よりももう少し上の年の頃じゃったか…」
少し思い出すようにしながら、八房が言葉を続ける。
「反抗期の家出のようなものかと…特に捜索はしなかったが…それが仇となった…」
「・・・?」
悔やむように言う八房に、桜時はまたもや首をかしげる。
「あっ…」
何かを思いついたかのように声を漏らす桜時。
「母さん…」
「そうじゃ…」
桜時の呟いた言葉に、八房はすかさず頷いた。
「国を出たあやつは…お前の母と…四大国・雀の娘とっ…恋に落ちた…」
「・・・っ」
八房の言葉に、桜時が少し目を細める。
――――雲雀っ…愚かな妹っ…鳥でないだけならまだしも、よりにもよって他種の獣人の男に騙されてっ…――――
思い出される、孔雀の言葉。
「そう…か…」
桜時がゆっくりと頷く。
「やっと…わかった…」
「・・・っ?」
そう呟いた桜時に、八房が少し不思議そうに眉をひそめた。
「朱実がいくら鳥以外の獣人を嫌うっつっても…そこまでして引き裂くなんて…何かおかしいって前から思ってたんだ…」
国には鳥系の獣人が多いものの、勿論、他の種族の獣人だって暮らしていた。龍や虎との同盟も結んでいるし、やって来る他種族の者は快く迎えていた。
「何で父さんだけが追い出されたんだろうって…ずっと思ってたけど…」
桜時がゆっくりと八房を見る。
「犬国とその歴史を聞いて…やっと…わかった…」
「・・・。」
言葉を続ける桜時に、八房が少し目を細める。
「父さんは…追い出されたんじゃなくって…連れ戻されたんだな…」
「ああ…そうじゃ…」
桜時の言葉に、八房がどこか重く深く頷く。
「わしが八犬士とともに連れ戻した…」
「・・・。」
桜時が腰に差した村雨丸に目を落とし、八房の話に耳を傾ける。
「我らを大国から堕とした四大国…その雀の者と共になるなど…この犬国の主の息子として…決してあってはならないことじゃった…」
八房が、過去を懐かしむように、遠くを見つめる。
「じゃが…連れ戻したあやつは…わしにこう言った…」
――――父上っ…!父上っ!俺はっ…!――――
思い出される、白髪の青年の顔。
「“自分には雀は倒せない…四大国を恨むことなど出来ない…だからこの国にはいられない”と…」
どこか悲しく映る、八房の姿。
「“里見犬孝にはなれない”…と…」
「・・・っ」
桜時が少し表情をしかめる。それはまさに、桜時が先ほど、八房に向かって言った言葉そのものであった。桜時は知らぬうちに、父と同じ言葉を口にしていたのである。
「だからわしは奴を追放した…」
「・・・。」
桜時がそっと俯く。母を想い、自らの国を捨てた父と、四大国を恨み、自らの息子を追放した祖父を思うと、桜時の胸は、ただただ痛んだ。どちらが悪いなどとは、桜時には言えない。どうしようもないことであったのかも知れない。
「まさか…子供がいたとも知らずにな…」
「えっ…?」
続けて放たれた八房の言葉に、桜時が目を丸くする。
「しっ…知らなかったのかっ…?俺のことっ…」
「あやつは黙っておったからな…」
八房が静かに答える。
「知れば雀に攻撃を仕掛けてでも奪ったであろうことを…あやつは察したんじゃろう…」
「・・・。」
桜時が少し辛そうに目を細める。父は守ってくれたのだ。雀の平和と、幼い桜時の未来を。
「じゃあ…どうして俺のことっ…」
――――貴方の居場所は…我々が知っています…――――
存在さえ知れていないはずの桜時の元へ、迎えにやって来た八犬士たち。
「どうやって…」
「御伽砂漠の一件じゃ…」
「えっ…?」
またもや桜時が戸惑うように聞き返す。
「御伽…砂漠っ…?」
「ああ…」
八房が振り向き、鋭い表情で桜時の方を見る。
「御伽砂漠で強い白光が放たれた後…その一面に桜の木が咲いた…」
「あっ…」
八房の言葉に、何か思い出したかのように声を漏らす桜時。
――――死ぬなぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!――――
サソリの毒に侵され、輝矢が死にかけたその時、輝矢を助けるため、無我夢中で放ったあの白い光。
――――あの力は…一体っ…――――
今までに感じたことのない強大な力。桜時自身も、自分のその力に疑念を抱いていた。
「・・・。」
桜時が考え込むように俯き、その表情を曇らせる。
「あの光…あの力を見て…犬孝に子がいたのではないかと思い…八犬士に捜索させたのじゃ…」
俯いた桜時に、八房が言葉を続ける。
「そして…お前を見つけた…」
「・・・っ」
まっすぐに向けられた八房の瞳に、顔を上げた桜時が少し目を細める。
「あの…力って…」
「お前も…気付いておるじゃろう…?」
呟いた桜時に、静かに問いかける八房。
「お前のその力は…“花力”ではない…」
「・・・っ」
告げられる真実に、目を見開く桜時。花力に、毒に侵された輝矢を救える力はない。花力ではないもう1つの力が、自分の中にあることを、桜時は確かに気付いていた。
「“花力”じゃ…ない…?」
「そうじゃ…」
確かめるように聞き返した桜時に、八房が大きく頷く。
「その力こそ…この犬国…里見家に与えられた力…」
八房が少し後ろを向き、仏壇の上の写真の女性を見つめる。
「犬国が四大国を…堕とされる原因となった…力…」
「えっ…?」
桜時の瞳に、さらに戸惑いの色が灯った。

「射抜けっ…」
犬信が笑顔で弓を構える。
「“白矢”っ…!!」
「・・・っ」
またしても放たれる無数の白い光の矢。白雪が後方へ飛んで距離を取り、大きく両手を広げた。
「“氷壁”っ…!!」
――――バァァァァァァァァァァァァーーーーンっ!!――――
白雪が目の前に巨大な氷の壁を張り、飛んできた矢をすべて受けとめる。
「オォーホッホッホッホっ!何度やったって私にその技は通じなくてよぉぉぉっっ!!」
白雪が味方でも不快になりそうな、高々とした笑い声をあげる。
「レイレイぃ〜っ」
「お前がバカの1つ覚えのような攻撃ばかり仕掛けるからだ…」
白雪の笑い声に悔しげに振り返る犬信に、後ろで本を読んでいる余裕の犬礼が、相変わらず冷たい言葉を吐く。
「もっと真面目にやれ…あの笑い声に俺の耳が腐る…」
「うん〜あの笑い声には俺の耳も腐りそうだよぉ〜っ」
「オォーッホッホッホっ!!」
耳が腐ると言われていることにも気付かず、まだ高笑いを続けている白雪。
「・・・っ」
その白雪の横で由雉が、氷壁に突き刺さった白矢が、どこへともなく消えていくのに気づき、ふと眉をひそめた。
「うぅ〜んっ…」
「・・・っ?」
唸るような声を出す由雉に、白雪が振り向く。
「何よっ?変な声出しちゃって」
「いやぁ〜っ」
白雪の問いかけに、首を傾ける由雉。
「あいつの力って…何なのかなぁ〜って思ってぇ」
「力っ…?」
由雉の言葉に、白雪が目を丸くする。
「んなもん、決まってるでしょっ」
「えっ?」
当然だと言わんばかりの口調の白雪に、由雉が少し驚いたように振り返る。
「矢よ、矢っ」
「・・・。」
白雪の答えに、固まる由雉。
「聞いたボクがバカでした」
「何よっ!!その言い方っ!!」
いかにもバカにしたように深く肩を落とす由雉に、白雪がしかめた表情で怒鳴りあげる。
「だいったい貴方はねぇっ…!キジのくせに嫌味ったらしいったらないっていうかねぇっ…!」
「閃光か何かかと思ってたけど…氷に突き刺さっても氷が溶けてない…」
怒鳴る白雪を無視し、由雉がさらに考え込む。
「実体のない…力っ…」
「アハハっ!」
表情を曇らせる由雉に、犬信はいつものように陽気に微笑んだ。

「狐火っ!“五臓”っっ!!」
「ヒャッハっハっ!!“白炎”っっ!!」
狐化したゴンと、犬化した犬忠が、それぞれに赤と白の炎を放つ。
――――パァァァァァァァァァァーーーーンっっ!!――――
『・・・っ』
相殺する二色の炎に、表情をしかめるゴンと薄く笑みを浮かべる犬忠。人化時よりも強い炎を放つ2匹は、互角の勝負を繰り広げていた。
「獣化ん時の方が力が強まるのは、獣人の中でも少数派なんだけどなっ…」
犬忠を見つめながら、ゴンが呟く。
「それに狐族以外に火力使いがいるとはっ…」
「ヒャッハッハッハっ!!」
「あっ…?」
突然笑い出す犬忠に、ゴンが悪い目つきをさらに悪くする。
「ヒャッハッハッハッハっっ!!!」
「何だぁ?おいっ…」
何が楽しいのかもよくわからない状況で、高々と笑いあげる犬忠に、少し気味悪がるように顔をしかめるゴン。
「狂ったかぁ?あっ、前からか」
「関心すんのはっ…早えぇーんじゃねぇーかぁっ!!?」
「何っ…?」
尾を振り上げる犬忠に、ゴンが眉をひそめて身構える。
「ヒャッハっハっ!!“白流”ぅぅぅっっ!!」
「何っ…!?」
笑って犬忠が放ったのは、白い水の激流。細長い渦が、円を描くように回りながら、ゴンの方へと飛んでくる。
「クっ…!七火っ!!“七臍”っ!!」
焦りの表情を見せたゴンが、慌てて尾を翻し、向ってくる白流へ向けて、7つの炎を放った。
――――パァァァァァァァァァァァーーーーンっっ!!――――
「クっ…!」
至近距離で七火をぶつけ、何とか白流を消し去ったゴンであったが、砕け散った白流の水飛沫がかかり、少し身を屈める。
「みっ…水だとっ…?」
「ヒャッハッハッハっっ!!面白れぇっ!!面白れぇぜぇっ!!ヒャッハッハッハっ!!」
「・・・っ」
体を起こしたゴンが、楽しげに笑っている犬忠を見て、眉をひそめる。
「アイツはっ…水力も使うってのかっ…?」
――――“水月”っ!!――――
“水力”という言葉で思い出されるのは、輝矢の姿。犬忠はゴンと同じ火力を持ち、輝矢と同じ水力までもを持つというのだろうか。
「いやっ…そんなのありえねぇーっ…」
自分の考えに対し、すぐに否定の言葉がこぼれ落ちた。
「アイツの力はっ…一体っ…」
「ヒャッハッハッハっ!!」
高々と笑う犬忠に、ゴンの表情はさらに曇った。

「犬国が…四大国を堕とされる原因となった力っ…?」
「ああ…」
聞き返した桜時に、八房は重々しく頷く。
「それは…神の領域に程近き力…」
仏壇の写真を見つめていた八房が、ゆっくりと振り返り、まっすぐに桜時を見つめる。
「その名を…しかと心に刻め…」
八房の刺すように強い瞳が、桜時の瞳を捉えて離さない。
「その力の名は…」
「・・・っ」
桜時がごくりと息を呑む。
「“命力”…」
「・・・っ」
桜時の青い瞳が大きく開かれた。



                                  其の三十三へつづく。







千風のブログ「千風の押入れ」へっ!←裏話満載っ!の予定です。





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